第173話 約束の続き
約束は、交わした日よりも、その続きを歩く時間の方が長いのかもしれません。
今日から、新しい章が始まります。
朝。
空は高く澄んでいた。
優斗は玄関で靴紐を結ぶ。
もう、この動作に迷いはない。
「行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
拓海が新聞を畳みながら笑う。
灯からは朝早くにメッセージが届いていた。
『今日は行けないけど、歩きすぎないようにね。』
思わず笑う。
歩きすぎるなと言われても、この道へ来ると足が勝手に前へ進む。
国道へ出る。
車は今日も途切れない。
でも、不思議と急いでいるようには見えなかった。
それぞれの人に、それぞれの一日がある。
優斗は歩道をゆっくり歩く。
その途中、小さな花束が目に留まった。
ガードレールの根元。
白い花が数本。
新しいものだった。
事故現場ではない。
近くに慰霊碑もない。
誰かが、そっと置いたような花だった。
優斗はしゃがみ込む。
風が花びらを揺らす。
「誰かを想ってるんだな。」
その時、背後から声がした。
「毎週なんだ。」
振り向くと、犬の散歩をしている男性が立っていた。
六十代くらいだろうか。
犬は優斗の足元へ来て、尻尾を振る。
「毎週?」
「うん。」
男性は花を見る。
「ここへ置きに来る人がいる。」
「誰か知ってますか?」
男性は首を横に振った。
「知らない。」
少し笑う。
「でも、知らなくてもいいのかもしれない。」
その言葉が心へ残る。
名前を知らない恩人。
名前を知らない優しさ。
この国道には、そんなものがたくさんあった。
「この子。」
男性が犬の頭を撫でる。
「昔、この辺で迷子だったんだ。」
「え。」
「雨の日でな。」
犬は気持ちよさそうに目を細める。
「通りすがりのおじいさんが、一緒に飼い主を探してくれた。」
優斗は息を飲む。
「その人。」
聞かなくても分かる気がした。
「服は古かった。」
男性は笑う。
「黒い飴を舐めながら歩いてた。」
黒糖飴。
胸が静かに熱くなる。
「見つかったんですか?」
「うん。」
「泣きながら喜んでた。」
男性はリードを持ち直す。
「最後まで名前は聞かなかった。」
まただった。
また、名前を知らない。
でも、その人だけは、何度も誰かの人生へ残っている。
「ありがとう。」
優斗が小さく呟く。
男性は不思議そうに笑った。
「俺に?」
「いえ。」
空を見上げる。
あの人へ。
犬が一度だけ吠えた。
「じゃあ。」
男性は歩き出す。
「また国道で。」
その言葉が妙に嬉しかった。
優斗も頷く。
「また。」
国道では、「さよなら」より「また」が似合う。
歩きながら、ポケットへ手を入れる。
黒糖飴。
一粒。
包み紙を握る。
約束は、まだ終わっていない。
あの日受け取った優しさは、今日も誰かの隣で、生き続けていた。
第6章、第173話を読んでいただきありがとうございます。
ここからは「優しさの続きを」というテーマで、一つひとつの出会いを回収しながらラストへ向かいます。
今回は、老人が優斗だけではなく、昔から多くの人へ自然に優しさを渡していたことを、また一つ積み重ねました。
次回も、この国道でしか生まれない再会と約束の続きを描いていきます。




