第099話 『インストール』
聞こえてきた怒号に反応して静と結月が表に飛び出すと、そこには永遠と取っ組み合っている狼男『ブルース』がいた。その表情は苦悶に歪み、歯を剥いてヨダレを垂らし、見開かれた血走った眼には狂気を映し出していた。
ブルースは静と結月の後に続いて飛び出して来たエルマを見とめると、永遠を突き飛ばしエルマの方へ飛びかかって来た!
すかさず剣を抜き、間に割って入ってブルースを止める静。ブルースは静の剣を掴み、齧り付く。
「ウグガガガァァ…エェルマァ…」
互いに剣を掴んで対峙する静とブルース。
「…ブルース。あなた独りで怖かったのよね。痛みと苦しさで不安だったのよね。エルマに会いたかったんだよね」
ブルースは一際大きな叫び声を上げる。
「いっそ楽にしてあげたいのは山々なんだけど…あなたエルマに会いたいんでしょ?じゃあもうチョットだけガンバんなさいっ!」
静はそう言うと身体を回すように剣を引き、その返す剣でブルースの脚を払う。
「永遠っ!拘束してっ!」
すると転倒したブルースの両手両足を、地面が枷で拘束する。叫び、足掻き、吠えるブルース。彼にそれが外せないことを確認した静は彼の懐を弄り、目当てのものを見つける。
ブルースの『登録証』だ。その表示されている項目の一番下、『conditions』に目を移す。そこ表示されていたのは
『conditions:rabies』
その単語の意味を静は知らない。だがペットの狂犬病予防のことを『Rabies Control』と表記してあったのは記憶している 。その症状からもブルースは狂犬病ウィルスに罹患したと見て間違いないようだ。
彼に残された時間は…もう少ない、本来ならば。静はエルマを呼ぶ。
「エルマさん。もう最期かもしれない、彼に話しかけてあげて。彼は今、彼の中に入って来た『侵入者』と戦っているの」
恐る恐るブルースに近寄るエルマ。
「…ブルース。ああ、ブルース!お帰りなさい。会いたかったのよ。心配したんだから。どこをほっつき歩いてたのよ」
ブルースのそばで泣き崩れるエルマ。
街の皆が見守る中、拘束されながらも足掻くブルースに縋りつき、その最期の時に言葉を送るエルマ。
ひとしきり彼に語りかけ、泣いたエルマは静に向かって言う。
「ありがとう。あんたのおかげでまたこの人に会えた、別れの言葉を言えたよ。もういい、お願い、誰かこの人を楽にしてあげて」
そんな泣き腫らした目の彼女に静は
「そう。別れの挨拶は済んだのね。じゃあここからは『ダメ元』でやらせてもらうわね。期待されちゃ困るんだけど彼が生還できるよう出来る限りの最善を尽くすわ」
キョトンとするエルマを他所に、静はそこへ結月を呼ぶ。その手には小さなナイフ。
「結月。ごめん、お願いね」
結月は頷くとその手のナイフで自らの掌に切り傷を作り、血を流す。その血は手から零れ落ち、ブルースの口へ。
結月は祐樹の血を引いている。その祐樹は静と出会う前、アフリカでボランティア活動をしていた。その際の事を祐樹はこう話していた。
『あそこで活動する為にはね、凄くたくさんの予防接種を受けなきゃいけないんだよ』
その時に祐樹が挙げた予防接種の中に狂犬病も含まれていた。
無論、結月にその抗体はない。だがそのゲノムには祐樹から受け継いだ情報が刻まれている。それをブルースの体内へ入れる事で、彼の中で狂犬病のウィルスを『未知』から『既知』へ変える。するとブルースは有利に戦えるのでは?というのが静の推測だ。
そしてこれにはもう一つの推測が噛んでいる。それは彼ら『遥の作った生物』と『完全な設計図から再生された静達』の違いだ。
言うならば彼らは『DVD-RW』で、静達は『プレス盤DVD』
彼らは未完成ゆえに『多くの空きスロットとストレージ』を有している。だから現在の地球環境に適応し、精神力を物理変換する『魔法』をも使える。
だがその代償として静達が脈々と受け継いできた『抗体情報』を持たない。
だから静は『結月の血』を介してブルースに『狂犬病の抗体情報』を『インストール』したのだ。
無論、これは『憶測に基づく賭け』だ
その狂犬病ウィルスも『遥の作った生物』から派生した『未完成なウィルス』であるならばあるいは、という希望的観測も含まれている。
不確定要素が多すぎて、はっきり言ってブルースの助かる確率はゼロに等しい。だから静はエルマに『別れの挨拶』をさせたのだ。
相変わらず呻くブルース。だがその身体はグッタリと脱力し、苦悶の表情で横たわる姿は病人のそれだ。静は手で軽く揺すってみるものの暴れ出す気配もない。それを確認した静は拘束を解き、皆でエルマの宿へと運ぶ。
寝台に横たえられたブルース。苦しげに呻く彼のその身体は熱く熱を帯び、額には玉のような汗が噴き出している。
だが熱を帯びるのは身体がウィルスと戦っている証であり、汗が出るのはその熱が上がりすぎないようにする身体の正常な防御反応、おそらくこれは悪い兆候ではないはずだ。
「エルマさん。彼の汗を拭いてあげて、あと氷があるなら手拭いを氷水で冷やして額にあててあげて」
あまり高熱が続くようなら今度は生還しても脳に障害が残る恐れがある。危険の芽を全て潰し、やれる事は全てやっておく。
「あんた…もしまたあんたが目を覚ましたら、今度は迷わず『子供』を作ろ?もう『独り』は嫌なんだよ…。あんた言ってくれたじゃない、寂しい思いはさせない、お前を守るって…」
献身的にブルースに寄り添うエルマ。ただひたすら汗を拭き、額を冷やし、長い夜を乗り越えていく。
翌朝。相変わらず荒い息と苦悶の表情で横たわるブルース。快方に向かっている様子もあまり見られない。
「エルマさん、あなたが無理して倒れたら本末転倒よ。替わってもらえる人がいたらお願いしてあなたも休んでね。でコレも」
と静が出したのは一杯の水。
「これはね、ただの水に塩を一つまみ入れたものよ」
そう言うと静はブルースの上半身を起こし、その口に少量、湿らせる程度に注ぐ。すると彼の喉仏が微かに上下する様が見て取れた。弱々しいながらもちゃんと飲めているようだ。
「汗や尿で出た水分をこれで補充してあげてね」
一つまみの塩を忘れずにね、と補足し説明すると
「エルマさん。申し訳ないんだけど私達にはこれ以上してあげられる事ないの。旅の目的もあるから出発するわね」
一瞬、エルマは縋るような目をしたのだが、頭を振って立ち上がり、静の手を両手で取ると
「本当にありがとう。そういやこれだけのことしてもらってて、まだあんたの名前、聞いてなかったね」
「静、真島静よ。ブルースさん、たぶんあなたの声が聞こえてると思うの、だから励ましてあげてね。あなたに会いたくてこんな身体なのに帰って来たんだもん、それが一番の薬になるわよ」
と言って笑顔を見せると、じゃあ30日くらいしたらまた寄らせてもわうわね、そう言って静は宿を後にした。
「ブルースさん、生還できるのかなぁ…」
「どうかしらね。私の読みが当たってれば彼は回復するんだけどね」
『でも母さん、それが意味することは…』と言って結月は黙ってしまう。
「ま、仕方ないわよ。昨日も言ったけど今ここで考えても何もできないし、とりあえず目的を果たしましょう」
そう言うと静達は遥か大樹海の奥に聳える岩山を目指し、歩みを進めた。
四方山話ですが、記録面が保護されていないCDやDVDが生き残って、保護されているMDやフロッピーが消えるとは当時の人は思わなかったでしょうね。
と言いますか、MDってまだ知っている人いるのかな?昔はMOディスクなんてのもありましたね。




