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「オレ、将来の夢をコックさんにしようと思うんだ」
唐突に、ガイアが言った。
「今はさぁ、葉っぱや花を並べたものが、なんでかホンモノになってるけど、それでも作ったものをお前らに食べてもらってるの、すごく嬉しいし、なにより、いつでもごはんにありつけるだろ? 自分が!」
「ガイアは、すごいなぁ」
最近、道徳の時間にそんな授業をしたばかりだったので、ハルトも将来の夢は考えたけれど、その時も今も、何も思いつかなかった。きらきらとした目で決意を語るガイアが、ハルトにはとても眩しく見える。
いつも自由で明るくて、足がはやくて友達も多くて、なんの悩みも無さそうで……そう見えていたガイアが、ハルトにとってはカッコ良くて憧れで、”すごいなぁ“は本心から出た言葉だ。
けれど反面、羨ましかった。だからさっき、自分よりもかわいそうな身の上話を聞いて、本当は内心ちょっと、ホッとした。
スナック菓子を食べながらおしゃべりをしていると、口の中の水分が持っていかれる気がしてきた。食べにくさやしゃべりにくさを感じたハルトが、会話の途中にぼそっと言った。
「しまったなぁ。ジュースも買ってくればよかった!」
喉も乾いたけれど、学校に持っていっていた水筒の中身はとっくに空だ。
「また、水飲み場まで行く?」
レイが言ったが、ハルトは「あ!」と何かをひらめいて、きらきらとした表情で二人に言った。
「ねえ、料理がつくれるならさ、ジュースもつくれたりしないのかな!」
この素晴らしい思いつきに、ガイアとレイも身を乗り出した。
「そうだ! なんでいままで思いつかなかったんだろう!」
「この、さっき食べたプリンのカップを、コップにするのはどう?」
「いいね。なに入れる? 水だけでジュースになるかな?」
その時、ふわりと甘い香りが風に運ばれてきて、三人は同時に「コレだ!」と立ち上がった。空になったプリンカップを手に手に、秘密基地のフェンスをくぐりぬけて、街灯が頼りの真っ暗な公園に繰り出した。
最近になって公園や一軒家の庭の近くを通った時に、よく香ってくるこの匂いの正体を、ハルトとガイアは知らなかった。なにか花の匂いなんだろうな、程度に思って、あたりを見渡したとしても、そこに花が見つかるとは限らなかったし、あっても確かめに行くこともしなかった。つまり、別段、花の香りなどに興味がなかったのだ。
レイはさすがは年長者で「あれは、金木犀のにおいだよ!」と二人に教えた。
「キンモクセイってどんなの?」
ガイアが、ケイトウやパンジーなどが綺麗に咲いている花壇に目を凝らしながら聞いた。
「キンモクセイは木だよ。木にちっちゃいオレンジの花がいっぱい、ついてるんだ」
レイが手振りをまじえて、特徴を伝える。
三人はにおいを頼りにキンモクセイを探した。秘密基地の小さいランタン型ライトは持ってきたけれど、こう真っ暗では、小さい花を探すためにいちいち木に近づいてみないといけなかった。道すがらにあった水道で、プリンのカップを洗って水をひたひたに入れ、こちらは準備万端だ。
ようやく見つかったキンモクセイは、秘密基地裏の、崖の上にあった。あちこちと歩くうち、いつのまにかぐるりと大回りをして、崖上の森に来ていたようだ。
そのキンモクセイは、ドングリのなるシラカシのように背が高かった。子どもの手が届くところにも花をたわわにつけていたので、オレンジ色の小さな小さな、粒のような花に触れてみる。むしり取ろうと力を入れたわけでもないのに、花はポロポロと簡単に落ちた。
彼らが花が密集している下にカップをかかげて、なでるように触れると、カップの中にはたくさんの花粒が入った。水面に浮いていたり、だんだん沈んでいったり、カップの中に踊るキンモクセイの花粒を街灯に透かすと、それはそれは特別なジュースになることを予感させた。
傾斜がゆるいところを選んで、低い崖をソロソロと滑るようにおりた。カップの中身をこぼさないように手のひらでふたをしていたけれど、秘密基地に戻るころには、だいぶ減ってしまっていた。
小屋の中で、ドキドキとしながら泥団子がハンバーグになるような劇的な変化を待った。けれども、乾杯をしてからしばらく経っても、カップもプリンカップのまま、花も浮いたままだ。
「きっと、ジュースになってるよ」
レイがそう言って、真っ先に味見をした。ガイアとハルトがその様子を、固唾をのんでじっと見つめる。
「うん、おいしい!」
「なにジュース? リンゴとか、サイダーとか?」
ハルトはまだ不安そうにレイに聞いたが、ガイアはレイに続いてプリンカップに口をつけ、少し眉間にしわをよせながら首を傾げた。
「初めて飲む味……。キンモクセイ味?」
「ジュースにならなかったってこと?」
「ちゃんとジュースになってるよ。キンモクセイジュース」
「泥団子ハンバーグは泥味じゃなくてホンモノになってるのに?」
「ツベコベ言ってないで、お前も飲んでみたらいいだろ?」
ガイアに促されておそるおそると、ハルトもプリンカップに口をつけた。ガイアの言った通りだった。ちゃんとジュースでおいしいけれど、初めての味。
「泥や草はまるで別物になったのに、コレは素材の味のままなんて、不思議だなぁ」
ガイアは無邪気に言うけれど、ハルトはやはり不安になってきた。
「じゃあ、やっぱりぼくたちは、泥や草を食べてたってこと?」
「そんなもん食べたら、お腹こわすだろ。あれはホンモノだよ!」
「ちょっと前に飾りにしてた彼岸花は、毒あるしねぇ」
レイが事もなげに言った。
「え! そうなの⁉︎」
「ほらな、本当にソレ食べてたんなら今頃死んでるんじゃねぇの?」
不安になっているのはハルトだけのようで、ガイアもあっけらかんとしている。
「毒って知ってたなら、使うの止めてよ!」
「だって、大丈夫だもん」
「大丈夫って……大丈夫じゃなかったかもしれないんだよ?」
「大丈夫だって」
にこにこと笑顔で断言するレイを見ていると、ハルトもなんだか不思議と大丈夫な気がしてきた。
──さんざん魔法のような料理を食べていて何も問題がなかったのだから、いまさら気にするようなことでもないじゃないか。
けれど、ふと、秘密基地の不思議料理じゃないものも、食べたくなった。
「ねえ、明日は、ぼくん家においでよ。お金はあるからスーパーでもコンビニでも食材買えるし、台所は火を使うやつじゃないから!」
「え?」
突拍子もないハルトの提案に、ガイアとレイは同時に首をかしげた。
「やってみようよ、ホンモノの料理! ガイア、コックさんになるんでしょ?」
「そりゃあ、すげぇやってみたいけど……。本当にいいの?」
ハルトの頭にふと、「お母さんがいない時に友達を家にいれちゃいけません」という言葉がよぎった。でも、どのみち友達が遊びに来るような時間に、家にいたこと、ないじゃないか。
「大丈夫! 十時くらいまで帰ってこないから、証拠インメツしとけばバレないよ! お父さんはタンシンフニンでいないしね!」
三人は、素敵な悪だくみを思いついた時のような顔を、見合わせた。