8.巻き込まれる嵐の予感に
「さあ、エヴァン。私が来たからにはもう何も心配ないわよ。大船に乗った気でいなさい」
腕を組み、堂々たる仁王立ちを見せる我が姉。レイチェル・マルシェルが自信満々で言い放つ。
「だから座ってくださいって。ちょうど姉上を待っていたところです」
「あら、グラントにリッツもいたのね。御機嫌よう」
「おう、お嬢ちゃんも相変わらず元気そうだな」
「お久しぶりっす、レイチェル様」
冒険者ギルド長は、一般的には名士と言われる立場の人間だ。本人の人間性はともかく。
その名士と貴族令嬢らしからぬあっさりとした挨拶を交わし、ボスン!という感じで私の隣のソファに座る姉上。
そこに優雅さなんてものは欠片も無い。
「エヴァン、私はもう落ち着いたわよ。どんな冒険が私を待っているか、早く話しなさい」
「足をバタつかせながら言っても説得力がありません、姉上」
レイチェル・マルシェル。私より四歳年上の姉だ。
父、アラニア・マルシェルには三人の子がいるが、第一子がレイチェル姉上、次が私エヴァン、そしてまだ十歳の末弟。
私は跡継ぎとして幼少の頃から領地を治めるための教育を叩き込まれた。
今にして思えば、世間でいうところの帝王学とはだいぶ違ったような気がするが、まあ我が家系はやや特殊だから気にしないようにしよう。
姉のレイチェルがまだ幼い頃に私が生まれたため、姉は早くに跡取りとしての責務から解放された。そして生来の奔放で自信家な性格と好奇心が爆裂した異端児が誕生した。
弟の私に万が一のことがあったらどうするつもりだったのかは、今となっては言っても詮無きことだ。いや、本当にどうするつもりだったんだ……。
レイチェル姉上の相手をしていては、いつまで経っても話が進まない。
私は、姉上、グラント、リッツに対し本題を話し始める。今、この応接室には我々四人とマルス、そしてお茶とお菓子の用意をしているアンナだけだ。
「皆に集まってもらったのは大事な話をするためだ。というか結論から言うと、力を貸して欲しい」
「分かったわ、エヴァン。何をするのか知らないけど任せなさい」
レイチェル姉上はとりあえず放って置く。
テーブルのグラントとリッツは対象的な表情をしている。
グラントは楽しげにニヤニヤと、リッツは苦虫を噛み潰したような顔だ。
「まあ、お嬢ちゃんほど手放しに請け負うわけにはいかねえが、エヴァンの坊主が助けろってんならできることはやるぞ」
山賊みたいな顔で嬉しいことを言ってくれる。さすがギルド長。器が大きい。
「ギルド長、内容を聞くまで安請け合いしないで欲しいっす。坊っちゃんの話次第では手が出せないこともあるっすからね」
一見軽そうに見えて、リッツはやはりしっかりしている。伊達に日頃からグラントに苦労させられてないな。
冒険者ギルドは帝国から独立した組織だ。冒険者の有志が作った互助会が発展して現在のギルドとなった。
資金援助を受けていないため、帝国中央政府もギルドに命令はできない、らしい。
実際は色々としがらみがあって、帝国の仕事も多々請けているらしいが、それでも冒険者のための組織という点は揺るぎない。
そんな組織であるから、冒険者ギルドは貴族同士の争いや権力闘争には関わらない。
過去にどこかの上級貴族が、冒険者ギルドの持つ戦力を跡目争いに利用しようと策謀を巡らせたした事があるらしいが、企みが露見してギルドに叩き潰されたらしい。
冒険と戦闘で日々鍛えられた冒険者を怒らせてはならないという教訓だな。
「心配しなくてもいい、冒険者ギルドの規範を破るような話じゃない。というよりも、まず信じてもらえるかどうかが問題だ」
私は、レイチェル姉上の方は見ずに、事の発端となった話を始めた。
「神託を受けたんだ」
二度、夢に現れた天使。
ヴェスパ湖で会った怪しい神官。
神殿建立の使命。
そして、神の力が衰えたときに起こるという生命の停滞と破滅。
一つずつ順を追って話す。
「そして、極めつけはこれだ」
私が合図すると、マルスが把手のついた硬い革のケースを持ってくる。貴重な魔導書などを運ぶときに使う魔法鍵が付いた鞄だ。
金属の鍵を錠に差し込み、魔力を流しながら回して解錠すると、中には革袋が一つ入っている。
その袋をグラントに渡し、開けて見るよう促す。
「おいおいおい、坊主。こいつは……」
「これは……、とんでもないっすね」
中身はもちろん例の魔石だ。神だの天使だのといった怪しい話の後に出てきた、いわば物的証拠にさぞ驚いただろう。
さすがに冒険者の二人にはこれがどれだけ高価で貴重なものかすぐに分かったようだ。二人共、普段から魔石を見慣れているし、リッツに関してはちょっと珍しい平民の魔力持ちだからな。リッツの目には魔石が内包する虹色の光がはっきり見えているだろう。
「ずいぶんと大きな魔石ね。エヴァンが狩ってきたの? 私には内緒で?」
「姉上、私は冒険者じゃないので自分でモンスターを狩ったりしません。殺気を飛ばさないでください」
「そうよね。私に黙ってそんな楽しそうなことしないものね」
どうやらレイチェル姉上にとっては、国宝級に貴重な魔石より、自分が仲間はずれにされていないかどうかが気になるらしい。
「坊主のいつものホラ話かと思ったが、こんなものを見せられちゃあな」
「そうっすね、こんなものを見せられると、坊っちゃんのいつものホラ話も信じざるを得なくなるっすね」
「動揺してるかと思ったら意外と冷静に罵られてるな! なんだいつものホラ話って!」
ひどい言われようだ。憤慨していると、皆にお茶のおかわりを注いでいたアンナが言った。
「皆さん言い過ぎですよ。エヴァン様は悪意で嘘をつくような方ではありません。話を膨らませたり、誇張したりするのが上手なんです」
「え、アンナ? そんな風に思ってたのか?」
「はい、エヴァン様のお話は面白くて大好きですよ」
遠回しにホラ吹き常習犯と言われたような気がするが、アンナは真面目に言っている。純真な笑顔が眩しい。
おい、そこの専属執事、呆れ顔をするんじゃない。
「しかし、坊主の話が本当だとすると大問題だな」
「そうっすね、控えめに言って世界の危機っす。しかも危機を回避する条件が一等級魔石をあと二つ手に入れるとか……」
「力を貸して欲しいと言った意味が分かったか? 私一人ではとても解決できん」
「大体わかったわ。それでどこを冒険すれば良いの?」
姉上は何がわかったのだろう……? 後でもう一度説明しないといけないな。
理解する力がないわけではないのだが、今は冒険への期待でぶっ飛んでいらっしゃる。
昔から冒険者に憧れる子供だったが、年々その憧れが大きくなっているようだ。
「お嬢ちゃんは相変わらずだな」
「なんで貴族の御令嬢があんなに暴れたがるんすかねぇ」
貴族は多かれ少なかれ魔力を持って生まれてくる事が多い。というよりも、魔力を持ってこそ一人前の貴族として遇される。時に魔力を持たない者が生まれることがあるが、ほとんどの場合、そうした者は廃嫡され爵位を継ぐことはない。
姉上は強力な魔力を持って生まれた。私が生まれたとき姉上は四歳だったが、その頃にはすでに物体操作の魔法で大きなぬいぐるみをいくつも同時に操り、ひとりで人形劇をしていたらしい。もちろん演目は怪物退治の冒険譚だ。
炎や水を操ったりする元素系魔法と呼ばれる魔法系統は使えなかったが、操作系魔法と強化系魔法の非凡な才能を持っていた。
元素系魔法、操作系魔法、強化系魔法の三つをまとめて、三大魔法系統と呼ばれる。
自然を構成する元素、すなわち火、水、風、土、光、そして闇を操るのが元素系魔法だ。主なものは先程の六種類だが、他にも雷や木なんていう元素もある。ちなみに私が使う魔法もこの元素系魔法だ。火魔法が得意だが、まあそれは置いておこう。
操作系魔法は物体に干渉する魔法だ。遠隔で物体を動かすのが基本だが、音を操ったり、物の硬さを変えたりすることもできる。なお、極めると人間の精神を操ることができるらしいが、そんな術者はまずお目にかかれないし、実際いたら危険人物指定を受けて帝国に拘束されるだろう。王侯貴族にとっては悪夢のような存在だからな。
そして強化系魔法は人間の能力を向上させる魔法だ。基本的に術者本人の能力しか向上させることができないが、剣士や歩兵のような近接戦闘を行う者が使えば非常に強力な武器になる。勇名を馳せる名うての武芸者はこの魔法の使い手であることが多い。もちろん例外はあるがな。
レイチェル姉上は、二種類の魔法の使い手である上に、憧れが高じて剣術まで修めている。
まだ修行中だそうだが腕前はかなりのもので、すでに我がマルシェル家私兵団で姉上に勝てる者はいなくなってしまった。おそらく帝国近衛兵くらいでないと勝てないのではないだろうか。
そして強化系魔法で自分自身を強化し、操作系魔法を駆使して物理法則を無視した動作で敵に襲いかかるというわけだ。
ただでさえ強い貴族令嬢が、とんでもない高さでジャンプしたかと思えば、何も無いはずの空中を足場にして急降下したり背後に回り込んだりしてくる光景は、対戦相手からすれば悪夢でしかないだろうな。
姉上が魔法を使って戦うならば、もしかしたら帝国でも十本の指に入る強さかもしれない、と思うのはさすがに身内贔屓が過ぎるか。
話を戻す。
とりあえず例の魔石を魔力鍵付きの鞄に戻す。これの保管場所も考えないといけないが、それは後にしよう。
「さあ、本題に移ろうか。もう察しはついてると思うが、ここにいる者達で残り二つの魔石の探索団を結成したい」