王女の決断 3
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手紙を受け取ってから短期間で練ったにしては、ベアトリスの計画は順調だったといえよう。
一番緊張したのはモロニー・ロイヤル・エクスプレスが駅を出発するまでだった。
汽車が出てしまえば、エドワードが追いついてくることはない。
誘拐などの犯罪を疑われては困るので、事情を記した手紙は、部屋の机の上に残して来た。
宛名を書いているので使用人がエドワードの手に渡る前に勝手に封を切って中を確かめることはない。エドワードは、予定では本日の夕方まで城に拘束される。
重要な会議に出席しているからだ。
ゆえに大丈夫だとは思っていたが、それでも確実ではない。
何かの都合で会議が中止になったり、予定が変われば、ベアトリスが予測していたより早く帰宅することだってあるだろう。
ベアトリスがヘンウッド国へ帰るのならば汽車を使うのはわかり切っているので、プラットホームに駆けつけたエドワードによって探し出される危険性は充分にあった。
だからモロニー・ロイヤル・エクスプレスが甲高い汽笛の音を立て、緩やかにその車輪を回転させはじめたのを知って、ベアトリスはまず第一関門を突破した安堵で胸をなでおろした。
同時に、エドワードとはこれで本当にお別れだと思うと、涙が頬を伝った。
窓の外の流れていく景色がぼやけるほどに、涙はしばらく止まらなかった。
ひとしきり泣いて、ようやく涙が止まると、ベアトリスはのろのろと動き出した。
荷物運搬人(ポーター)が届けてくれたトランクを開けて、必要なものを取り出す。
ドレスはすべて部屋のクローゼットへ吊るした。
ヘンウッド国までは、いくつかの駅に停車しながら七日の旅路だ。
使用頻度の高いものはコンパートメントのクローゼットや棚に片付けておいた方が何かと便利である。
あらかた片づけが終わった頃、ベアトリスのコンパートメントの扉が控えめに叩かれた。
乗務員だ。
扉を開けると、詰襟の上着に帽子という乗務員の制服に身を包んだ三十歳くらいの男性が、帽子を取り、恭しく頭を下げた。
「本日より七日間、こちらのコンパートメントを担当いたします乗務員のベンジャミンと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「早速ですが、お食事の時間のご説明をさせていただきます。本日……これより一時間後の十二時から十四時の間が、食堂車でご昼食の提供時間となっております。バー車両はいつでもご利用可能ですが、そちらで提供しておりますのは軽食やデザート、お飲み物のみとさせていただいておりますのでご注意ください。夕食の提供時間は、十八時半から二十一時までとなります。明日の朝食は、七時から九時の間が提供時間となっております。このあたりで、ご不明点はございますか?」
「いいえ、大丈夫ですわ」
ベアトリスが答えると、ベンジャミンはルームサービスについても説明を加えた。
ルームサービスで適用できるのは飲み物と軽食のみとなるそうだ。今、飲み物が必要かと聞かれたので、紅茶を一杯頼んでおいた。
ベンジャミンが下がると、ベアトリスは窓際に置かれたテーブルに向かい、ハンドバッグから小さなノートを取り出した。
ベンジャミン。客室乗務員。髪、灰色。瞳、ヘーゼル色。不審点なし。
さっとそれだけ書き留めて、ベアトリスはノートをバッグの中に戻す。
オルブライト国に来てから三年、ベアトリスはノートを取らなくなっていたが、これから先は何が起こるかわからない。
そのため、かつてヘンウッド国で過ごしていた時のように、メモを取っていくことにした。
汽車の中で何かが起きるとは考えたくないが、用心に越したことはない。
人間の記憶には限界があることをベアトリスは知っていた。メモは、記憶を呼び覚ますのにも使えるし、情報を整理する時にも使える。取っておいて損はない。
十五分ほどして、ベンジャミンが紅茶を持って戻って来た。
ティーカップとティーポット、それから茶請けのチョコレートが用意されている。
ベアトリスが礼を言うと、何かあれば扉横の紐を引っ張ってほしいとベンジャミンは告げて去って行った。紐はベルに繋がっており、引っ張れば音が鳴るようになっている。
ベアトリスはトランクから毒物に反応する試薬と、検査用に小さな深皿を取り出した。
深皿に紅茶を注ぎ、試薬を入れる。反応なし。
次にチョコレートを砕き、紅茶に溶かして試薬を入れる。反応なし。
同様に、砂糖とミルクも確認する。反応なし。
ベアトリスはホッとし、深皿を洗面台で洗うと、念のためにとティーカップも洗った。
そこまでして息を吐き、ようやく紅茶を楽しむ。もちろん、愛用の銀のスプーンでの毒物の二重チェックも怠らない。
神経質になりすぎかもしれないが、ベアトリスがこれから対峙しようとしている相手は――いやすでに対峙しているのは、それほど狡猾な相手なのだ。
温かい紅茶が、緊張で強張っている体に染み渡っていく。
この三年。
エドワードに嫁いでからの、三年。
ベアトリスは、緊張の日々から遠く遠ざかっていた。
兄は爪を研いで戻って来いと手紙に書いたが、すっかり平穏に慣れたベアトリスの爪が再び鋭さを取り戻すまでには、多少の時間が必要だ。
久しぶりの緊張は、ずいぶんと疲労を呼ぶ。
けれどもきっと、今夜は眠れまい。
エドワードの腕の中で、安心しきって眠っていた三年の記憶が、きっと、ベアトリスに平穏をもたらさないと思われた。
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