第42話 分かれ道
ツッコミを入れる前にオマエは歩き出し、そのまま闇に溶けてしまった。
ビールを飲まずに帰るなんて、他に美味しいものを食べる予定でもあったのだろうか。発泡酒はやっぱりイマイチなのかもしれない。
ひとりで家に帰り、ひとりの夜を過ごす。本社に戻るのをなぜか迷ってた気もするけど、なんでだろう?
当たり前の生活に疑問を挟む余地はなく、いつもの朝を迎えた俺は、課長に異動を承諾する旨を伝えた。
*
ゴールデンウィーク明けからの新生活に向けて、バタバタと家の片付けを始める。
それほど物が多いわけではないけれど、一年も経てばこまごましたものが増えているものだ。
捨てるものと、リサイクルショップに持って行くものの目星をつけて、大家さんにも話を通す。ここは会社の借り上げだから、すんなりと話は進んでいった。
「そうかい。戻れることになってよかったなぁ。『お伽堂』さんはまたバイトを探さないとだな」
お伽堂の入り口には、俺がバイト中も募集の張り紙は貼ってあった。俺のいるときに来た人はいなかったけれど。
ふと、そうだ。バイトをしてたよな、と思い出した。お伽堂の方へも挨拶に行かないと。
「大家さんは俺のバイト、どこで知ったんです? 毎日行っていたわけでもないし……」
「ああ。あそこの店主とは幼馴染というか。仲が良かったわけでもないんだが、昔から知ってるんだ。うちで部屋貸してるってわかって、ちょっと世間話をしたから。顔には出さないかもだが、寂しがるだろうな。急な転勤で忙しいだろうが、挨拶していってやってくれ」
「……はい」
雑誌や古本をダンボールに突っ込んで、暇を見て持って行くことにする。
神社には世話になったし、最後もきちんと挨拶しないとな。寺は……うん。まあ、いいか。
莉音ちゃんの連絡先を消すべきか迷って、それも本人に確認しようと頭の中でチェックをつけた。
何気なくスクロールした一覧の中に仲の良かった同期の名前を見つけて、帰れそうだとメッセージを入れる。その時は「飲もうぜ!」という話で終わったのだけれど、夜になってまた通知が入った。
『小耳に挟んだんだけどさ、お前の受け持ち引き継いだヤツ、辞めたらしい』
『報連相がいいかげんで、口先だけ調子いいやつだな~とは思ってたんだけど、ダブルブッキングや連絡不備が相次いで……終いには会社にも来なくなったとか』
『お前、上司の電話に誰か出たって言ってたよな?』
『呼び戻されるってことは……って、ちょっと思っちゃうな』
同じ部署に戻るわけではないし、真相はわからないけれど。なんとなくの想像はついて、今回の話も納得はいく。
「今度は体調管理も気をつけるよ」そう返して、なんとなく右手の小指の付け根に視線を落とした。
あれから、オマエは家に来ていない。街中で姿を見ることもなくなっていた。
いや。もしかしたら、見てはいるのかも。
俺が気にしなくなっただけで……
会社でも家でも慌ただしく過ごし、一息つくのに冷蔵庫を開ける。ビールの在庫が切れていてコンビニに向かった。
四缶カゴに入れて、あれ? と思う。一人分には少し多い。しばし考えて、オマエがよく来てたんだったと気づく。
そう。毎日のように来てたじゃないか……と。
*
連休に入ってから神社に行った。
莉音ちゃんは巫女姿で境内を掃き掃除していた。こちらに気付くと、一瞬誰かの姿を探してから近づいてくる。
「お一人ですか? 珍しいですね」
「珍しい? うん……実は転勤になって」
「え!?」
「休み明けたら本社に戻るんだ」
「え~。おめでたいんでしょうけど、オマエさんにますます会えなくなるじゃないですかぁ!」
ああ。そうだった。莉音ちゃんはオマエのファンだった。
「意外とあちこちフラフラしてるから、見かけたら声かけるといいよ」
「……オマエさんひとりだと、なんだか近づき難いんですよね~。そうか~。都会の新しい流行りものとか、教えてくださいね」
「……連絡先、そのままでいいの?」
「え? いいですよ。卒業旅行でそっちに行くときに色々教えてもらいますから! クマちゃんはどうするんです?」
テディなぁ……
少し、思考の外に追い出していたから、答えに詰まる。
言われればそうだと思い出せる。でも、遠い子供の頃の思い出のように不鮮明だ。
時間と共にとても大事なことを忘れかけている気がして、このままではいけないのではないかと、自分にも言い聞かせるように言葉にした。
「どうしようかな。これから『お伽堂』にも挨拶に行くから、その時考えるよ。まだ祈祷が必要なら、置いていかないとだし」
「そうかぁ。体に気をつけて、頑張ってくださいね!」
「うん。ありがとう。莉音ちゃんも受験頑張って」
「う。そぉですね。がんばります……」
家業があるから、それほど困りはしないのだろうけど、ここ以外の場所も見れるなら見た方がいいだろう。
拝殿にきちんと手を合わせてから、莉音ちゃんに笑って手を振った。
一度家に戻ってから、ダンボール箱を抱えて『お伽堂』へと向かう。
ここに来てもオマエの姿はなくて、あの夜オマエが何を食べたのか、気づいていたのに目を逸らしていたことを自覚した。
あなたに執着はありません、と突きつけられるのが嫌だったのだ。
テディはすっかり普通のぬいぐるみの顔をしてカウンターの上に座っている。
店主が鼻眼鏡の奥から上目遣いでこちらを見て、ふっと笑った。
「買い取りかい?」
「はい。値段はつかなくてもいいんですけど。あと、挨拶が遅れてしまってすみません」
どこからか聞き及んでいるだろうとそう言うと、店主はひとつ頷いた。
「構わねぇよ。挨拶に来るとも思ってなかった」
カウンターの上に置いたダンボールを開け、ひとつひとつ本を取り出して吟味する。
「餞別も含めて千円ってとこかな」
「ありがとうございます。あの……」
もう一度上目遣いでこちらを見る店主の目に少しだけ怯む。千円を受け取ってそのまま店を出ようか。そうした方がいいんじゃないかと何かが囁く。
それでも、『「別れましょう」と言われて、引き止めもしない』そう言ったオマエの声を思い出せた。これは、そういう話ではないけれど、根は同じだろう。
「オマエ、いませんか」
気持ちとは裏腹に、だいぶ掠れた声になった。
店主は答えぬまま、しばし俺を睨みつけるように見ていた。




