57.できること できないこと
クラム、イリス、ナギの三人は揃って我がマルシェル子爵領に来ることになった。
あまり状況がわかっていないであろうナギはともかく、クラムとイリスは覚悟を決めて仕事する気だ。それこそ奴隷労働も覚悟していそうだな。
もちろん働いてもらうことにはなるが、たぶん二人が考えているような労働環境にはならないだろう。
働いた分の賃金を得るのはもちろんだが、出来れば教育も受けて欲しいと思う。
子爵家が運営している以外にも初等学校はいくつかあるし、アルバーナ神帝国の中では珍しく基本的にどこも無料だ。マリクリアにも子供を雇っている店や作業場はたくさんあるが、学校には割と行かせてくれるところが多い。
というか、領主であるマルシェル家が初等教育を奨励してるからな。
「三人ともエヴァンの国に行くニャ?」
「国ではないが、まあそんな感じだ。帝都に比べれば田舎だから、ミャルとはここでお別れ……」
「ミャルも一緒に行くニャ」
え、なんで?
突然付いてくると宣言するミャルに驚く。
人が多い都会に用があるとか言ってなかったか?
「うちの部族は森の中に住んでるから、トカイってところに行ってみたかっただけにゃ。それより友達と一緒がいいニャ」
どうやら獣人は人間関係の距離が近いようだ。
昨日会ったばかりでもう友達とは。ふふ、まあ友人が増えて悪い気はしないが。
「クラムとイリスとナギとレイチェルは友達ニャ」
「私は違うのか! 別に気にしないけどな!」
友達だと言われても困るが、違うと言われても微妙な気分だ。
「ミャルもうちに来るのね! きっとそうだと思ってたわ!」
例によって何の根拠も無い自信をみなぎらせるレイチェル姉上。
良かったですね、姉上はミャルの友達らしいですよ。昨日はいつの間にか一緒に風呂に入っていたようだし、何か通ずるものがあったのだろう。
「クラムたちは働きに来るんだぞ? ミャルもマリクリアで働くのか? というか働けるのか?」
そもそもミャルは世にも珍しい獣人だ。
ソルタリアの島にはたくさん人数がいるのかもしれないが、このヴェルデンシア大陸、アルバーナ神帝国では物語や学術書くらいでしか見聞きしない。そんなミャルが商店や宿屋で働く姿が全く想像できない。
「ミャルだって働けるニャ。でもエヴァンの国にどんな仕事があるか知らないニャ」
「だから私の国ではないというのに……。ミャルにできそうな仕事か。料理とかはできるのか?」
ソルタリアの料理を作れるなら面白いかと思ったのだが、
「全然できないニャ。あ、肉を焼くのはできるニャ。ミャルは焚き火で肉をあぶるのだけは上手いと言われるニャ」
「美味しそうね! すごいじゃない」
「それは料理とは言わないんですよ、姉上。じゃあ掃除や洗濯なんかはできるのか?」
「やったことないニャ。そういうのは母ちゃんや妹たちがやってたニャ」
いったいこいつは何ならできるんだろうか? 猫らしく身体能力は高いようだが。
「だったら冒険者になればいいじゃない。誰でもなれるわよ」
レイチェル姉上が食後のデザートの追加のおかわりとして、もぐもぐと果物を食べながら言う。行儀が悪いですよ、姉上。
「リッツがいれば説明してくれたと思いますが、冒険者は意外と素質を選びますよ。特にミャルの場合は獣人であることが知られると騒ぎになるかもしれませんから、余計に」
獣人はほとんど伝説上の存在だ。普段から周囲に気を配っていて、異変に敏感な冒険者たちの中で無事にやっていける気がしないな。
「街の中が苦手なら、街の外でモンスターを狩ればいいじゃない」
「姉上、誰しもがモンスターと戦えるわけではありませんよ」
自分自身を基準にして話す姉上。自分が例外であるという自覚が無いので困る。
「猫らしく俊敏ではあるようですが、それだけでは戦えませんよ」
「戦えるニャ」
「は?」
ミャルがやたらと自信ありげに言った。
「戦いの心得があるのか?」
「もちろんニャ。ミャルは村一番の戦士ニャ。あ、一番はミャルの父ちゃんかもしれないから、二番かもしれないニャ」
「へえ、すごいじゃない。ミャル、ちょっと私と手合わせしてよ」
まあ戦闘の事となれば、レイチェル姉上が食いつくのは無理もない。
しかし、三等級冒険者であり、強化系魔法と操作系魔法を駆使する姉上と手合わせというのはさすがにどうだろうか。
かといって私では力不足だろうな。剣術や体術では下手をするとそこらの山猫にも負けるかもしれない。
「もちろんいいニャ。ミャルは負けないニャ」
「言ったわね。私も負けないわよ」
ミャルの強気な発言を受けて、さっきまで能天気に果物を頬張っていた姉上が少し獰猛な目になっている。戦いの気配を感じたのだろう。
ちなみにナギは今は果物に夢中なのでこちらは無視しているが、クラムやイリスはどうなる事かと心配そうな表情だ。
どうにも嫌な予感がするが、やる気になっている二人は止められそうにないな。
全く朝から騒がしくなりそうだ。
中庭は広大ではないが、十人程度が軽い訓練をできるくらいの広さはある。
帝国建国時にまで遡ることができる歴史を持つマルシェル家なので、財力の割には広い敷地を帝都に所有している。
この庭でレイチェル姉上とミャルの決闘、じゃない手合わせが行われる。
「ミャルは武器を使わないの?」
作業用の服装をした屋敷の使用人が用意した数種類の木剣の中を選びながら姉上がミャルに言う。この使用人もオランドの部下なので諜報部隊の一員だ。人のよさそうな庭師にしか見えないが。
「うーん、武器は使うけどここには無いニャ。何か丈夫な手袋とかでいいニャ」
「格闘が得意なの? 私もよくやるわよ。大体は手甲を着けるけどね」
「手甲? 手袋じゃないニャ? どんなのニャ?」
「持ってくるからちょっと待ってて」
自分の部屋に装備を取りに行こうとする姉上だが、傍にいたリセリエが止める。
「レイチェル様、私が行ってきますよ」
「そう? じゃあお願いねリセ」
リセリエは姉上の世話をよく焼いてくれる、実にありがたい存在だ。
姉上はあまり人を使おうとしないからな。貴族らしくないとも言える。
「マルス、手に付ける武器ならお前がいくつか持っているんじゃないか?」
私の横にいるマルスに聞いてみる。
「私の物ですか? 手袋とは違いますが、こういうのでしょうか?」
マルスはどこからともなく指に嵌まる形の金属製の武器を取り出して見せる。
言ったのは私だが、なんで今こんなものを持っているんだこいつは。ずっと持ち歩いているのか?
「面白い形だけど、これじゃ指が上手く使えないニャ」
「そうですね、ミャルさんの言う通りです。これはあくまで殴る為だけの物です。相手を掴んだりする格闘には向きません」
「村にはそういうのを使うのもいるニャ。もっと大きなやつだけど」
拳に鉄塊を着けて戦うのか? 猫なんだよな?
「いい武器が無いなら、私も素手にしようか?」
レイチェル姉上が申し出たのだが、
「別に大丈夫ニャ。敵が武器を持ってるのは当たり前ニャ。レイチェルは剣を使うといいニャ」
「言ってくれるわねぇ」
平然と剣を使えというミャルに対し、戦意旺盛に微笑む姉上。正直怖い。
「レイチェル様、ガントレット持ってきましたよ」
リセリエが姉上の手甲を持ってきた。愛用の革と金属が半分ずつくらいで作られた動きやすさを重視したものだ。
総金属製の手甲もあるのだが、そういうのは耐久力が求められる重戦士向きだな。技巧をこらす剣士が使うなら指先まで動きやすさが求められる。
「どう、ミャル? 使えそう?」
レイチェル姉上愛用の手甲を着けて、手を開いたり閉じたりしてみるミャル。そして、納得したように頷いた。
「ちょっと軽すぎるけどいい感じニャ」
「そう、良かったわ。私と手の大きさが似てるのね」
そういうと姉上は木剣を持ってミャルから距離をとる。歩数にして十歩というところか。
「準備運動はもういいの?」
「大丈夫ニャ。いつでも掛かってくるニャ」
ニヤリと笑って姉上に向かって手招きをするミャル。おいおい、そんな挑発すると……。
「じゃあ遠慮なくぅ!」
レイチェル姉上が鋭い踏み込みから一気に加速してミャルに迫る。
尋常じゃない速さだが、身体強化魔法は使っていない。
魔法なしでこの速さか。我が姉ながらとんでもないな。
一瞬にして間合いを詰めると、剣を体に寄せる構えからえぐり込むような鋭い突きがミャルに向けて放たれた。
虚をついた攻撃。的確に急所、喉元を狙っている。
剣の心得がある者でも、反応するのがやっとではないだろうか。そんな必殺の突きなのだが、
「ニャ」
ミャルは手甲を着けた左の裏拳で剣先を軽く弾いた。姉上の攻撃は横に逸れ、ミャルの左の頬をかすめるように通り過ぎる。
姉上は目を見開き、驚きの表情だ。
「いくらなんでも、そんな真っ直ぐな攻撃は当たらないニャ」
勝ち誇るでもなく、見下すでもなく、普段通りの表情で、淡々と話すミャル。ただ事実だけをレイチェル姉上に伝えただけ、と私は感じた。
そして、ミャルは『真っ直ぐな攻撃』とだけ言った。
傍目からは疾風のような攻撃だったが、ミャルにとってそれは特筆するものではないということか。
「ふーん、そうなのね。そういう感じなのね」
何やら得心がいったらしいレイチェル姉上。おもむろに木剣を提げて最初の位置、ミャルから十歩の距離に戻っていく。しかし、背中を向けたままだ。
「レイチェル、もう終わりニャ?」
ミャルが首をかしげながら言う。
その言葉を聞いたレイチェル姉上がミャルに振り向いた。
その顔はまさに喜色満面。楽しい事を見つけた時の表情だ。
「まさか! 今からが楽しい時間よ!」
一瞬で発動する身体強化魔法。
先程とは比べ物にならない速さの猛攻がミャルを襲うのだった。




