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「運命の岐路」 いまルートヴィヒは、思いもせぬだろう。運命が変わる岐路に、自らが立たされているなどとは。

「それは、ようございましたな」

                    

 恬淡と返答すると、師は杯を唇につけて酒をたしなむ。そうしながらも、ふたたびさきほどまでの考えの続きに耽る。

                    

 もちろん、普通なら法外なものだ。国や世界を欲するそんな望みなど。

 抱いたところで、一介の人間が為そうとするにはあまりにも壮大な高望みに過ぎる。それどころか誇大妄想と云えるほどだろう。

                    

 しかし、もしルートヴィヒの奴がアルプレヒト公爵家の後継ぎになれるなら話は異なる。

 

 アルプレヒト公爵家は王家を除けば、この国最高の名家。

 いまは王家に敵わぬものの、その力は公爵の手腕で強大化し続けている。よりこのまま強大化していけば、いずれは可能だろう。王家を滅ぼして、この国を乗っ取れるほどの力を持つことも。

                    

 否、それどころか一国を手に入れてさえしまえば、けっして不可能ではないのだ。その力をもって世界を手にすることすら。この国は、世界でも大国であるだけに。

                    

 もっとも、そんな望みを奴が持っているかはしらん。奴がそういう望みを抱くよう、俺から仕向けることもない。

 それは、たしかに従えられよう。奴を完全に支配下に置き、そういう望みを抱かせて実現せしめれば、俺は裏から世界を。

                    

 ルートヴィヒが階段を駆け上がれば、俺もまたともに栄達を遂げるわけだ。


 しかし、そこまでの不遜な野心は俺にはない。そんな大それた野心を持ったところで、成功するかわからんしな。下手に望めば、失敗してとんでもなく手痛い目にあうやもしれん。

 死ぬということもあるやもしれん。

 そればかりか、公爵家が潰えてしまうやもしれん。世間からの反感を買って。

                    

 世間は世知辛いものであるゆえにな。そうなればせっかく手に入れた公爵家を、俺もまた失う破目になってしまう。

 だが失敗してろくでもない目にあうのは、俺としてもごめんこうむりたい。

                    

 それなら、なにもわざわざ危険な野心に身を投じる必要はない。無理に背伸びをすることもないのだ。

 アルプレヒト公爵家を手に入れてさえしまえば、目の前の老いぼれに報復するという俺の目的は達せられるのだ。しかも以後は、公爵家の財力によって富貴は思うまま。

 公爵家の力をもってすれば、国に強い影響を与えられる強力な存在にもなれもする。

 そんな立場になれるだけで身に余る栄耀を味わえよう。

 ばかりか、公爵家の力を利用し、派手な殺しや残忍な所業すらもできよう。

 

 つまり俺としては手に入れられるんだ。

                    

 富貴と栄耀ばかりか、強すぎる俺の嗜虐性までをも満足させ得る状況を。こうまでのことが叶えば、それだけで俺はこのうえなく充足できる。それ以上のものを、しいて望む必要もないんでな。

                    

 師は杯を手のなかで弄びながら、ふんと鼻を鳴らす。


「さきほどから、なにか考えこんでいるようだが。心配事か?」


 公爵は自らの考えに耽っているような師を不審に思い、そう問いかける。

 師は微かに苦笑した。

                   

 俺としては、もちろんいま考えていた真意を述べることなどはできない。そんな真似をすれば、ルートヴィヒが公爵の孫だと露見させる次第になってしまう。公爵への報復を遂げようとする意志を持つことをも明らかにせねばならなくなる。それにより処罰も免れない。

 迂闊に口にできようはずもない。

 

 師は公爵の不審をやり過ごすため、取ってつけたような答えを返す。


「いえ、単にこの酒はうまいと思いましてね。しっかりと味わっているまでのことです」

                       

「ふん、考え込んでいるのはそういうことか」


 公爵は返答する。


 そう云われたところで、私とていまのベルモンの科白に納得したわけではないが。いま云ったことは本音かもしれん。が、そうでないかもしれん。

                    

 考え込んでいたのには、ほかになにかしらわけがあるやもしれん。


 不審は消えぬが、真実を云ってないとも断じられんしな。わけがほかになにかあったとしても、本心を話せないなら追及したところでごまかすだけだろう。

                    

 なら、いまは追及してもはじまらんか。公爵は詮索をやめた。まあいい。ベルモンの奴への興味は失せた。それよりも、いまはもっと興味のある者が眼下におるのでな。


「値が張る酒だ。とくと味わうがいい」


 そう云うと、公爵は師から視線を外した。その後はベルモンと口を利くこともなかった。その視線は眼下のルートヴィヒに向けられる。

                    

 あの弟子のことについて、グローにいろいろと尋ねたくはある。しかし、なにもいますぐでなくてもいい。急ぐ必要はない。どうせ訊く時間は充分にまだあるのだ。

                    

 とりあえずベルモンのことなど、いまや公爵の眼中から消えていた。

 公爵は、より興味を惹くルートヴィヒを眺めるのに夢中になっていた。

 ひるがえって師は、公爵のせいで一旦は途切れた思考をふたたび紡ぎ出す。彼もルートヴィヒに目を向けながら。

                    

 さりとて、あやつルートヴィヒは俺のように考えないかもしれん。別かもしれん。奴が心の奥底に、なにかしらの黒い炎を秘める不穏な男であるからには。

                    

 そんな危険な男だけに、大それた野心を望むということもあるやもしれん。仮にいまは持っていなくとも、奴ならば。

 奴も、どこかの時点で気づくだろうしな。公爵の後継ぎの道を歩めば、その野心を可能とする力を手に入れられたということに。

                    

 もっとも、俺としては奴がそんな大それた野心を抱いていることがわかったなら阻むつもりだが。奴がそんな野心を推し進めることを。

                    

 俺としては、奴を利用して公爵家を裏から支配したいんだ。なのにルートヴィヒが下手を打って、公爵家が潰えてしまうのはいただけない。

 むろん潰すというのも、公爵への復讐として悪くない手ではある。我が家を大事にする公爵に計り知れない実害を与えることになるからな。

 しかし公爵家の潰しを狙っても必ずしもことがうまく運ぶとは限らん。例えばルートヴィヒが危険な野心を持っていたとしてだ。潰しを狙ってこちらがわざとその野心を押しすすめさせたとしても、公爵家がより繁栄してしまうということもありうるのでな。そうなれば我が家を繁栄させたいという公爵の望みを叶える手伝いをこちらがすることになってしまう。

 それに公爵家を潰してしまえば、乗っ取ることによって得られるであろうこちらの利益を手にできなくもなってしまう。

 ましてルートヴィヒが自らの野心を推し進めれば、なにかしらの形で俺も巻き込まれて死ぬことにだってなるやもしれん。もし仮に、ほかの手段で公爵家を潰すことを図ったとしてもだ。

 このように公爵家が潰えることは乗っ取りよりもこちらにとって利が薄く、実害を得る危険が大きい。となると公爵家を潰すよりも乗っ取る方をこちらとしては選ばざるをえん。利が薄く危険が大きくなる事態は避けたいからな。

 となるとルートヴィヒが野心を推し進めようとするなら、それを阻むしかないというわけだ。

 

                    

 しかし残念ながら、奴を止められないということも有り得る。


 後継ぎになったのを機に、ルートヴィヒは俺との関係を絶ち、勝手にその野心を推し進めるやもしれん。奴はよく俺に逆らう男なだけに。

 一旦支配しても、いつ俺の手から脱け出るとも限らんしな。

                    

 ただ仮にルートヴィヒの奴がそういう挙に出たとしても、だ。

 その望みが叶えられるか否かは、当然ながら奴次第だがな。


 誰の運命も、すべては神の手の内。このさきどうなるかは、誰にもわからんのだから。

                    

 しかしもし公爵と会わせれば、すくなくとも奴の目前には開かれよう。

 公爵家の後継ぎになることを手始めに。

 俺たちに報復する機会も。人がうらやむような道も次々とな。

                    

 このとき、ふと師は思い浮かべた。ルートヴィヒが公爵のまえで覆面を取り、その素顔をさらすという光景を。そのあとには最悪こんな展開も有り得るのだ。

                    

 素顔をさらしたのを契機に、ルートヴィヒは公爵の後継者になる。だけでなく、奴のまえには開かれてゆく。

                    

 奴がどんな望みを持つかは知らんが。大それた野心か、くだらん望みやもしれんが。

 

 その望みが叶えられる輝かしい運命が、次々と。この俺を置き去りにして。


 公爵家を継承し、さらに飛翔し、力と栄光を次々と手にしていく。

                    

 反面、奴が享受する輝かしい運命とは対照的に、俺はアルプレヒト公爵家に追われる身となって危険な窮状へと堕ちていく。逃亡。捕縛。処刑。死。


 師は想像を止め、苦い顔をする。


 そんなことになるのは考えるだに恐ろしいし、腹立たしい。

                    

 師は顔を険しくする。


 冗談じゃない。断じて二人を会わせてなるものか。こちらとしては、二人を会わせる事態など招きたくないのだ。もちろん、いずれルートヴィヒが俺に完全に屈した暁には公爵家の後継ぎにするために会わせたいとは思ってはいる。しかし奴が俺に完全に屈していない現状にあるからには、いまはまだそのときではない。

                    

 とはいえ、どうすればいい? 


 師は思い悩む。


 いま二人が会うという事態を避けるべく、なにかしらの手は打たねばなるまい。俺にとって望ましくない状況が生まれずに済むように。

                    

 師は覆面のなかで、眉をひそめる。


 しかし、いまは打開策がない。

 かといって、たやすくあきらめることもできない。打開策を打つことを。


 師は頭を巡らせる。


 考えるんだ。なにかしら必ずあるはず。二人を会わすことを避ける妙手が。なんとか思いつき、こちらにとって都合のよい状況に好転させるのだ。

 手をこまねいたまま、招いてたまるものか。二人を会わせ、ルートヴィヒの奴にとって喜ばしい道が開かれ、こちらが窮地に陥る事態などを。

                    

 師はルートヴィヒをにらみつける。

 ルートヴィヒは処刑台に上がろうとしていた。処刑台の階段をのぼっている途中だった。


 いまルートヴィヒは思いもせぬだろう。運命が変わる岐路に、自らが立たされているなどとは。

 

 師は冷笑する。

                    

 今後おまえが幸ある道に行けるのか。俺によってそれを潰されるか。果たしてどうなるのか。それは、いまは誰にもわからない。この俺にすらも。


 ただ神のみぞ知るという状況下に、いまはある。

 

 当然ながら、俺としてはおまえがその道に行く邪魔をしてやるつもりでいる。おまえを完全な支配下に置いていない以上、そうするしかない。

 こちらとしては、困るんでな。いまおまえに、その道を行かれても。

 

 しかし、そうできるとは限らない。あるいは、さきほど思い浮かべた光景こそが現実のものとなる恐れもある。そう思うと、不安と焦りが生じてくる。

                    

 師は微かにかぶりを振り、その嫌な光景を頭のなかから締め出した。


 神に祈りたい気分だぜ。神を味方につけて、その助力を得るために。

 もしそうしたとして、ルートヴィヒと俺。その二人のうち神が味方するのはどちらかと云えば、そいつは俺の方ではなかろうか?


 師は冷笑する。

                    

 なにせ、ルートヴィヒには神を憎む心情がある。対して俺はちがう。

                    

 神がいようがいまいが、善だろうがなんだろうが、どうでもいい。俺ばかりか、ジマやゴーマもそうだ。我ら王都の死刑執行人のうち、神に特別な心情を持つのはルートヴィヒだけだからな。

                    

 ほかの弟子同様、俺は神に好意も悪意も抱いちゃいない。神になんの思い入れも感慨もない。

 だったら神が味方するとしたら、断然俺を選ぶだろ。自分に敵愾心を持つ、ルートヴィヒの奴なんかより。

                    

 一旦はそう考えはしたものの、苦笑して師は思い返す。


 だがその考えには、いささか無理があるか。世の中の多くの者に信じられているように、もし神が善の存在であるというならば。

 俺は悪事を犯しすぎている。とても神の加護など得られるような奴ではないからな。

 もちろんそれを云えばルートヴィヒもそうだろうが。しかし奴と比べてしまえば、俺の方がより悪事を犯しているのは確実だ。ならもし神の加護を得られるとするなら、俺よりも奴の方か。

                    

 師は自嘲する。


 ふん、埒もない。いまは、こんなくだらんことを考えている場合ではないというのに。何より優先しなければならんというのに。この窮地を抜け出す打開策を出すことを。

                   

 師は自分自身に云い聞かせる。


 わかっているのか。このまま二人を会わせれば、ルートヴィヒを失ってしまうんだぞ。あの二人が会うことになれば、公爵はルートヴィヒを連れ去るに決まっているからな。自らの後継ぎにするために。

 公爵のもとへ行き、その後継ぎになるのはかまわない。ルートヴィヒの奴が、俺に心からの恭順を示したあとでなら。俺への恐怖に、魂の奥底から縛りつけられてな。

                    

 だがいまはだめだ。まだルートヴィヒは俺に心の底から恐怖していない。俺に真実、従っていない。そんな状況で公爵のもとへ奴が行き、その後継ぎとなれば俺の望みは水泡に帰してしまう。

 それどころか、俺までもが危険にさらされてしまう。

 

 ごめんだぜ。そんなことになるのは。

 まして俺としては、いまルートヴィヒを失う気もないしな。あいつは役立ちもするゆえ。

                    

 だったらいまは、余計なことを考えるのを止めろ。ともあれ打開策をひねり出すことに集中しろ。


 師は自身にそう命じると、あとはひたすら頭を回転させて妙手を得んとして没頭する。

                    

 その一方で、公爵は処刑台にいる黒髪の死刑執行人に会うことを心待ちにしていた。ときに酒杯を口に運びながら、その姿をじっと見入ってもいた。その最中、公爵はふと思いつく。

                    

 そうそう、失念しておった。そういえば、一つだけグローにいま訊いておきたいことがあった。

                       

「そういえば、あの者の名、なんと申したかな? 名を知らぬと、これから会うに際して不便なこともあろう。話をするにしても、その名を呼べんとなにかとな。これから会うまえに知っておきたいゆえ、教えてくれんか?」


 公爵はちらりと師を一瞥する。師の方でも公爵を見つめる。

                     

 ルートヴィヒの名は、所詮は奴を育てるのに一役買った娼婦がつけたもの。そんな名を明かしたところで、そのことから公爵に悟られるわけもない。公爵に知られてはまずい情報は、なに一つとして。奴が公爵の孫だということにしたって、けっしてな。

 

 こちらは奴のみならず、俺やほかの弟子どもの名を誰かに知られることで困る事態に陥ってしまうような下手は打っていないしな。

                     

 ならその名を公爵に、ここで明かすこと自体にはまるで問題などない。

                     

 むしろ返答を拒み、隠し立てしてしまうことの方がまずかろう。なぜ隠すのか怪しまれてしまい、詮索されて余計に面倒なことになりかねん。ここは素直に名を教えておくべきか。


 そう判断した師は承諾の意を示すため軽く会釈し、名を明かす。

                

「あの者の名は、ルートヴィヒと申します。公爵閣下」



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