第一話 英雄だった頃〜出会い
ずっと願っていた。
皆が笑って生きられる世界を。
ずっと願っていた。
僕に関わるすべての人が、
希望を持って生きられることを。
それが、僕の幸せだと信じていた。
――でも。
運命には逆らえない。
僕の幸せは、
そこには無かったんだ。
今、僕の見ている景色は、
一面の花畑だった。
風に揺れる花々は美しく、
まるで夢のようで。
――けれど。
僕が触れた花は、
指先から黒く染まり、
静かに枯れていく。
花が好きな君に、
花を贈ることは出来ないのだろうか。
そっと、一輪を摘む。
花は、触れた指先から
次第に枯れていく。
「……」
「くだらん」
枯れた花を捨て、
僕は静かに歩き出した。
向かう先は、ただひとつ。
薄暗い祭壇の前には、
愛しい女が眠っていた。
その傍らには、
白い髪の男が横たわっている。
血の気はなく、
もう息もしていないようだった。
対照的に、
彼女の胸は静かに上下している。
眠っているだけだ。
そう――
眠っているだけなのだ。
静まり返った祭壇の中で、
僕はただ、彼女を見つめていた。
どうして、こうなってしまったのだろう。
――これは、
まだ僕が“英雄だった頃”の話。
「勇者様一行! お帰りなさい!」
村人たちの歓声が響く。
鬼の討伐を終えた僕たちは、
祝福と酒の匂いに包まれていた。
「今日は祭りだ!」
村人たちは嬉しそうに笑い、
酒を酌み交わしている。
「鬼はどんなやつでしたか?」
猿が肩をすくめる。
「とてつもなく奇妙だったよ。
なぜか、ずっと笑っていたんだ。
気味が悪かった」
キジは何も言わない。
「鬼なんて皆殺しにしてしまえばいい!」
誰かがそう言った。
それが当然だというように、
笑い声が広がっていく。
桃李はその場に立っていた。
討伐は成功した。
皆が喜んでいる。
それでいい。
それが正しいのだ。
「僕は、少し散歩でもしてくるよ」
そう言って、桃李はその場を離れる。
一人になりたかった。
祭りの喧騒から離れ、
静かな森へと向かう。
――ガサガサッ。
茂みが揺れた。
「誰だ!」
現れたのは、
美しい黒髪の女性だった。
「……何をしている」
「別に、何も」
彼女は警戒したようにこちらを見る。
「一人でいては危ない。送っていく」
「結構よ。わたし、強いもの」
そう言って、彼女は森の奥へ消えていった。
桃李はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……気になるな」
そして静かに、彼女の後を追った。
辿り着いたのは、森の奥の空き地だった。
そこでは彼女が、小さな動物たちに餌を与えていた。
よく見ると、動物たちは彼女を恐れていない。
本来なら人を避けるはずの獣たちが、
自然と彼女の周りに集まっている。
その光景は、どこか不思議な静けさを持っていた。
「こんなにも懐くものなのか……?」
「――っ!」
彼女が振り向く。
「つけてきたの? 悪趣味だわ」
「たしかに。すまない。
少し気になってしまって」
彼女はしばらく桃李を見つめたあと、
小さく息を吐いた。
「……ここは、誰にも言わないで」
「ああ、約束する」
その後、二人は少しだけ言葉を交わした。
静かな夜だった。
木々の隙間から差し込む月明かりが、
彼女の黒髪を淡く照らしている
彼女は木にもたれたまま、
いつの間にか眠ってしまっていた。
「おい、こんなところで寝るな」
返事はない。
「……仕方ないか」
桃李もまた、その隣に座り、
静かに夜を過ごした。
⸻
夜が明ける。
「起きて。もう朝になるわ」
彼女は少し慌てて立ち上がる。
「待ってくれ」
桃李は思わず声をかけた。
「また……会えるか?」
彼女は一瞬だけ沈黙し、首を振る。
「ダメ。会いに来ちゃダメ」
「……」
「さようなら」
そう言って、彼女は森の奥へ消えていった。
久しぶりに、よく眠れた気がした。
身体が軽い。
「……空も飛べそうだ」
桃李は小さく呟く。
村へ戻る途中、村娘に声をかけられた。
「黒髪で髪が短い女性ですか? そんな人たくさんいますよ」
「わたしも、桃李さまのためなら髪の毛を切って差し上げますよ」
そう言って、村娘は少し頬を赤くした。
桃李は小さく笑う。
「ありがとう。でも、君にはその長い髪がよく似合っているよ」
「……!」
村娘は嬉しそうに俯いた。
だが頭の中には、
あの女性の姿だけが残っていた。
陽が落ちる頃、桃李は再び森へ向かう。
理由はわからない。
ただ、足が向いてしまう。
そこには、彼女がいた。
「……なんで来たの」
「いや。ここは僕の散歩コースだ」
森の奥深くまで来ておいて、
あまりにも苦しい言い訳だった。
「くすっ」
彼女は堪えきれないように小さく笑う。
「あなた、変よ」
その瞬間、風が吹く。
黒髪が揺れ、
月明かりに照らされた横顔がやけに綺麗に見えた。
「それにしても、美しいな。」
「――っ!?」
彼女の頬が赤くなる。
「そ、そういうこと簡単に言わないで……!」
桃李は少しだけ笑った。
その胸の奥で、
何かが静かに揺れていた。




