36.老将バモン・ドーラ
戦場の熱気が渦巻くダリア平原。
降り注ぐ矢の雨を盾で弾きながら、ライカが、血走った目で怒号を飛ばした。
「見ろ! ラビィの弓兵はまだこっちには居ねぇ! であれば、矢はいつも通りだ!」
「おう!」
狂ったような叫びに呼応する、荒くれ者たちの野太い声。だが、その猛々しい歓声に混じって、ザックの口からは思わず情けない悲鳴が漏れた。
「いつも通りで死地なんですがねぇ!」
飛来する矢の雨に怯えながらも、最小限の動きで盾を操り、自らとライカへ向かう矢を弾き落とす。
そんな副官のぼやきなど意に介さず、前方の銀狼は美しい顔に似つかわしくない獰猛な笑みを浮かべ、さらに声を張り上げた。
「エルドラドの傭兵ごときに遅れをとるなよ! 奥のトラキアの騎士団が来たらすぐ逃げるぞ!」
弓、傭兵、そして騎士。三国からの連合軍がこの平原に集結しつつあるという状況下で、彼女は銀の閃光となって敵陣のど真ん中へと突っ込んでいく。
突然の突撃に足並みが揃わない傭兵団にかまわず斬りかかる。
「よ、元気か? そして、じゃあな。まずは一人! 二人!」
舞うように、かつ残虐に。接敵した先から、エルドラドの傭兵たちを紙くずのように屠っていく。後ろ盾を気にしない、あまりにも身勝手な突撃だ。
「くっそ! 安心して突撃しやがって! 後ろも大変なんだっつーの!」
悪態をつきながらも、半泣きでその背後へ食らいつき、死角からの攻撃を必死に防ぐ。
「まぁ、うちの名物だ。奇襲攻撃。最初はいつも死にそうだよな!」
豪快な笑い声と共に、隣でライドが剛剣を一閃させた。
風を裂く重量級の一撃が、迫る敵兵をまとめて吹き飛ばし、ダリア平原の大地に血溜まりを作っていく。
最前線で銀狼が敵陣を切り裂き、その左右を守るようにザックとライドが隊列を進める。特筆すべきはやはり隊長の個人の戦力だ。
フォルテは後方本隊の先頭で、馬を操りながらその様子を見つめていた。
初陣の恐怖に身体は震えていたが、ライカたちが作り出した戦機の「意図」は、確かに捉えることができた。
「ライカ殿が行ったぞ! ザック殿、ライド殿が隊列を横に厚くしている! 我らも三千は左右の厚みを増すように並走しろ! 敵の側面にプレッシャーをかけるんだ! 残り三千は私と残れ!」
張り上げた声は、確かに周囲の兵士たちに響き渡った。
「おー、ライカ将軍すごいなー。まるで狼だ。銀狼ってのは言いえて妙といいますか」
その緊迫した空気の中、のんきな声が耳に届いた。
見れば、得体の知れない吟遊詩人カルロが、手慣れた様子で馬を操り、すぐ隣まで並びかけていたのだ。
「カルロ! 私たちもいくよ! 後ろはバモン将軍が守ってくれる!」
「おっけ、殿下! 皆の武勇はこの吟遊詩人のカルロが見届けるのさ」
かるくウィンクをして、カルロはさらに馬を進める。
戦場にあって、まるでピクニックにでも行くかのようなその余裕。一瞬、彼が馬さえも自在に操っていることに不審な目を向けたが、今は一刻を争う戦場だ。その疑惑を胸の奥に押し込み、前方の血煙立つ戦場へと向き直った。
砂塵の向こうで、フォルテが率いる本隊が左右に展開し始めた。
その後方で全軍の指揮を執るバモンは、皇子の勇猛な指揮に目を細めつつも、歴戦の将らしく低く重い溜息をついた。
「ぬう、殿下。血気盛んであるな。まだ、本国からの派兵は揃っていないというのに」
早すぎる開戦。だが、先陣の「銀狼」が作り出した強引な機を逃すわけにはいかない。手綱を握り直し、周囲の伝令兵たちに矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「こちらの五万は、逆三角陣形でフォルテ殿下の部隊と接続するように陣を作れ! 隊列の間隔は広めにな! 後方隊は盛土の作成を急げよ!」
突撃、並走、そして後方の防衛構築。大帝国ガルヴェリアの軍勢が、巨大な一つの生き物のようにダリア平原に布陣していく。
しかし、次々と指示を出しながらも、バモンの視線は遠くフォルテの傍らに付き従う「不自然な存在」に引き寄せられていた。
(それにしても、先刻から目にちらつく、殿下の隣にいるあの少年は……まさかな)
馬上の姿勢、手綱の捌き方、なによりも記憶に引っかかるその容姿。
長年、帝国の軍部で数多の将兵を見てきた眼に、一つの推論が過ぎった。
だが、その思考を深める暇は与えられなかった。
地響きと共に、彼方の稜線から、エルドラドの傭兵団とは明らかに違う、統率された軍馬の群れが姿を現し始めたのだ。
「ふん、トラキアの騎士団のお出ましか。僭越ながら『鉄壁』という名をいただいているこのバモンの力を見せてやろうではないか」
彼方の稜線を睨みつけ、老いた肉体からは想像もつかないほど鋭い覇気を放つ。
率いる五万の軍勢が、逆三角陣形を維持したまま、巨大な防波堤のようにトラキア騎士団の進軍路を塞ぐ構えを見せた。
* * *
「出てきやがった! 後退!」
「ぐああああああ、生きた心地がしねぇぇぇぇぇ!」
「ザック、情けない声はやめろ、士気がさがんぞ!」
ライカはトラキア騎士団の接近を知らせる砂塵を確認した瞬間、攻撃の手をピタリと止めて即座に指令を飛ばした。
先刻まで文字通り蹂躙されていたエルドラドの傭兵団は、その瞬間、一糸乱れぬ動きで、いや、統率などなく、個々の生存本能のままにバラバラと逃走を始めた。近くの森へ隠れる者、川に飛び込む者。騎士道などとは無縁の、傭兵特有の生き汚さだ。
突撃の先頭に立っていた以上、後退すればおのずと全軍の殿を務める形となる。
ザックとライドを従え、味方の撤退を助けるように敵の傭兵団を牽制しながら後退していく。
こちらの後退を確認したのだろう。後方のフォルテが、即座に退避の指示をしたと思われる。
「貴様等! 騎士の誇りはないのか!」
突撃してきたトラキア騎士団の先頭を行く男が、撤退していくこちらに向かって怒声を浴びせる。威勢の良い声だが、ただの滑稽な遠吠えにしか聞こえなかった。
「価値観ってのが違うもんでな外人さんよ。ここは退かせてもらうぜ」
『それに、私は騎士ではない』
騎士の誇りで腹が膨れるか。そんなものは塵芥に等しい。トラキアの騎士が迫るのを背で感じながら、嘲笑を浮かべて馬を走らせる。
「待て! 帝国の野蛮人ども!」
「こんなかわいらしい令嬢捕まえて失礼しちゃうぜ、ってな」
怒りに顔を歪めた敵騎士が、背中に追いつこうかという、その時。
「ふん、トラキアの騎士は脳みそが筋肉のようだ。――はさみ込め!」
地響きと共に、トラキアの追手の左右――先ほどバモン将軍が間隔を広めにとっておいたガルヴェリア軍の隊列の左右から、バモンの兵士が進軍していた。
「な、なにぃ!?」
驚愕し、馬の足を止めるトラキア騎士団。
だが、すべてが遅い。彼らが罠に気づいた時には、すでにバモンの兵士たちの射程圏内へと誘い込まれていたのである。
バモンの仕掛けた逆三角陣形の間隔が不自然に広く取られていたこと、そして後方に作られた盛土によって陣の高さが底上げされていたこと。それらの視覚的罠が、トラキア騎士たちの距離感を狂わせていたのだ。
「ハッハ! 綺麗じゃねぇかじいさん!」
「ぬかせ、狼娘」
フォルテ共々、バモンの陣まで後退し切ったところで、そう声をかけた。




