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幕間 悪役令嬢、実家に帰る

 

 夏季休暇に入れば、学園のほとんどの生徒が帰省する。ヴィッテンベルク家も、例外なくそうだった。



 とある昼下がり。

 公爵家の当主は、帰ってきたばかりの娘を書斎に呼んだ。"休暇に入ったら、すぐに帰ってこい"と手紙を送っておいたにも関わらず、案の定、ナタリアは4日も遅れて帰ってきたのだ。


 グスタフ・ヴィッテンベルクは、厳しい顔で口を開いた。


「先学期が終わったとき、おまえが私に何と言ったか覚えているか?」

「さあ?」


 なんでしょう……とナタリアは首を傾げた。


 公爵は嘆息した。

 ここで挫けてはいけない。


「周りに迷惑をかけるようなことはしない、と言ったんだ。今学期も、おまえが事件を起こすたびに学園から連絡がきた。私は頭が痛い」


 加えて、備品の請求書も。


 幸いなことに……と言っていいのか分からないが、今のところ、公爵家の資産を減らすようなことにはなっていない。驚くべきことに、ナタリアが考案した魔法のうち、いくつかには特許使用料としての収入が入ってくるからだ。


 買い取り先は、王立魔法研究所。

 魔法に狂った者同士には通じ合うものがあるのか、ナタリアの熱狂的な信奉者がいるという。どんな魔境なのか……想像するのも恐ろしい。



 公爵は娘の様子を伺う。ナタリアは、こちらの顔をじっと見ていた。めずらしく話をちゃんと聞いているようだ。


「とにかく、事件を起こすのはやめるんだ。分かったね?」

「……お父様」

「何だ、ナタリア」


 このときの彼は、言い分があるなら聞いてやろうという気持ちになっていた。


「すぐにピカピカとじっくりフサフサ、どちらがお好みですか?」


 書斎には、公爵の怒鳴り声が響き渡った。




 説教を終えたあと、娘を追い出した公爵は頭を抱えた。


 ……年頃の娘の考えていることが分からない。魔法の研究に夢中なのはよく分かっているが、それ以外はさっぱりだ。大体、あの質問はなんだ?どことは言わないが、年々薄くなっていくこちらへの脅しか?誰のせいだと思っているんだ。


 誰もいない空間にポツリと呟きが落ちる。


「母親が生きていれば、違ったのだろうか……」



 ナタリアの母親である公爵夫人は、若くして亡くなった。名家の出身ではあったが、もともと身体が弱く、持病を抱えていたのだ。公爵家に嫁いだのも、知り合いの紹介があってのこと。……ひっそりと咲く花のような女性だった。


 母親を亡くしたあと、幼い娘はしばらく呆けていた。どうしたものかと心配していたところ、ある日、突然魔法に興味をもちはじめたのだ。


 元気になったのは良いことだと、好きにやらせていたのがいけなかったのだろうか。

 ……いや、教育はきちんと行なってきたつもりなのだが。


 頭を抱える公爵を執事が呼びにくる。

 来客を迎えるために、彼は重い腰を上げた。




 ヴィッテンベルク家の客をもてなす優雅な応接間。壁には代々の先祖の肖像画が飾られていて、公爵家の歴史と品格を感じさせる。


 そこで待っていた青年は、公爵の姿を見て立ち上がった。


「ご無沙汰しております、公爵」

「よく来たね、セドリック」


 公爵は目を細めた。


 幼い頃から知っているセドリックの成長には、目を見張るものがある。学園での評判は聞いているし、ナタリアが学園生活を続けられているのも彼のおかげだろう。


 なぜ、そんなセドリックとナタリアが婚約に至ったのか。公爵は今でも詳しい経緯を思い出せない。しかし、あちらの意向もあって決まった話だ。


 セドリックとナタリアの顔合わせを両家が約束していた、あの日。

 客が来ると言っておいたのに、いつのまにか屋敷からいなくなっていた娘は、小さな少年に手を引かれて帰ってきた。──しかも、髪が短くなって。


 何事だと動転しているうちに、気がつけば話がまとまっていたのだ。宰相の手腕というものは侮れない。


 正直、娘にはもったいないほどの相手であった。

 しかし、セドリックを逃すとナタリアは……。


 世界広しといえども、あの娘を引き受けてくれるのは彼しかいない。



 ああ、今年は侯爵家に何を送ろう……。

 年を経るごとに、折々の贈り物は大きく重たくなっていくばかり。


 ナタリアの婚約者でいてくれる青年に、公爵は頭が上がらなかった。






 一方、書斎から追い出されたナタリアのほうは。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

「ただいま、ローザ」


 立ち塞がった乳母に出迎えられていた。


「どこもお怪我はなさっていませんね?」

「ええ」


 彼女の全身を上から下、前から後ろまで。乳母はじっくり確認すると、はーっとため息をついた。


「お嬢様は目を離すと、何をなさるか分かりませんからね。昔、髪が短くなってお帰りになったときには心臓が止まるかと思いましたよ。亡くなられた奥様にそっくりの美しい黒髪ですのに……」


 そう言われても、ナタリアは母親のことをぼんやりとしか覚えていない。身体の弱かった彼女の母親は、子どもと顔を合わせることさえ、ほとんどなかった。かすかに覚えているのは、生きている母親と会った最後の記憶。



 窓から射し込む光に透けるカーテン。

 薄暗い部屋に大きなベッド。

 屋敷の奥に息づいていた静謐な空間。


 庭の花はまだ咲いておらず、春からは少しだけ遠かった。



 ずっと寝たきりだった母親と、最後に何を話したのか。そのとき、母親はどんな顔で娘を見ていたのか。どんな声で娘の名前を呼んだのか。


 ナタリアには、思い出せないのだ。

 ただ、残された写真を見ると美しい人だなと思うけれど。



 ちなみに、彼女の顔立ちは父親に似ているため、儚く消えそうだった母親の面影はない。身体が弱いということもなかった。






 午後に食べるお菓子は決めていたので、ナタリアは厨房へ向かう。


 扉を開いた先では、すでに料理人たちが準備を終えていた。彼女のほうを見て、嬉しそうな表情になる。しかし、目つきは油断ならないものを見るときと同じであった。


 8歳のときに厨房を水浸しにする事件を起こしたナタリアは、料理人たちの間で要注意人物となっている。厨房へも出入り禁止となっているが、特例としてビスケットの型抜きだけは許されていた。もちろん、ナタリアは厨房への出入りを諦めていない。新たな魔法を生み出せそうな予感がするのである。


 ナタリアと料理人たちが向かい合っていると、再び扉が開いた。


「「おかえりなさいませ、おじょうさま!」」


 飛び込んできたのは、可愛らしい子どもの声。

 後ろにはセドリックがいるので、一緒にここまでやってきたのだろう。


 使用人の娘であるリタとダナ。7歳と5歳の小さな姉妹だ。以前ビスケットを食べさせたら喜んでいたので、型抜きも誘って数回やってみた。はじめは姉妹の母親も恐縮していたが、「お嬢様は一度決めたら譲らないから……」と周りから説き伏せられたようだ。子どもがいると、料理人たちの目つきも優しくなる。



 こうして、ビスケットの型抜きが始まった。


 セーラとも何度か食べたお菓子。

 学園に実家から送ってもらったのは、老舗の菓子店のビスケットだ。この地方では伝統的に各家庭で作られているお菓子でもあるので、家ごとのレシピは少しずつ違う。ヴィッテンベルク家のビスケットは、シンプルな生地に香ばしい木の実の粉が練りこまれていた。食べるときはサクサクしていて美味しいのだが、そういったビスケットほど型で抜くときは難しい。


 ……不器用なナタリアがやると、だいたい生地が折れたり、端が欠けたり、型にくっついたりするのだ。


 前回、器用な姉のリタはビスケットを手際よく抜いてみせた。ナタリアは妹のダナと同じぐらいの腕前だったのだが。


「みてください、うまくなったでしょう?」


「「………………」」


 隣から向けられるセドリックの視線が痛い。

 今回、ダナは完璧にビスケットを型抜きしてみせた。


 ……5歳の子どもにも負けてしまった。


 しかし、上手くなったのは事実だ。

 誇らしげに目を輝かせる少女をナタリアは褒めた。


「上手になったわね」


 厨房は、穏やかな雰囲気に包まれていた。




 型抜きを終えたナタリアと見張り役だったセドリックは、厨房を出る。二人分のビスケットは焼き上がったら、使用人が運んできてくれるだろう。


 いつものように居間に移動して、ナタリアは紅茶、セドリックはコーヒーを飲む。


 ひと息ついたところで、婚約者は告げた。



「課題をするぞ」


 担任から話を聞いているという彼は、ナタリアに自室から答案と課題を持ってこさせた。


「どうして、魔法理論はほぼ満点なのに魔法史の点はその半分もないんだ……」

「……覚える必要性を感じないんだもの」



 ナタリアの夏は、まだまだ終わりそうにない。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次話更新日は未定です。詳しくは、活動報告「お知らせ」をご覧ください。

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