5.私の知らない感情
私がいるこの国はフィエーダという名前だ。
そのフィエーダには4つの隣国があり、このルドの町はそのうちの1つであるオルビスという国と隣り合っているようなものだった。
町があって、森があって、ちょっとした荒野があって、山があって、向こうの国の町があるといった感じで、荒野に国境があるらしいのだけど、見たこともなければ行ったこともないからよくは知らない。
まぁ、国境云々はこの際どうでもいい。
問題はエレキウルフやオークの元々の生息地であるはずの向こうの山。
その事に、ラーティ様も気づいているようだけれど…
隣国だから勝手に行くわけにもいかないし、向こうも大国だから実害があまり出ていない今、余計ないざこざは起こしてはいられない。
「オルビスとは別に敵対しているわけじゃないんだけど…」
「友好国なのでは?」
「一応はね。有事の際には協力し合いましょうなんて言っていたらしいんだけど、誰もが建前だって思ってたらしいよ。本音は別にあるって」
「本音… それって…?」
「分からない。でも、こちらの有責で何か起きてしまえば、その本音が出てきて何かしら請求される可能性がある」
それはそうでしょうね。
本当の善意で友好を結ぶ国なんて、まぁまずないだろう。
そこには様々な思惑や取引が必ずある。だから互いの王族、貴族を婚姻させることがあるのだし。
ごくたまに、本当に想いを通じ合わせて結婚、なんて人たちもいるだろうけど少数だろう。
そんなことはさておき、ようは決定的なことがなければ迂闊には動けないということ。
こうかもしれないと予測できていることはあるのに、現地調査をすることができないのが一番痛い。
オルビスともめる方がめんどくさいかもしれないけど。
「もうしばらくは様子見しかないだろうね。リルフィも、また行く時は気をつけて。でも要らぬ心配かな」
「……いえ、ありがとうございます」
心がほわっと温かくなった。
別に、言われたことのない言葉というわけでもないのに。
会話が一区切りついたところで頼んだ料理が来た。
オーク肉のシチューと彩り木の実のサラダ。偶然にも、ラーティ様も同じものだった。
「おすすめされたからコレにしたんだけど、美味しそうだね」
「ここの看板メニューで、タジアさん… シェフも王都の一流店で修行してた人ですからとても美味しいですよ」
「リルフィも好きなんだ?」
「…はい。タジアさんの料理は全部美味しいので全部好きです」
ガタン、と奥の方で何やら音がした。
ついでに何かすする音と、嗚咽のような声も聞こえる。
「おとーさん、何泣いてるの?」
「だっで……! 全部好ぎっで…!」
「ちょっ! 汚い! おとーさん涙も鼻水も拭いて!」
父娘の会話が聞こえる。
というより、私たちの会話も聞こえてたのか… 普段そんなこと言わないものだから、びっくりさせてしまったのかもしれない。
なんかちょっと恥ずかしい気が…
そんな気を紛らわせようと、シチューをスプーンで口に運ぶ。
肉と野菜の旨味がたっぷりで、いつも通りとても美味しい。二口目をいこうとしたところで机にコトリと追加の料理が置かれた。
「リルフィさん、これおとーさんからのサービスです! リルフィさんの言葉が相当嬉しかったようでケーキもどうぞって」
「…(いやいや、多いって…)
ありがとう。でもちょっと多いな… ラーティ様もどうですか? 私だけでは食べきれなさそうで…」
「リルフィがくれるっていうなら貰おうかな。ありがとう」
いつもより、賑やか。こんなに人の声が飛び交う食事の場は、孤児院の外では初めてかもしれない。
…いや、いつもも精霊たちと話しているから賑やかではあるけれども、なんていうか… 精霊たちがくれる安心感とは別の安心感があるような。
孤児院とも違う。
心がまた温かくなる。この感情は、何なのだろう。
~*~
『楽しそうだったわね』
宿泊している部屋でネールにそう言われた。
言われた私は言葉の意味を理解できずにきょとっとした表情を返す。
ネールはにこにことした表情を向けてくるけど、本当に分からない。みんなとの会話じゃない、いつもとは違う食事の時間だったけど、それだけだろうと思った。
楽しそうだった。…私が?
別にいつもの日常を楽しく思っていないわけではないのだけど、ネールは何を見ていてそう思ったのだろう。
でも、そう思ったのはネールだけではなかったようだった。
『やっぱり! 今日のリルフィ、楽しそうだったよね!』
「やっぱりって… 私、今日そんなだった?」
『なんていうかぁ… 自然に笑ってる感じ?』
『人相手には特にな』
フィーラも、アースも、サーラも。同じようなことを言って納得し合っている。
でも、私はなんか納得できない。というか何を言われているのか頭に入ってこない。
“人相手に自然に笑っている”
…私、そんなに笑ってないかなぁ。この宿の人たちと話す時も、リジィとご飯に行く時も楽しいと思っている。
笑ってもいる、つもりなんだけど。
『……ねぇ、リルフィ。1つ聞いてもいい?』
「何?」
『もし… もしもの話よ? 元父親と会うことがあったらリルフィはどうしたい?』
ネールがどういうつもりでその質問をしてきたのかは分からない。
だからというわけではないけど、私はその問いに答えることが出来なかった。
私は父親に対して、何の感情も持っていなかったからだ。
親としてはもちろん、人としても。
元々嫌な噂しか聞かなかった人だし、尊敬も何もない。他人だ。
『心のままでいいと思うよ? 私だったら気のすむまでぶん殴る!』
『俺もフィーラと同じだな。ぶん殴るどころか半殺しでも足りないくらいだ』
『フィーラもサーラも生温いよぉ。宙吊りにして拷問くらいはしないと』
『アースはそんな笑顔で何言ってんの!?』
みんなはどう? とか聞いてもいないのに勝手に喋りだした。
みんな、私を気づかってくれてるんだと、分かってはいるけれど余計に何も言えなくなってしまう。
でも、もし本当に会うことがあったら、私がどうこうの前に向こうが私に気づくだろうか。元々興味がなく、知ろうともしなかった娘のことなんて、顔も覚えていないのではないか。
そう思うとほんのちょっとだけ虚しい気がした。シルヴィアとして生まれた私って、一体何だったの?
………あまり、深くは考えないでおこう。
もしもの話は止めた。会うことなんてないんだから。
そうなった時はなった時だ。
精霊たちの声が飛び交う部屋にノックの音が響く。瞬間、その場が静寂に包まれた。
朝の早い人や子供はもう寝ている時間。時間に余裕のある大人やまだ仕事のある人は起きている。現に、外の飲食店からは明かりと音が漏れている。
そして客の部屋を訪れるのは、接客を担当しているニーコちゃんくらいだ。そのニーコちゃんももう寝ているはず。
では誰か。狙われている場合なら精霊たちが気づいている。
ある程度、精霊たちの警戒が薄れていて、尚且つこの部屋にいる私を訪ねてくる人物。
………1人しかいない。
「リルフィ、まだ起きてる?」
思ったとおり、ラーティ様だった。
無視する気もなかったから、扉に近づいて扉越しに声を返すことに。
「どうされましたか?」
「聞きたいことがあって。朝でもいいし、宿の人に聞いてもよかったんだけど、もう少しリルフィと話したくて」
私はチラリとフィーラを見る。フィーラは無言で首を横に振る。
声色と心音から、嘘はついていない。私と話したいというのは本心のようだ。
扉を開けるとオフな感じのラーティ様が。着ているものも、泊まる人に渡される部屋着のようなもの。
立ち話もあれだから部屋の中に招き入れる。
椅子に座ってもらい、私は空いている窓の枠に寄りかかった。
「…で、聞きたいことって……」
「明日、王都に戻るんだけど、その為の準備をしたくてね。そういうものが買える店ってあるかな?」
「ポーションとかですか?」
「そうだね、あと携帯食とか」
さすがに全ての距離を歩くわけではないだろうけど、生憎この町からは定期便といった馬車はない。あってもどこかの商会とかのだったりのものだけ。
定期便が出ている町までは歩くのだろう。そこに行くまでの準備というやつだ。
何があるか分からない世の中。大丈夫かもしれなくても準備するに越したことはない。怠れば痛い目を見るのは自分なのだから。
「いくつかありますが、冒険者ギルドの隣にある店である程度の物は揃うと思いますよ。武器や防具なら、その向かいの店ですが」
「大体揃うならそこでいいかな。いつ開店?」
「えっと… 朝2の鐘が鳴る頃だから… 9時には開いてます」
「昼前には町を出れそうだ。……」
「……何か?」
「いや、聞きたいことは聞いてしまったから、後何話そうかなぁって思って」
何だそれと思ったけど、なんとなく分かるような気がする。
ラーティ様は騎士様だし、貴族でもあるから本当は駄目なんだけど、気兼ねなく話せるからすごく楽というか。そこまで考えてやっと、さっき精霊たちが言っていた言葉の意味をほんの少しだけ納得することができた。
認めよう。私は楽しいと思ってた。
でも、精霊たちに色々言われるほどの違いは何なのか。気兼ねなく話せるという意味ではリジィだってそうなのに。
「リルフィは明日も森へ行くの?」
「いえ、一旦孤児院の方へ戻ろうかと。でもすぐに町に戻ってきて常時依頼を受けるんでしょうけどね」
嘘は、言っていない。
正確には、孤児院を運営するシスターに出来る限り外に出ていてほしいと言われているのだ。私がいると下の子たちが頼りきっちゃうからって。
確かに、いずれはみんな自立する身。もうすぐ成人する私がいたら子供たちの成長に繋がらない。
かといって王都の方には自ら行く気はないけど。
「孤児院でのリルフィかぁ…」
「…ちょっと、何を想像してるんですか」
「面倒見よさそう。その様子を見てみたいね」
「見なくていいです」
私が返すたびにラーティ様は小さく笑う。
……なんだろう。この感情も、楽しい…なの?
ご飯の時からずっと感じている。不快ではないけど、気づいてしまえば戸惑いが生まれる。
それは楽しいとも違う、私の知らない感情だった。




