第一話:進捗投稿
今絶賛話題の人気アイドル、Flowers。デビュー当時は認知こそ広かったものの、ファンは少なかったが最近にしてその声明は確実に大きくなっていた。
「ありがとうございましたー!」
ステージからの最後の挨拶を終えて、観客たちの黄色い声が途絶えない中、僕たちFlowersは控え室へと戻る。今日も満員のライブハウスで、ファンの皆さんの声援が胸に響いている。汗を拭きながら、メンバーたちと今日のパフォーマンスについて話していると、自然とスマホに手が伸びた。
「お疲れさま、ロズ!今日のセンターパート、めちゃくちゃ良かったよ」
「ありがとう。みんなもお疲れさま」
返事をしながらも、僕の指は慣れた動きでSNSアプリを開いていく。まずはファンの皆さんからのリプライをチェックして、それから——
「ととさんだ!?」
思わず声が出てしまった。ととさんのアカウントに新しい投稿がある。珍しい。本当に珍しい。ととさんは滅多にSNSに浮上しないのに。
『原稿、ようやく半分まで来ました。今回は特に難しい謎解きになりそうです。もう少しお待ちください』
たった一行の呟き。でも僕にとっては宝物のような言葉だった。ミステリー作家のととさんは、人気はあるが売れ筋はイマイチで、それでも彼の書く作品は心惹かれる読者が多数存在する。所謂、隠れ作家であり、僕の最推しだ。
「うわぁあ、進捗……嬉しすぎる」
興奮して思わず小さく声を上げてしまう。新作の進捗だ。ととさんの新しいミステリー小説の進捗報告だ。原稿が半分まで!それって、あともう少しで完成に近づいているってことじゃないか。
「出た、始まったよロズのオタクモード」
隣にいたメンバーの蓮が不思議そうに僕を見ている。が、そんなのは気にも止めず慌てて画面を見直す。ととさんの投稿についたいいねの数を見て、また胸が躍る。僕のいいねもその中の一つ。でも、こんなにも多くの人がととさんの作品を待っているんだ。僕だけじゃない。でも——僕の想いは誰にも負けない。
「また例の作家さん?」
今度は向かいに座っていた翔太が苦笑いを浮かべながら言った。
「う、うん...」
頬が熱くなる。メンバーたちには既にバレている。僕がととさんという作家の大ファンだということは。表向きは「読書が趣味」ということになっているけれど、実際のところは——
「ロズって本当にその作家さん好きだよね。目がハートになってるよ?」
蓮がからかうように言うと、他のメンバーたちも笑い声を上げる。
「そんなことないよ!」
必死に否定するけれど、自分でも分かる。きっと今の僕の顔は完全にファンの顔をしている。あの日、初めてととさんの処女作を手に取った時の衝撃が蘇る。
まだアイドルになりたてで、フォロワーも思うように伸びなくて、マネージャーに「ファンの気持ちを理解してみろ」と言われて。半分やけになって入った本屋で、たまたま手に取ったととさんの本。
読み始めて数ページで、僕は完全に虜になっていた。
巧妙に張り巡らされた謎、最後の最後まで読めない展開、そして美しい文章。それまで本なんてほとんど読まなかった僕が、一気に読み終えてしまった。そしてその瞬間、僕は理解した。ファンになるってこういうことなんだって。
「でも良いことじゃない?ロズがファンの気持ちを理解できるようになったのって、その作家さんのおかげでしょ?」
翔太の言葉に、僕は頷いた。確かにそうだ。ととさんのファンになったことで、僕は本当のファンの気持ちを知った。そしてそれが、アイドルとしての僕の成長に繋がった。でも今は、そんな理由なんてどうでもいい。ただ純粋に、ととさんの新作が読みたくて仕方がない。
「特に難しい謎解きって...どんな話なんだろう」
スマホの画面をじっと見つめながら呟くと、メンバーたちがまた笑い声を上げた。
「完全にファンの顔してる」
「ロズの恋人は作家さんだからね」
からかわれても、今の僕には何も響かない。ととさんの新作のことで頭がいっぱいだった。半分まで完成している原稿。あとどのくらいで読めるんだろう。発売日はいつになるんだろう。
僕の心は、既に次のととさんの投稿を待っている状態だった。
#第2話 ネタ帳への憧憬
「今日はお忙しい中、ありがとうございます」
テレビ局のスタジオで、僕たちFlowersは人気作家の松本さんと向かい合って座っていた。文芸番組の対談企画で、読書好きということでオファーをいただいたのだ。
松本さんは温厚そうな初老の男性で、代表作『夕暮れの約束』で直木賞を受賞した実力派作家だ。僕も一度読んだことがあるが、ととさんとは全く違うタイプの、心温まる人間ドラマを書く方だった。
「作家さんの創作活動について、ぜひお聞きしたいことがあるんです」
蓮が身を乗り出すようにして質問した。
「作家さんってネタ帳とか持ってるんですよね?いつもどのようなものを使ってるんですか?」
松本さんは嬉しそうに微笑んだ。
「ええもちろん、僕以外でも作家ならネタ帳は欠かせませんからいつも持ってますよ。僕は持ち運びしやすいこういう、ミニ手帳を持ってます」
そう言って、松本さんは胸ポケットから小さな黒い手帳を取り出してみんなに見せてくれた。表紙は使い込まれて少し擦れているが、愛用している感じが伝わってくる。
「わあ、小さいですね!」
「どんなことを書いてるんですか?」
メンバーたちが興味深そうに質問を重ねる中、僕もしっかりとリアクションを取りながら話を聞いていた。でも、心の中では全く違うことを考えていた。
ととさんはどんな手帳を使ってるんだろう。
松本さんのように小さなミニ手帳なのか、それとも大きなノートタイプなのか。デジタル派でタブレットやスマホを使っているのかもしれない。どんなペンで書いているんだろう。どんなことを書き留めているんだろう。
「アイデアが浮かんだら、とにかくすぐメモですね。電車の中でも、お風呂でも——防水のメモ帳も持ってるんですよ」
松本さんの説明を聞きながら、僕の頭の中はととさんのことでいっぱいだった。ととさんもお風呂でアイデアを思いつくことがあるのかな。防水メモを使ってるのかな。
収録が終わった後も、僕はそのことが頭から離れなかった。
控え室に戻ると、メンバーたちは今日の収録について話していたが、僕だけは上の空だった。
「ロズ、大丈夫?なんか今日ぼーっとしてない?」
翔太に指摘されて、僕ははっとした。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してて」
「また例の作家さん?」
蓮の言葉に、僕は苦笑いを浮かべた。バレてる。完全にバレてる。
その夜、家に帰ってからも僕はととさんのネタ帳について考え続けた。どうしても知りたい。でも、そんなこと聞ける機会なんてない。
そして僕は、とんでもないことを思いつく。ファンレターならいけるのでは……?
匿名でファンレターを送って、質問してみよう。返事なんて期待しちゃいけないけれど、もしかしたら——
僕は慌てて便箋を取り出した。
『いつも作品を楽しく拝読しております。突然ですが、先生はネタ帳はどのようなものを使っていらっしゃいますか?作家さんの創作の秘密に興味があります。一ファンより』
短い質問だったが、何度も書き直して、ようやく満足のいく文章になった。差出人は書かず、編集部宛に送る。
でも、封筒にファンレターを入れながら、僕は現実に戻った。
ととさんほどの人気作家なら、毎日たくさんのファンレターが届くだろう。その中の一通に、わざわざ返事をくれるなんて期待しちゃいけない。
「まあ、送らないよりはマシか...」
肩を落としながら、僕はポストにファンレターを投函した。
その数日後、ダンスの練習で汗だくになった僕たちは、スタジオの隅で休憩を取っていた時。
「あー疲れた」
翔太が床に寝転がりながら言うと、蓮も同じように床に倒れ込んだ。
僕も疲れていたが、習慣的にスマホを取り出してSNSをチェックした。まずは自分のアカウントから、ファンの皆さんのツイートを一通り見通す。それからは、ととさんのSNSを見るのだが。
「え?」
ととさんのアカウントに新しい投稿があった。しかも、珍しく写真付きの。
『「ネタ帳はどんなものを使ってますか?」というご質問を頂いたので回答します。私はいつもこのネタ帳を愛用してますよ』
写真には、おしゃれなカフェのテーブルの上に置かれた、茶色の革表紙のノートが写っている。そして、そのノートを持つ手——綺麗で骨ばった、細い指の手が写り込んでいる。
「あ、え?、……え?」
「ロズ?どした?」
メンバーたちは首を傾げて僕の方を見る。
「あ、あの、その——」
僕は震える手でスマホを握りしめた。まさか。まさか僕のファンレターの質問に答えてくれたの?そんなことあるわけない。でも、タイミング的に——
そして何より、ととさんの手が写ってる。実写の写真だ。こんなに近くにととさんを感じられるなんて。
「完全にオタクの顔してるよ、ロズ」
蓮の言葉も耳に入らない。僕はスマホの画面を食い入るように見つめていた。
ととさんの手。ととさんが実際に使ってるネタ帳。ととさんがいるであろうカフェ。
急な公式からの過剰摂取で、僕の頭は完全にパンクしていた。
# 第3話 運命の対面
ととさんの視点
朝のコーヒーを飲みながら、私は編集者の田中さんからの電話を受けていた。
「ととさん、お疲れさまです。実は素晴らしいお話があるんです」
田中さんの声は興奮気味だった。
「代表作の『月夜の密室』、ドラマ化のオファーが来ているんです。しかも今回は、以前手がけていただいた『深夜の謎解き』の脚本が大変好評だったということで、脚本もととさんにお願いしたいとのことで」
私は思わずコーヒーカップを置いた。『月夜の密室』は私の処女作で、最も思い入れの深い作品だ。
「それは...嬉しいですね。でも脚本となると、また忙しくなりそうですが」
「そうですね。それで、主題歌についても相談があるんです。どちらかご希望はありますか?」
私は少し考えた。そういえば、以前SNSで質問に答えた時、随分と反響があった。特に若い世代のファンが多いようだった。
「そうですね...最近よく耳にするFlowersというアイドルグループはどうでしょう?確か、読書好きのメンバーがいると聞いたことがあります。きっと作品への理解も深いのではないでしょうか」
「Flowers!素晴らしいアイデアですね。早速お話を通してみます」
電話を切った後、私は窓の外を眺めた。自分の作品がドラマになり、しかも脚本まで手がけられるなんて。そして主題歌を歌ってくれるアイドルの方々とも初めてお会いできる
少し緊張するが、楽しみでもあった。
ロズの視点
「おはよう、ロズ!今日はマネージャーから重要な話があるって」
蓮が興奮気味に僕に近づいてきた。いつものレッスンスタジオで、僕たちは朝の準備運動をしているところだった。
「重要な話?」
首を傾げていると、マネージャーの佐藤さんがスタジオに入ってきた。
「みんな、おはよう。今日は本当に素晴らしいニュースがあるんだ」
佐藤さんの表情は明らかに嬉しそうだった。
「実は、とあるミステリードラマの主題歌のオファーが来ているんだ。しかも、原作は人気の小説で、きっとロズも知ってると思う」
僕の心臓が跳ね上がった。
「どの小説ですか?」
「『月夜の密室』だよ。作者は、ええと...」
佐藤さんは資料を確認するが、作者の名前を読み上げる前に僕の声が被る。
「え!?月夜の密室って、ととさん!?!?」
思わず大声を出してしまった。『月夜の密室』それはととさんの処女作で、僕が初めて読んだととさんの作品だった。あの衝撃的な読書体験を与えてくれた、記念すべき一冊。
「知ってるの?」
翔太が驚いたような顔で僕を見る。
「知ってるも何も...僕の人生を変えた本です」
メンバーたちは僕の様子を見て、クスクス笑い始めた。
「ロズの『例の作家さん』の本なんだ」
「すごい偶然だね!」
僕は興奮で手が震えていた。ととさんの代表作がドラマ化される。しかもその主題歌を僕たちが歌える。こんな幸せなことがあるだろうか。
「それで、来週脚本家の方との打ち合わせがあるんだ。しっかり準備しておいてくれ」
佐藤さんはそう言って資料を僕たちに配った。僕は資料に目を通しながら、胸の高鳴りを抑えきれないでいた。脚本家がどなたかは分からないが、きっととさんの世界観を大切にしてくれる方だろう。原作への愛情を込めて、最高の主題歌を作らなければ。
その時、僕は気づいていなかった。メンバーたちが互いに意味深な視線を交わしているのを。
一週間後。
「今日はよろしくお願いします」
僕たちFlowersは、制作会社のオフィスの一室で脚本家の方をお待ちしていた。部屋は明るく、大きなテーブルが中央に置かれている。資料や台本が整然と並べられていて、いかにも仕事場という雰囲気だった。僕の胸は期待と緊張で高鳴っていた。ととさんの『月夜の密室』をどのような形でドラマ化してくれるのか。脚本家の方はどんな人なのか。
「失礼します」
ドアがノックされ、一人の男性が入ってくる。細身で背が高く、少し癖のある髪をしていて、23歳である僕とは違いかなり年上の方。多分、三十後半だと思う。穏やかそうな表情で、どこか知的な雰囲気を漂わせている。シンプルで上品な服装がよく映えていた。
「初めまして、今回脚本を担当させていただく——」
男性は僕たちの前に立つと、深くお辞儀をした。
「ととです」
その一言に、時が止まったような気がした。
だって、え?今、何て言った?ととって...ととさん?僕の頭の中で、パズルのピースが音を立てて嵌まっていく。脚本家の名前がととさん。原作者もととさん。そして目の前にいるのは——
「え、ええ!?」
______
声にならない声が出た。僕は椅子から立ち上がりそうになって、ガタガタと音を立てて慌てて座り直す。ととさんだ。本物のととさんが目の前にいる。僕が何年も憧れ続けてきた、愛し続けてきた作家のととさんが、今、僕の目の前にいる。
「あ、あの...」
震え声で何かを言おうとしたが、言葉が出てこない。心臓が爆発しそうだった。そんな様子を気遣うようにととさんは、「どうされました?」と心配の声をかけてくれる。その優しい声、その表情。全部が夢みたいだった。
「……僕、ととさんの大ファンなんです!」
思わず口から出た言葉に、僕自身が一番驚いた。しまった、いきなり何を言ってるんだ。これで引かれたらどうするんだよ。でもととさんの表情を見ると、驚くどころかぱあっと笑顔になり、僕の手を掴んで握手してくれた。
「僕のファンなんだ。こんなすごい子が僕のファンだなんて、嬉しいな」
ととさんは本当に嬉しそうにしている。その笑顔を間近で見ることができて、さらには握手まで。僕はもう何がなんだか分からない。メンバーたちは僕の様子を見て、苦笑いを浮かべている。きっとまた「完全にファンの顔してる」と言われるだろう。でもこんな状況、仕方がないだろ。
「ロズはととさんの本を全部読んでるんです。特に『月夜の密室』は何度も読み返してます」
苦笑しながらも、蓮が助け船を出してくれた。
「そうなんですか。それは嬉しいですね。実は『月夜の密室』は僕の処女作で、特に思い入れが深い作品なんです」
ととさんが僕の方を向いて話しかけてくれる。あの、SNSでいつも見ている文体そのままの、優しくて丁寧な話し方だった。
「はい...僕、あの本で人生が変わったんです」
僕は必死に冷静を装おうとしたが、声は震えていた。
「そんなふうに言ってもらえると、作家冥利に尽きます」
ととさんの笑顔が輝いて見える。僕はこの瞬間を一生忘れないだろう。
「それでは、早速お仕事の話をさせていただきましょうか」
ととさんが資料を取り出すと、僕は慌てて気持ちを仕事モードに切り替えようとした。でも無理だった。目の前にととさんがいるのに、どうやって集中すればいいのか。
「今回のドラマ化にあたって、僕なりに原作の世界観を大切にしつつ、映像作品として新しい魅力も加えたいと思っています」
ととさんが説明を始める。その声を聞いているだけで、僕の心は浮き立った。
「主題歌についても、作品のテーマに合ったものを一緒に作り上げていけたらと思います。どんな楽曲にしたいか、皆さんのご意見も聞かせてください」
僕は必死に頭を整理しようとした。これは仕事だ。プロとしてしっかりやらなければならない。ととさんの大切な作品を預けてもらえるのだから。
「僕たちも『月夜の密室』の世界観をとても大切に思っています。特に、あの緊張感と最後の切ないような安堵感を音楽で表現できればと思います」
なんとか言葉を絞り出した。するととさんの目が輝いた。
「まさにそれです!あの複雑な感情の変化を音楽で表現していただけたら...きっと素晴らしい作品になりますね」
ととさんが僕の意見に共感してくれている。信じられない。
「それから、登場人物の心理描写についても...」
話が進むにつれて、僕は徐々に落ち着いてきた。ととさんの作品への愛情と、音楽への理解の深さが伝わってきて、純粋に仕事として向き合うことができるようになった。
でも、時々ととさんが笑うと、やっぱり心臓が跳ね上がった。
「今日は本当にありがとうございました」
打ち合わせが終わり、ととさんが立ち上がった。
「こちらこそ、ありがとうございました。皆さんとお仕事できること、本当に楽しみです」
ととさんが僕たちに向かってお辞儀をする。
「あ、あの...」
僕は思わず声をかけた。
「今度、もしお時間があるときに...作品についてもっと詳しくお話を聞かせていただけませんか?」
ととさんは嬉しそうにうなずいた。
「もちろんです。僕の方こそ、皆さんの音楽についてもっと知りたいです」
部屋を出る時、僕は振り返ってもう一度ととさんを見た。
夢じゃない。本当にととさんと会えたんだ。しかも一緒にお仕事することになったんだ。
エレベーターに乗ると、メンバーたちが一斉に僕を見た。
「ロズ、大丈夫だった?」
「途中で倒れるかと思ったよ」
「でも最後はちゃんと仕事してたね」
僕は大きく息を吐いた。
「信じられない...本当にととさんと会えたんだ」
「そして君の推しと一緒にお仕事することになったんだよ」
翔太がからかうように言うが、今の僕にはそんなことはどうでもよかった。
ととさんと会えた。ととさんと話せた。ととさんと一緒に音楽を作ることになった。
これ以上の幸せがあるだろうか。
でも同時に、これからがとても大変だということも分かっていた。ととさんと一緒にいて、果たして僕は正常でいられるのだろうか。
プロとして、ファンとして、どうバランスを取っていけばいいのか。
考えるべきことはたくさんあったが、今はただ、この幸せを噛みしめていたかった。
#第4話 行ったり来たり
それから数回の打ち合わせを重ねて、僕はととさんとの仕事にも慣れてきた。ととさんは本当に優しくて知的で、しかも僕たちの意見をいつも真剣に聞いてくれる。37歳という年上の大人の余裕というか、包容力があって、23歳の僕なんかが緊張していても、自然に話しやすい雰囲気を作ってくれる。
「主題歌の歌詞についてなんですが...」
「はい、どんなことでも」
いつものように穏やかに答えてくれるととさん。僕はこの瞬間がたまらなく好きだった。
でも、仕事の話はできても、個人的にお誘いするのはまた別の話だった。
打ち合わせが終わって、メンバーたちと一緒に会社を出る時、僕はいつも思う。今度、二人で飲みに行きませんか、って言えたらどんなにいいだろう。でも、23歳の僕が37歳のととさんを誘うなんて、おこがましいんじゃないだろうか。
「ロズ、また例の表情してるよ」
翔太が苦笑いで僕を見る。
「どんな表情?」
「『ととさんを個人的にお誘いしたいけど勇気が出ない』っていう表情」
完全に見抜かれていた。
「そんな顔してないよ」
「してるって。もう何回目?その表情見るの」
蓮も呆れたような顔で僕を見ている。
「だって...僕みたいなのが、ととさんをお誘いするなんて...」
「年上だから?でもととさん、そんなに堅い人じゃないじゃん。すごく気さくだし」
「それはそうだけど...」
僕がうじうじしていると、翔太が突然僕のスマホを取り上げた。
「ちょっと!何すんの、」
「これを〜こうして〜」
翔太は慣れた手つきで僕のスマホを操作し始める。
「おいおい待て待て、返せ!」
慌てて取り返そうとするが、翔太は僕から逃げながらスマホを操作し続ける。
「よし、送信!」
「ちょ、何し……」
やっとスマホを取り返して画面を見ると、ととさんとのLINEに新しいメッセージが送られていた。
『お疲れさまでした!今度お時間がある時に、お食事でもいかがですか?』
「翔太!何してくれてるの!?」
「まあまあ、大丈夫だって」
大丈夫じゃないだろ!主に僕が!やいのやいのと騒いでいるうちに、既読マークがつく。しまった。僕は頭を抱える。ととさんが読んでる。今、リアルタイムでととさんが僕からのメッセージを読んでる。
そして数秒後、返信が来た。
『お疲れさまでした。ぜひ!いつがよろしいですか?』
「え...」
あっさりとしたOKの返事だった。
「ほら、全然大丈夫じゃん」
確かにそうだったけど。なんか違うだろ!ととさんは快く誘いを受けてくれた。
『来週の金曜日はいかがですか?』
震える手で返信を打った。
『大丈夫です。どちらがよろしいですか?』
『△△の方で居酒屋を予約しますね』
『ありがとうございます。楽しみにしています』
やり取りを終えて、僕は改めて現実を受け入れた。
ととさんと二人で飲みに行く。夢のような話が現実になった。
金曜日——
「いらっしゃいませ」
新宿の小さな居酒屋で、僕はととさんと向かい合って座っていた。個室のような半個室で、周りを気にせず話ができる環境だった。
「お疲れさまでした。今日はありがとうございます」
ととさんがビールを注文して、僕も同じものを頼んだ。
「こちらこそ、お忙しい中時間を作っていただいて」
僕は緊張でガチガチだった。仕事の打ち合わせなら慣れたけれど、プライベートで二人きりなんて初めてだ。
「「乾杯」」
グラスを合わせて、僕はビールを一口飲む。
「美味しいですね」
「ここ、よく来るんです。静かで話しやすくて」
ととさんは本当にリラックスしていて、自然体だった。37歳の大人の余裕というか、こういう場に慣れているんだろう。反対に僕は、緊張で手汗をかいていた。何を話せばいいのか分からない。
「ロズさんは、普段どんなことをして過ごしてるんですか?」
ととさんが話題を振ってくれた。
「えーっと...レッスンとか、メンバーと遊んだりとか...あとは読書ですね」
「読書!どんな本を読むんですか?」
「主に...ととさんの本です」
正直に答えると、ととさんが嬉しそうに笑った。
「僕の本ばかり読んでたら、視野が狭くなっちゃいますよ」
「そんなことないです!ととさんの本は何度読んでも新しい発見があるし...」
話が弾んできて、僕は少し安心した。でもまだ緊張は解けない。
「もう少し飲みませんか?」
僕は自分からビールのおかわりを頼んだ。アルコールの力を借りて、もう少しリラックスしたかった。
でも、僕は大事なことを忘れていた。……僕はお酒に弱いということを。案の定、二杯目のビールを半分ほど飲んだ頃、僕の頭はふわふわしてきた。
ぼんやりする視界に、異変に気づいたととさんが顔を覗き込んで声をかけてくる。
「ロズさん、大丈夫ですか?」
「あ、はい...ちょっと、お酒弱いみたいで...」
「無理しないでください。お水飲みましょう」
ととさんが店員さんを呼んで、お水を頼んでくれる。優しい。本当に優しい。溶けた意識でも僕の視界ははっきりと、ととさんの輪郭を捉えていた。
「ととさん...」
「はい?」
アルコールが僕の理性を溶かしていく。目の前にいる推しの存在に耐えきれず、僕は溢れきれんばかりの愛を口にしてしまった。
「好きなんです...いや、好きって言うか...ほんとに...ほんとにととさんのファンで...」
気づけば止められず、僕の口は勝手にととさんへの愛を語っている。曖昧な意識の中で、今ととさんどんな顔してるんだろうって見てみたら、すっごく微笑ましい顔して、でもちょっとどこか照れた表情が、愛おしかった。照れるなぁ、だなんて言って首に手を回す仕草が可愛い、と思った。
「はは、なんだか本当に照れ臭いな。君みたいな若い子が私のファンだなんて」
「ただのファンじゃないです……ガチ恋です……」
……沈黙。僕今、え?今、何て言った?
「こんなすごいアイドルの方に……私なんかを好きになってもらえるなんて、本当に嬉しいです」
ととさんはニコニコしながら、まったく動じることなく僕の話を聞いてくれていた。そして自分のお酒をゆっくりと飲んでいる。何か、何か話題を変えないと、なぜか直感的にそう思った。
「ととさん...全然酔わないんですね...」
「私、お酒強いんです。ロズさんは本当にお酒弱いんですね」
「すみません...でも、ととさんと飲めて...すごく嬉しいです...」
時計を見ると、もう11時を過ぎている。
「そろそろお時間が遅いですし、今日はこの辺りにしましょうか。マネージャーさんにお迎えをお願いしましょう」
そう言うと、ととさんが僕のマネージャーの佐藤さんに電話をかけてくれる。電話をかけるだけの姿でさえ様に見えて、目が離せない。電話の向こうで、佐藤さんが何か言っているのが聞こえる。でも、僕の意識はとっくに蚊帳の外でほとんど何も聞き取れない。
ととさんが電話を切ると、僕に向き直って声をかける。
「大丈夫ですか?気分悪くないですか?」
「はい...ととさんが一緒だから...大丈夫です...」
僕はもうろうとした意識の中で、ととさんの優しさを感じていた。その後肩を貸してもらった気がするけど、ほとんど覚えていない。
翌朝。酷く痛む頭を抱えながら僕は自分のベッドで目を覚ます。頭が割れるように痛む。昨日は、確かととさんと居酒屋に行って、それから、
「あ……ああ!?」
全部思い出した。僕は恋してるって言った。ガチ恋だって言った。やらかした。布団の中で悶絶するが、時はもう過ぎ去っている。なんてことを言ってしまったんだ!!!ととさんに引かれただろうか、もう仕事も気まずくなってしまうかもしれない。とにかく、今は謝罪しないと。僕は慌ててスマホを取り出して、謝罪文を送る。
『昨日は本当に申し訳ありませんでした。お酒に酔ってしまって、失礼なことをたくさん言ってしまいました。深くお詫びいたします』
すぐに既読がつき、返信が来た。
『おはようございます。全然気にしないでください。とても楽しかったです。またお時間がある時にぜひ』
『体調は大丈夫ですか?無理しないでくださいね』
思いの外、ととさんは全く怒っていなかった。それどころか、また食事の機会があるときた。よ、良かったぁ〜……。僕は安堵のため息をつく。
やっぱりととさんは優しい人だ。僕の酔った戯言を、単純にファンの熱烈な想いとして受け取ってくれたんだろう。でも同時に、ちょっぴり複雑な気持ちも芽生える。この反応は僕の想いがととさんには届いていないということになる。当たり前だ。37歳の立派な大人の男性が、23歳のアイドルの男の子を相手にするわけがない。
でも、それでもいいはずだろ。ととさんと友達になれただけで十分。これからも、この関係を大切にしていこう。
『ありがとうございます。またよろしくお願いします』
短い返信を送って、僕は携帯を置いた。




