26 メレンゲの作り方とオレンジの香り
「まるで魔法だ⋯⋯!」
小麦の粉、ニワトリの卵、砂糖に菜種油、それから牛の乳。
作業台の上に乗せられたそれらの材料を眺めながら、エドワードが目をきらきらと輝かせながら呟いた。
「これが、あの美味しいケーキになるなんて⋯⋯ルルはなんて凄いんだろう」
火加減を確かめるために身を屈めてオーブンを覗き込んでいたルルは、そんなエドワードの言葉を聞いて嬉しそうに微笑んだ。
「まあ! エドワード様は褒め上手ですね。そんなエドワード様のためにも、とびきり美味しいケーキを作らねばなりませんね!」
ルルはそう言いながら卵を割り、黄身と白身とを丁寧に分けた。
どろりとして透き通った白身を、泡立て器で切るようにかき混ぜる。
すると、空気を含んだ白身がだんだんと白く濁っていく。
ルルは途中で何回かに分けて砂糖を加えながら、シャカシャカと軽やかな動きで泡立て続ける。
「ルル、腕が疲れない? 変わろうか?」
「まあ! エドワード様は本当にお優しいですね。でも、大丈夫ですよ」
ありがとうございます、とお礼を言いつつ、ルルは泡立て続けている。
その様子を見ているうちに、エドワードはふと、あることを思いついた。
「ルル、その作業は魔法ですることはできないの?」
ルルは森の魔女だ。
普段からエドワードが驚くような素晴らしい魔法を使いこなしているルルなのに、何故こんな手の疲れる単調な作業を魔法を使わずにこなしているのだろう。
何か特別な理由があるのだろうか。
エドワードはそんな風に思ってルルに聞いてみたのだ。
「ふふ。もちろん、魔法で泡立てることもできますよ」
そう言ってルルは泡立て器から手を離す。
ルルの手から離れた泡立て器は、ルルがその手で動かしていた時と同じように、一定の速さでクルクルと動き続けている。
「でも、自分の手でやりたいんですよ。だって面白いじゃないですか。魔法を使わずに、魔法と同じことができるんですよ?」
ね、と笑顔で同意を求めて来るルルに、エドワードは少し困ったような表情になる。
「そういうものなんだ」
「ええ、そういうものなんです」
再び手に掴んだ泡立て器をシャカシャカと動かしながら、ルルはにっこりと微笑んだ。そして。
「これは随分と昔のことなのですが」
そう前置きをして始まった昔話に、エドワードは耳を傾ける。
――昔々。
本当にかなり昔。
ルルには魔法が全く使えない時期があった。
生まれた時から有り余るほどの魔力を持ち自由に魔法を使いこなしていたルルは、自分が魔法無しでは何もできないことを知り、愕然とした。
水は桶で泉から汲んでこなければならないし、火も火打石と藁で時間をかけて起こさなければならない。
地面も自分の手で道具を使って掘り起こさなければならず、草花も、種から育てないと花を咲かせることができない。
それまでのルルが想像もしなかったことばかりの不自由な生活。
だが、ルルは困ったり、絶望したりしながら、それでもちょっとだけ楽しみながら生活していく技術を身に着けていった。
そうして、普通の人間なら当たり前にできることを苦労して身に着けていくうちに、少しずつ魔力が戻って来たのだと言う。
「すっかり元のように魔法が使えるようになった今でも、たまにはこうして苦労して何かをやってみたいと思う時があるんですよ」
ルルの抱えた入れ物の中で、透き通っていたはずの白身はすっかり雲のように真っ白になっていた。
掬い上げた泡の塊が、尖った角のように立ち上がった後でゆっくりと崩れていく。
それを見たルルはうんと一度だけ頷いた。
そして、エドワードに向かって、こうなったものをメレンゲと呼ぶのだと言った。
「メレンゲか……これなら魔法を使えない私にもできそうだ」
「だめだめ、エドワードは不器用なんだから。卵が飛び散って入れ物の中身が少なくなっちゃうよ」
「まあ、ヴィクターったら。意地悪なことを言ってはだめよ」
そう言いつつ、ルルはもう一つの入れ物の方もくるくると混ぜ始める。
こちらには黄身と砂糖、菜種油、牛の乳が入っている。
よく混ざったのを確かめると、ふるいで篩った小麦の粉も入れ、さらによくかき混ぜる。
そこに先程のメレンゲを少し入れ、軽く木べらで混ぜ合わせた。
「一度に入れてしまわないんだね?」
「はい。泡が壊れてしまわないように、三回に分けて混ぜるのがコツなんですよ」
「それが……コツなんだね」
「はい」
黄色い生地と真っ白なメレンゲが混ざり合い、全体的にふわふわとした生地ができあがると、ルルはそれを丸いケーキ型に流し入れた。
最後にルルが流し入れた型のふちを持って、素早く揺らしたり台にトントンと打ち付けたりしているのを見て、エドワードは不思議そうな顔をした。
「それは魔法? それとも、それもコツ……なのかな?」
「ふふっ、これは表面を平らにしながら、中の空気を抜いているんですよ」
「空気を抜くの?」
「ええ」
ルルは、こうすることでケーキの中にぽっかりと大きな穴が開くのを防ぎ、しっとりふわふわとしてきめ細やかなものに焼き上がるのだと言った。
あらかじめ火を入れてあったオーブンにケーキの型を入れ、しばらく待つ。
「火加減は絶対に失敗したくないので、魔法を使うことにしますね」
そう言ってオーブンに向かって翳したルルの手のひらから、淡い金色の光が溢れ出す。
それはオーブンの周りを覆うように広がり、一瞬きらりと瞬いてから消えた。
ここからしばらくは、ケーキが焼き上がるのを待つばかり。
ヴィクターはケーキと一緒に飲むためのお茶を用意し始め、エドワードはケーキを乗せる皿とフォークを、食器棚から慎重に出してきてテーブルに並べる。
ルルはケーキに沿えるためにオレンジを薄く切っている。
爽やかな香りが鼻先にふわりと漂ってくると、エドワードは思わず目を閉じて大きく息を吸った。
魔法を使っても使わなくても。
ルルの作るものは何だって美味しい。
ふと思ったその言葉を、エドワードは言いかけて止めた。
そんなことを言おうものなら、ヴィクターに何を当たり前のことを言っているのだと呆れられてしまいそうで。
いそいそとアルジェンの瓶を持ち食卓に運ぶヴィクターを見ながら、エドワードはもう一度大きく息を吸いこみ、オレンジの香りを楽しんだ。




