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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
第一章 砂糖菓子の夢に溺れて死ね
18/31

18. 三匹の屑

 薄暗い部屋の中。暖炉の炎が爆ぜる音だけが、重苦しい沈黙の中に響いている。

 豪奢な衣服に、これまた豪奢な宝飾品を身に着けた男は、手元のワイングラスをゆっくりと傾けた。揺れる琥珀色の液体を見つめるその瞳は、どこか遠くの幻影を追うように濁っている。


「……閣下。カインズ伯爵がああも鮮やかに『退場』されるとは。まさに天の配剤かと」


 影に潜むように控えていた男が、揉み手をしながら歩み出た。

 太ってはいるが、決して不健康ではない。へりくだって媚びを売るような態度の奥に、底知れぬ野心に満ちたぎらつく瞳を隠している。


「全ては、お望み通りにございます」


 男はワインを口に含み、ゆっくりと喉を鳴らした。

 長い沈黙。男は相手の反応を窺うように、あざとい笑みを浮かべたまま次の言葉を待つ。


「……貴様の望みは」


 低く冷徹な問いに、商人は待っていましたと言わんばかりに身を乗り出した。


「ほんの些末なことにございますよ。海路の利権を、ほんの少しばかり……。それと、閣下がアズガルド山脈の『防衛』を敷かれる折には、ぜひ我が商会から独占的に武具や物資を買い上げていただければと」


 商人は己の計算高い欲望を隠そうともせず、下品に舌なめずりをした。

 豪奢な服の男はその俗悪な姿を一瞥し、冷ややかな、だが確信に満ちた声で告げる。


「成ればやろう」


 男の視線が、机の上に伏せられた一枚の肖像画へと落ちた。

 指先が、その顔をなぞるように動く。


「軍備の独占も、海の利権も、貴様にくれてやる。……私が欲しいのは、あそこに咲く一輪の花だけだ」


 男の指先はわずかに震え、狂おしいほどの執着が滲み出ていた。


「あの薄汚い野良犬どもから、私の宝を取り戻す。……いかなる手を使おうともな」


 ◆


 辺境拠点の視察からベルン領の屋敷へ帰還して数日後。

 エルマは天蓋付きのベッドの上で、ゆっくりと目を覚ました。


「……あれ?」


 ふと、身体を覆う感覚に小首を傾げる。

 普段の彼女なら、馬に数時間も揺られれば、数日は内腿や腰回りが酷く痛み、起き上がるのすら一苦労なはずだった。

 確かに鈍い疲労や痛みは残っている。だが、決して耐えられないほどではない。むしろ、ベッドから降りて歩みを進めると、体は重いのだが脚の付け根が奇妙なほど滑らかに動き、スッと淀みなく前へと出る感覚があった。


『なんだか最近、ひどい痛みにならない……。お父様と外に出る機会が増えて、少しだけ身体が丈夫になったのかな?』


 無邪気な思いつきに、ふふっと嬉しそうに微笑むエルマ。


 (……ガキはそうやって大人になっていくもんだぜ)


 その脳内の奥底で、バルバロッサは呆れたように鼻で笑っていた。

 温室育ちのひ弱な身体が、ただ外を歩いた程度で都合よく頑丈になるはずがない。

 バルバロッサが主導権を奪うたび、獣のような踏み込みや、腰を弾き出すような暴力的な捻りによって、彼女の貧弱な肉は内側から幾度も引き裂かれてきたのだ。


 本来なら数日は立てなくなるほどの損傷。だが、裂けた肉は治癒の過程で、以前よりもわずかに太く、強固に繋ぎ直される。

 本人が無自覚なまま強制的に繰り返されたその過酷な錬成により、ガラス細工のようだったこの器は今、ようやく『戦士の歩法』の負荷にギリギリ耐えうる程度の、しなやかなバネを持ち始めているのだ。


『大人って……そういえばバルバロッサさん……』


 寝巻きから普段着へと着替えようとクローゼットを開けながら、エルマはふと素朴な疑問を投げかけた。


 (あ?)


 脳内に響く野太い声は、朝からひどく億劫そうだ。


『バルバロッサさんは悪党ですよね?』

 (どうだかな)

『そんなバルバロッサさんの好きなものってなんですか?』


 手にしたワンピースのシワを伸ばしつつ小首を傾げると、バルバロッサは鼻を鳴らした。


 (なんだ突然? 酒と女と戦だな)

『ひっ……! や、やっぱり! 私の体で変なことしてないですよね!?』


 エルマは己の胸元を両手でギュッと隠し、顔を真っ赤にして後ずさる。


 (ハッ。男誘惑するには戦力がたらんな)

『ひどい!?』

 (自分に欲情する変態ではねぇよ)


 至極まっとうな、しかしひどく疲労の滲む声が返ってきた。


 ◆


「――お父様、おはようございます。朝から慌ただしいようですが、どうされたのですか?」


 身支度を整え、食堂へと降りたエルマは首を傾げた。

 いつもなら穏やかにコーヒーを飲んでいるはずの父ガルムが、今朝はひどく険しい顔で武装を整え、足早に屋敷を出ようとしていたからだ。


「おお、エルマか。すまない、一緒に朝食をとれそうにない。……王都から早馬が来た。カインズ伯爵が、殺されたそうだ」

「えっ……!?」

「下手人は、あのザイードという部隊長だ。伯爵を刺した後、自らの首を刎ねたらしい。……やはり、私が感じたあの異常な気配は間違いではなかった。あの男は既に何かに憑かれ、狂っていたのだ」


 ガルムは忌々しそうに舌打ちをした。


「伯爵が死んだことで、国境の警備網に穴が空く。あんなのでもまとめ役だからな。山の向こうがどう動くか分からん。私はこれから急ぎで山間部の村々へ警戒の指示に回る。数日は戻れんかもしれん。……エルマ、アレク達を頼るのだぞ」

「は、はい……お気をつけて、お父様」


 嵐のように去っていく父の背中を見送りながら、エルマは呆然と立ち尽くした。


『あ、あの親切だったザイードさんが、伯爵様を……!? お父様の武勇に怯えていたから、きっと錯乱してしまったのですね。可哀想に……』

 (……ククッ。中々に酸味が効いてやがる。己の手での殺しは許さないがわからない分には自覚もねぇ。これを知ったら小娘はどうなるのかね)


 悲痛な面持ちで胸の前で手を組むエルマと、特等席で下卑た笑いを漏らす最凶の悪党。

 だが、二人がそれぞれの思考に耽っていたその時だった。


「お嬢様……! その、困ったことになりまして」


 コンコン、と弾かれたような足音と共に、メイドのマーサが青ざめた顔で駆け込んできた。


「マーサ? どうかしましたか?」

「王都より、ガストン商会の者が参りました。至急お話があると……」

「お父様はつい先ほど、視察に向かわれたばかりだけど……」

「それが……旦那様が馬で屋敷を出られた、ほんの半刻後に乗り込んできたのです。まるで、旦那様が遠くへ離れるのを森の影でずっと窺っていたかのように……」


 マーサの言葉に、エルマの表情が僅かに曇る。

 ガストン商会。ベルン領の足元を見、法外な値段で粗悪な武器や物資を売りつけてくる強欲な商人だ。


「旦那様が数日は戻らないと伝えても、『では領主代行であるお嬢様とお話を』と、屋敷の客間に居座られてしまい……」

「……わかりました。お父様がお戻りになるまで、私が応対します」


 不安を押し殺し、決意を固めて歩き出すエルマ。

 本人は全く無自覚だったが――その足運びは、以前のような弱々しいものではなく、床に吸い付くように滑らかで、妙な静けさを孕んでいた。


『バルバロッサさん……何かわかりますか?』

 (さぁな)

『嘘つきです……』


 客間の扉を開けると、そこには高級なソファーに深く身体を沈め、ふんぞり返っている恰幅の良い男がいた。

 ガストン商会の商会長のトンパである。男は入ってきたのが14歳の小娘だと分かると、立ち上がりもせず、脂ぎった顔を歪めてねっとりと笑った。その後ろには、剣呑な目つきをした用心棒の大男が二人、威圧するように腕を組んで控えている。


「これはこれは、領主代行のお嬢様。本日は他でもない、我が商会からベルン領へ納めている『武具と食糧の卸値』について、少々ご相談がありましてな」

「……卸値、ですか? 契約は既にお父様と済んでいるはずですが」


 毅然と振る舞おうとするエルマに対し、商人は大げさに肩をすくめてみせる。


「いやはや、カインズ伯爵が亡くなられ、国境がひどく物騒になりましてねぇ」


 トンパはわざとらしくため息をつきながら、持参した安葉巻に火をつけた。紫煙が遠慮なく、真っ直ぐにエルマの顔へと吹きかけられる。


「けほっ、こほっ……!」

「護衛の費用も嵩む。今の金額では、とても採算が合いません。つきましては、これまでの未払い分も含め、明日から物資の価格を『三倍』に引き上げさせていただきます」

「さ、三倍!? そんな無茶な……! 今、国境の村々はお父様のもとで必死に防衛の準備を進めているのです! いきなり流通を止められては、皆が飢えてしまいます!」


 顔面を蒼白にするエルマを見て、商人は「計画通り」とばかりに下卑た笑みを深めた。


「ええ、ええ。それは我々としても本意ではございません。……ですから、特別な『代替案』をご用意しました。支払えないというのなら、代わりにこの書類にサインをいただきたい」


 商人がテーブルに滑らせたのは、一枚の羊皮紙。

 それを見たエルマは、息を呑んだ。


「これは……アズガルド山脈へと続く街道沿いの、土地の譲渡書……?」

「左様。借金の担保として、あの辺りの土地を我が商会が『管理』して差し上げようという、慈悲深い提案です。なに、お父上のような剣を振り回すしか能のない『野蛮な傭兵上がり』には、領地経営など土台無理だったのですよ」

「お、お父様を愚弄しないでくださいっ! それにこんな重要な土地、私の一存で渡せるはずが……!」


 エルマが声を荒げた瞬間。

 トンパの後ろに控えていた用心棒の一人が、腰の剣に手をかけながらドンッと床を強く踏み鳴らした。


「ひっ……!」


 殺気にあてられ、ビクッと肩を震わせて一歩後ずさるエルマ。

 すくみ上がった少女を見て、トンパは満足げに腹を揺らして笑った。


「ハハッ! サイン一つで、明日からも武具と麦をたっぷりと運んで差し上げますぞ。さぁさぁ、戦地で戦うお父上と、領民たちを救うために……」


 それは、商人の顔をした強盗であった。

 兵糧攻めという人質を盾に取り、国境の要衝をタダ同然で奪い取ろうとする見え透いた罠。


『くっ……どうしよう。私がここで拒否して流通が止まれば、最前線にいるお父様たちが……』


 屈辱と恐怖に涙を浮かべながら、震える手でペンを握るエルマ。

 だがその時。

 絶望の淵に立たされた少女の脳内で、最凶の悪党の、ひどく冷めた呆れ声が響いた。


 (……どいつもこいつも、貧相な手口だな。退屈であくびが出るぜ)


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