7.2023/6/2 神国日本の教育
2023/6/2
国塚英宏
忠臣組の特級や幹部の子弟、特に優秀と推薦された十五歳未満の子供が集められた非公式な私塾的な存在、無銘の教室。
今夜は、一週間前に南沙諸島で起きた中国海軍とフィリピン・ベトナム両海軍の軍事衝突で中国海軍が大勝した事を受けて、フィリピン西部のスービック海軍基地の利用が中国に認めさせられた事と、フィリピン東部のダグラス・マッカーサーという町の名前を中国名に変更し、その地を中国の租借地として提供し海軍と空軍基地が建設される事が発表されていた。
討議題材として、先ずは西側報道を、その後に東側報道をそれぞれの原語のままで見て、さらに中国と米国の非公式な講師から熱の入った補足説明を受け質疑応答を終え彼らが退出してから、生徒同士の討議が始まった。
しばらくぼーっと静観してると、仕切り役を何となく任せてる十四歳のメガネ男子からお鉢を回された。ちなみに現内務省副長官の息子、船越擽という。
「英宏さん、ぼくには関係無いもんねーって顔してないでちゃんと参加してくださいよ」
「でもさ、日本に出来る事なんて無くない?」
メガネのレンズをきらりと輝かせてにらまれた気がしたので、ちょっとだけ真面目に考えてから適当に話した。
「みんなも言ってたみたく、東南アジア経由の物資輸送ルートは今の時点でもすでに絶望的。名前がどう変わるか知らないけど、フィリピン東部の軍事拠点まで固められたら、パラオも自動的に中国側の手に落ちる。
パラオが落ちたら、次はフィジーとサモア。その二つか片方が落ちるだけでも、アメリカとオーストラリアの間は分断されて、インドネシアやマレーシアといった中規模国もまた中国に膝を屈して、シンガポールも後を辿るしか無くなる。
パラオだけでも十分なくらいなのに、パラオ、フィジーとサモアが落ちたら、グアムは完全な死に石になる。そこにいる部隊がハワイや本土に引き上げたら、西太平洋は中国の勢力範囲として確立されて、日本が外部からの援助を得る手立てはほぼ完全に無くなる。鎖国しようがしていまいがね。韓国と北朝鮮も同じ運命共同体。ロシアも中国と正面から喧嘩する力は無いし、その気も無い」
「時間的余裕はどれくらいと見ています?」
「パラオまでは早ければ来年くらい。フィジーとサモアはさらにその来年か再来年くらいかな。それで布石的には詰み」
「では、鎖国もそこまで早まる可能性があるという事ですね」
「目をつぶれば目の前の現実が無くなる訳じゃないから、鎖国しても平和が保てる保証も無いけどね」
「それはそれとして、もう一つ、大人とか高齢者連中からの宿題について話しておきましょうよ」
「義務教育とかに英語などの外国語を残すべきかどうかだっけ?」
「はい」
「技術情報に限らないけど、知の集積って意味では日本語外の情報の方が質も量も遙かに高いし多いからね。残すってか、英語も中国語も出来るようにするしか無いんじゃないの?」
「決まりでそう定めたとしても、中高六年と受験勉強でもまともに話せる国民が増えなかった歴史を振り返るのなら、そこに中国語を加えてもまともに使えない外国語が一つから二つに増えるだけでは?」
「そういうのも、結局、使い道とか必要性にどこまで切実さを感じてるか次第だと思うんだけどね~」
「受験勉強も無くなったようなものですから、その意味では薄れて、鎖国で海外旅行機会もほぼ消失しましたからさらに身近な意味合いとしては無くなったようなものでしょうね」
「新しい必要性準備したらいけるんじゃないかな?」
「わかりやすいとこで言うと、お金とか身分とかですか?」
「お金は、企業とかが払うならともかく忠臣組からは難しそうじゃない?身分の等級に反映させるのも、金払って身分を買った連中からは反感買うだろうし」
「だったらさ、同等の組員内でも、出来ないよりは出来る人のが偉いって感じの、勲章めいた扱い?待遇?ならどうだろ?」
「日本的なら甲乙丙とかか。丙が簡単な読み書きまで、乙が日常会話まで、甲がそれぞれの専門分野の読み書き会話まで出来るようなのって感じで」
「官僚とか技官にも取り立てやすくなるってだけで、庶民への餌としては十分だと思うけど」
「でもさ、鎖国するって国が外国語の修得を奨励するって、見映え的にどうなのさ?」
「そこは、鎖国の目的をどう捉えるか次第だと思うよ。鎖国だってずっと続くかどうか分からないんだし」
「それは禁句では?」
「気にする必要無いよ。気にしなくちゃいけないのは、今は五十歩空いている差が二十五歩未満に縮まるか百歩以上に広がるか、どちらがマシなのかって問いで、答えは出てて変わらないって事実だけだよ」
「準母語にする必要性は?」
「その必要性を強要されるようになってから考えればいいと思うよ」
「でもまぁ、教科書は英語化なり中国語化した方が修得は速まりそうですけどね」
「これから鎖国するっていう神国日本て立場じゃなければねー」
「そりゃそうでしたね」
「中学以上の外国語の教科書は基本的にその外国語で書いてある物を使うようにするのは不可能ではないでしょうけど」
「それは私立とかの学校では禁止されない、くらいの措置でもかまわないんじゃないかな?」
「では、それはそのように大人達に報告します。他に教科書とかで要望とかあります?一部の大人達の間では、教育勅語や戦前の教科書を復活させないのかって声もあったりするみたいですけど」
「害しか無いからね。今更明治から昭和の歴史を繰り返さないといけない必要性は無いし、そんな余裕もぼくらには無い。天皇は生体的に人間に過ぎないし、人間は死ぬ存在に過ぎない」
「御真影とかの対象がころころ切り替わるのも教育上よろしくないでしょうしね」
「天皇家なんて添え物でいいんだよ。ずっとそうやって来たのに、明治政府が中央集権国家を造る為に創造した神話の産物だからね。当たり前の話だけど、天皇家が滅びてもこの国が滅びる訳も無い。そこを錯誤してる人が多過ぎるおかげで、神国日本なんて存在が成立出来たって側面はあるけどね」
「藤原家以降の、ヒトで無い者達に預けられてきた政治の結末が直近までの歴史ですからね。本当の意味での親政はこれから、初めて」
「言い過ぎだよ。和奏。こういう場でこういうメンツしかいなかったとしても」
「失礼しました」
「和奏がぼくに敬語を使わなきゃいけない理由なんて無いんだよ。現倭姫様?」
何人かがぎょっとした表情でぼくを見つめたけど、一応、この場にいる全員が知ってはいる情報ではある。
「そんな情報こそこの場で口にするのを慎むべきでは?私は普段から口調を慣らしているだけですので。私の公的身分は忠臣組の卜部という良く分からないものですしね」
「そういう事にしておこうか。じゃあ、今夜はこの辺で切り上げよう。擽、年嵩の人達への報告書はお願いね」
「明日の午前中くらいには。いいかげん社会や公民の教科書も準備を終えるように催促もかけておきます」
「いいんじゃない?歴史のなんていつになったらみんなが満足できる内容のものが出来上がるかわからないんだし、社会や公民なんて近現代史の失敗の実態をつぶさに辿るだけで一年から三年くらいは余裕で埋まるんだし」
「それでもね、正解が定められてない社会というのは、それだけ揺らぎやすくなるものです」
「定められてない方が柔軟性は高くなりそうだけどね」
「高くなり過ぎるのも問題という事です。と、このまま続けてもきりがつかなそうですし解散としましょう」
わずか二十名もいない無銘の教室のメンバーが次々に退室していくと、残っているのは、ぼくと和奏だけになった。
「残ったって事は、何か話でもあるの?」
「さっきみたいな悪ふざけは、この場でも、許しません」
「はいはい、お姫様。仰せの通りに。でもそれはこの場に残った理由ではありませんよね?」
「あなたは、許嫁を定めたのですか?」
「まだ定めてませんけど、それがあなたになる事は無いのはあなたも知っての通りですし、その質問もあなたがここに残った理由じゃないですよね?」
「あら、あなたが気になってる誰かの事は、私も気にはなっているのですよ?」
「お願いですから放っておいてあげて下さい。ただの普通の女の子なんですから」
「でも、あなたは放っておいてあげないのでしょう?」
「その質問はプライバシーに触れますので、お答え致しかねますよ、お姫様」
「私をお姫様呼ばわりするのであれば、上位の命には逆らえないのではなくて?」
「公的な立場はぼくの方が一応上ですからね。このくらいの我が儘は許して下さい。それで、本当の理由は?何か見たんですか?」
「一年と二月と十二日後」
和奏は何の変哲も無い白い封筒を渡してきた。中に入ってるのは恋文とかじゃなくて、もっともっと理不尽に酷いものだ。
「お父さんとおじいちゃんには伝えておきますよ。しかし、予想されてたよりは、だいぶ、早まりそうですね」
「仕方ないわ。私のせいじゃないし」
「誰もあなたのせいだなんて言っていませんよ。それでは、ぼくもこれで失礼します」
「私も」
あなたはここから出れないでしょうに、という言葉は口に出さずとも伝わったけど、結局見送ってもらい、外で夜空を見上げるまでとその後くらいまで何とはなしの雑談を交わしたりした。
帰り道、RPGの直撃にも耐える特殊装甲で覆われた車(というかまんま装甲車)の中で、改めて思った。
社会も公民も歴史の教科書も、たぶん12.7以前のをそのまま使い続ける事になるんだろうなと。なぜなら、本当の歴史なんて表沙汰になんて出来ないのだから。
忠臣組が皇紀なんてものを復活させていても天皇家をちっとも神聖化も神格化もしていないのは、何となく庶民にまで伝わっているだろうけど、神国日本が周辺諸国に根回し済みで成立したとか、鎖国がどんな意味合いを持っているかとか、一部には正解を推測出来ている人もいるだろうけど、絶対に全部は無理。だって、占いに理なんて無いしね。世界の裏側での合意なんて本当に無慈悲で夢も希望も皆無だし。
やれやれと心の中でため息をつきながら、現れては流れ去っていく夜景に視野と意識を移して、ぼんやりと思った。許嫁を誰に決めたとしても、数年後平穏に結婚の時を迎えたり、その後家族を築いたりする平和な時が訪れそうにはないなと。