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27 森の賢者と蛍の夜


「なんて綺麗なんだろう……」



目の前に広がる光景を前にして、エドワードは驚きに目を瞠(みは)った。


暗闇の中を飛び交う無数の光。

その一つ一つが生き物の放つ光だなんて――


蛍と言う名前の虫のことは、幼い頃に本で読んで知っていた。

だが、実際に目で見るのはこの時が初めてだったのだ。




今日は蛍が見頃ですよ、とルルに誘われてこの水辺にやって来た。

ルルが言うには、蛍には特に美しく見える夜があるのだそうだ。


新月の夜であること。

蒸し暑く、風が無いこと。

それから、蛍(・)モ(・)ド(・)キ(・)と呼ばれる、淡く光る妖精の子供がいないこと。

騒がしい蛙や夜にだけ鳴く鳥が留守にしていること。

そんな様々な条件が重なると、蛍はいつもよりも何倍も美しく輝くらしい。



闇の中を流れていく川のせせらぎに沿って、ふわふわと飛び交う無数の蛍。

淡い緑を帯びたその光は、静かに明滅を繰り返している。


最初はバラバラだった瞬きが、呼吸を合わせるかのように段々と揃い始める。

そのまま目を離さずにいると、ある時に一斉にぴかりと強い光を放つ。


エドワードは瞬きをするのも忘れ、夢中でその光景に見入っていた。



(あれは、何だろう。蛍の光とは違うような……?)



仄かに明滅する光の中、片時も陰ることの無い光が二つある。

目を凝らしてみると、それは何かの生き物の目のようだった。



「ルル、あそこにいるのは何だい?」

「ああ、あれは梟(フクロウ)ですよ」



ルルが梟(フクロウ)だと言ったそれが、ゆっくりとこちらに近づいて来る。

初めは目だけしかわからなかった。

だが近づくにつれ、闇の中にぼんやりとした白い人影が浮かび上がる。


真っ白な髪を後ろで緩く一つに結んだ、背の高い青年だった。

明らかに顔の大きさに合っていない大きな丸い眼鏡。

その奥に見える瞳は、角度によっては金色にも見える琥珀色だった。

聖職者のような白いローブを着ていて、右手には火が入っていないランタンを持っている。



「久しいな、森の魔女殿。今宵は使い魔だけでなく、人の子も一緒なのだな」


「こんばんは、ストリクス。蛍が美しい夜なので、こうして皆で見に来たの。エドワード様、彼はリドフォードの森の賢者、梟(フクロウ)のストリクスですわ」



(梟(フクロウ)……? この青年が……?)



俄かには信じられないが、ルルは目の前の彼を梟だと言う。

だが、ヴィクターのように人型になれる生き物もいるではないか。

エドワードはそのことを思い出し、この梟もおそらくそのようなものなのだろうと思った。



「お初にお目にかかります。私の名はエドワード。先日、己の至らなさから姓を失いましたため、名のみをお伝えすることをお許し下さい」



エドワードはそう言って丁寧に頭を下げた。

これはエドワードが人外の者に出会った時にするお決まりの挨拶だ。


かつて王宮で家庭教師から叩き込まれた知恵。


『エドワード』と名のみを伝えた場合、それが全てではなかろうと訝(いぶか)しがられることがあるかもしれない。

人外の者は特に、名前の持つ色や香りに敏感だ。

全てを明かす気が無いのだと思われ、無駄に反感を買うことの無いように注意しなければならない。



「ほほう、これはこれは。今時では珍しい正(・)し(・)い(・)挨(・)拶(・)の(・)口(・)上(・)じゃな。いやはや実に結構なことだ」



ストリクスと呼ばれた青年は、目を細めて満足そうに頷いた。


その若々しい姿には似つかわしくない、老人のような口調。

もしかしたら彼は、自分の想像よりも遥かに年をとっているのかもしれない。



「お初にお目にかかる。我が名はストリクス。森の魔女殿や使い魔殿とは長い付き合いになる」


ストリクスもまた、丁寧に頭を下げた。

彼の言葉や仕草からは、エドワードを好ましく思っていることが見て取れる。



「其方(そなた)は先程から随分と熱心に蛍達を見つめておったようだのう」


「ええ、あまりの美しさに目が離せなくなってしまいました。蛍を見るのは初めてですが、これほど綺麗なものだとは」


「ほっほっほ、これはこれは。妙に蛍達が張り切って光っていると思ったら、其方のせいだったようだ」


エドワードの答えに、ストリクスは可笑しそうに笑った。



「皆、張り切った甲斐があったのう。この人の子は、お主達の光をこの上なく美しいものと褒めておるぞ」


ストリクスの声に応えるかのように、蛍の光が一層強くなった。

それはまるで夜空に輝く星々のように。



「其方の感情は、極上の糧(かて)となったようだのう。こんなにも嬉し気に輝くとは」


そう言うストリクス自身も、満面の笑みを浮かべ、この上なく嬉しそうに見える。


「我が眷属に変わって礼を言う」

「……眷属、ですか?」

「蛍は梟の眷属だ。そんなことも知らないの?」


ヴィクターが、少し呆れたようにそう言った。



「皆の者、集まり来て我が手元を照らせ」



ストリクスがそう言って、右手に持ったランタンを高く掲げた。

すると、思い思いにそこかしこを漂っていた蛍達が一斉に集まって来た。


蛍達がまるで吸い込まれるかのようにランタンの中に入り込んでいく。

その輝きは最早、昼間のような明るさになっていた。



「ほっほ。これはこれは随分と張り切って集まって来たものよのう。だが、これほどの明かりでなくとも、いつものように手元の文字が読める程度でかまわないのだよ」


まるで老人が可愛がっている孫に話しかけるような優し気な声。

エドワードは、蛍がストリクスの眷属だということが腑に落ちた。


蛍は何匹かを残して再び川辺に散っていく。

ふと見ると、ストリクスの手元のランタンは、暗い夜に読書をするのに十分な程度の仄かな明るさになっていた。



「健気な人の子よ。其方にささやかながら祝福を授けよう」



ストリクスはそう言って一歩前に進み出た。

燐光の緑の瞳がエドワードの青い瞳を覗き込む。



「其方は先程、姓を失ったと申しておったが……血というものは、呪いのようなものだ。どれだけ拒もうと運命は見逃してはくれまい。そして、其方が望むと望まざるとにかかわらず、あるべき所へと押しやられることもあろう。だからといって、それを受け入れるか、それとも受け入れずに他の道を全うするかは其方の自由だ」



優しい声で、言い聞かせるようにストリクスは言った。



「この蛍達は、己の意思とは関係なく闇を照らすという宿命を持って生まれて来た。だが、どこで何の為に光るのかを決めるのは彼ら自身だ。其方を縛る『血の宿命』も、同じようなもの。呪いのようなものとして闇夜に光るか、それとも自ら望んで誰かの行く道を照らす灯火(ともしび)となるか。はたまたそこから逃れ、新たな使命に身を輝かせるか。それを決めることができるのは、誰でもない其方自身のみ。……だが、急ぐことは無い。ここは俗世の理(ことわり)の届かぬリドフォードの森。まずはゆっくりと傷ついた身と心を癒すがよい」



乾いた砂地に降った雨粒のように。

ストリクスの言葉がエドワードの心の奥底に沁みこんでいく。



(……ああ、これは確かに祝福だ)



「お言葉を、ありがとうございます」



エドワードはほんのりと温かくなった胸に手を当てて、森の賢者に向かって恭しく頭を下げた。


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