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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
第一章 砂糖菓子の夢に溺れて死ね
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23.包囲網

 数日後のベルン男爵領は、かつてないほどの穏やかな活気と笑顔に包まれていた。

 領民たちにはガストン商会から『譲渡』された大量の麦が気前よく分配され、どの家の煙突からも、ふっくらとしたパンを焼く香ばしい匂いが漂っている。

 領主の館の中庭では、真新しい革鎧に身を包み、油の匂いも香ばしい業物を手にした兵士たちが、熱気にあふれた訓練を行っていた。


「いいかお前ら! その剣は王都の正規軍が使ってる上物だ! いつものナマクラとは重さも切れ味も訳が違うぞ! 骨の隙間を狙って真っ直ぐ振り抜け! 商会からの太っ腹な『寄付』に感謝して、しっかり腕を磨けェ!」


 普段は肉屋を営むアレクの威勢の良い怒号に、兵士たちの野太い雄叫びが重なって響き渡る。

 その光景を執務室の窓から見下ろしながら、ガルムは満足げに深く頷き、温かいコーヒーをゆっくりと啜った。


「素晴らしい。これもすべて、エルマが身を挺して領地を守り抜いてくれたおかげだ……。あの子は私の誇りだよ」


 一方、父親から惜しみない称賛を浴びている当の『誇り高き愛娘』は、自室のふかふかのベッドの上で、心底ホッと息を吐き出していた。


『ああ……平和です。皆さんあんなに笑顔で。それに、ずっとキリキリしていた胃の痛みも、ようやく治まりました……』

 (……)


 窓から吹き込む春の風に目を細めながら、エルマは胸をなでおろす。

 あの時は大商会を敵に回してしまったと絶望したが、結果的に領地は潤い、戦力も大幅に増強された。すべては平和のためだったのだと、少女は持ち前の純粋さで己を納得させていた。


 (……おい、小娘。アレクを呼べ)

『え? どうしたんですか急に。せっかく平和な時間を満喫しているのに』

 (仕上げの『防衛指示』を出しておく。兵士どもが新しいオモチャにはしゃいでる今が、一番言うことを聞くからな)


 しぶしぶエルマが部屋を出て中庭へ向かうと、アレクは「おお、お嬢!」と犬のように人懐っこい笑みを浮かべて駆け寄ってきた。


「お疲れ様です、アレクさん。……少し、今後の防衛警備について指示があります」

「指示? へぇ、お嬢の言うことなら何でも聞くぜ。あれだけ見事な交渉ぶんどりをやってのけたんだ、俺たちはお嬢の采配を信じてるからな」


 アレクの親しげな言葉を受け、エルマの意識がスッと奥へ下がる。代わりに表に立った大将軍は、エルマの可憐な声色と口調を完璧に保ったまま、冷徹な指示を口にした。


「『東の街道』の警備を、半分に減らしてちょうだい。代わりに、領民の居住区と屋敷を守る内壁側に兵を集中させるの。夜間の巡回も内側だけでいいわ」

「東の街道を? ですがお嬢、あそこは王都へ続くバルデ子爵領を抜ける一番の要所だぜ。しかも野盗がごろごろといる。そんなところ自由にしたら、荒れ放題になるぜ……?」

「信じて欲しいの。ここ最近、立て続けにこの辺境区域で事件が起きてる。特にバルデ子爵は関所の事件があったでしょう? うちがやらなくても、バルデがその周辺は警戒するはずよ」

「な、なるほど……! あえて向こうの警戒網を利用して、浮いた兵力を内側に回すってことか。さすがはお嬢だ、すぐに手配するぜ!」


 アレクは深く納得したように頷くと、勢いよく部下たちの元へ走っていく。


『あの……バルバロッサさん。本当にあの指示で大丈夫なんですよね……?』


 どこか一抹の不安を覚えたエルマが内側から問いかける。

 そんな愛らしい少女の疑問に対し、大悪党は極めて上機嫌に、脳内でカラカラと嗤った。


 (あァ、完璧だ。……これで『お客様』を迎え入れる準備は整った)


 春の陽だまりの中で、少女は可憐に微笑み続ける。

 盤面は整った。あとは、駒どもがこの美しき死地へなだれ込んでくるのを待つだけである。

 (ベルン領を滅ぼさせるための駒、な)


 ◆


 ベルン領が平和に酔いしれていた頃。

 東に位置する王都の正門は、重々しい軍靴と馬の嘶きによって震えていた。


 国王から一帯の『全権』を委任されたユベール公爵が、いよいよ出立の時を迎えたのだ。

 先陣を切るのは、黄金の獅子の紋章が彫られた銀甲冑を纏う、王都正規軍の精鋭たち。その数、およそ五百。

 大義名分は「辺境の治安維持と、反逆の疑いがあるベルン領の制圧」。国の威信を懸けた、堂々たる進軍であった。


「……フフッ。実に素晴らしい眺めだ」


 隊列の中央を進む、六頭立ての豪奢な天蓋付き馬車。

 その中で、ユベール公爵は最高級の赤ワインが入ったグラスを傾けながら、冷酷な笑みを浮かべていた。

 正規軍五百という数は、小規模な男爵領を一つ踏み潰すには十分すぎる兵力である。だが、公爵の軍勢は王都を出て西へ進軍する道すがら、国王の勅命を盾に「討伐への協力」という名目で、強引に兵を徴発していった。


 百が三百になり、五百が千になり。

 ベルン領へと西進するにつれ、寄せ集めとはいえ、その規模は雪だるま式に膨れ上がっていく。

 そして同時に、公爵はベルン領の東の境を接するバルデ領や、南に位置するカインズ領の領主たちに非情な厳命を下していた。


『ベルン領へ続く全ての街道を封鎖せよ。あそこへ入る物流も、あそこから出る通信も、一切を断て』と。


 公爵の圧倒的な権力と軍事力を前に、近隣の領主たちは震え上がり、蜘蛛の子を散らすようにベルンとの境を封鎖し始めた。

 東や南の街道には強固な柵が築かれ、商人たちの馬車は引き返し、手紙を運ぶ早馬すらも止められる。


 東からは、数千に膨れ上がった討伐軍が、ゆっくりと、確実に迫ってくる。

 周囲の退路は全て塞がれ、ベルン領は文字通り、世界から切り離された『陸の孤島』へと変貌しつつあった。

 彼らがかりそめの平和に安堵している間に、真綿で首を絞めるような死の包囲網が、音もなく完成しようとしていたのである。

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