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灰狼の王  作者: 葛ノ葉イナリ 


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「ウムト・カプィ(希望への扉)」

あれから俺はサルの助言通り、なるべく平静を、というよりは無気力を装って過ごした。と、いっても何も四六時中監視されているわけではないのだから、看守が食事を持ってくるときだけ、飯なんぞには別に興味もない、といった風を装っていた。

ただそれはこれまでの俺が実際そうだったのだから、特に何の不都合もない。

闘技場での試合があるときも、別に勝ち負けなんぞには興味もない、ただ行って目の前のやつを殺して帰ってくるだけ、という感じを演じていた。


そんな風に日々を過ごしていた時、世話役の老人が姿を見せて話しかけてきた。

あまり頻繁に姿を現すわけではないので、これは珍しいことだった。


「よぉ、カラ・ティグル。調子はどうだ?」

「――ふん、何の用だ。別段こっちには用事はない。さっさと消えてくれ。」

「ご挨拶だのう。あいかわらず順調に勝ち続けているようでなによりだ。ところで、最近はなんか変わったことはないか。」

老人はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、じろじろとこっちをねめつける。

いつも不気味だが、このときはよりいっそう不気味に感じた。


「――変わったことなんぞあるわけないだろ。――俺もようやくここでの処し方がわかってきたってところだ。要するに、ここでは何も考えない方がいい。それがわかるようになるまで結構時間がかかったがな。」

「へぇ、、、」

「用がないんなら、さっさと行け。別に必要なもんはないし、話し相手なんかもいらねぇよ。」

「そうか、なんか入用があるかなと思っただけだが、何もないんならいい。」

「なんもない。消えろ。」

「そうかい。じゃあな。せいぜい死なないように気をつけろよ。」

老人は特に食い下がる様子もなく、そういうとさっさと姿を消した。


――何だったんだ?まさか、何か嗅ぎつけられたか、、、

滅多に姿を見せないくせに、どうも間が良すぎる。なんとなく気味悪さを感じた。

――もっと用心したほうがいいかもしれない、、、

こういうところもこいつらの油断のできないところだ。警戒はしすぎるぐらいが無難だろう。サルのいったとおり、こういう悪党は妙に油断がならない。


サルのやつは、排水溝から下水道を使うとかいっていた。確かに牢には便所があるし、出したもんがどうやって処理されているのか、ということは俺でも考えなかったわけではない。しかし実際は小さい穴が開いているだけなので、そこから先のことはあまり深く考えたことはなかった。地下の穴に捨てられているのだろうぐらいの考えしかなかった。


しかしよく考えたら、この下に大きな穴があって、そこに貯められているのだとしても、あるいは、ある程度貯まったものを誰かが回収するにしても、ここの下にはそれなりの空間があることは確かなのだ。脱出経路を考えるときに、地上へ出るために俺の意識は上にばかり向いていて、下に行くという考えはなかった。そのあたりの発想が俺には欠けていた。

サルは現に単独での侵入と脱出は成功しているわけなのだから、そういった手はある程度は常套手段としてあるのだろう。やはり蛇の道は蛇、ということか。俺なんかでは考えつかない方法があったのだ。


いずれにしても、もはや運命はサルに委ねるしかない。俺ができること、やらねばならないことは、まず次の死合で死なないこと、できれば怪我をしないことぐらいか。


そうはいっても、俺なりに脱出の状況というのを想像してみた。

と、いうより想像せずにはいられなかった。

子供のころ、狩りに連れていってもらう前の日の晩のような気持ち。なかなか寝付けず、親父に怒られた。優しい目をした怒り顔だった。

――今の俺は、ガキの頃ような顔をしているのかな。

そんなことを想いながら、空想の中の冒険を始めた。


先ず何らかの方法で、おそらくここより下にあるだろう空間へ移動する。そこから下水道へ抜ける道があるのだろう。人一人が抜けるのがやっとの細く狭い通路を抜けるのだろうか。あるいは深い竪穴をロープを伝って降りるのだろうか。たぶんサルは下水道からここへ入ってきて、何らかの方法でこの牢のある階層まで登ってきたのだろう。普通に考えたら、彼が侵入してきた道をそのまま逆に進んで、下水道を経由して外へ脱出するということになる。


まずここから下へ行くというのがどこから、どうやって行くのか想像もできないが、逆に外から入ってきたならば、その道筋というのが見えてくるのだろう。やはり中から外へ出るということを考えるには限界がある。そう考えると外に協力者がいた、という俺は本当にツイている。ここへ入ってから随分時間は経ったが、1年ぐらいは師について剣の修業をすることもできた。そう考えれば全く無駄だったとも言えない。


――そこまで考えて、俺は自分が妙に前向きになっていることに気が付いた。

ついこの間までは、ただのゴミのように、鼠のように不貞腐れていたというのに。

なんだかやけに照れ臭くなった。




――いよいよ闘技の日が来た。

サルの言葉が確かならば、脱出を決行するのは今日。おそらく闘技が終了したその日の夜のうちに決行ということになるのだろう。あれ以降彼からの連絡はない。昨晩あたりくるのかなと思ったりもしたが、どうやらそうでもない。まあ潜入するにしても、闘技の日の当日は警備も分散するだろうし、いろいろ都合がよいのだろう。


とにかく俺のやるべきことは、脱走のことを考えて、なるべく消耗せずに、楽に勝つことだ。怪我などしようものなら目もあてられない。

そんなことを考えながら、俺は闘技場への呼び出しが来るのを静かに待っていた。


「おい、出番だ。出ろ。」

そうこうしているうちに、守衛がやってきた。彼は顔を伏せて黙々と格子扉の錠を外していた。――どうも、いつものやつとは違うやつのようだ。


「――俺の言うことに反応せずに、黙って聞け。」

いきなり彼は小声でささやいた。一瞬、なんのことか、わからなかった。

「ちょっと状況が変わった。急だが方法を変更せざるを得なくなった。」


――サルだ!守衛に成りすましていやがる。

「お前か。いったい何が、、、」

「しっ。しゃべるな。とりあえず回廊を抜けて階段に入るまでは何も話すな。階段から闘技場までの間で段取りを話す。」

とりあえず俺は何も反応せず、黙って彼に従った。

いつもそうするように、守衛に先導されて闘技場へ向かう階段のある通路まで、薄暗い回廊を何もいわずに守衛についていく。いつもの光景だ。


やがて階段へと差し掛かったところで、彼が小声で話し始めた。

「――どうも感づかれたらしい。下水道に抜ける道の警備が厳重になってる。」

「見つかったのか?」

「誰が、とかの特定はできてないみたいだ。どうやらヘタを打ったらしい。何者かが侵入した形跡がある、といったところだろうな。3日ほど前に様子をうかがいにきたが、そうなっていた。」

「世話役がカマをかけてきたよ。」

「――そうか、疑われたかもしれねぇな。まあそうなったもんは仕方がない。」

「どうすんだよ。」

「何、一応別の手は用意してある。ただし準備不足であることは否めねぇ。少々お前には大きな負担をかけることになってしまう。ただ、そもそもはお前の問題だ。なんとか頑張ってくれ。」

そういいながら後ろ手で何かを渡してきた。

「今着てるボロの替わりにそれを着ろ。今すぐだ。着替えたら今着てるもんを渡せ。」

着ているものといってもボロ布に等しい。渡されたものもまさにボロ布だ。ただし少し重い。

「見た目は同じようなものだが、そいつは中に血糊のはいった革袋が仕込んである。そこまで言ったらある程度想像はつくだろうが、お前さんには今日死んでもらう。」

「――!」

「と、いっても死んだふりだ。お前は死体となってここから出ていく。」

「――これで斬られたふりをするってわけだ。」

俺はさっさと渡された服に着替えて、今まで着ていたボロを彼に渡した。物自体はかぶるだけだからさほど手間はかからない。重さはあるがなるほどうまくできている。


「ただし、この手を使う場合、本来ならば相手役も仕込んでおくもんだ。だが今回は急だったので相手役を仕込む暇がなかった。」

「つまり、本気で殺しに来るやつを相手にして、この革袋までを斬られなきゃならないっていうことか。正気かよ。」

「まあそういうことだ。下手を打てば本当に死んでしまうことになる。」

「仮に首尾よくいったとしても、相手がとどめを刺しに来ないとも限らないんだぞ!」

「――だから、そこはもうお前にうまくやってもらうしかない。」

「――わかったよ。確かにあんたの言うとおり、これは俺の問題だ。腹をくくる。」

「そうか。それでそのあとの首尾についてだが、、、」


上の方に小さな光が見える。そこへ向かう階段をゆっくりと歩きながら、俺はサルがつぶやくように話す計画に黙って耳を傾けていた。

ここからの脱出を成し遂げて自由を手に入れるためには、いくつか死線を越えなければならないようだ。


一段、一段とゆっくり登っていくその扉の先にはいつもは絶望しかなかった。

しかし今回はいつもとは違う。希望という扉が開かれているように感じた。どんなに困難な道だとしても、楽しむことができるような気がした。


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