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魔力を相続したいので、余命七日の魔術師を振り向かせます。  作者: 桐山なつめ


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第1話 七日間の契約――1日目①

「お願いです、先生。

 魔力を貸してください」


 私は、男の前で膝をついた。


「まさか、ビビくんが俺に頭を下げるとはね」


 椅子に腰を掛けたままこちらを見下ろす男――

 ルーカス・キリフォードは、口の端だけをかすかに上げた。


 その笑みに、温かみはない。


「不躾なお願いであることは、重々承知しています。

 三年……いえ、せめて一年……

 魔術師として、復職できるだけの魔力が必要なんです」


「……」


「……お、思いつく限りの手は尽くしました。

 復職の申請も、補助具の貸与も、魔力供給の制度も調べました。

 けれど、どれも条件を満たせなくて……。

 ……住む家も、追い出されてしまいました。

 先生しか、頼れる方がいないんです」


「断る」


 ルーカスは、あっさりと言い切った。


 その冷ややかな響きに、一瞬、聞き間違えたのかと思った。


 私がどれほど追い詰められているかを聞いたうえで、切り捨てられた。

 その事実に気づいた瞬間、指先が小さく震えた。


 茫然とする私に、ルーカスは容赦なく続ける。


「魔力を体内で生成できなくなったのなら、魔術師としては終わりだ。

 いくら貸したところで、無駄になる。

 死ぬまで俺に魔力を借り続けるつもりか?」


「あの……お金を代わりに支払うというのは……」


「話にならん。魔力は命より重いと教えたはずだ。

 赤の他人となった元弟子に、そこまでしてやる義理はない」


「赤の他人ですか……」


 私は唇を噛む。


「勝手に弟子を辞めて出て行ったのは君だろう」


「それには、色々事情があって……」


 ルーカスは椅子に腰掛けたまま足を組み、

 不機嫌そうに肘掛けをコツンと叩いた。


「口にもしなかった事情まで、俺に察しろと?」

「申し訳ございません……」

「君の話はそれだけか」

「……はい」


 私が頷くと、彼は垂れた前髪を指で梳いた。


 所作の美しさは、二年前と変わっていなかった。

 艶のある長い黒髪は後ろで一つにまとめられ、顎髭もきちんと整えられている。

 シャツには皺ひとつなく、衣服に乱れもない。

 国家魔術師団の筆頭魔術師として、人前に出る姿は完璧に整えられていた。


 指に嵌めた指輪は、国家魔術師団の筆頭魔術師にだけ許されたものだ。


 ルーカス・キリフォードの名は、魔術師なら誰もが知っている。

 私がまだ屋敷を訪ねる前、彼は教本の中にいるような人だった。

 本来なら、こうして言葉を交わすことさえ奇跡なほど、遠い人物だ。


(でも……やっぱり、具合が悪そう)


 頬はこけ、目の下には濃い隈が浮いている。

 整えられた身なりに反して、顔色はひどく悪かった。


 以前は、目が合っただけでも身が竦むような雰囲気を纏っていた。

 けれど今は、その威圧感の名残だけがかろうじて感じられる。


(……病気というのは本当なのかもしれない)


 しかし、私の視線に気づいたルーカスは眉を顰めるだけだった。

 余計なことを探るな、と言われた気がした。


 それ以上踏み込めずにいると、彼が短く詠唱する。

 次の瞬間、見慣れた杖が現れ、私の足元へ音もなく置かれた。


「手紙にも書いたが、ここに呼び出したのは

 その忘れ物を引き取ってもらうためだ」


「とうに処分したと思っていました」


 ルーカスは答えず、頬杖をついた。


 足元の杖を、私はしばらく見つめていた。

 幼い頃、魔術師になると決めてから、何度も握ってきた杖だった。

 厳しい修行も、昇級試験も、失敗して悔しさに震えた夜も、

 ずっとこの杖と共にあった。


 だが、私が触れようとした瞬間――

 鋭い衝撃が指先に走り、私は反射的に手を引いた。


 痛みよりも、触れることすらできなかった事実の方が恥ずかしかった。


 ルーカスに教わったことは、今も体に残っている。

 詠唱も、魔力の流し方も、杖を握る力の加減も、忘れていない。


 それなのに……魔力がない私は、触れることすらできない。


 魔術師でなくても、人は生きていける。

 そんなことは分かっている。

 けれど、魔術しか学んでこなかった私には、

 杖を持たないまま生きていく自分の姿がどうしても思い描けなかった。


 視界が滲んできて、慌てて目尻を指先で拭う。

 泣いたところで、失った魔力が戻るわけでもないのに。


「厚かましいお願いをしてしまって、申し訳ございません。

 自分の立場もわきまえずに縋ってしまいました。忘れてください」


 ルーカスは返事をせず、私を見つめていた。

 これ以上は惨めになるだけだ。


 そう思って視線を下げたとき、ふと気づいた。

 肘掛けを叩いていた指が、止まっている。


「……先生?」


 ルーカスは答えない。

 わずかに眉間を寄せ、息を詰めるようにして口元を押さえた。


(顔色が、さっきより……)


 けれど、ルーカスは私を見ようとしなかった。


 その時、部屋の空気がかすかに震えた。

 椅子に座るルーカスの周囲から、目に見えない何かが滲み出す。


 それは波紋のように広がると、床を伝って、

 膝をついた私のところまで押し寄せてきた。


 杖からは、もう手を離しているというのに、

 指先に鋭い痺れが走った。


「……っ」


 私は反射的に手を握り込む。

 痛みより先に、ぞっとした。


 今のは杖のせいではない。

 ルーカスの魔力が、一瞬、制御を外れたのだ。


 直後、ルーカスは反射的に鳩尾を押さえ、

 苦痛を噛み殺すように唇を引き結び、深く息を吸おうとして――失敗した。


「先生?」


 問いかけたが、彼は何事もなかったように背筋を伸ばそうとした。

 けれど、その額には薄く汗が滲んでいる。


「……座っていろ」


 声は平静だった。

 だが、呼吸だけがわずかに乱れていた。


「だ、誰か呼んできましょうか」


 しかし、ルーカスは自嘲気味に笑った。


「この屋敷には、俺しかいない」

「では、すぐ魔術医に連絡を……」

「無駄だ。もう治療の段階は過ぎている」


 ゾクリ、とした。


「俺の命も、あと七日だ」


 七日。

 その短さだけが、やけにはっきり耳に残った。


 ルーカスは手の甲で口元を拭うと、

 呼吸を正してから、椅子の背に体を預け直した。

 何事もなかったように振る舞おうとしている姿が、かえって痛々しい。


「滑稽だろう。世間から筆頭魔術師と賞賛されようが、病の前ではこのザマだ」


「ぜっ、全然笑えませんよ……!

 ご家族……は、いらっしゃらなかったですよね。

 どなたか、先生の様子を見に来てくださる方は……」


「俺が死んだ後に残る魔力が目当ての奴らばかりだったからな。

 相続を口にした者から追い返していたら、誰もいなくなっていた」


「……」


 ――相続。


 その言葉の生々しい響きに、心の奥底がざらついた。


 一瞬、息を止めたのを、ルーカスは見咎めるように黄金色の目を細めた。

 わずかに湧いた自分の浅ましい感情をなぞられた心地がして、反射的に顔を背ける。


「欲しいか?」


 予想外の言葉を振られて、私は思わず振り返る。

 先ほどまで苦しげに息を乱していたというのに、

 その声だけは妙に落ち着いている。


「もし相続ができれば、君は一生魔力には困らないだろうな」


 心が、ざわりと揺れた。

 そんなことを考えてはいけない。

 そう思うのに、舌が動く。


「……欲しいと言ったら、くださるんですか」


「まさか」


 ルーカスは、愉快そうに目を細めた。

 私が一瞬でも期待したことを、見逃していない表情だった。


「魔力は命より重いと言っただろう。

 俺の死後に残る魔力なら、なおさらだ。

 欲しいなら、それ相応の対価がいる」


「対価……」


「君は俺に、何を差し出せるんだ?」


 言葉に詰まった。


 お金もない。地位もない。魔力もない。

 かつて弟子だったという立場さえ、今の私にはもうない。


 それでも……。


 ――欲しい。


 そう思ってしまった瞬間、私は自分を軽蔑した。


 住む家もなく、杖も握れず、元弟子という肩書きに縋って、

 今度は余命七日のルーカスの死後に残る魔力まで欲しがっている。


 ここまで落ちたのか。


 そんな言葉が、胸の奥に沈んだ。

 とても口には出せなかった。


 ルーカスは沈黙の意味を見透かしたように目を細めた。


 その視線が、私の杖へ落ちる。

 それから、何も持たない私の手元へ。

 

 そして、ゆっくりと口の端を上げた。


「死ぬまで、あと七日ある。……ただ死を待つには、少々長い。

 せめて退屈しのぎくらい、あってもいいだろう」


 ルーカスはぽつりと呟くと、再び肘掛けを指で叩いた。


「取り引きだ、ビビくん。

 七日以内に、俺が君を妻に選ぶ気になるだけの理由を作ってみろ。

 そうしたら、婚姻契約に署名してあげよう」


「え……」


(妻に選ぶ……理由……?)


 魔力。相続。配偶者。

 ばらばらの単語が、ひとつの意味に繋がった瞬間、体が強張った。


「私が……先生の妻に、ですか」


 私は自分の両手の指を絡めて、視線を伏せた。

 緊張を悟られないよう、努めて明るく応える。


「いや……待ってください。

 先生が私を選ぶなんて、あり得ないじゃないですか。

 結果なんて分かりきっていますよ」


「えらく消極的だな。

 まあ、勝算があるとは言い難いが」


「そこまで言わなくても」


 むっとして顔を上げたが、ルーカスは笑みを湛えたままだった。

 何もかも見透かしているようで、肝心な本心だけは少しも見せない。


(……こういうところは、全然変わってない)


 彼が私たち弟子に本音を語ったことなど、

 一度たりともあったのだろうか。


 沈黙していると、ルーカスは机の引き出しを開けた。

 そこから取り出されたのは、分厚い契約書だった。


 その厚みに、思わず喉が鳴った。

 冗談や気まぐれで差し出すには、あまりにも正式な書類に見えた。


 ルーカスが指先で表紙をなぞると、淡い光が走り、

 空白だった欄に文字が浮かび上がっていく。


 私とルーカスの名前。

 身分。

 婚姻契約。

 魔力相続に関する条項。


 正式な魔術契約に必要な項目が、淀みなく埋まっていく。


(……早い)


 さすがは筆頭魔術師、と言うべきなのだろう。

 けれど、署名欄だけが空白のまま残されているのを見ると、急に息が詰まった。


「ここだけは、君次第だ」


「……」


「さて。どうする?」


 挑発的な笑みに、私は反射的に契約書を掴んで、胸に抱えていた。


「……やります」

「結構」


 もう一度、魔術師に戻りたい。

 足元の杖を、もう一度この手で握りたい。


 そのためなら。


 私はルーカスを見上げた。


「七日間、退屈はしなさそうだ」


 面白げに細められた黄金色の瞳から、目を逸らせなかった。

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