表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狂人ドミノ ~ひとつ倒れれば、狂気が加速する。地獄のピタゴラスイッチ。~  作者: 団田図


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/20

第12話 ハイエナの嗅覚

 かがみ浩司こうじという男にとって、「真実」とはスーパーマーケットに並ぶ精肉と同じだった。

 鮮度が重要であり、腐れば値が落ちる。そして何より、パック詰めにして誰かに売りつけなければ、ただのゴミでしかない。

 彼はかつて、大手新聞社の社会部に所属していた時期がある。だが、そこでの彼は「正義」という名の安い調味料が肌に合わなかった。

 ある企業の内部告発をスクープしようとした際、彼はその情報を記事にする前に、当該企業へ高値で売り渡した。告発者の女性がその後、絶望して電車に飛び込んだ時、鏡は新しいロレックスの重みを左腕に感じながら、「弱いのが悪い」と吐き捨てたのであった。

 以来、彼はフリーのジャーナリスト――実態は、企業ゴロまがいのゆすり屋として、東京のドブ川を泳ぎ続けている。


          *


 六畳一間のアパート。

 淀んだ空気の中、鏡は万年床の上であぐらをかき、手元にある一冊の手帳をめくっていた。

 コンビニで売っている百円の黒いメモ帳だ。表紙は手垢と油で薄汚れ、角が擦り切れている。

 ページの中身は、彼の脳内と同じように混沌としていた。

 殴り書きの文字、乱暴に引かれた赤線、そして無数の「?」と「¥」のマーク。


「……ライフ・アシスト・ロボティクス。……急速な黒字化」


 鏡はボールペンの尻をカチカチと鳴らしながら、手帳のページを睨みつけた。

 そこには、ターゲットとなる人物たちの名前が汚い字で記されている。


 『宇治木政樹』――二重丸。

 『網代真里』――波線。

 『磯野拓海』――バツ印。

 『宇治木栄子』――疑問符。


 部屋の床には、カップ麺の空き容器や発泡酒の缶が散乱し、異臭を放っている。

 ブーッ、ブーッ。

 スマホが震えた。画面には『登録外:金融』の文字。

 鏡は顔をしかめ、電源ボタンを長押しして強制的に切った。


「チッ、うるせえな。……焦るんじゃねえよ」


 彼はガムを口に放り込み、クチャクチャと噛み始めた。

 金がない。借金取りの足音はすぐそこまで迫っている。

 だが、この手帳に書かれたネタが金になれば、一発逆転どころか、向こう数年は遊んで暮らせる。

 彼の「嗅覚」が告げていた。

 この会社からは、死体と金の匂いがプンプンする。


「……さて、裏取りといくか」


 鏡は手帳をジャケットの内ポケットにねじ込んだ。

 薄汚れたベージュのジャケットには、いつ付いたかわからないシミがあり、襟元にはフケが溜まっている。

 彼はICレコーダーと安物のデジカメを掴むと、ゴミ溜めのような部屋を飛び出した。


          *


 雨の新宿。歌舞伎町の路地裏は、生ゴミと吐瀉物の酸っぱい臭いで満ちていた。

 傘も差さずに濡れそぼる鏡の前に、ジャージ姿の男が立っている。

 目が据わった、裏社会の末端構成員だ。


「……ギャラは?」

 男が短く問う。

 鏡は舌打ちをし、財布からしわくちゃの一万円札を数枚抜き取って、男の胸ポケットにねじ込んだ。

「ほらよ。これで全部だ。……で、どうなんだ? あの派遣社員、磯野拓海ってのは」


 男は札の枚数を指先で確認し、ニヤリと笑った。歯が数本欠けている。

「ああ、あの気弱そうなガキか。……『出荷』されたよ」

「出荷?」

「ああ。借金漬けにされて、北関東の解体現場か、海外の臓器ブローカーか……ま、どっちにしろ『人間』としての扱いはもう終わってる」


 鏡は手帳を取り出し、ボールペンを走らせた。

 『磯野拓海:処分済み(確度高)』


「誰がやった?」

「女だそうだ。……網代って名前の」

 男は声を潜めた。

「そのガキ、最後まで泣いてたらしいぜ。『網代さんは僕を助けてくれるはずだ』ってな。……ケケッ、傑作だよな。その女が、自分を売り飛ばした張本人だってのによ」


 鏡の手が止まった。

 背筋に走るのは恐怖ではない。歓喜の身震いだ。

 一部上場企業の清楚な女性社員が、部下を罠に嵌め、裏社会に売り飛ばす。

 完璧なスキャンダルだ。


「……へぇ」

 鏡は口元のガムを噛み潰した。

「そいつは、高く売れそうだ」


 拓海という青年の悲劇的な末路。

 だが、鏡にとってそれは「かわいそう」な出来事ではなく、「商品価値が高い」ネタでしかない。

 彼は手帳の『網代真里』の名前に、太い赤線を引いた。


「よし、次は『別モン』の方だ」

 鏡は男に背を向け、雨の夜へと消えていった。

 足取りは軽い。獲物を追い詰めるハイエナのステップだった。


          *


 深夜の総合病院。

 精神科病棟の廊下は、死のような静寂に包まれていた。

 消毒液と、古びたワックスの臭い。

 鏡は『ワンタ製薬』という偽造の名刺を使い、警備員の目を盗んで侵入していた。


 目指すは、特別個室。

 そこに、フューチャー・ケア・ストラテジー社の社長夫人、宇治木栄子が収容されている。

 鏡は音もなくドアを開け、中へと滑り込んだ。


 薄暗い部屋の中、ベッドの上にその女はいた。

 かつては宝石をジャラジャラとつけ、高飛車に振る舞っていたであろう社長夫人。

 だが今の彼女は、鎮静剤で意識を朦朧とさせられ、拘束ベルトで手足を固定されている。


「……奥さん」

 鏡はベッドの脇に立ち、ズームレンズを向けた。

 ファインダー越しに見える彼女の手。

 そこには分厚い包帯が巻かれ、まるでグローブのように腫れ上がっている。

 何か大きな手術をした後のようだ。


「週刊誌の者です。……宇治木栄子さんですね?」


 栄子は虚ろな目で天井を見つめていたが、人の声に反応してゆっくりと首を動かした。

 その瞳に光はない。深い井戸の底のような闇が広がっている。


「……しろ……い……」

 乾いた唇から、掠れた声が漏れる。


「白い? 何がです?」

 鏡はICレコーダーを彼女の口元に突きつけた。

「その手、旦那さんの会社のロボットにやられたって噂、本当ですか? 『アイギス』とかいう……」


 『アイギス』。

 その単語が出た瞬間、栄子の身体が跳ねた。

 彼女の脳裏に、鮮烈な記憶がフラッシュバックする。

 リビングに響く夫の冷たい命令。

 機械仕掛けの白い悪魔。

 その後ろに冷酷な4つの目。

 ミチミチと音を立てて潰れていく自分の指。


「いやぁぁぁぁぁっ!!」


 栄子が絶叫した。

 それは人間の声というより、罠にかかった獣の咆哮だった。

 彼女は拘束されたまま暴れ、包帯の巻かれた手を振り回そうとする。


「こないで! ごめんなさい! 私が悪かったの! 政樹さん、許して! もう折らないで! 痛い! 痛いぃぃぃっ!!」


 狂乱。

 鏡はその凄まじい悲鳴を聞きながら、思わずニヤリと笑みを漏らした。

 レコーダーのレベルメーターが、赤く振り切れて点滅している。


(……いい音だ)


 彼は心の中で快哉を叫んだ。

 妻をここまで壊したのは、間違いなくあのエリート夫だ。

 そして、その凶器は介護ロボット。

 これが公になれば、宇治木政樹は終わりだ。会社も吹っ飛ぶ。

 それを防ぐためなら、彼らはいくらでも金を出すだろう。


 廊下の向こうから、看護師たちの慌ただしい足音が聞こえてくる。

 鏡は手帳に『証拠確保』と殴り書きし、素早く部屋を飛び出した。

 背後で響き続ける栄子の悲鳴は、彼にとって勝利のファンファーレだった。


          *


 数日後。

 赤坂の高級料亭『松雲風』。

 黒塗りのハイヤーが砂利を踏む音と共に停車した。

 運転手が恭しくドアを開け、宇治木政樹が降り立つ。

 仕立ての良いダークスーツに身を包み、塵一つない革靴を履いたその姿は、成功者のオーラを纏っている。

 そのすぐ後ろには、秘書のようにつき従う網代真里。


 二人が門をくぐろうとした時、鏡は電柱の陰から飛び出した。

 数日間風呂に入っていない体から、酸っぱい臭いが漂う。

 彼はヘラヘラと笑いながら、二人の前に立ち塞がった。


「よう、ウジキサン。いい店使ってんねぇ」


 宇治木は立ち止まった。

 眉をわずかにひそめ、ハンカチを取り出して口元を覆う。

「……君は?」


「追々話しますけど、まずはこれを…」

 鏡はポケットからICレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。


『……もう折らないで! 痛い! 痛いぃぃぃっ!!』


 栄子の断末魔のような叫びが、静謐な料亭の入り口に響き渡る。

 網代が無表情のまま、瞬きを一つした。

 宇治木は動じない。ただ、冷徹な視線で鏡を見下ろしている。


「奥さん、いい声で鳴いてましたよ。……それと、磯野くんって派遣社員の話も聞きました。彼、随分と遠いところへ『出荷』されたそうじゃないですか」


 鏡は下卑た笑みを浮かべ、汚れた指先を擦り合わせた。

 クチャ、クチャとガムを噛む音が、静寂を汚していく。


「これ、記事になったらマズいですよねぇ? これからロボットを大々的に売り出そうって時に。……誠意を見せてほしいなぁ」

 鏡は手帳を開き、あらかじめ書いておいた数字を指差した。

「『協賛金』として、まずは300万ほど」


 宇治木はため息をついた。

 それは恐怖や焦りからではなく、服についた糸くずを見つけた時のような、些細な不快感の表れだった。

 彼は左腕のロレックス・デイトナに視線を落とし、時間を確認してから、ボソリと言った。


「……300万か」

「え?」

「安いな」


 宇治木の声には、感情の色がなかった。

「君の命の値段だよ」


 鏡が一瞬呆気にとられていると、宇治木はすぐに営業用の薄い笑みを浮かべた。

「……冗談だ。いいだろう。だが、ここでは目立つ。現金の受け渡しには相応の場所が必要だ」


 鏡の顔がパッと明るくなった。

 勝った。

 このエリートを、俺がねじ伏せたんだ。

 300万があれば、借金は返せる。そして、こいつらを飼い殺しにすれば、もっと毟り取れるかもしれない。

 鏡の手帳にはすでに、次の要求額として『500万』という数字が薄く書かれていた。


 宇治木は網代に目配せをした。

 網代はバッグから一枚の名刺を取り出し、その裏にさらさらと地図を書いて鏡に差し出した。


「後日、こちらの場所へいらしてください。……『特別な工場』です。そこで、ご希望のモノをお渡しします」

 網代の声は、鈴のように澄んでいた。


 鏡は名刺を受け取った。

 場所は、湾岸エリアの埋立地。

 『甲斐鉄工所』。


「へぇ、工場見学のおまけ付きか。楽しみにしてますよ」

 鏡は名刺を汚い手帳に挟み込み、上機嫌で手を振った。

「じゃ、待ってますよ。……お二人さん」


 鏡は背を向け、ガムを噛みながら雑踏の中へと消えていった。

 自分が手にしたのが、現金への引換券ではなく、地獄への片道切符だとも知らずに。


 残された宇治木と網代。

 宇治木は、鏡が立っていた場所の空気を手で払った。

「……不愉快な臭いだ」

「そうですね。ドブと、獣の臭いがします」


 網代は、鏡の背中が見えなくなった方向を見つめ、クスリと笑った。

 その瞳は、ガラス玉のように冷たく光っている。


「テスト用の検体モルモットが見つかったな」

 宇治木が静かに告げる。

「甲斐工場長に連絡を。……『最高の素材』を送ると伝えろ」


「はい。きっと工場長も喜びます。……彼なら、骨の髄まで無駄なく使ってくれるでしょうね」


 二人は夜の料亭の前で、優雅に微笑み合った。

 遠くで雷鳴が轟き、再び冷たい雨が降り始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ