第017話:生態系崩壊の底(ゴミ溜め)と、ダンジョンコアの悲鳴
1.究極の終末処理場(ゴミ溜め)への到達
『――ドゴォォォォォォンッ!!!』
分厚い岩盤を、白銀のパッカー車が『超油圧プレスブースト』を直結させた強固なバンパーで粉砕した。
崩落した瓦礫の雨を抜け、猛烈なスピードで道なき道を切り拓いてきた芝崎一郎とリリィを乗せた鉄獣は、ついにダンジョンの「最下層」――誰一人として足を踏み入れたことのない未踏の空間へと躍り出た。
そこは、ファンタジーのロマンに溢れた神秘の迷宮などでは決してなかった。
ヘッドライトが照らし出したのは、地獄の釜の底をそのまま現世に具現化したかのような、究極の「終末処理場」であった。
「ひっ……! あ、あああ……っ!」
助手席で『特級聖女の法衣』を身に纏うリリィが、両手で口を覆い、ガタガタと震え始めた。
無理もない。視界の果てまで広がるその空間は、ダンジョン全体から何百年もかけて押し流されてきた廃棄物が極限まで圧縮・腐敗し、完全に液状化した「底なしのヘドロ沼」と化していたのだ。
赤黒く、どろりとしたヘドロの海からは、致死量を超えた濃密な紫色の『瘴気』が、間欠泉のようにボコボコと噴き出している。
そして、正視に耐えない地獄絵図がそこかしこに広がっていた。
ヘドロの中には、消化しきれなかった巨大な魔獣の腐肉、不法投棄された武具、そして力尽きた冒険者たちの無念が融合し、半ば溶けかかった無数の手や顔となって浮かび上がり、声なき苦悶の叫びを上げてうごめいている。
通常の人間であれば、その光景と悪臭、そして絶望的な怨念の気当てだけで発狂し、瞬時に命を落とすだろう完全なる死の空間。
パッカー車の『有毒瘴気吸引フィルター』が常時最大出力で唸りを上げ、清涼な空気を車内に供給し続けているおかげで、一郎たちは辛うじて生気を保つことができていた。
「……」
一郎はステアリングを握る手を止め、パッカー車をアイドリング状態にしたまま、フロントガラス越しの惨状を無言で見つめた。
2.ダンジョンコアの悲鳴と、プロのぼやき
空間の中央に、それはあった。
本来であれば、世界中の不浄な魔力を吸収し、清浄なエネルギーへと変換して大地に還すはずの、星の循環システムの中枢――『ダンジョンコア』。
しかし、かつては白銀の結晶として神秘的な輝きを放っていたであろうその巨大な球体は、今やドス黒く変色し、表面には無数の痛々しいヒビが走っていた。
限界を超えた過負荷(メルトダウン寸前)により、コアは脈打つように赤黒く明滅し、『ピィィィィィッ! ピガガガガッ!』という耳障りなエラー音――言うなれば、機械の断末魔の悲鳴を上げ続けている。
さらに最悪なことに、コアの周囲には、処理しきれなかった数百・数千年分の極大汚染物質が、文字通り「癒着」していた。
それらは独自の意志を持ったかのように融合し、ビルほどもある超巨大な肉塊のバケモノ――最悪の汚染変異種となってコアにへばりつき、ズズズ……と不浄な体液を啜っている。
「おお、神よ……」
リリィは涙を流し、胸の前で十文字を切って祈り始めた。
「これが、世界の終わり……。ダンジョンの心臓が、自らが処理すべき穢れに押し潰され、絶命しようとしています。あのような極大の悪意の塊を前にしては、どのような英雄も為す術がありません……!」
この世の終わり。ファンタジーの絶望の極致。
そんな重苦しい空気を切り裂いたのは、一郎の極めてドライな、腹の底からの「ため息」だった。
「……うわぁ、こりゃひでぇな」
一郎は、恐怖で顔を引きつらせたわけではない。プロの清掃員として、純粋に「ドン引き」していたのだ。
「なんだよこの有様は。何十年、いや何百年メンテしてないんだよ。前の管理業者は誰だ。引き継ぎ資料とかマニュアルとか、現場に残ってねぇのかよ」
「えっ……?」
「どんな機械だってな、定期的に清掃して油を差してやらなきゃ、そりゃストライキも起こすさ。あんなにドス黒くなるまで放置するなんて、インフラを預かる人間としてのモラルが欠如しすぎだろ」
一郎は呆れ果てたように頭を掻いた。
目の前で起きているのは「世界の危機」だが、一郎にとっては「前任者が完全に管理を放棄して逃げ出した、最悪のゴミ屋敷(クレーム案件)」でしかなかった。
そのあまりにも日常的で、しかし絶対的な揺るぎない「お仕事のロジック」に基づくぼやきを聞いて、リリィの瞳に再び強烈な「認知の歪み」が発動した。
(あ、ああ……! 大賢者様は、この数百年もの間、世界の調和を怠り続けた神々や過去の勇者たちへの『静かなる怒り』を露わにしておられるのですね……! 恐怖など微塵もなく、ただ『怠惰』を嘆いておられる……! なんという気高く、底知れぬ御方……!)
リリィは両手を組み合わせ、一郎の精悍な横顔を恍惚とした熱い視線で見つめた。
3.機材の限界と、第一助手の真価
「まあ、文句を言っても始まらねぇ。片付かない現場はない。定時までに終わらせるぞ」
一郎は気合を入れ直し、ギアをローに入れた。
パッカー車が重低音を響かせて前進を開始する。
しかし、数メートル進んだところで、ズブッという嫌な音と共にタイヤが空転し始めた。
「チッ、足場が悪すぎるな」
最下層の地面は、ただの土や岩ではなく、液状の極大汚染物質が深く堆積した底なし沼だ。パッカー車の強固な装甲や魔力障壁があっても、物理的にタイヤが沈み込んでしまってはトラクション(推進力)がかからない。
さらに、コアに癒着している巨大な汚染変異種たち。
「あんなデカい肉塊、パッカー車のバンパーで強引に押し込んだら、背後のコアごとプレスしちまう。それに、このドロドロのヘドロは、今のホッパー(投入口)じゃ拾いきれねぇ」
一郎は瞬時に現場の状況を分析した。
パッカー車は現在、『次元圧殺結界』による強力な粉砕能力と、『超油圧プレスブースト』を備えている。しかしそれは、固形の粗大ゴミを掴んで放り込むための機能だ。
広範囲に広がる液状の有毒ヘドロや、コアにへばりついて離れない超巨大なバケモノを、精密かつ迅速に処理するための『専用機材』が決定的に不足しているのだ。
「なら、ウインチを直接バケモノに掛けて引き剥がすしかねぇな。リリィ!」
一郎は助手席の少女を鋭く呼んだ。
「はいっ!」
「ここから先は、パッカー車の外での作業になる。いくら『有毒瘴気吸引フィルター』があっても、あのコアの真横の極濃度の瘴気の中じゃ、俺の肉体でも一瞬で肺が焼ける。お前の『特級聖女の極大浄化結界』が絶対に必要だ!」
「私、の……結界……!」
リリィの肩がビクッと跳ねた。
これまで、一郎の圧倒的な力と重機に守られるばかりだった自分が、この最悪の絶望空間において、大賢者様の命を預かる唯一の盾として指名されたのだ。
(一郎様が、私を頼りにしてくださっている……! この身が朽ちようとも、絶対に、絶対に一郎様をお守りしてみせますっ!)
「はいっ! 一郎様! 私の全魔力を懸けて、浄化結界を展開します! どうか、私の後ろに!」
4.過酷な肉体労働と、バールによる牽制
ガチャリ、とパッカー車のドアが開く。
『有毒瘴気吸引フィルター』の有効範囲から一歩外へ出た瞬間、ドス黒い瘴気が二人を呑み込もうと牙を剥いた。
「聖女の極大浄化結界!!」
リリィが神官の杖を高く掲げ、全魔力を解放する。
純白の光のドームが二人を包み込み、迫り来る瘴気をチリチリと音を立てて灼き焦がし、浄化していく。
「よし、いいぞリリィ! そのまま俺の背中についてこい!」
一郎は、三十歳の全盛期へと最適化された屈強な肉体を躍動させ、底なしのヘドロ沼へと足を踏み入れた。
『芝崎清掃の蒼い作業服』の加護がヘドロの毒を弾くとはいえ、足を取られる悪路だ。並の人間であれば一歩も進めないほどの粘度と重さ。
しかし、若返った一郎の肉体は、長年の清掃労働で鍛え上げられた体幹と筋力を100%の効率で発揮し、数百キロのウインチワイヤーを軽々と肩に担いだまま、ズンズンとコアに向けて歩みを進めていく。
「ピィィィィッ!!」
コアが再び悲鳴を上げる。
一郎たちが近づいたことに気づいたコア周辺の汚染変異種たちが、一斉にこちらへ向き直った。
腐肉とヘドロが融合した巨大な腕が、無数に伸びて襲いかかってくる。
「邪魔だ、生ゴミども!」
一郎はワイヤーを担いだまま、空いた片手で腰から神器『解体用聖杖(長さ60cmの炭素鋼製バール)』を引き抜き、迫る肉の腕を次々と弾き飛ばしていく。
ガキィィッ! バシュゥッ!
バールの一閃が物理法則を無視した衝撃波を生み出し、変異種の腕を破砕する。さらに、一郎は振り返ってパッカー車へ向けて叫んだ。
「相棒! 『高圧温水スプレー洗車機』起動! 前方へ掃射だ!」
『――キィィィン、シャァァァァァッ!!!』
パッカー車のフロントから、対不死者特効呪文『ピュリファイウォーター』を帯びた超高圧の温水がドバドバと噴射され、変異種たちを溶かして牽制する。
「い、一郎様、すごいです……! あのような恐ろしい化け物どもを、片手で……!」
リリィが結界を維持しながら感嘆の声を上げる。
「バカ言え、こいつはあくまで足止め(補助)だ!」
一郎は額に汗を浮かべながら舌打ちをした。
三十歳の肉体のおかげで疲労はない。だが、変異種の数が多すぎ、かつヘドロが無限に湧き出してくるため、いくらバールで叩き潰し、洗車機で溶かしてもキリがないのだ。
このままでは、ワイヤーをコアの癒着物に掛けることすらできない。
5.本社への直訴と、進化の足音
「チッ……! だめだ、こりゃ完全に手作業と今の機材のキャパを超えてる!」
一郎はバールで特大の変異種を弾き飛ばすと、ステータス画面を空中にポップアップさせた。
現在の回収実績は、道中のルート開拓を含めて優に数十トンを超えている。そして、インフラの心臓部である『ダンジョンコア』への到達という、前人未到の特別実績。
一郎は、画面の向こうにいるであろう「スポンサー」に向けて、現場監督としての怒号を飛ばした。
「おい本社(女神)! 見てるか! 現場の規模と汚れの質に対して、支給されてる機材のスペックが絶望的に足りねぇぞ!!」
ドロドロのヘドロを吸い上げるバキューム機能。
巨大な肉塊を安全に掴み取る重機アーム。
そして、この過酷な現場で徹夜作業(残業)になった場合に備えた、より広く安全な休憩スペース(車内環境)。
「こちとら世界の命運が懸かった大規模修繕工事をやってんだ! ケチケチしてねぇで、大至急、追加の設備投資を承認しやがれ!!」
一郎の、インフラ再生に懸ける真摯な、そして現場労働者としての極めて正当な「直訴」。
それが天に届いたかのように、白亜の空間にいる女神が承認の印を押したのだろう。
『――ピロリロリロリンッ!!!』
一郎の目の前のステータス画面が、まばゆい黄金の光を放ち始めた。
これまでにない、大量のシステムメッセージが怒涛の勢いで流れ込んでくる。
【特別実績の承認を確認:『ダンジョンコア到達』および『累計回収実績100トン突破』】
【現場の極大汚染環境(ヘドロ沼・超巨大癒着物)を検知しました】
【スポンサー(女神)より、特例の追加予算(神聖力)が投入されます】
【これより、対ダンジョン専用環境浄化重機・芝崎清掃カスタムの『第二形態への大規模進化(大型アップデート)』を開始します】
「……っ! よし、話の分かる本社で助かるぜ!」
一郎の口角が、ニヤリと不敵に吊り上がった。
絶望的な生態系崩壊の底で、最強のおっさん清掃員と、勘違いを極めた特級聖女。
そして、これから二度目の圧倒的な進化を遂げようとしている白銀の相棒(パッカー車)。
ダンジョンコアを救い、王都の平和と「風呂付きマイホームでのスローライフ」を守るための、反撃の大規模修繕工事が、いよいよ真の幕を開けようとしていた。




