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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
第一章 砂糖菓子の夢に溺れて死ね
25/28

25.辺境の狼たち

「さぁ、わかっただろ!? お前らは個人ではこれっぽちの戦力にもならねぇ! ほらほら、臆病な子羊ちゃんたち! 集団ででておいで! 相手してあげまちゅよー!」


 挑発に次ぐ挑発。

 若き騎士の首をあっさりと刎ね飛ばしたアレクの傲慢極まりない態度に、柵の向こうに陣取っていた公爵軍(王国正規兵)の指揮官は、顔を真っ赤にして怒号を上げた。


「おのれ、辺境の野蛮人どもが……ッ! 全軍、あのふざけた男を八つ裂きにしろ! 街へ突入し、ベルンの反逆者どもを一匹残らず引きずり出せ!!」


 指揮官の号令と共に、怒りに我を忘れた数百の軍勢が、雄叫びを上げて東の入り口から街へと雪崩れ込んでくる。

 その光景を見届けたアレクは、ニヤリと獣の笑みを浮かべ、身を翻して街の奥へと駆け出した。


「かかったぜ。お出迎えの準備だ!」


 アレクの合図と共に、ベルンの街が静かに「牙」を剥く。


 ◆


「まずは『戦乙女の足かせ』だ」


 街の中央、屋敷へと続く広場に陣を構えたガルムの低く通る声が響いた。

 かつて、このベルン領をザイードが襲撃した際、バルバロッサが用いた『黒曜の牙』の基本戦術。敵の最大の武器である機動力を根こそぎ奪うための一手である。

 彼が書き残した戦術書には、その「奪い方」だけでも地形や状況に応じた多種多様な方法が記されていた。


 今回、ガルムが選んだのは極めて泥臭く、そして致命的な罠だった。

 街の東西南北に位置する入り口、その石畳の各所には、あらかじめ油や魔獣の脂を混ぜ合わせたような『ひどく滑る液体』がたっぷりと撒かれていたのだ。


「と、突撃ィィーッ!!」


 怒りのままに街の入り口へと殺到した公爵軍の騎兵たち。だが、彼らの乗る軍馬の蹄がその液体を踏みつけた瞬間、甲高い嘶きと共に四肢が大きく宙を掻いた。


「なっ!? うわぁぁっ!」

「馬が、足をもつれ……ッ! 止まれ、後続止まれ!」


 先頭の騎兵たちが次々と体勢を崩して横転し、そこに後続の重装歩兵たちが巻き込まれ、入り口付近は瞬く間に大混乱に陥る。


「ええい、構わん! 馬は乗り捨てろ! 歩兵はそのまま前進だ!」


 指揮官の怒号でどうにか立て直した正規兵たちが、折り重なる味方を踏み越えて街のメインストリート――中央通路へと雪崩れ込む。

 血走った目で真っ直ぐに伸びた十字の大通りを駆け抜けようとした彼らの視界の先に、広場の陣で悠然と待ち構えるガルムの姿が映った。


「いたぞ! ベルン男爵だ!!」

「あそこに本陣があるぞ! 首を取れェッ!!」


 標的を捕捉し、勝利を確信した騎士たちが歓喜の声を上げて一斉に駆け出そうとした、その直後だった。

 

「……は?」


 突如として、彼らの目の前に巨大な『家屋』が滑り込んできた。


「『サハグの嘲り』だ」


 ガルムの無慈悲な号令と共に響き渡る、鼓膜を揺らすような重低音。

 街の第一層、第二層の家屋が、地響きを立ててスライドし、一本道だったはずの中央通路を完全に遮断したのだ。かつてザイードの部隊を完全に孤立させた「十字の逆すり鉢状」の巨大な迷路が、再びその姿を現した瞬間だった。


 屋敷のバルコニーへと素早く移動し、盤面を見下ろしていたガルムは、迫り来る敵軍を前にしても、その表情に一切の焦りを見せていなかった。


 (……よし。連中は完全に頭に血が上っている。この傾斜と迷路の異常性にも気づいていない。このまま街の奥へ引き込めば、ロッシやフィンたちが、袋の鼠となった部隊から順に無力化していくだけだ)


 ガルムの脳内には、勝利への微かな細い細い道筋が描かれていた。わかっている。ここで勝つことは必須。長くなるだろう籠城戦の初手として。

 非戦闘員はすべて安全な地下へ避難させた。東と南の戦力は、この街の防衛機能をもってすれば必ず削り切れる。完璧な防衛戦だ。


 ◆


「悪いなお前さんら、今回は『生死問わず』じゃからな」


 壁がスライドし、完全に分断された細い路地。パニックに陥る数十人の小隊の前に立ち塞がったのは、両手に重厚な片手斧を構えたパン屋のロッシだった。

 ザイード軍を無力化した時の「手加減」は、そこには一切ない。


「ひぃっ!? なんだこのジジイ――」

「粉砕じゃ。ワシ、今こそ絶好調」


 かつて『オーガ(巨鬼)』と恐れられた老兵の腕の筋肉が、異常なまでに膨張する。

 風を切り裂く轟音と共に振り下ろされた双斧は、防ごうと掲げられた騎士の盾を紙切れのように叩き割り、そのまま銀甲冑の上から容赦なく直撃した。

 刃を通す必要すらない。圧倒的な腕力から放たれた理不尽な質量は、鎧をひしゃげさせ、その内側にある肉体と骨を原型をとどめないほどにすり潰していた。


「久しぶりの全力ってやつ。味わってね」


 阿鼻叫喚の路地に、上空から涼やかな声が降ってくる。

 迷路を形作る第一層の家屋の屋上。そこに立つのは、かつて『流星』の二つ名で戦場を舞った八百屋のフィンだ。


 ボウガン、軽弓、そして無数の投げナイフ。流れるような動作で次々と武器を持ち替えながら、彼女は眼下の路地に文字通りの『星の雨』を降らせた。

 一切の無駄撃ちがない。放たれた凶器はすべて、兜の隙間、鎧の脇下、首の継ぎ目といった致命の急所のみを正確に貫き、身動きの取れない騎士たちを次々と死の床へと縫い付けていく。


「ふふふ、ベルンにようこそ」


 恐怖に駆られ、迷路の奥へと逃げ込もうとした兵士の耳元で、甘い囁きが響いた。


「な、いつの間に背後に――」


 振り返ろうとした騎士の首が、ズルリと不自然な角度で滑り落ちる。

 血飛沫が舞う中、静かに微笑みながら立っていたのは『神出鬼没』のファナだ。彼女の指先で妖しく光る極細の鋼の『糸』が、鎧のない首の隙間を音もなく撫で切りにしていたのだ。魔法のように姿を現しては、次々と命を刈り取っていく。


「ウラアアアアアアッ!!」


 そして、迷路の最も広い交差点で、猛獣の咆哮が爆発する。

 『黒曜の牙』の戦士長、『剛剣』のアレク。

 己の背丈ほどもある無骨な大剣を大上段から振り下ろすたび、分厚い大盾を構えた重装歩兵ごと、複数の騎士が空高く吹き飛ばされていく。


「どうしたエリートども! かかしの方がまだ歯ごたえがあるぞォ!」


 返り血を浴びて獰猛に嗤うその姿は、まさに死神そのものであった。


 これが、ベルン領の真の姿。

 首輪を外された歴戦の狂犬たちによる、一方的な蹂躙劇であった。公爵軍は、自分たちが攻め込んだつもりが、巨大な処刑場に自ら足を踏み入れたことに、死の淵でようやく気づかされていた。


 ◆


 一方、凄惨な血の雨が降る戦場から隔離された領主の館。

 マーサと共に自室での待機を厳命されていたエルマは、窓越しに聞こえてくる怒号と断末魔の悲鳴に肩を震わせていた。


『皆! 皆……っ。どうか! 勝てますよね!? バルバロッサさん!』


 祈るような内側からの問いかけに対し、大悪党は脳内で極めて冷徹な戦力分析を返す。


 (どうだかな。この陣がまともなまま機能し続けて、まぁ、五分に持ち込めたら大したもんだ。いくら地の利があるとはいえ、物量が違いすぎる)

『そんな……っ』

 (お前の親父も、この軍勢がすべてじゃねぇ。公爵軍を全滅させられるとは思っちゃいねぇよ。まぁ、初手だ。派手にやってやがる。ある程度敵を削って、痛い目を見せてから『政治的な話し合い』ってやつに持ち込む気だろうさ。籠城戦の基本だ)


 現実的な厳しい言葉に、エルマはギュッと唇を噛み締めた。

 眼下の街では、今この瞬間にも自分たちを守るために、領民たちが敵の命を次々と奪っている。本来なら目を覆いたくなるような惨劇のはずだ。だが、不思議と彼女の心に、敵が死ぬことへの嫌悪や同情は湧いてこなかった。ただひたすらに、家族同然の領民たちの無事を祈る、切実な熱だけが胸を占めている。


 (……ククッ、小娘。目の前で次々と人が死んでいくってのに、取り乱しもしねェ。人間ってのは、『正義』ってやつが自分の背後にあると、こうもあっさり残酷になれるもんだ。ハッハッ!)


「領地を守る」という大義名分が、純真な少女からすらも血の忌避感を奪い去る。その人間の業の滑稽さと美しさを、バルバロッサは特等席で腹の底から楽しんでいた。


 (それにしても、ガルムの野郎……)


 ふと、バルバロッサの意識は、再び眼下の盤面――完璧に機能し続ける迎撃要塞(ベルンの街)へと向けられた。


 (こと『ベルンでの局地防衛』に於いては、おれより上手くやりやがる。机上の空論じゃねェ、血の匂いが染み付いた『本場』の陣形だ。……なるほど、『軍神ドラグの歌』はこのタイミングか。絶妙だねぇ)


 大悪党がニヤリと嗤ったその時。

 屋敷のバルコニーから姿を消していたガルムが、最前線の第1層と2層のはざまへとその巨体を現した。


「オオォォォォォォォォッ!!」


 腹の底から絞り出された、獣のような咆哮。

 それはかつて、傭兵団『黒曜の牙』が死地に赴く際、常に全軍の士気を限界まで引き上げてきた団長の雄叫び――通称『軍神ドラグの歌』であった。


「……ッ!」


 迷路の奥へと逃げ延びようとしていた公爵軍の小隊が、その異様な気迫に足を止める。

 彼らの眼前に立ち塞がったガルムは、無造作に剣を振り抜いた。分厚い盾ごと兵士の身体が真っ二つに裂け、鮮血の雨が広場に降り注ぐ。

 休む間もなく、凄まじい踏み込みからの一刀串刺し。絶命した骸の胸板を足で蹴り飛ばして剣を抜き放ち、さらに流れるような動作で投擲した短剣が、逃げようとした三人目の喉笛を正確に切り裂く。

 公爵軍の兵士たちにとって、その三つの命が理不尽に刈り取られる光景は、わずか刹那の出来事に感じられた。


 一人、また一人。ガルムが返り血を浴びて敵を両断するたび、そして再び地を揺るがすような咆哮を上げるたび――。


「ウォォォォォォォォッ!!」

「『巨狼』に続けェェェッ!!」


 迷路の各所で戦っていたベルンの『狂犬』たちの瞳に、さらなる狂気が宿った。

 痛みも疲労も忘れ、ただ純粋な殺意の塊と化した狂戦士バーサーカーの群れ。彼らはガルムの咆哮に呼応するように雄叫びを上げ、公爵軍の兵士たちへと一斉に襲い掛かった。


「ひ、ひぃぃっ! 化け物だ! こいつら人間じゃねぇ!」

「逃げろ! 陣形など構うな! 門へ走れェッ!」


 完全に戦意を喪失した公爵軍の兵士たちが、武器を放り出して我先にと逃げ惑う。だが、一度この「逆すり鉢状」の迷路に引き込まれた彼らに、逃げ道など残されていなかった。

 上からの圧倒的な圧力、退路を塞ぐ動く家屋、そして狂戦士と化したベルンの領民たち。


 蹂躙は、瞬く間に終わった。

 かつて大将軍として大陸中を恐怖に陥れた最凶の悪党にすら「本場」と言わしめた、見事な采配と圧倒的な暴力の連鎖。


 開戦からわずか一刻。

 東の入り口から雪崩れ込んできた公爵軍・第一陣、およそ三百の部隊は――ただの一人の生還者も出すことなく、この迷路の中で完全に『全滅』した。

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