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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
第一章 砂糖菓子の夢に溺れて死ね
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8.熟れた果実のなれの果て

 オルディス王国、王都。

 辺境防衛の協議という名目で呼び出されたはいいものの、国王への面会日はすでに数日も引き延ばされていた。

 意図的な足止め(嫌がらせ)であることは明白だ。辺境で力をつけるベルン家を疎ましく思う派閥の工作か、あるいは――。


 権力と欲望が渦巻くこの巨大な都市の中心で、ガルム・ベルンはやり場のない苛立ちと共に、王城の廊下を歩いていた。


 王城の外郭に位置する、財務や法務を司る官僚たちの政務区画。

 普段であれば整然とした業務の音が響くはずのその場所が、今朝からひどく殺気立った空気に包まれていた。

 なんでも、国境付近の関所が何者かに襲撃され、横領の証拠(裏帳簿)が敵対派閥に持ち込まれたとかで、無数の役人たちが血相を変えて廊下を右往左往している。


(……。横領などと。この地は王のもの。我らは王より管理の命をうけたまわりし者。税を横領するなど反逆行為に等しい)


 横目でその異常な光景を眺めながら、ガルムは深くため息を吐いた。


「おや、これは辺境の『番犬』殿。随分と暇そうに散歩をしておられる」


 背後から鼓膜を撫でるような、ねっとりとした嘲笑が響いた。

 振り返ると、派手な絹の衣服に身を包んだ王都の有力貴族が、取り巻きを引き連れて下劣な笑みを浮かべていた。


「王城の空気は、血生臭い辺境の風とは違って肌に合わないでしょう。いっそ、さっさと領地に帰還されては?」

「……国王陛下の急使により、辺境防衛の仔細を報告せよと呼び出された身だ。面会のお許しが出次第、すぐにでもそうさせていただくつもりだ」


 急を要する事態だと呼びつけておきながら、何日も待合室で腐らせる。

 このあからさまな矛盾と政治的な嫌がらせに、ガルムは内心で毒づきながらも、表面上は淡々と返答した。


「ククッ、それは残念だ。かつて我が王都の『至宝』と謳われた高位貴族の姫君、アデレータ様を掻攫っていったのだから、さぞかし辺境の地は居心地が良いのだろうね」

「……」


 亡き妻の名を弄ぶような口調に、ガルムの瞳がわずかに細められる。

 その瞬間、空気が物理的に重くなったような錯覚が走り、貴族の背筋をゾクリと冷たい悪寒が這い上がった。

「……っ」

 一瞬、息を呑んで言葉を詰まらせる。だが、男は辺境の貴族に怯えたことを認めるのが悔しいのか、無理に口角を引き上げてニヤリと笑った。


「おお、そういえば。お二人の間には、たしかご息女がおられたな。至宝・アデレータ様の血を色濃く引いているのなら、さぞ美しく育っておられることだろう。どうかな? 私の愚息の妻に、ぜひとも迎え入れたいものだが」


 ビキッ、と。

 ガルムの額に青筋が浮かび、分厚い胸板の奥で「巨狼」の殺意が膨れ上がる。

 もしここが戦場なら、一秒後にはこの豚の首は胴体と泣き別れになっていただろう。だが――ここは王城だ。王命で留め置かれている以上、刃傷沙汰を起こせばベルン領そのものが反逆の罪に問われる。


 ガルムはギリッと奥歯が砕けそうなほど噛み締め、殺意を無理やり腹の底へ呑み込んだ。


「……娘はまだ幼い。貴族の社交界に出すつもりはないのでな。失礼する」


 十四歳といえば、本来なら王都でデビュタント(社交界デビュー)を済ませる適齢期だ。だが、こんな魑魅魍魎が蠢く肥溜めのような場所に、あの純真で心優しい愛娘を近づける気など毛頭ない。

 それはガルムの過保護ゆえの、強引なシャットアウトであった。苛立ちを隠すように背を向け、彼は足早にその場を後にする。


 ――早く帰らなければ。

 胸の奥で、微かな、だが確かな嫌な予感が渦巻いていたからだ。


 その日の夜。

 王都の官庁街から少し外れた、下級役人や騎士たちが仕事帰りに立ち寄る喧騒に満ちた大衆食堂。その片隅の席で、ガルムは一人、安価なエールの入った木のジョッキを傾けていた。


 領民たちが日々爪に火を灯すような生活をしているのだ。王都に出張しているからといって、無駄な贅沢などできるはずもない。


 早くエルマの顔が見たい。あの純真で心優しい娘の頭を撫でてやらねば。

 父親としてのふがいない気持ちをぬるい酒で流し込もうとした、その時だった。


「……おい、聞いたか? 今朝から財務局の連中が目の色を変えてた理由」

「ああ。なんでも、バルデ子爵が関所で不当に巻き上げてた税の『裏帳簿』が、何者かの手によって王都に持ち込まれたらしい」


 少し離れたテーブルから漏れ聞こえてきた囁き声に、ガルムのジョッキを持つ手がピタリと止まる。

 子爵の関所。それはベルン領に最も近く、ガルム自身もその腐敗っぷりを苦々しく思っていた場所だ。


「誰が持ち込んだかは知らないが、これで子爵の奴もただじゃ済まないだろうな。政敵に急所を握られたようなもんだ。まぁ、反逆罪とかになるのか?……だが、本当に気味が悪いのはそこじゃない」

「えっ? 他に何かあるのか?」


「……先日、その帳簿が見つかった関所が『壊滅』したらしい。最初はどこかの野盗が関所を襲って、仲間割れでもしたんだろうと思われてたんだが……後日、そこを通った商人が、文字通り『血の海』を見たって青ざめて報告してきてな」

「血の海? ただの強盗の話じゃないのか?」


「ああ、死体の様子が異常なんだよ。関所を襲ったと思われる野盗どもまで、一緒に死んでたらしいんだ。首を綺麗に刎ね飛ばされた役人の死体に混ざって、毒でも食らったように泡を吹いてのたうち回った不気味な死体があったってな」


「なんだそりゃ……気味が悪いな」


「だろ? だから情報屋の間じゃ、たった一人の『バケモノ』が笑いながら皆殺しにしたなんて、馬鹿げた尾鰭までついてるぜ……」


 ガタンッ!

 ガルムが荒々しく立ち上がった音に、食堂の客たちが一斉に振り返る。


(関所が皆殺しに……? 襲撃したはずの野盗どもまでが奇妙な死を遂げているなど、略奪の痕跡としてあり得ない。別の部隊が両者を掃討したにせよ、それなりの規模の兵士が動いた形跡があるはずだ。ましてや、それが『たった一人』の仕業だと……? いったい辺境で何が起きている?)


「……店主、釣りは取っておけ」


 数枚の銅貨をテーブルに叩きつけ、ガルムは店を飛び出した。


 関所の壊滅。ベルン領のすぐそばで起きている異常事態。

 何が起きている?早く戻りたい。


(エルマ……! エルマ……!!)


 王都の冷たい夜風を切り裂きながら、父親は愛する娘のいる辺境の空を、血を吐くような思いで睨みつけた。

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