プロローグ
地下牢の中、ひとつだけある小窓から見える月をぼんやりと見つめる。
涙はもうとっくに枯れ果てた。
どんなに嘆き叫んで訴えても、私の声は届かない。
でも、ここで諦めて認めてしまったら、一族処刑は免れない。
だからどんなに絶望していても絶対に認められない。諦めるわけにはいかない。
(………………容疑が晴れない以上、どちらにせよ、お義父様とお母様には迷惑をかけてしまうわね。)
くっと唇を噛んだ。
乾燥した唇は簡単に切れて、血の味がした。
◇◇◇
私はローレンス公爵家の令嬢、ジュリエッタ。
公爵家の令嬢といっても、私は元々は伯爵家の生まれだ。
だが、5歳の頃に伯爵である父親が事故で急逝し、伯爵家は父の弟が引き継ぐことになった。父の弟には既に妻も子息も2人いた。
つまりは母と私は伯爵家にとって邪魔な存在になってしまった。
あからさまに邪魔者扱いされて追い出されるようなことはなかったが、このまま世話になり続けることはできない。
そんな時に舞い込んできてのが、同じく妻を病で亡くしたローレンス公爵との再婚の話だった。
ローレンス家は我が国にある4つの公爵家の中でも筆頭の公爵家。
そんな家門からの要請に、断る選択肢などあるはずもない。
だが、幸いにも公爵はとても優しくて暖かな方で、母のことも妻として愛してくれていたし私のことも実の娘のように大切に育んでくれた。公爵家の使用人達もそうだ。
(そんな人たちを、悲しませることになるなんて。)
公爵家での幸せな時間が、頭の中で繰り返し思い起こされる。
私が王太子を毒殺しようとして捕まったと聞いた時、彼らはどれ程の失望感を味わったのだろう。
彼らに失望されたかと思うと苦しくて苦しくて堪らない。
(私がしたんじゃない。)
(私は何も知らない。)
王宮での取り調べで何度訴えても、信じて貰えなかった言葉。
私を愛して彼らなら、信じてくれるだろうか
(あぁ……でも……、)
いつまで経っても心を開いてくれることがなかった義兄、クリストファーの冷たい黄金の瞳を思い出す。
(お義兄さまだけは「やっぱり仕出かしたか」って思っているでしょうね。)
自嘲気味に口の端を上げたその時、牢の前に人が近づいてきた。
「あぁ……っ!ジュリエッタ!どうしてこんなことに……っ!!」
アレクシオン王太子殿下の近衛兵を従えたリリーシュが、溢れ落ちそうな程に大きなターコイズブルーの瞳に涙をたっぷりと溜めて、悲痛な表情で私を見つめる。
「リリー……!」
リリーシュは私の唯一の親友だ。
公爵家に入ったばかりの頃、父親が亡くしてからずっと塞ぎ込みがちで引っ込み思案だった私を心配した義父が、自分の同級生の娘で私と同い年のリリーシュと交流を持たせたことがきっかけだった。
天真爛漫なリリーシュは、暗い世界の中で縮こまっていた私をあっという間に光溢れる世界へと救い出してくれた。
それからも私はリリーシュの存在に、ずっと助けられてきた。
アレクシオン殿下の婚約者に選ばれた後、あまりにも過酷な王太子妃教育が辛くて辛くて。
けれどもこの国の筆頭公爵家の令嬢として決して吐くことが出来なかった弱音も、何も言わなくともリリーは察して励まし続けてくれた。
そしてここ一年、アレクシオン殿下が婚約者を放置して他の令嬢に思いを寄せているという噂が学園内でも社交会でも広まり私が落ち込んでいる時も、ずっとそばで支えてくれていた。
そんな大好きな親友に駆け寄ろうとするが、手枷、足枷に阻まれて、牢の柵に指先で触れるのが精一杯だった。
リリーは少し屈むと、その指先にそっと触れてくれた。
久しぶりに感じる人の温かさに、胸がキュッと締め付けられる。
「少しだけ、ジュリエッタとふたりで話をさせてください。」
リリーがいつもの優しい声色で近衛兵にお願いする。
「しかし……」
「大丈夫ですから。」
リリーが渋い顔をする近衛兵の方に微笑みかけると、「わかりました。少し離れたところで待機します。」と近衛兵は声が聞こえないだろう距離まで後ろへ下がった。
「リリー……、信じて。私は何も知らないし、何もしてないの。」
せめてリリーにだけはわかって欲しい。
そして出来れば、家族にそのことを伝えて欲しい。
懇願する気持ちでそう訴えると、リリーは微笑んだまま頷いた。
「…………っ!信じてくれるのね……!!」
「ええ、もちろんよ、ジュリエッタ。」
「リリー…………!!!」
はらはらと瞳から涙が溢れた。
もう涙は枯れていたと思ったのに。
信じて貰えたことが、やっと私の言葉が届いたことが嬉しくて。
「…………っ。ありがとう…………リリー…………。」
「お礼を言うのは私の方よ。ジュリエッタ、罪を被ってくれてありがとう。」
ガンっと頭を殴られたような衝撃が走る。
「え…………?」
罪を…………被る…………??
聞き間違いだろうか?
溢れる涙を止められないまま、リリーの顔をじっと見つめる。
リリーは微笑んだままだ。
「最初から殿下を殺すつもりはなかったわよ。本当に死なれたら計画が崩れて困るもの。ただ、あなたに罪を被せたかっただけ。」
「何を……言ってるの…………?」
カタカタと全身が震え始める。そんな私を見て、リリーはうっとりとした笑みを浮かべまた。
「でも、まさかこんなにうまくいくなんて思わなかったわ。本当にありがとう、ジュリエッタ。大好きよ。」
ふふっと他愛もない話をしているかのように、リリーが笑う。
(誰なの…………?)
怖い。
そこにいるのは確かにリリーなのに、私が知ってるリリーじゃない。いつも可愛らしいと憧れていた笑顔も、今は不気味に見える。
「本当にリリーがやったの……!?それなら正直に自白して!!そんなのいつまでも隠せるわけがない!!」
「ふふ、心配してくれてるの?こんな時でも優しいのね、ジュリエッタ。でも大丈夫。真実が公になることは絶対にないから。」
「そんな訳ない!!今のあなたとの会話、私が全て話させて貰うから!!」
おぞましい。
リリーに触れられていた指を勢いよく離して、睨みつけた。
リリーは身体を起こして、背筋を伸ばすと私を見下ろした。
「ジュリエッタのお馬鹿さん。もう何もかも遅いのよ。」
「………………え?」
「ローレンス家は一族皆処刑されたわ。」
「!!!!!!」
サァーーーーーと全身の体温と力が奪われていく。
処刑……!?そんな………!!!
お母様!!お義父さま……!!お義兄さままで……!?
そんな…………!!!!!
「王族を暗殺しようとしたのだから、当然でしょう。」
「私は何も認めてないわ!!!裁判もこれからでしょう!?なのに、どうして…………っ」
「さて、どうしてでしょう?種明かしするには、もう時間がなさそうね。残念だわ、ジュリエッタ。」
リリーがそう言ったその時、ナイフでひと突きされたような激しい痛みが心臓を貫いた。
「が…………っ!!」
胸を抑えて、冷たい床に倒れ込んだ。
「毒が回ってきたみたいね。」
痛みに悶えながらリリーを睨みつけると、さっきまで私に触れていた指先がキラリと光ったように見えた。
遠ざかっていく意識の中、バタバタと慌ただしく近衛兵が駆け寄ってくる足音が聞こえる。
わざとらしく、リリーが声を震わせ叫んだ。
「ジュリエッタ……!ジュリエッタ……!!!」
(お母様……お義父様……お義兄さま…………。)
守れなくて、ごめんなさい。
つぅーっと涙が一筋頬を流れた。




