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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
第一章 砂糖菓子の夢に溺れて死ね
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28.黒曜の煌めき

 屋上の戦士たちも、ただの的ではない。長年の勘で放たれるタイミングを読み、必死に火球を躱してはいる。だが、三次元からの理不尽な波状攻撃の前に、一人、また一人と確実に数を減らしていた。屋上を完全に制圧され、頭上からの十字砲火を浴びるようになるのは、もはや時間の問題だった。


「団長!」


 そこへ、息を切らしたファナが戻ってきた。

「避難民たちを東の門の先まで逃がしました。ユベール公爵軍の陣の手前まで、問題なくたどり着けます」

「……そうか。よくやった、ファナ」


 ガルムは血走った顔に一瞬だけ安堵の色を浮かべ、短く労った。

 だが、安堵の時間は一秒たりとも与えられない。ファナはガルムの背後にいた自身の妹――ダイナへと冷酷な視線を向けた。


「ダイナ。役割を、全うしなさい」

「……わかっているわよ。エルマ、早く屋敷の奥へ!」


 ダイナは有無を言わさずエルマの腕を強く掴むと、屋敷の奥へと強引に引っ張っていった。


「ダイナ、なにを……っ!」

「いいから、早くそのドレスを脱ぎなさい! 私の服と交換よ!」


 薄暗い部屋に押し込まれるなり、ダイナは自らの服のボタンを引きちぎるような勢いで外し始めた。その言葉の意味――ダイナが自分の身代わりになろうとしていることを悟り、エルマは泣きじゃくりながら首を横に振った。


「嫌、いやよ! そんなことしたら、ダイナが――」

「早くしなさい! ……まさか、この戦場で私を裸にしておく気!?」


 涙声になりそうなのを必死に堪え、ダイナはいつものようにツンケンした口調で怒鳴りつけた。

 それは、エルマに拒絶を許さない、不器用で優しすぎる強迫だった。

 大好きな幼馴染の震える手と、覚悟を決めた瞳。エルマは嗚咽を漏らしながら、自らのドレスに手をかけるしかなかった。


 急ごしらえの着替えの最中にも、外の戦況は残酷なまでに悪化していく。

 屋敷の窓から、そして開け放たれた扉の向こうから、地獄の光景が容赦なく目に飛び込んできた。


 鉄壁だったはずの北の細道が、ついに突破される。死体を乗り越え、蟻の群れのように押し寄せる帝国兵の濁流。その最前線で、防波堤のごとく立ち塞がっていたのはロッシだった。


「ロッシおじいさん!」


 エルマの悲痛な悲鳴が響く。老齢を感じさせない鋼の肉体で力強く戦斧を振るっていたロッシだったが、その全身には既に無数の矢がハリネズミのように深々と突き刺さっていた。それでも老兵は決して一歩も退かない。獣のような咆哮を上げながら大斧を薙ぎ払い、群がる敵を分厚い鎧ごと叩き割る。

 しかし、終わりの見えない波状攻撃と多量出血は、確実に彼の体力を削り取っていた。一瞬の隙。死角から伸びた槍が、ロッシの丸太のような太ももを貫く。

 ガクンと膝を折った巨体に、ハイエナのように帝国兵が殺到した。刃が腕を切り裂き、肩を割り、背中を貫く。それでもなお、ロッシは血の泡を吐きながら最後の一人を斧で道連れにし――幾本もの凶刃をその身に浴びたまま、重い地鳴りを響かせて血だまりの中へと崩れ落ちた。黒曜の牙の重鎮が、泥と血に塗れて息絶える。


「嫌だ! 嘘だ! フィンおばさん!」


 ロッシの死に絶望する間もなく、惨劇は連鎖する。

 前線が崩れたことで、戦場は乱戦へと移行していた。その中を、二振りの双剣を手に舞うように戦っていたのはフィンだった。軽やかなステップで敵の急所を的確に穿ち、エルマにいつも向けてくれていた優しい笑顔からは想像もつかない冷徹さで、次々と死体の山を築いていく。

 だが、その華麗な死の舞踏が、頭上の死神を引き寄せてしまった。

 屋上を制圧した帝国兵の火弾槍が、無慈悲に彼女へと向けられる。フィンが頭上の異様な殺気に気づき、双剣を交差させて頭を庇おうとした、その瞬間だった。


 空気を焼き焦がす轟音と共に、爆炎がフィンの華奢な体を完全に飲み込んだ。

 舞踏は唐突に終わりを告げる。土煙が晴れた後には、双剣も、彼女の自慢の黒髪も残っていいなかった。ただ、原形を留めないほどに黒く焼け焦げ、無惨に吹き飛ばされた『何か』の残骸だけが転がっていた。


 もはや直視することすら耐えられない。エルマが狂乱のままに視線を彷徨わせた、その視界の隅。

 屋敷の玄関先――ほんの数分前まで、気丈に立ち尽くしていたはずの場所で。


「ファナおねぇちゃん……っ!」


 ファナが、地面に伏していた。

 避難民を逃がした後、屋敷へと侵入しようとした敵をたった一人で足止めしようとしたのだろう。彼女の周囲には数人の帝国兵の死体が転がっていたが、彼女自身の背中にも、無残なほどに何本もの剣が突き立てられていた。

 血の海に沈むその右手は、まるで妹のダイナが逃げていく屋敷の奥へ向かって、最後に何かを掴もうとするかのように、泥を掻きむしった形のまま硬直していた。


 次々と散っていく、家族同然の者たち。歴戦の強者であったはずの『黒曜の牙』の戦士たちは、未知の兵器と圧倒的な数の暴力の前に、文字通りすり潰されていく。

 崩壊しきった陣形の中、残されたアレクとガルムだけが、肩や足に無数の矢を受けながらも、まさしく狂戦士ベルセルクのように大剣を振り回し、迫り来る帝国兵の波に抗い続けている。


「……終わったら、また美味しい焼き菓子をあなたに食べてもらうんだから」


 震える声が、絶望に染まるエルマの意識を引き戻した。

 見れば、ダイナは令嬢のドレスを身に纏い、完璧な『エルマ・ベルン』の影武者として完成していた。対するエルマの体には、ダイナの体温が残る平服が着せられている。


 ダイナは決して、エルマの方を振り向こうとはしなかった。自分の泣き顔だけは、そしておそらく、外で倒れた実の姉の姿だけは、見まいとするかのように。


「エルマ、エルマ・ベルン。私の大好きなお嬢様。――元気でね」


 背中越しに、素直ではない幼馴染が見せた最初で最後の純粋な本音。

 その言葉を最期の別れとし、ダイナは燃え盛る死線が待つ外の世界へと、一人駆け出していった。


「お嬢様。こちらです」


 親友の背中に向けて泣き叫ぶエルマの手を、冷たい手が強引に引いた。マーサだった。

 外の惨劇にも、身代わりとなった少女の覚悟にも一切の感情を動かさず、マーサはただ事務的にエルマを屋敷の奥へと引きずっていく。エルマを守ると決めた使命感からか。

 目指すのは、北の激戦区とは逆方向。南を向いた裏口の扉だった。エルマは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、暗い廊下の先へと吸い込まれていった。


 戦況はもはや絶望的だった。四方から轟音と怒号が響き渡り、屋敷は完全に包囲網の中に沈みつつある。

 それなのに、エルマの手を引くマーサは、まるで燃え盛る森の中で唯一の安全な獣道を知っているかのように、敵の目を滑らかにすり抜けていく。あまりにも的確すぎる。マーサもまた、一角の戦士としての訓練を受けていたのだろうか。


「お嬢様。私が傍にいるうちは大丈夫です」

 (ハッ……)


 前を向いたまま発せられたその言葉に、エルマの奥底で悪鬼が短い嘲笑を漏らす。

 だが、恐怖と悲しみで心が限界を迎えていたエルマにとって、今はその平坦なマーサの声だけが、唯一すがりつける安心材料だった。


 やがて南の裏口を抜けたマーサは、そのまま南の森へ逃げ込むと見せかけ、屋敷の死角を縫うようにして唐突に西へと方向を転換した。

 その時だった。崩れかけた家屋の隙間から、激戦が続く中央の陣形がふいと視界を掠める。


 そしてエルマは、見てしまった。


 父ガルムの背中を守り、鬼神の如く大剣を振るっていたアレクの巨体が。

 無数の凶刃にその身を貫かれ、鮮血を散らして地面へとゆっくり崩れ落ちていくのを。


『アレク……おじ、さん……っ』


 引きずられるように西へ駆けるエルマの唇から、声にならない絶望のひきつりが漏れ落ちた。

 その悲鳴を嗅ぎつけたかのように、瓦礫の向こうから複数の足音が殺到してくる。


「いたぞ! 油断するな、女子供でもこいつらも戦士だ!」


 剣を構えた帝国軍の若い兵士たちが、エルマたちの退路を塞ぐように立ち塞がった。狂犬どもの尋常ならざる抵抗に当てられたのか、その声には血走った警戒と殺意が滲んでいる。


「お嬢様……! ここはマーサに!」


 マーサがエルマを庇うように一歩前へ出た、まさにその瞬間だった。


「――させねぇぞ、帝国軍クソどもが」


 頭上から、血を吐くような獣の咆哮が降ってきた。

 直後、凄まじい風切り音と共に一対の長剣が振り下ろされ、道を塞いでいた兵士二人の胴体を、分厚い鎧ごと文字通り『真っ二つ』に切断した。

 どさりと内臓と肉塊が落ちる音。血の雨が降り注ぐ中、そこに仁王立ちしていたのは、全身に無数の矢と斬り傷を受けながらも、おぞましいほどの殺気と覇気を滾らせた巨狼――父、ガルムだった。


「我はガルム・ベルン! 貴様らを屠る戦士の名である!!」

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