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66.欲と思惑

「はい? どういうことですか?」


 ここはマリクリアのアルテス神教の神殿の応接間。

 ヴェスパ湖から戻ってきた翌日、ここの司祭に会いに来た。

 そしてまさに今、目の前にいるメルドン司祭が目を丸くしている。

 奇しくも、ヴェスパ湖でセルファスに『巡礼者の休憩所を建てる』と宣言したときと同じ反応だ。


「簡潔に言いますと、ヴェスパ湖の湖畔に新しく巡礼者用の休憩所を建てます。二階建ての」

「はあ、それは分かりました」

「少しずつ手を加えて何年後かには小さな神殿に改装します」

「そこが分かりません、何故です?」


 メルドン司祭は半眼になりながら、私にややにじり寄る。

 マリクリア神殿の応接室は狭くはないが、司祭の距離が近いので圧力を感じる。


「つまり神殿を建てる、と?」

「そこが問題でしてね、司祭様」


 簡素なソファの背もたれに体を預けながら嘆息する。

 ちなみにマルスは部屋の外で見張りだ。司祭以外には聞かれたくない話だからな。


「中央に神殿の存在を知られたくない。もちろんいつまでも隠すことは無理だと分かっていますが、少なくとも私が建てたということは伏せておきたいんです」

「理由を伺っても?」


 理由か。

 

 存在が露見するだけでも危険な魔石が三個も安置され世界を救うための鍵になる神殿だから、なんて言えるわけがない。

 メルドン司祭は善良な人だが、そんな話を聞いてしまっては立場上、中央の神教団に報告しないわけにはいかないだろう。

 その後の展開は考えたくもないな。


「あー、なんと説明したものでしょうね」

「少し前にエヴァン様が夢で天使様に会ったという噂がありましたが、もしかしてそれに関係が?」


 おっと、初めてリアが夢に出てきた時に言いふらして回ったことが司祭にまで届いていたのか。ならば少し話に絡めるとするか。


「その話をご存じでしたか。おっしゃるとおりです、天使が出てくる夢を見ましてね。この不信心な私もアルテス神のために何かできないかと考えていたのですよ。こうして平穏に暮らせるのも神の恵みあってこそ。そう思って少し調べてみたらヴェスパ湖はあまり知られてはいないものの、神の力が注がれた地であるというではありませんか。これはまたとない奉仕の機会」


 ペラペラと言い連ねているが、夢を見たことと不信心であること以外は全部嘘だ。我ながら罰当たりだな。


「左様でしたか。子供の頃、神像によじ登って壊してしまったエヴァン様がなんと立派になられたことでしょう。神もきっとお喜びですよ」

「その時の話は勘弁していただけませんか。うちの執事長に苛烈なお仕置きをされたことを思い出しますので」


 あの時はロベルトにいつもの何倍も厳しい剣の稽古をやらされた。特に激しめの手合わせを中心に。あの時のロベルトは絶対に楽しそうだった。表情が変わらなくても私には分かる。


「しかし、それなら最初からと堂々と神殿を建てればいいのでは?」


 良い事なら隠れて行うことはない、それは確かにそう通りなのだがそれは司祭のように善意の人の意見だな。


「率直に言いますと、教団の上層部に知られたくないのですよ。ほら、神殿を開くのにも寄付金が要りますし、神官を派遣するとか、ありがたい壺だとか札だとか水だとか、何かと理由を付けて金を取るじゃないですか」

「あはは……、いや、本当にその通りなので返す言葉がありません。でも私たちは毎年、御家から多額の寄付を頂いて感謝してるんですよ」


 欲に塗れた中央のお偉方をメルドン司祭が良く思っていないのはマリクリアの住民なら誰でも知っている。昔、メルドン司祭が帝都にいた時に、当時の神教団幹部を批判してマリクリアに左遷されたくらいだからな。本人は「自分で転属を希望した」と言って否定しているが。


「そういうわけでヴェスパ湖に休憩所を建てますので、まあ平たく言うと目をつぶっていただけないでしょうか?」


 長い付き合いの司祭だからこそ、私は率直に頼んでみた。

 メルドン司祭は、うむむと唸って目を閉じた。


「ヴェスパ湖に近い将来神殿ができる、と。それは素晴らしい事だと思います。しかし、中央の目を欺くために偽装ですか……」


 迷っているようだな。無理もないか。新しい神殿の建設を見て見ぬふりをすることはアルテス神教団の規則に反する行為だからな。

 どうしても許可がもらえないなら仕方がない。勝手に建ててしまうまでだ。できることならメルドン司祭は味方につけておきたかったがな。


「司祭、こちらも無理にとは……」

「いや、実に面白いですな!」

「え?」


 メルドン司祭は右手でポンと膝を打って声を上げて笑った。


「私も日頃から教団本部の欲の深さには閉口しております。中央が長年放置してきた聖地であるヴェスパ湖に神殿を建てるならもちろん協力いたしますよ。なんなら休憩所を作るなんて回りくどいことをせずともよいのでは? 私が黙っていれば済むことです。知らない間に神殿が建てられて、しかも誰が建てたかもわからない。寄付金を取り損ねたと知った時の本部のお偉方の顔を思い浮かべると痛快です」


 おいおい、なんだかとんでもないことを言い出したぞ。左遷されたとはいえ、司祭ともなるとそれなりに高位の立場のはずなんだが、よほど本部をそりが合わないのか。


「司祭に危ない橋を渡らせるわけにはいきません。目をつぶって下さるだけで十分ですので」

「左様ですか? 協力できることがあれば遠慮なく言ってくださいね。あ、若手に神官を派遣しましょうか? まだ修行中ですが、一年もあれば一人前に……」

「いえいえいえ、当分は休憩所なので貴重な人材を割いていただく必要はありません」


 私はメルドン司祭の提案を慌てて断った。まさか現地に偽神官がすでに陣取っているとは言えない。

 そういえば、セルファスの立場ってアルテス神教団から見るとどういう事になるんだろうか。普通に背教者として断罪されそうだな。それ以前にあいつが大人しく捕まるとも思えないが。


「司祭、今日は私の無理を聞いていただきありがとうございました。マルス!」


 話が付いたところで部屋の外にいるマルスを呼ぶ。

 すぐにマルスが扉を開けて応接間に入ってくる。その手には革鞄を提げている。


「失礼いたします。メルドン司祭様、こちらをお納めください」


 マルスは恭しく鞄を司祭に差し出した。

 司祭は私と鞄をゆっくりと見比べる。


「これはこれは、いつものあれですか。お気遣い感謝します」

「司祭とは長い付き合いですからね。父アラニアからもよろしくと言付かっています」


 司祭は革鞄の中身を見ると、満足げな笑顔で頷く。

 ふふ、聖職者とは言えこの手はやはりよく効くな。


「アラニア様の手腕はいつもながらみごとですね。いや、腕を上げられましたかな?」


 司祭は革鞄の中身を一つ取り出した。

 その手には賄賂の金貨、ではなく一個の野菜があった。


「おお、こんなに鮮やかな色をした青ナスは滅多にありませんな。実に美味しそうです」


 鞄の中身は父上の畑で採れた野菜や果物だ。他にも朝露菜、大パプリカと小パプリカ、蜜ウリが入っている。手間暇かけて世話しているだけあってどれも色艶がいい。


「つくづく父上は仕事を間違えていると思いますがね。それでは今日はこれで失礼します。お時間をとっていただきありがとうございました」

「あ、エヴァン様」


 礼を言って退出しようとすると、メルドン司祭に呼び止められた。


「何か?」

「神はいつも見守って下さっています。エヴァン様にアルテス神の護りがありますように」


 まさか当の神様に仕事をさせられている最中だとは言えず、私はメルドン司祭の祈りに対してあいまいな笑顔を返すことしかできなかった。




 神殿からマルシェル家屋敷に帰ってくると、玄関ホールでナギが走り回っていた。どうやら世話をしてくれているイリスから逃げているようだ。

 

「あ、エヴァンとマルス! 助けて、イリスが追いかけてくる!」


 玄関から入ってきた私たちを見つけると、猛然と走ってきて私の後ろに隠れた。すぐにイリスがやってくる。少し息を切らしているな。いったいどれだけ追いかけっこをしていたんだか。


「エヴァン様、すいません。ナギが昼寝をしなくて、それで逃げちゃって」

「イリスがナギの面倒を見ているのか? メイドや執事がやっていると思っていたが」

「皆さん忙しいのに私たちの事で迷惑かけたくないので。自分の事は自分でやらないと」


 なんと感心な事だ。イリスにとってナギはあの裏オークションで一緒に売られそうになったというだけで本来身内でもなんでもない。しかし、自分が面倒を見るのが当然と言わんばかりの態度だ。長姉だという事も影響しているんだろう、幼児の相手は慣れているように見える。

 世の中には暴力と我が侭でしか弟に接することができない姉もいるというのに。


「しかし。勝手の分からない屋敷の中ではやりにくいことも多いだろう? この家の執事やメイドに何の遠慮もいらないからな」

「はい! ありがとうございます! あっ、ナギ、待ちなさい!」


 イリスの隙をついて私の足元にいたナギが逃げ出し、そのあとを追いかけるイリス。

 ナギはナギで逃げる事には長けているようだ。浮浪児として人狩りから逃げ隠れしていた名残だと思うとやるせないが、まったく躊躇の無い逃げ足はなかなか大したものだ。あのナギを捕まえるのは大変そうだな。

 私はふと隣のマルスを見た。マルスはイリスを手伝う気はまるで無いようで、走り去っていく子供二人をただ見ているだけだった。


「手伝ってやらないのか?」

「私はエヴァン様の専属執事ですから」


 だから子供の面倒を見るのはお門違いだとでも言いたげだな。


「それに放置しているわけでもありません」

「分かっている。何人で見守ってるんだ、まったく」


 ナギとイリスが追いかけっこしている玄関ホールの周辺にいる大人は私たちだけではない。

 柱の影やカーテンの裏、吹き抜けになっている二階の廊下、様々なところから執事やメイド達が子供たちを見守っていた。ニヤニヤしていたり、無表情だったり、凝視していたりと様子は色々だったが。


「子供が珍しいわけでもあるまいしな」


 嘆息しているとマルスが状況を説明し始めた。


「確かにクラムやイリスはティオ様と同じような年ですが、いかんせん子供らしいとは言えませんからね。ああいう騒がしさというものに飢えているんでしょう」

「それなら姉上が……」

「レイチェル様の場合、騒がしいという可愛らしい領域ではありませんので」

「なるほどな。腑に落ちた、とてもな」


 イリスが本当に困った時に助けられる者がそばについているならいいか。好きにさせておいてやろう。

 実のところ、イリスとナギがああやってじゃれ合っていられるのも今のうちだけだしな。

 

「マレーネ先生の孤児院にナギを受け入れてもらう件はどうなった?」


 観葉植物の影に隠れて子供たちを見守っていたメイドに尋ねる。

 彼女は十年以上マルシェル家屋敷に仕えてくれている古参の使用人だ。気配の消し方も上手い。これならイリスとナギも気付くまい。なぜ隠れる必要があるのかは知らないが。


「はい、マレーネ先生からは受け入れはいつでも可能だと返答をいただいています。あとはこちらの準備が整い次第、ということになります」

「そうか、その準備はいつ整うんだ?」

「最短であれば明日にでも」


 観葉植物の影から出てこないメイドは、極めて事務的に返答した。


「もし時間をかけても良いと言ったら?」

「あと半年はこうして飽きずに見守る自信があります」


 メイドはとても凛々しい表情を私に向けて意味の分からないことを言った。

 柱の影やカーテンの裏に隠れている連中も激しく頷いて同意している。


「よし分かった、三日以内には孤児院に入れるように手続きをしてくれ」


 私がそう言うと、メイドはくわっと目を見開いてこちらを見た。


「かしこまりました。とはいえ、本人の心の準備もあります。ここはあと一ヵ月ほど様子を見てはいかがでしょうか?」


 口調はあくまで事務的だが、何か執念のようなものを感じる。


「そんなに長くこの屋敷にいたら、逆に孤児院に馴染みにくくならないか?」

「それでは二十日ではいかがでしょう?」

「せいぜい五日だな」

「半月」

「今月中」

「それで手を打ちます」

「お前は一体何の交渉をしているんだ?」

「職場の潤いの問題なのです」


 まったく、つくづく変わり者の多い屋敷だ。ナギ自身は多分何も気にしないと思うけどな。


「ところでエヴァン様」


 やっと観葉植物の影から出てきたメイドが、何事もなかったように澄まして話しかけてきた。


「どうした?」

「アンナがエヴァン様を探しておりました。なにやら急ぎの話があるそうです」

「どう考えてもそれを先に言うべきだろう!」

「ついうっかり」


 メイドは無表情のままぺろりと舌を出した。


「……、アンナはどこにいる?」

「執務室にいるかと」

「すぐに行く。お前たちも仕事に戻れ」

「はい、それでは失礼いたします」


 メイドはさっさと歩き去ってしまった。気が付けばそこら中に隠れていた使用人たちが姿を消している。


「普段は優秀なのに、たまにあんな風になるのは何なんだ?」


 ほとんど独り言のように口をついて文句が出てしまったが、マルスがすぐさま返答する。


「これはもう執事長の管理責任ですね。クビにしましょう」

「できるわけないだろ。ロベルトがいなくなるとお前の仕事も増えるぞ?」

「さ、アンナが待ってます。早く行きましょう」


 言われなくても急いで執務室に向かうと、部屋の外にまで話し声が漏れていた。

 普段仕事をする部屋なので、応接室のように防音措置が施されているわけではないが、こんなに賑やかなのは珍しい。

 というか、この声は姉上だな。ならば賑やかにもなるか。

 とりあえず執務室のドアをノックする。


「私だ。入るぞ」

「あ、エヴァン様、どうぞ」


 アンナが返事をしてくれたので扉を開けて執務室に入ると……。


「ニャ?」

「にゃー、です」

「ニャー!」


 三匹の猫がいた。

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