第1話 王宮の夜会
さすがは王宮の夜会の参加者だ。ダンスもそうだが、ドレス一つとっても、一級品ばかりである。侍女としての職業病なのか。アナベルは参加者のドレスに目が奪われていた。隣のご夫人のドレスの装飾に見入っていると、急にグイッと腰が引き寄せられた。
仕方なく目を向けるとその先には、先ほど目を奪われたドレスに縫い付けられたサファイアよりも美しいセドリックの瞳がアナベルを見つめていた。セドリックのブルーの瞳に、焦げ茶色のアナベルの瞳が映った。
「よそ見をしている余裕はあるのか?」
アナベルを引き寄せた瞬間、セドリックはそっと耳元で囁いた。その少し擦れたハスキーボイスがアナベルの鼓膜を揺らした。セクシーだと言われるセドリックの口元のほくろを、こんなに近くで見るのは居心地が悪い。
そう。先ほどから落ち着かなかったのは、慣れない王宮のダンスホールだけではない。アナベルをエスコートし、ダンスパートナーまで務めるセドリックのせいだった。
アナベルは国立音楽隊の一流の演奏を楽しむ余裕などなく、必死に練習したステップのリズムを頭の中で延々と繰り返していた。
(なんで私がこんな場違いな場所で、場違いな相手と……)
「君は俺のことだけ見ていればいいんだ」
しかも、妙にロマンチックな雰囲気をダンスパートナーが醸し出してくるのだから、始末に悪い。
セドリックは、息を吐くように誰にでもそういうことを囁くのだろうが、アナベルは違う。そういう戯れには、免疫がないし、慣れたいとも思っていない。
セドリックに支えられるアナベルの身体が、少し強張った。しかも、羞恥にアナベルの頬が徐々に赤く色づく。
(意識したくないのに……。これじゃあ、意識していますと言っているようなものだわ)
アナベルは最後の抵抗とばかりに、赤らんだ顔でセドリックを睨んだ。アナベルの必死の睨みを受けたセドリックは、失礼にも口角を上げた。形のよい唇は綺麗に弧を描いた。
「可愛い泣きぼくろだな」
セドリックは、アナベルの左目下の泣きぼくろを気に入っていた。
「泣かせたくなるから、そんな顔は逆効果だよ」
セドリックは再びアナベルに自然と身体を寄せると、そう囁いた。ダンスの流れで自然と囁くセドリックの手腕はさすがだ。
(一体今まで何人の女性とこんな風に……)
アナベルはふと過った“考えるべきではない事柄”にチリッと胸が痛んだのを、気付かないことにした。必要のない感情に、蓋をすることには慣れていた。
(こんなことを考えているときじゃないわ。アナベル、あなたは一体何のためにこの夜会に参加したの? こんな雰囲気に流されている場合じゃないでしょう?)
アナベルは、心の内で自問自答をしていた。
彼はただいつものように振る舞っているだけなのだろう。
慣れない王宮の夜会で、慣れない豪華なドレスでダンスをして、うっかりロマンチックモードになっていた自分を叱咤した。ダンスを踊りながら、この夜会で最も豪華なドレスを着ているであろう女性の姿を視野に入れた瞬間、アナベルからスッと乙女の顔が消えた。
(あの女が……ジュリアン様の新しい……)
思わず険しい顔になるアナベルに、セドリックは気が付いた。
「アナベル、笑顔。貴族社会では隙を見せるな」
先ほどの軽口とは違う口調だった。見上げたセドリックは、完璧な紳士の笑顔を浮かべていた。アナベルはセドリックの作られた微笑に、我に返った。そして、何度も練習をした微笑の仮面を身に付けて、セドリックのリードに身をゆだねることにした。
瞼を閉じると、あの日のコーディリアの姿が浮かんだ。
コーディリアのことを考えると、瞳の奥が熱くなる。
アナベルが、王宮の夜会に参加をしたのはこれで2度目だった。と言っても、1度目は控えの間で待機していただけなので、このダンスホールで踊るなど、考えもできないことだった。
王宮のダンスホールの四方には煌びやかなシャンデリアが飾られている。白地の壁には金の装飾が所狭しと施され、飾り棚には珍しい東国の陶磁器なども並ぶ。上を見上げれば、芸術的な天井画がアナベルの目に飛び込んで来た。
(どこを見ても素晴らしい芸術品の数々だわ)
あのときは、主人であるコーディリアが婚約者のジュリアンと優雅に踊る様子を壁際で見守っていた。あの日のコーディリアのドレスは瞳の色に合わせた淡いエメラルドグリーンのドレスだ。幾重にも重なる柔らかなレースは、コーディリアがくるりと回る度に可憐に広がる。美しいコーディリアの姿を見るのは、アナベルの何よりの楽しみだった。
「アナベル、折角だからあなたも王宮の夜会を楽しんでほしいわ。棚に飾られている陶磁器一つとっても貴重なものばかりだわ。いつも見られるものばかりではないもの。美しいものは好きでしょう?」
ダンスを終えたコーディリアは、控えの間へ移った。アナベルはいつもの化粧箱を広げ、コーディリアの口紅を少しだけ直した。ピンクの口紅は、コーディリアの白い肌に映える。
主人であるコーディリアは、アナベルにとっては優しい姉のような存在だった。
「ジュリアン様がエスコートしてくださるし、ね」
「でも」
(そのジュリアンが問題なのだ)
「二人きりになりそうになったら、必ずあなたを呼ぶわ」
アナベルの内心を読んだコーディリアは、そっと囁いた。そして、「大丈夫よ」と安心させるように微笑み控えの間を後にした。その微笑みは、家族に向ける温かなものだった。アナベルはあの微笑に甘えてしまった。
(こんなことになるなら、ずっとコーディリア様のお傍を離れなければ良かった)
アナベルは、あの日のことを忘れることができない。
あのとき、コーディリアはいつものように微笑んでいたから。
それがアナベルの知るコーディリアの最期の笑顔になるなんて、あのときのアナベルは知る由もなかった。
(お嬢さまが自殺だなんて、絶対にあり得ないんだから……!)
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