目覚めの朝
詩乃が意識を取り戻したのは、事故からちょうど二週間目の朝だった。
蒼はいつものように、病室の椅子で詩乃の手を握り、うつらうつらしていた。
モニターの音が、いつも通り規則正しく響く。
看護師の足音が近づき、「詩乃さんの……!」という小さな驚きの声。
蒼は飛び起きた。
詩乃の目が、ゆっくりと開いていた。
焦点の合わない瞳が部屋をさまよい、やがて蒼の顔に止まった。
「……蒼、さん……?」
弱々しい、
かすれた声。
でも、確かに詩乃の声だった。
蒼は言葉を失った。
涙が溢れた。
手が震えた。
「詩乃……詩乃!」
詩乃は力なく、でも確かに微笑んだ。
蒼は看護師が駆けつけるのも構わず、詩乃の手を両手で包み、額を押し当てた。
「よかった……本当に、よかった……」
医師の診察後、詩乃は少しずつ話せるようになった。
まだ声は弱く、体はほとんど動かない。
でも、意識ははっきりしていた。
蒼がベッドサイドに座り、詩乃の手を握ったまま何も言えずにいるのを見て、詩乃が先に口を開いた。「……ごめんね、心配、かけたね」
蒼は首を激しく振った。
「謝るな……俺がもっと早く、君を……」
詩乃は弱々しく、でも優しく蒼の言葉を遮った。
「あの夜の話、ちゃんと覚えてるよ。
蒼さんが、凛さんのこと私に話してくれたの。
忘れたくないって、怖がってるって、全部。
……あんな話を聞いた後に、私があなたを置いていく訳が無いでしょ」
蒼の目から、また涙がこぼれた。
詩乃は力を振り絞って、蒼の手をぎゅっと握り返した。
「……私はずっと、あなたのそばにいるから。凛さんのことも忘れなくていい。
私、蒼さんが凛さんを愛してたこと、ちゃんと受け止める。
だから、一緒に新しいページ作ろう?」
蒼は声を上げて泣いた。
長い間抑え込んでいた、喪失の恐怖、忘却の不安、愛したいのに愛せない苦しみ。
すべてが詩乃の言葉に優しく溶かされていった。
「詩乃……ありがとう。俺、もう逃げない。君をちゃんと愛する。凛の分まで幸せにする」
詩乃は涙を浮かべて微笑んだ。
「あいしてる、蒼さん」
蒼は詩乃の手にそっとキスをした。
「俺も、愛してる。ずっとそばにいる」
病室の窓から、春の陽射しが二人を優しく包んだ。
蒼のトラウマは完全に消えたわけじゃない。
時々、不安がよぎるかもしれない。
でも、詩乃がいる。
詩乃が、「そばにいる」と言ってくれた。
それが蒼にとっての、最大の救いだった。
凛の記憶は、優しく胸に残ったまま。
新しい愛がその隣に、静かに、温かく灯った。
蒼はもう、失うことを怖がらない。
愛することを選んだ。
詩乃は、蒼のそばでゆっくりと回復していく。
二人はありふれた、でも誰よりも温かな日常を、これから一緒に紡いでいく。




