感情迷路 4
「・・・生きてる?シェイド」
返事の代わりに、言葉にもなっていない呻きが返る。
人語に翻訳は出来なかったが、大丈夫ではないのだろう、と判断し、灰はこぶの出来た頭に氷嚢を叩きつけた。
テーブルに突っ伏したままシェイドが何か叫んだが、軽く無視する。
まったく・・・どんな嫌味を言ってやろうかってわくわくしてたのに。
既に暗鬱な空気を醸し出しているのでは、落とし甲斐がない。
隣に座っても、シェイドはヘドロのようにぐったりしたままで、灰の方を見向きもしなかった。
予想以上のへこみぶりに、思わず目を見開く。
予想外といえば、シェイドが人目につく―――夜で人気はないとはいえ、食堂などで沈んでいるのも珍しい。
脳と口が直結しているくせに、本当に落ち込む時は人目を避けるなんて、めんどうだよねぇシェイドは。
「“リーア”の方がいい?」
「・・・今は慰められるより、罵られる方がマシだ」
え?なに、苛めすぎてついにマゾに目覚めたの?
弄るのは好きだが、それで喜ぶシェイドは嫌だ。などと勝手なことを思いつつ、灰はとりあえず人型を維持することにして。
「喧嘩なんて、いつものことじゃないか」
六花とシェイドの喧嘩は最早日常茶飯事。
それも大半は聞いているのもバカバカしい、子供の喧嘩か痴話喧嘩。
2人も2人で好き勝手言い合い、満足したら何事もなかったかのように元通りになっている。
でも、今回は違う・・・?
「なに、押し倒して拒否されたとか?」
絶対あり得ない仮定を立ててみると、シェイドは突っ伏したまま顔だけこちらに向けて。
「それなら俺は今、五体満足でここにいない」
―――へぇ
「・・・まあ確かに、肋の2、3本は折られそうだよね
あれ、でもするわけない、とは言わないんだ」
「なにが違う」
大違いだよ、シェイド
「今の言い方だと、押し倒す可能性がゼロじゃないみたいだ」
返答は沈黙。続いて翡翠の目が大きく見開かれて、赤面した。それはもう、見事に。
「ばっそんなわけないだろ!?」
「でもシェイドの答えって、押し倒したこと前提の返答だよね?
押し倒す気がないなら『するわけない』で終わりじゃないか」
というか、え?なんで顔真っ赤にしてるの?あからさまに意識してますっていってるようなもんだよね?
なに、僕の知らない間になんでこんな面白いことになってるの!?
「揚げ足を取るな!深い意味はない!」
「浅い意味ならあるの?」
「深いも浅いもない!何の意味もない!!!」
「つまりシェイドにとって、白峰さんは押し倒すほどの魅力が無いってこと?」
「そんなわ・・・っそういうことを言ってるんじゃないだろ!?」
「そういうことだよ」
「だからっ・・・!」
必死の形相をしたシェイドを前に、灰はもう限界だった。
まずいな、これ以上は、笑う・・・っ!
想像以上に反応が良い。それもなんだかんだ否定していないあたり、答えたも同然だ。
以前のシェイドなら、まかり間違ってもそんな気は起きない!と本人がいようがいまいが切り捨てていただろうに。
「あはは、うんうんわかった、わかったから」
「わかってない。絶対何もわかってないだろお前!」
失礼な。きっとシェイド以上によくわかってるよ
あれ、でもそれなら・・・
「じゃあ、なんで落ち込んでたの?」
あぁ、そこで顔を逸らすんだ。ふーん、へぇ・・・・・・でも、だんまりは許さないよ、シェイド
「言わないならさっきのが正解ってことで、久我会長と副会長と桃山さんに言「お前は俺を殺す気か!」
その後、宥め、脅し、また脅し、と灰にしては珍しく手間をかけて―――なにせ拗ねて意固地になられては困る―――どうにか事の次第を聞きだした
「・・・で、怒らせて、腹に一発くらって、逃げられた。笑いたければ笑え」
脅迫まがいの追撃に、シェイドは半ば開き直っていた。
が、灰はまたしても、嫌味を言う気を失った。
・・・・・・え?なんなのこの茶番
茶番。そう茶番劇としか言いようがない。
シェイドの気持ちも、六花の心情も想像できるだけに、余計に。
白峰さんは・・・まあ、直接聞いたわけじゃないから微妙だけど
―――シェイド、君、それほとんど詰みじゃない?
「そう身構えられると、笑う気が失せるよ
いやそれより、シェイドはなんで白峰さんの“友達”発言に疑問形で返したのさ」
「疑問じゃない、いや結果的にはそうなったが・・・」
言いよどむ。ただしそれは言い難い、というよりシェイド自身もまだ理解していないようで
「白峰さんのこと、友達と思ってないの?」
「・・・それは違う」
一応そこはクリアしてるんだ。よかった。
・・・まあ、ほぼ毎日一緒にご飯食べたり、休日遊びに行ったりしてるのに、友達じゃないって言いだしたら、流石に手に負えないけど。
「じゃあ、“友達”発言が嘘だと思ったとか?」
「・・・・・・嘘だと思うか?」
あ、そこは自信が無いんだ
「まあ、僕は白峰さんじゃないから、確定は出来ないけど・・・」
そう前置くと、わかりやすく表情を暗くする。
その素直さを言葉に出来たら、こんな面倒なことにならないのに。
「彼女って、基本的に他人に干渉しないよね」
「そうか?」
「うん。だってシェイド、事あるごとにあのカーディお坊ちゃまに絡まれてる理由、白峰さんに聞かれたことある?」
「・・・ないな」
「ね。それだけ一緒に居たら、普通気になるだろうに」
あの坊ちゃんも坊ちゃんで口が軽いから、あの事を匂わせるぐらいはしてるだろうし。
けれど彼女はシェイドにも、灰にも、彼らの事情を聞いたことはない。
自分達2人の関係―――剣士と獣人が共にいることも、灰が合宿についてきた理由も、故郷に帰らない訳も
こちらが話さない限り、何も言わないし、聞かない
「他人に対して淡泊だとか、無関心だとかいうわけではないだろうから、きっとそれが彼女なりの人付き合いのスタンスなんだろうね」
でも、今回は違う
「そんな彼女が、君の事情に踏み込んだ
それって、それだけシェイドのこと気にかけてるってことじゃないかな」
まあ、その気持ちが“友情”かどうかは疑問だけどね
だがそれは灰が言うべきことではないし、確定していないなら、安易に伝えるべきでもない
ただ種類を問わず、何らかの“好意”がシェイドに向けられているのは明らかだ
「それに彼女、そう言うことで嘘つくタイプじゃないし」
「ああ確かに・・・他人は他人、とかバッサリいいそうだなアイツ」
わかってても不安、か・・・うん、もう完全に黒。黒だよねこれ
全てをぶちまけたくなる気持ちを抑え、灰は“核心”に踏み込んだ
「・・・まあ白峰さんの気持ちはともかく
友達って自覚があって、相手もそうだと確信できるなら―――友達が、嬉しくなかったの?」
「―――友達が、嬉しくなかったの?」
「違う」
シェイドは否定する
違う、嬉しくないわけじゃない。むしろ
『心配なのよ』
向けられた赤紫の瞳は、真っ直ぐだった
同情でも憐れみでもない、純粋で、真摯な想い
言葉より雄弁なそれに気付いた瞬間、心を占めたのは喜びだ
常に澱のように在る感情さえ、その時は意識の内から弾きだされ、ただただ
嬉しかった。なのに
『・・・友達、だから』
「・・・嬉しかったんだが、嬉しくなかったんだ」
矛盾している。それはわかっている、でもそうとかしか言いようがない。
自分と六花の関係は、“友人”だ
それは自覚しているし、現実として間違ってもいない
実際に初めてまともに友情を向けられて―――なにせ他の“友人”共はねじくれているので―――らしくもなく、気恥かしさも感じた
そして同時に、落胆した
「いや、嬉しくないというより、物足りないというか・・・俺自身もよくわからない
ただ、なにかが違うんだ」
なにかが噛み合っていないのに、肝心のそれがわからない
「・・・」
灰は何も言わなかった
黙って、それからひと呼吸の間、天を仰いで
「シェイド、それは――――――」
硝子窓の向こう。深い藍の空に、青白い月が浮いている
不完全な月はそれでもなお、眩いほどの輝きを放っていた
「・・・・・・もう。少し」
あと少しで、会える
「十六夜月か」
背後からの声に、黒駒は振り返ることもせず、ただ声だけは剣呑な光を宿して
「・・・死神、何の用だ」
薄暗い廊下の先、足音もなく現れたのは篁だ
「随分と見入っていたな、虚空の陽炎。否、見惚れていた、というべきか」
僅かに笑みを含んだ声に、黒駒はやっと篁に目を向けた。
ぼんやりと姿は感じられるが、月光は届かない。暗闇に紛れる体の中で、唯一、炎のように赤い目が黒駒を見据える。
篁は沈黙していた。黒駒は言うべきことがなかったので、黙っていた。
同じ黒を纏う同士、暗闇と月光の中でしばし視線を交わし。
静寂を破ったのは、篁だった
「―――――月光」
いいつつも、視線は空ではなく、黒駒に向けられたままで
「目だ。その銀は、鉱物というより月光に見える
偶然か。自ら引き寄せたなら、随分と執心だったのだな “ ” 」
ほとんど変わることの無かった黒駒の顔が、初めて歪んだ。
驚愕し、疑い、警戒して―――納得した
「相変わらず気味が悪いな、死神」
「我の容姿は我が望んだものではないから、変えようがない
それに、汝の知る“死神”は我ではないぞ、虚空の陽炎」
一歩、暗闇から踏み出す。黒駒は警戒も露わに身構えた
篁は構わず、さらに一歩、近づいて
「そして我の知る“汝”も汝ではない」
「俺は“俺”だ。それ以外の、なんでもない」
否定する声に、目に、迷いはなかった
彼は疑っていない。自身の存在、その意味を、何一つ
「だから待つか。いつ満ちるともしれぬ月を?」
篁は答えない。ただ、視線を空に、月に向けて
「―――――約束した」
それが全てだった。彼にとって
『ごめん』
ずっと泣いていた。その涙をぬぐってやりたかったけれど、記憶の中の自身は、もうそれだけの力もなく
『ごめん、ごめんね』
笑った顔が好きだった
純粋に、幸せそうに笑う姿を見ていると、それだけで嬉しくなって
だから
『―――――やくそくだ』
約束した。もう泣いて欲しくなかったから
『ぜったい、あいにいく』
どれほどの月日が流れようと、どれほど離れていようと、必ず探し出して―――会いに行くから
覚えている
冷たい夜の風、頬に落ちる涙の温度、錆びた鉄と草の匂い、 涙で潤む赤紫の瞳
――――待ってる
月の様に輝いて、儚い微笑み
全て 覚えている