4.夜のバルコニーで
部屋の中を窓から漏れる月明かりだけが照らしている。
ベッドに入ってからおそらく半刻が過ぎたが、なかなか寝付けずにいた。
(…………いよいよね。)
明日から学院に復帰する。
ついにリリーと対面することになる。王太子とも顔を合わせるかもと思うと、そちらも頭が痛いが、今は何よりもリリーだ。
あまりの緊張に、胸がずっとざわざわして落ち着かない。
(うまく、やれるかしら。)
敵はリリーだけじゃないのだ。
リリーを探る為にも、リリーに警戒されるわけにはいかない。
だからこれまでと態度を変えることなく、親友として振る舞わなければ。
『ジュリエッタのお馬鹿さん。』
あの時の、悍ましいリリーの笑みを思い起こせば、激しい憎悪が込み上げてくる。
それが、今の私の原動力だ。
(うまくやれるか、じゃない。やらなきゃいけない。)
そうでなければ、また家族も自分も守れないことになる。
ゆっくりと身体を起こして、ベッドからおりて窓際へと近づく。
バルコニーに出ようと窓を開け放つと、心地よい夜風が私を包み込んでくれた。
手すりに手をついてその風に吹かれていると、不意に横から声がした。
「眠れないのか。」
声の方を向くと、義兄が普段よりもラフな格好で隣の部屋のバルコニーに佇んでいた。
(びっ……くりした……。)
まさかこんな所で義兄と出くわすなんて。バクバクと音を立てる胸に手を当てて答える。
「はい。明日から久しぶりの登校なので、少し緊張してしまって……。」
「そうか。学院には、ついて行ってやることが出来ないからな……。」
義兄が考え込むような仕草をする。
私より4つ上の義兄は、この春に学院を卒業しているはずだ。
以前の義兄からは想像できない過保護な発言に、思わずクスッと笑ってしまった。
「お義兄様ったら、私は幼な子ではないんですよ?学院にくらい、ひとりで行けます。」
「だが、まだ本調子ではないのではないか?王宮から戻った後もしばらく顔色が良くなかっただろう。」
淡々とした口調で話す義兄の表情は変わらない。けれど、なぜか私には義兄が本気で心配してくれていることが伝わってきた。
心を許し過ぎてはいけないと思いつつも、そんな義兄の気遣いはやっぱり嬉しくて、何だかホッとする。
「あれは……殿下のご様子に少し動揺してしまったものですから。もう平気です。」
そう答えた後、そういえばあの時助けて貰ったお礼をまだ伝えていなかったことを思い出した。色々頭の中がいっぱいで、すっかりタイミングを失していた。
「あの時、お義兄様が来て下さって、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。それであの……何かお礼をしたいのです。」
純粋にお礼をしたい気持ちと、借りを作りたくない気持ちと半々でそう言うと、義兄は頭を横に振った。
「いもうとを守るのは当然だ。お礼をされることではない。それに……寧ろ遅かったくらいだ。そのせいでお前に怖い思いをさせてしまった。」
「そんなことはありません。私はお義兄様のお顔を見た瞬間、とても安心したのです。そして殿下にあのような態度をとってでも私を守って下さったこと、心から感謝しているのです。なので、どうかこの感謝の気持ちを何か形にさせて下さい。」
義兄の目が大きく見開く。
私はその目を黙ってじっと見つめていたが、しばらくすると義兄が口を開いた。
「……父上に、ハンカチを贈っていただろう。」
「ええ。はい、何度か贈りました。」
刺繍は貴族女性の嗜みとして必要なものだが、私はそういうこととは関係なく、刺繍が大好きで得意としていた。
数年前の義父の誕生日の時に初めて刺繍入りハンカチをプレゼントしてみたら思った以上に大喜びしてくれたので、それ以来何かと行事がある度に贈っていたのだが……。
「私にも、それを贈ってくれないか。」
義兄の言葉に、驚く。
「え……っ、そんなもので良いのですか?」
義父はともかく、義兄が私が刺繍したハンカチなど喜ぶはずがない。そう思って、前の人生でも一度もプレゼントしたことがなかった。
「"そんなもの"ではないだろう。父上に何度も自慢されたが、とても素晴らしい出来だった。」
「あ、ありがとうございます……。では、心を込めて準備しますね。」
真っ直ぐな目で見つめられて褒められて、恥ずかしさに思わず顔が熱くなる。
もじもじとしていると、義兄の目元がわずかに綻んだ。
(え……っ?お義兄様、もしかして笑っていらっしゃるの?嘘でしょう??)
月明かりの下で唐突に見せられた、あまりにも美しくレアなその表情に、せっかく少し落ち着いていた心臓が再びドキドキと大きく音を立てる。
「楽しみにしている。……夜更かしし過ぎるなよ。」
そう言うと、義兄は部屋に戻って行った。
(……お義兄様、ちょっと違い過ぎじゃない?)
もしかして……義兄も二度目の人生ってこと……あり得るのだろうか?
(そうよね……。そう思ってみれば、過去に戻ったのが私だけだとは限らないわ。もしかしたらリリーも……って可能性はあるのよね。)
そうであれば、リリーはどんな風に私に接してくるだろう?
「…………少しの違和感も、見逃さないようにしなければね。」
小さくひとりごちて夜空を見上げると、瞬く星たちの間を、星がひとつ流れていった。




