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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
二章 狼と薔薇の輪舞曲(ロンド)
33/39

2.貴方が美女というので

 大陸歴1452年。

 かの大盗賊団「ゼノン一家」の戦頭バルバロッサが、帝国の交易都市ゼネビアを道連れに自爆してから、およそ十八年の歳月が流れていた。


 大陸の季節は、四柱の神々が司っている。創造神アスタロトの極寒から始まり、力の女神アーティアが生命の息吹を与えて草木が繁茂する。やがて軍神ドラグが戦場のような熱気を讃え、英知の神メトスがそれを宥めるように冷ましていく。

 今はちょうどアスタロトの季節が終わり、アーティアが新たな生命に力を与える頃合いだ。

 だが、そんな四神のサイクルから外れた神々もいる。酒の神ロッソと、鍛冶と鋼の神フェルムだ。二人は己の酒宴が楽しすぎるあまり、季節を統治する役目をすっかり忘れてしまったという。


 その逸話の通り、ここ「砂塵の傭兵団」の酒場は、年中むさ苦しい熱気と酸いエールの匂い、そして荒くれ者たちの怒声にも似た笑い声が充満している。

 血と泥にまみれた男たちが勝利のどんちゃん騒ぎを繰り広げる中、やかましい喧騒からそこだけが切り離されたような薄暗い部屋の片隅で、銀髪の戦士ライカ・ローサはひとり静かに安酒を呷っていた。


『――今回も、武功が足りない』


 ライカの内側、脳の奥底で、本来の肉体の持ち主である令嬢エルマが不満をこぼす。

 あのベルン領の悲劇からおおよそ二年。家名を捨て、偽名を使い、髪を染め、泥水をすするような生活をしてきた。


(ハッ、しけてんな。いまはロッソの宴に感謝でもしとけ。俺は神なんてもんに信仰はねぇがな)


 その思考を鼻で笑い飛ばしたのは、彼女の内に同居するもうひとつの魂――かつて大陸を震え上がらせた悪鬼、バルバロッサである。


 ふと、バルバロッサは視界の端で動く影を捉えた。

 離れた席で、酒焼けした顔の団長から何やら理不尽な命令を押し付けられていたらしい、頼りなさげな男。彼が、まるで処刑台へ向かうかのようなひどく嫌そうな顔をしてこちらへ歩いてくる。

 ライカの周囲に漂う絶対零度の空気に怯え、他の傭兵たちが露骨に道を譲る中を、男は引きつった顔で進んできた。


(確か、ザックと言ったか)


 ライカよりも数日早く、この吹き溜まりのような傭兵団に入団した男。

 怯えたような目をしているくせに、どこか死線を潜り抜けてきたしぶとさを隠し持っている。ライカは杯を傾けたまま、冷徹な観察眼でその男の接近を待った。


「よ、よお。ライカ」

 なんとか絞り出したような愛想笑いを浮かべ、ザックが声をかけてくる。その額には嫌な汗が浮いていた。


「……なに?」

 ライカは手元の杯から視線を外さず、氷のように冷たい声で応じた。


「いやな。団長のやつがよ。俺とお前の二人で、ひと仕事してこいってさ」

「へぇ。どんな?」


 ライカがゆっくりと手元の杯から顔を上げる。月明かりを閉じ込めたような銀糸の髪が揺れ、底知れぬ菫色すみれいろの瞳が獲物を射抜くように男を捉えた。

 その、美しくも酷薄な眼差しに射すくめられ、ザックはびくりと肩を震わせる。


「マ、マルチダ村の近隣で、最近人がいなくなる事件が起きてるんだとよ。八割方魔物の仕業だって話だ。それの調査と、もし魔物なら片付けてこいってさ」


『魔物か。この間のゴブリンより、実入りがいいといいけど』

(小娘、もっといい酒はねぇのか)


 内側でかつての令嬢が冷静に損得を弾き、バルバロッサはバルバロッサで酒宴を楽しんでいた。

 ベルン領での悲劇から数年。死と隣り合わせの日々を生き抜いてきた今の彼女は、魔物という単語程度で悲鳴を上げるような、か弱い存在ではとうになかった。


「依頼主は?」

 無駄を削ぎ落とした端的な問いに、ザックは拍子抜けしたように頭を掻いた。


「さぁな。ま、村長ってのが王道だろ?」


(酸味が足りねぇ)

 内心でそバルバロッサはひとりごちた。

 ライカの端正な顔に微かな、そして獰猛な笑みが浮かぶ。


「……いいだろう。行くぞ」


「ちょ、いまから!?」


「迅速に。正確に。確実にがモットーなもんでな」


 その絶世の美貌には到底似つかわしくない、野盗のような凄み。それなのに、彼女が纏う禍々しい空気のせいか、やけにその言葉は似合っていた。

 ライカは音もなく立ち上がると、令嬢のように華奢な腕でザックの革鎧の首根っこをガシッと掴む。そして、大の大人がなぜか抵抗できない掴み方で、有無を言わさず酒宴の部屋の出口へと引きずり始めた。


「勘弁してくれ! 美女に腕引かれるのがこんなに嬉しくないことあるかよ……!」

「ほう、美女とは中々に嬉しいことをいってくれる。ならば文句はないな?」

「文句しか言ってねえだろうがよ!」


 周囲の傭兵たちが関わり合いを恐れて目を逸らす中、ザックは涙目になってボヤきながらも、抗うこともできずに夜の闇へと引きずり込まれていく。

 その惨めな背中へ向けて、酒場の連中は「ヒューッ! ザック、美女とお熱いねぇ!」「骨は拾ってやるよ!」と口笛を吹いて、悪ノリではやし立てるのだった。


 * * *


「おい、ライカ。お前、野営道具とかどうするんだよ。それにもっと詳細を団長からだな――」

「道具などいつもあるわけではないだろ。どうにかなるものだ。詳細もだ。行けばわかる」


「へいへい、俺は凡人だってのに。わかりましたよ、ライカお嬢様」


「……お嬢様はやめろ。私は戦士だ」

(チッ、小娘。終わったら酒をたらふくだぞ)


 内側で悪鬼が不平を鳴らす中、ライカは表情ひとつ変えずに歩みを進めていく。

 月明かりすら乏しい暗い夜道。ザックも流石にこんな時間から出発するとは思っていなかったが、ライカが強行したのだ。

 とはいえ、お互いに泥水をすする傭兵稼業。夜襲の経験もあるため、暗闇の行軍自体には慣れていた。

 二人は無言のまま、魔物が潜むというマルチダ村の近隣の森へと足を踏み入れていく――。


「今日はこの辺だな」


 夜も更け、あと数刻で日が昇るといった時間帯。目的のマルチダ村へは、ここからあと半日といったところか。

 二人は森の開けた場所で足を止め、簡素な野営の準備を始めた。


「なぁ、ライカ」

「あん?」


 振り返った相棒の顔を見て、ザックは思わず目を瞬かせた。

 酒場で見せていた、底知れぬ色気と冷たさを孕んだ恐ろしさではない。今の彼女から放たれているのは、戦場を支配する絶対的な強者の、純粋でむき出しの『覇気』だった。

 月明かりの下、彼女の菫色すみれいろだったはずの瞳が、まるで飢えた獣のようにギラギラとした金色に光を帯びて錯覚して見えたのだ。


(……なんだ今の顔。こいつ、マジで人間の皮を被った別の生き物なんじゃねえか……?)


「いや、なんでもねぇ。俺は寝るぞ」


 これ以上深く関われば命が縮む。そう警鐘を鳴らす凡人の生存本能に従い、ザックはそそくさと外套を被って横になった。


 やがて、ザックの規則正しい寝息が聞こえ始めると――ライカはそれを合図にしたかのように、おもむろに外套の裏から、道中の暗闇で密かに摘み取っていた得体の知れない草花や泥を取り出した。

 そして、小さな携帯鍋に水を張り、無言のまま、チロチロと燃える焚き火でそれを煎じ始める。


 パチ、パチと爆ぜる火の粉。

 やがて鍋の中身は、粘液へと変わり、甘いようなそれでいて少し刺激があるような。そんな異臭を微かに漂わせ始めた。

 眠りこける相棒の傍らで、金色の瞳をした銀狼は、ただ獰猛に口角を歪めていた。


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