◆第1話:忌み子
『現実なんてクソゲーだ』
牢屋の監視役が、そう言って笑っていたのを覚えている。
仲間との雑談の中で、ポロッとこぼしたセリフ。
クソゲー……クソみたいなゲーム、という意味だろうか?
なるほど、そう言い表すなら、俺の現実は確かにクソゲーだ。
五歳の時から数えて十年――俺は牢獄に囚われて生きてきた。
鉄格子の嵌められた薄暗い部屋。
小さな換気窓。
扉の下には隙間が空いており、食事はそこから差し込まれる。
水の入った古いポリタンク。
トイレはバケツ。
布団は薄く、カビの匂いが染みついている。
およそ、まともな人間が生活する環境とは呼べないだろう。
それでも、俺はここで生きている。
……飼われている、と言った方が正確かもしれないが。
俺の名は、霞陣午。
俺の産まれた家――霞家は、いわゆる“名家”と呼ばれるような血族らしい。
この国でも有数の資産家の家系なのだそうだ。
幼心に……まだ俺がこの家で人として扱われていた頃……広大な敷地を持つ屋敷の中を、よく探検したのを覚えている。
屋敷には俺の父と母、それに、同じく霞家の血を引く叔父や叔母、その子供達、覚え切れないくらいのお手伝いさんが暮らしていた。
大家族に囲まれ、まだ物心が付く前の俺は、無邪気に、天真爛漫に、生を謳歌していた。
五歳になって、俺の人生は一変した。
ある日、俺の耳に“誰かの声”が聞こえるようになった。
いや、聴覚に響くというより……脳内。
頭の中に、直接文字が浮かぶような、そんな感覚。
《縺エ縺ャ??ス薙s縺サ縺假ス茨ス呻ス?ス吶▼》
こんな感じだ。
文字と言うより、模様や記号の羅列に近い。
それは不定期に、何度も、俺の頭の中に浮かぶ。
意味が分からなかった。
何を言っているのかわからず、何を意味しているのかもわからない。
何語? そもそも誰が? というか、何なの、これ?
怖くて怖くて、俺は耳を塞いで、頭を抱えて、泣いて叫んだ。
俺の異変に気付き、両親は何事かと俺に尋ねた。
俺は正直に、自分の身に起こっている事実を告げた。
その時の、父と母の、あの驚愕に染まった表情は今でも忘れない。
屋敷に医者が来て、薬を飲まされ、広い座敷の中で寝かされた。
どれだけ時間が経っただろう。
目が覚めたら、寝ている俺の横に、両親や親戚、それに知らない顔の大人……そして、当主様が立っていた。
当主様は、俺の祖父に当たる人物で――この霞家で一番偉い人だと聞かされていた。
重苦しい空気の中、当主様は俺を見下ろしていた。
その目線はあまりにも冷たく……背筋が凍り付くようだった。
『処理しろ』
当主様が言う。
ざわめきが広がる。
母さんが泣き崩れる。
『先々代の予言の通りだ。“これ”は、今この時より霞家の人間ではない。この世にも存在しない。地下牢へ監禁し、死ぬまで外に出すな』
そして、俺の人間としての生涯は終わった。
それからの数年間は、地獄の日々だった。
霞家の屋敷の地下牢――そこに閉じ込められ、数名の監視役を付けられ、外に出る事も許されず、ただただ生かされてきた。
『あれはまだ生きているか?』
名前で呼ばれる事がなくなった。
『泣き疲れて寝ているのか。ようく見ておけよ。当主様からも、くれぐれもあれを死なせるなと言われてるからな』
一日に二回、餌のような食事が与えられた。
『おい、返事をしろ』
凍えるような寒さと、喉の焼け付くような暑さから、季節を理解した。
『何だ、その目は? 薄気味の悪い』
窓の外から、時々、子供達の楽しそうな声が聞こえてきた。
俺以外の――霞家の子供達の声。
『汚らしい……まるで獣だな』
最初の頃は涙も出た、声も出た、嘆きの言葉も出た。
ここから出して、外に出たい、ごめんなさい、謝ります、お父さんに会いたい、お母さんに会いたい、お願いします、お願いします。
けれど、俺の願いが聞き入られる事は無かった。
むしろ俺が叫ぶ度、監視役に怒鳴られた。
時には牢の中に入って来て、死なない程度に痛めつけられたりもした。
こっちは子供だ、抗う術なんて無い。
ある日、心の中で何かが壊れた。
俺は泣く事を辞めた。
痛いと言わなくなった。
謝らなくなった、願わなくなった、声を発する事も辞めた。
無意味だと理解したからだ。
だって当主様は言っていた――死ぬまで牢屋に閉じ込めておけ、と。
俺の――霞陣午の、人としての生は終わったのだ。
そう理解するしかなかった。
そう納得するしかなかった。
俺が地下牢に閉じ込められてから数年が経った頃。
父が、俺に会いに来た。
その手に、“色鮮やか”な“四角い箱”を持って。
『お父さ――』
久方ぶりに見る、実の父の顔。
もしかして、俺をここから出しに来てくれた?
しかし、そんな淡い期待はすぐに霧散した。
鉄格子の向こうから俺を見据える父の視線は、実の息子に向けるものではなかった。
捕えられた囚人を見るような、あるいは檻の中の獣を眺めるような、無感情な視線。
ああ……俺は心の中で冷笑した。
俺にはもう、家族はいないのだ。
父は、牢の隙間から手にしていた正方形の箱を牢屋の中に投げ入れた。
そして、事務的な声で言った。
『解け』
命令を無視し、数秒ほど沈黙していたが、監視役が手にした鉄の棒を床に突き付け音を鳴らした。
反逆的な態度でいるとアレで殴られるので、俺は大人しく箱を拾う。
後に知るのだが――その箱は、“ルービックキューブ”と呼ばれるものだった。
六面が別々の色で構成された、立体的な“パズル”だ。
しかし、渡された時点で既に色はグチャグチャにされており、これをどうすればいいのか、そもそも、産まれて始めてこれを見た俺に、これが何なのか、瞬時に理解する事は不可能だった。
不可能、のはずだった。
だがそれに触れ、全体をしばらく眺めていた時だった。
パッ――と、手順が最初からそこにあったかのように理解できた。
モヤモヤした薄闇が、ハッキリと光で照らされ、“どうすればいいのか”わかったような。
手にした六角形の箱が、“どういうもの”なのか“見えた”ような。
『解け……っていうのは』
不明瞭な感覚を抱きながら、俺は、牢の外の父だった男に、恐る恐る言う。
『これを……六面の色を、全部揃えればいいの?』
父だった男が、目を見開いた。
驚きに染まった目。
俺は、彼の目前で正方形をカチャカチャと回転させ、色を揃えていく。
『はい』
一分後。
俺は、完成したルービックキューブを父に見せた。
父は、未だ驚愕に染まった目で、それを見詰めていた。
そんな事が何日か続いた。
最初の内は、父が持ってきたパズルを解く日々だった。
ルービックキューブに始まり、立体的なモノから平面的なモノまで、いくつも解かされた。
難無く解いていくと、徐々に難易度が上がっていき、数日で複雑なものへと変わっていった。
俺は、パズルを解いた。
何の意味があるのか分からない。
解いたところでご褒美がもらえるわけでもない。
けれど、解かねば折檻が待っているのは確実だ。
だから解いた、解き続けた。
幸い、この行為は俺にとってさほど苦行ではなかった。
初めて見るパズルも、少し触れて眺めればどういうものなのかすぐに理解でき、どうすれば解けるのかもわかった。
それらを解いてみせる度、父や、偉ぶった監視役が驚いた表情を浮かべるのが、少しだけ嬉しかった。
ある日のこと。
父の持ってくるモノが、パズルから機械に変わった。
『直せ』
それが何の機械なのか、どう直せばいいのか、そんな説明はいつも通り無い。
けれど、俺にとっては何の問題も無かった。
一緒に与えられたいくつかの工具を使い、機械を分解する。
全体を丁寧に並べ俯瞰で眺めれば、これが“どういう構造”なのか、すぐに理解できた。
目的も用途も不明だが、この機械が、どうすれば“生き返る”のか、それがわかるのだ。
工具の使い方も問題無い。
分解したパーツを組み合わせ、不全のあった部位を正しく修正し、元通りに組み立て直す。
『出来た』
俺は、完璧に修復した機械を、父へ渡そうとする。
牢屋の外にいつの間にか、父と監視役以外の人間が立っていた。
『……と、当主様』
着物を纏った、白髪白髭の老人。
光沢のある杖を付き、その老人――霞家当主は、俺を見下ろしていた。
『滞り無く、才能が目覚めたか』
『はい』
監視役は膝をつき頭を垂れている。
当主の言葉に、父が畏まりながら返答した。
『初めて見たにも関わらず、瞬時に“構造”を理解し、更に分解、再構築できる……怪物のような才能です』
『“狂言を謳う忌み子生まれし”“災いの予兆なり”“しかし決して殺す事なかれ”“宿りし創造の力、他に類を無し”……これもまた、先々代の予言の通り』
当主が、くっくっと喉を鳴らして笑う。
弧状に曲がった目元が、俺を見る。
『この霞家の繁栄のために、死ぬまで利用せよ』
牢獄に閉じ込められて数年が経過した。
今の俺は右も左も分からない五歳児ではなく、人としての生を喪い、利用価値のある存在として生かされる――道具だ。
もう幼子じゃない。
地獄のような日々を送り、何故こんな境遇を強いられているのか、外から入ってくる情報を組み合わせ、何となく理解できてきた。
どうやら、霞家は“特殊な才能”を持つ一族のようだ。
霞の血を汲む者は、何らかの能力をその身に宿す。
それは特技や長所という枠に収まるものから、超自然的な才能――“超能力”と呼ばれるものまで、幅広いらしい。
現在の当主の先々代――俺から見て高祖父に当たる人物には、《予言》の力があった。
その人物の残した予言――遺言に、俺の事が残されていたのだ。
曰く――“五つの頃、この世のものではない声を聞き、文字を読む、狂言を謳う忌み子産まれし”“霞家に災いをもたらす予兆なり”――とか、そんな感じ。
忌み子は俺だった。
凶兆として恐れられ、蔑まされ、閉じ込められた。
だが、殺されはしなかった。
俺には、もう一つ、目覚める才能があったから。
それが、俺の持つ《構造理解》と《構築能力》。
しかも、異常なレベルの。
見たもの、触れたものの“構造”を理解し、更に再構築が出来る能力。
あれから、俺の牢には様々なものが持ち込まれた。
機械。
鍵やロックの掛かった金庫。
俺は構造を読み解いた。
分解した。
時には組み立て直しエラーを除去した。
あれから、どれだけの時間が経過し、幾つの機械に触れただろう。
俺の壊した機械が、もしくは改良した機械が、どのように使われ、何に利用されているのか、俺にはわからない。
目的は聞かされていないし、外の世界がどうなっているのかも不明だ。
だが、霞家に利益をもたらす為にやらされているとするなら、恐らく善良な使い方はされていないだろう。
それだけは、何となく理解できた。
変化はもう一つあった。
この頃から、脳内に聞こえてくるノイズが、徐々にだが言葉に聞こえ始めてきたのだ。
《魔素?システム繝?一部エラーィ繝世界更新↓蜑削除要請》
以前までは、まるで意味の分からない言葉の羅列だった。
だが、徐々に、何と言っているのか理解できるようになってきた。
そして、15歳の誕生日。
冷たい床の上で寝ている時、俺の脳裏にメッセージが浮かんだ。
ハッキリと、何と言っているのか、何と書いているのか、理解出来た。
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【予告】
《THE・World》Ver.2.0.0 アップデート予定日:365日後
・魔素システム実装
・ダンジョン生成開始
・スキルシステム実装
・既存インフラの一部停止
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この言葉の意味を理解できる人間が、この世にどれだけいるだろう。
少なくとも、俺は理解できた。
以前、ある機械……コンピューターを直していた時に、これと似たメッセージを見た記憶がある。
それは死霊の呼び声でも、悪魔の囁きでもなかった。
これは……更新予定だ。
この“世界”が終わり、新しく生まれ変わるための。
「残り、365日……」
そして。
今、俺だけがそれを知っている。
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