第100話 『例の岩山』
ナワの街を出て十余日、並み居る魔獣達を退けながら静達は樹海の奥にそびえ立つ岩山の麓までたどり着いた。
この辺りは元々が高地なのか見上げたすぐ先で森は森林限界を迎え、もうその先は岩肌がむき出しの岩山だ。
「ふう。いよいよここまで来たわね。今日はもう日が暮れそうだし、明日朝から登って『石』を探しましょうか」
そう言うと三人で野営の準備をする。最初の頃はブツブツと不満を漏らしていた結月だったが、もうさすがに手馴れたもので何も言われずとも三人が三人の役割を果たしてテキパキと動く。
「ねえ母さん。その『石』って本当にあるの?」
「さあ。私はあるとは思ってるんだけどね」
無かったらまた別の方法を考えるわよ、と静は素っ気なく答えてワイルドに焼いた干し肉を噛みちぎる。
単純に『石』を探しに来ただけだったはずなのに、思いもかけず色々な出来事に遭遇してしまった。そう思っていたのは結月も同じなようで
「なんかいっぱい寄り道しちゃったね」
と、結月は来た道に思いを馳せながら焚き火を眺め、母と同じように肉を嚙る。
だがその寄り道を静は悪い事とは捉えていない。人が人として生きる以上、誰かのドラマに遭遇したり自分のドラマと誰かのドラマが交錯する事はあるものだ。
「ま、『袖振り合うも多生の縁』というヤツよね」
そのおかげで『色々な事実』にも気づけたのだ。静は夜空に浮かぶ巨大な月を眩しげに眺める。
「永遠、あなた今も遥とリンクしてるの?」
「はい。私の方からは『それ』を切れませんので」
静がイミグラで『永遠のコア』を分析した際、彼のことでいくつかわかった事があった。その一つ、
『通信ポートが一つしかなく、しかも開きっぱなし』
それが今も遥と繋がりっぱなし、ということは言うならばここに遥がいるようなものだ。
「無論、心配なくとも『石』の探索には影響なく、問題はありません」
と笑顔を見せる永遠。静の思うところは別のところにあったのだが、永遠はそれに気づいていないのか、もしくは気づいていながらスルーしてくれているのか
『遥に悟らせない為に』
静は気づいてしまったのだ、『遥が真島家の四人を再生した理由』に。それはまだ推測の域を出ないものだが、おそらく間違いあるまい。静の勘がそう告げている。
そしてそのことを、静が気づいた事を遥に知られると今度はイミグラに残してきた結弦と祐樹に危険が及ぶ可能性が出てくる。
今、出来ること。それはその事を遥に悟られないまま目的を果たしてイミグラへ戻る。それが最善だ。
翌朝。
朝から岩山を登り始めた静達は、昼前には山の中腹あたりに到達していた。暗示を解いてピョンピョン跳びながら来たのだ。
「永遠、この辺りはどうかしら?」
何度目かの『地質調査』
永遠は頷くと地面に溶けるように消える。しばらくの後、永遠は再び地面から生えるように現れ、いつもの姿を形取る。
「静様、この辺りは地層が『ひっくり返って』いるようです」
今、立つこの地盤は天体衝突前の地層だと永遠は言う。そして
「ここから水平方向に50mほどの地中に高温で焼かれた地層が確認できました。おそらく天体衝突時の地層かと思われます」
行かれますか?という永遠の問いに静が頷くと、永遠はそこにトンネルを生成する。
トンネルを進んだその奥で永遠は立ち止まり『それでは行って来ます』と言うとまた溶けるように地面に消える。そして何処からともなく聞こえてくる永遠の声。
『静様、私の持つ成分に非常に近いモノを検出しました。コアの周囲に取り込んだところ、違和感なく同化します』
それを聞いた静、結月の前ではずっと平静を装っていたのだが、ここにきてそれが崩れる。静は目を瞑るとその場で崩折れてそのまま足元にうつ伏せになり、その地面に頬を寄せる。
「あった…本当にここにあったんだ。これでまた祐樹との再会に一歩近づくのね…!」
静は涙を流し、しばらくそのまま感慨にふける。
『静様、いかほど必要でしょうか?』
その永遠の声に我に返った静が『今のあなたが持つ量と同じ、1g程度でいいわ』と言うと『かしこまりました』という声を響かせ、しばらくの後、永遠はまた地面から生えるように戻ってきた。
「完了しました。かの物質は私のコアの周囲に同化させてあります」
何の違和感もありません、と永遠は笑顔を見せる。
「よし、じゃあ長居は無用ね。さっさと戻りましょうか」
と踵を返す静に
「ねえ母さん、それってダイヤモンドと親戚の炭素結晶なのよね、多めに持って帰れば高く売れるんじゃないの?」
と何やら欲を出す結月だが
「要らない欲をかいて失敗したくないからね。今はこれでいいんだからこれだけにしときましょう」
ちなみにどのくらいの量あったの?と問う静に永遠は
「私の検出できた範囲内で約17kgほど確認出来ましたが、取りに行きましょうか?」
となりで『ゴクリ』と唾を飲む結月だが『鉛筆の芯もその親戚よ』と静に言われて我に帰る。
「そんなの拾っても服が汚れちゃうだけよね。身体も汚れて汗臭いし、早く沢へ行って水浴びしたいわ」
と三人は踵を返そうとしたのだが、そこで静はハッとある事を思い出す。
「あ、ごめん永遠、もう一度取ってきてもらえる?そうね…100gくらいでいいから」
静にそう言われると永遠は『了解です』の言葉を残して再び地面に溶け、しばらくして戻ってきた。
「100g、取ってまいりました。いかがしましょう?」
永遠のその手には黒く輝く鉄球のような小さな玉。
「うん、じゃあそのまま永遠が持ってて。ごめんね、二度手間で。それじゃあ行きましょうか」
そして三人は踵を返し、その場を後にした。
だが下山した結月、そこではたと気づく。しまった!街の方角がわからない!?
来る時はこの山が見えていたのでそれに向かって歩いて来た。
だが帰りは森の中へ入ってしまうと、目標物もまったく無く、どちらへ向かって歩いていいのかすらわからない。
ここまで歩いて来た道も幾重にも渡って枝分かれした『獣道』、どの道で来たのかなんて覚えていやしない。
その事に気づいて結月が青い顔をしていると、その前を『こっちよ』と静がなんの迷いもなく歩き始める。
「うそ?母さん、来た道って全部覚えてるの!?」
「そんなワケないじゃない」
でも街はコッチよ、と言って歩き続ける。なぜわかるの?と結月が聞くと
「そうね、太陽がアッチから登ってコッチに沈むでしょ?でこの時間の太陽があそこで山が背中側だから私たちはコッチの方向から歩いて来たの。だからコッチに戻る、それだけよ」
と、随分とアバウトな答えが帰ってきた。すると静は
「ねえ永遠、それで合ってるでしょ?」
「はい、問題ありません」
そうだ、永遠は遥にリンクしていて、その遥はGPS情報も有しているんだ。心配する必要はなかったのだ。
「でもね、今は永遠がいるからセーフティネットになってくれてるけど、あなた独りで森に入った時も自分が何処にいて何処へ向かっているのかくらいは把握できるようにしておきなさい」
じゃないと死んじゃうわよ、この時代。と結月は母に笑って脅される。しかしまさか専業主婦だった母にそんなサバイバルなスキルがあったとは、と結月は驚く。すると静は
「こういうのはね、全部祐樹から教わったのよ」
しかも東南アジアのジャングルでね、と笑う。むしろそっちの方が驚きだった。
結月が物心ついた時から典型的なサラリーマンだった父、祐樹。休みの日には庭の家庭菜園をいじったり本を読んだり、あまりアクティブなイメージはない。若い頃には海外にも行っていたとは聞いていたが、その辺の観光パックツアーに参加したんだろなという程度にしか思ってなかった。
「あの人はね、いつでも私の『予想外』な人なのよ」
そういう意味じゃあ祐樹は私を凌ぐ『最強の存在』よね、と静は嬉しそうに語る。
「結月。あなたは知らないだろうけどあの人、私の恩師にこう言われていたのよ」
すると静は悪戯っぽく笑い、こう言った。
『祐樹、お前はアフリカの砂漠のど真ん中でもナイフ一本あれば大丈夫だもんな』
上の言葉は、祐樹と静の結婚披露宴の時に仲人だった吉井教授に言われた言葉です。
もちろん教授の冗談なのですが、静はそれをわざと真に受けて、言葉通りこの岩山で目覚めた祐樹にナイフ一本を渡してカブールまで旅をさせるという、皆様ご存知の無茶振りをします。
まあ『永』を傍につけていたので万が一のこともないだろう、祐樹には冒険を楽しんでもらおう、という一応は彼女なりの『愛情』だったようなのですが。