大団円ですが、何かおかしいです
「見知らぬ天井だ……」
目を覚ましたぼくは、まずそう呟いた。思えば、この体に転生して、はじめて思ったのもそれである。病院の白い天井ならまだわかるが、なんだこれは? と混乱していたら、なんだかよくわからないけど、殿下、殿下と呼ばれて、鏡を見てびっくり、何このイケメン、だったのである。
まぁ、イケメンに転生してよかったことなんて、何もなかったけど。
さてさて、ここで自分がどこにいるのか考えよう。目に映るのは、豪華に装飾されていて、文化レベル的には、元いた貴族達がご当地レスラーしていた世界と近いか。まぁ、ファンタジー世界への転生なんて、どれも似たようなものなのかもしれないけど。何にせよ、今度はのんびりスローライフなんか送れたらいいなあ。
「お目覚めですが、殿下」
と思っていたら、ベッドの隣からどこか聞き覚えのある声を掛けられた。ここで、自分が一人ではなかったことをはじめて知る。変な発言をしないでよかった。
「君は……ロージアか」
左を見て、その人物の姿を確かめる。そりゃ聞き覚えがあるわけだ。というか、元々婚約者だったのに、どこか聞き覚えがある、というもの失礼な話である。
ぼくは上半身を起こす。ここで、違和感に気がついた。
「あれ?」
おかしい。どうしてだろうか、すんなりと上半身が起こせて、しかも体のどこも痛くない。体に違和感がないことが、違和感だ。
「え? あれ? 生きてる?」
「寝ぼけておられるのですか」
戸惑うぼくに、呆れた様子のロージア。いやいや。
「いや、確か私は、超大技を食らったよね? あんな超大技食らったら、普通、死ぬんじゃないか?」
そう。目の前にいる、この少女。この少女が、ぼくに、なんたらバスターを仕掛けやがったのだ。
はぁー、と深いため息をつくと、ロージアは口を開く。
「技を極めていないので、鍛えている貴族ならば、ダメージはないはずですわ」
いや、その貴族という存在に対する謎の信頼は何。
「なのに、殿下ときたら、技が決まる前に気を失うという体たらく」
「いや! 無茶を言わないでくれ! 逆さまの状態で、数メートルも宙に浮いたら、気を失うって」
「前々からですが、殿下は貴族としての嗜みに、少々至らぬところがあるといますわ」
いや、だってぼくレスラーじゃないし。王族ってプロモーター側の人間だし。
「王族なら許される、という顔ですわね。王族でも、時として興業を盛り上げるためにリングに上がり、乱闘に巻き込まれたり、技を食らったりすることがあるので、最低限のマナーは身につけておくべきかと」
マナーって、リングマナーやないかい。
「……まぁ、もう廃嫡されてしまう殿下には、関係のないことかもしれませんが」
「あー、やっぱりそうなったか」
うんうん、とぼくは頷く。なんだかんだ、場を盛り上げたことを両親は高く評価してくれてはいたが、それはそれ、これはこれ。ぼくがやらかしたことは、まさしく王族に対する造反であり、そりゃしかるべき措置が必要となるだろう。
「覆面王族かペイント王族として、正体を隠して復帰するという手もありますが」
「ごめんこうむる」
なんだ、覆面王族にペイント王族って。アニメの悪役にありがちな設定ではあるけれども、もうこれ以上、この国のギミックに巻き込まれるのはごめんである。
「そう言われると思いましたわ。あの試合の時も、完全に王族に戻る気のない言動でしたし」
「確かにねえ」
愚民とか言っちゃったもんねえ。基本的には、国民は、大切な興業のお客様である。国民あっての、貴族。貴族あっての王族である。この国では、国民はかなり自由に自分の領地を治める貴族を選べるシステムになっていて、つまり国民をないがしろにする、というか、不人気貴族になってしまえば、一気に食いっぱぐれるという恐ろしいシステムなのである。そりゃ、貴族達も体を張るわけだ。
「というわけで、乱心した殿下の身柄を、いったん私どもの手で引き取るという形で、ここへ運ばさせていただきました」
「ということは」
「ええ。ここは私どもの屋敷ですわ」
一度も足を運んだことのなかった元婚約者の家に、こんな形で訪れることになるとは、夢にも思わなかった。
「けど、私がぴんぴんしているということは、かなり手加減をしてくれたのだよね? 一応、手加減なしの勝負、と言っていた手前、観客は許してくれたのかい?」
ここでもう一つの気になっていたことを尋ねた。最後の最後の大詰め、フィニッシュホールドで手を抜くなどということは、観客に対する裏切りに近い。盛り上げに盛り上げて、オチがしょぼすぎる漫画、みたいなものだ。総ブーイングものである。そして、そんなヘマを、この悪役令嬢が許すとは到底思えない。
「その辺りは、ちゃんと仕込んでおりましたわ」
「え?」
「ハート伯爵領の三巨頭――彼らは私たちとも通じていたのですわよ」
「どういう?」
これにはぼくもびっくりだ。まさかのあのモヒカン達がぼくを裏切っていたなんて。
「大したお願いはしておりませんわ。ただ、最後のフィニッシュホールドの際、技を決める直前に土煙を大量に発生させるギミックをお願いしただけで」
「……そうか」
裏切ったなんて一瞬でも思ってごめんなさい。実に仕事のできるモヒカン達である。
土煙に塞がれる視界。その土煙が徐々に晴れていくと、そこで観客の目に入るのは、技が完全に決まったフィニッシュホールドの姿。完璧な演出である。
「幸い、殿下は気絶なされていましたので、そこはポイントが高かったかと思いますわ」
だったら、もうちょい褒めてくれ。
「あれ?」
ちょっと待ってくれ。確かにぼくはそれでごまかせるかもしれないが。
「ゴンゾ男爵の方は、普通にあの技を食らってしまったのでは?」
ここでまた、ロージアが深くため息をついた。
「ゴンゾ男爵のタフネスは本物、いえ、まさしく貴族の中の貴族ですわ。むしろゴンゾ男爵も殿下に合わせて、気絶するふりをなされたぐらいでしたのに」
まじか。すごいな、ゴンゾ男爵。
「ゴンゾ男爵の方も、薬の治療をするという建前で、私どもの屋敷にお迎えしておりますわ」
なるほど。なら、後でゴンゾ男爵にも挨拶をしておこう。今回は本当にお世話になったし。
「ところで――」
ぼくは改めて、ロージアの姿を見つめる。
「君は、そんな顔をしていたんだな」
露骨に呆れられるかと思ったが、ロージアは少し自虐的な笑みを浮かべただけだった。
その黒くて長い髪は、宝石のように光を反射している。目もつり目気味で、目力が強いから、怖いと思われがちだけど、くりっと大きいし、肌も傷一つない陶器のようだ。無論、鍛え抜かれた肉体のスタイルは抜群である。
「今まで、全く自分が、君に向かい合おうとしていなかったことが、よくわかるよ」
建国祭でのイベントのためだけの仕込み。予定調和の婚約破棄。そんなものに振り回されることに、ぼくは心底うんざりして、彼女のことなんて見ようともしていなかった。それは、ヒロインのマリアも同様である。ただ、どうにか、こんな馬鹿げた仕込みから逃げられないかとばかり考えていた。
今となっては、その考え方は間違いで、そのシナリオが気に食わないのなら、ぼくは真正面から立ち向かうべきだった。塗り替えてやればいいのだ。ぼく自身のノブリスオブリージュで。
「すまなかった」
ぼくはロージアに頭を下げる。本来なら、仕事のパートナーであったはずの人間が、散々逃げ回っていたのだ。彼女に掛けた迷惑は計り知れないだろう。
「謝罪は不要ですわ、殿下。そもそも悪役令嬢を受け入れたのは私どもの方ですし。それに悪役令嬢として断罪されるのは名誉なこと。トップ悪役としての地位を確立できますから」
「まぁ、確かに、ねえ」
そこがこの国のおかしなところで、悪役令嬢は、一応、敗北して処罰されるという形にはなるのだが、国というか王子の勝手な都合で婚約破棄された、という事実が国民に同情的に受け入れられて、それこそ王族の縛りを一切受けないトップ悪役として振る舞うことが許されるのである。例えば、試合への乱入とか、王族のプロモートへの介入とか。
王族へ反逆するのも当然のこと、むしろどんどん反逆すべき、というカードを手に入れることは、まさしくこの国最強の悪役になることに他ならない。だからこそ、彼女のような、人気実力ともに最高峰となりうる人材が選ばれるのである。
「当初の想定とは異なる形になりましたが、まぁ、これはこれで得るものは大きかったので」
前代未聞の王族とのタッグマッチ。そして、その王族が仕掛けてきたのは、貴族を化け物に変える薬というわけで、そりゃまあ大盛り上がりだったわけである。ある意味、慣例通りの悪役令嬢よりも、得るものは大きかったかもしれない。
「それに個人的な事情ではありますが――殿下に婚約破棄をしていただいたことには、深く感謝をしておりますわ」
「え?」
そう聞き返すと、ロージアは耳まで真っ赤にして俯いた。え? なんでここでデレモード?
「私は、今回の一件で、運命の人と出会えましたから」
そう言って、きゃーと両手で顔を押さえるロージア。急に別人みたいになってしまった。え。どうしたの?
「運命の人って?」
なんか、訊け訊けオーラを感じたので、尋ねてみた。
「……ゴンゾ男爵様、ですわ」
そう言って、ロージアは足をばたばたとさせる。かわいい仕草だけど、相手は、ゴンゾ男爵? もっとかっこいい護衛騎士とかそんなんじゃなくて。
「半分諦めていましたの。私の理想の殿方には、もう会えないんだって。そんな人はこの世にはいないと」
そんなぼくの戸惑いをよそに、語り始めた。もしかして、それを語りたいがために、ぼくのベッドの側で目覚めを待っていたのでは。
「まぁ……ゴンゾ男爵が素晴らしい人であることは、私もよく知っているけど」
領民のために、熊とステゴロで殴り合うほどのお方である。ぼくのパートナーになって欲しいという依頼も、快く引き受けてくれたし。本人は、演技が下手で、やられ役しかできないことを気にしていたけど。でも、今回モヒカン達と開発した、体が緑になるというギミックをうまく活用すれば、もっと活躍の幅は広がると思う。モヒカン達も、緑に光るファンデーションの改良にすごく乗り気だったし。
「ええ! その通りですわ! この婚約破棄されたというタイミングで、しかもゴンゾ男爵はまだ婚約者もいない、絶好の状況でしたの!」
熱を持って語り出すロージア。まぁ、年上、というか、おじさんがタイプだったのは意外だったけど。本人、幸せそうだし、まぁいいか。
「私、ずっと憧れておりましたの。私の全力の一撃を見舞っても耐えられる方と、添い遂げることを」
ロージアは、キラキラと、まさしく恋する乙女の瞳で言った。
「……今、この瞬間、心の底から婚約破棄をしてよかったと思うよ」
*
荷造りを終えたぼくは、ロージアの屋敷の玄関を出て、馬車へと乗り込もうとしていた。しかし、元々王族だったはずなのに、婚約破棄の場でブック破りをしてから、従者もなく一人で行動してばっかりだなあ。まぁ、動きやすいから気にしてはいないけど。
「殿下」
馬車へと向かうぼくの背中に声がかけられた。振り返ると、そこのいたのは――
「マリア」
「お久しぶりです」
ヒロイン、になりそこねた少女は、ぺこりと頭を下げる。改めて見てみると、きつい印象を与えるロージアとは違う超美少女だなあ、と思う。
「あ、えっと……」
思えば、今回の一件では、この子が一番割を食っているんだよなあ。形だけとはいえ、王族に輿入れする話がなくなってしまったわけだし。
しかし、そんな恨みがましい様子はまったくなく、今までと同じ様子で彼女は語りかけてくる。
「ロージア様から、今日出発なされるとお伺いしまして。ご挨拶できればと」
「あぁ、そう」
コミュ障かぼくは。けど、なんて言えばいいんだろう。
「お元気そうでよかったです。気を失われていたときには、ちょっとヒヤッとしましたので」
「その節は大変ご迷惑を」
ぼくは頭を下げる。もう王族ではなくなったので、位の低い者に気安く頭を下げるな、とか、その辺り気にする必要もない。
「いえいえ。まさか、ロージア様やっちゃった? と思って驚きましたけど、大丈夫ですよー」
曇りのない笑顔で、不穏当なことを言うなあ。
「けど、もともと悪役令嬢だったロージア嬢に関しては、特に失うものはなかったと思うけど」
むしろ、運命の相手を見つけてギラギラしていた。
「君には、申し訳ないことをしたと思っている。本来だったら、あのまま王族に――」
「それでしたら、国王陛下のご厚意で、養女として迎えていただけることになったので、大丈夫ですよ」
「あ、そう……」
そういう選択肢もあるのなら、そもそもぼくを巻き込んで婚約破棄劇場なんて、やらなくてよかったのでは? とにかく盛り上がればよし、といううちの両親の考え方は、時としてはありがたいけど、全体としてはやはり迷惑である。
「それを言うなら、殿下の方が……これからどうなされるおつもりなのです?」
さすがはヒロイン。優しいね。
「それなら大丈夫だ。今回の一件で知り合ったモヒカン――じゃなかった、ハート伯領の方々に『行くところがねえだあ? だったら、俺らが奴隷としてこき使ってやるぜ、ヒャッハー!』という申し出をいただいている」
「……それ、受けてもよいものなのですか?」
まぁ、そう思うよね。でも、もはやモヒカンマスターと言っても過言ではないぼくは違う。
「これは、『行くところがないなら、うちにくればいい。望むなら、しっかりと勉学に励めるよう、便宜を図ろう』という意味だよ」
「本当ですか?」
信じられない、という顔でマリアはぼくを見る。まぁ、あのキャラ設定だけを見れば、そう思うのも無理はない。しかし、ぼくは彼らと接して、こう思うのだ。ここがもし本当に乙女ゲームの世界だったとするなら――彼らモヒカンこそ攻略対象であるべきだと。
いや、冗談抜きで、超高スペックのインテリばかりだし、性格もいい。まさしく、この国の良心であり、知性だ。自分がもしプレーヤーなら、間違いなく多種多様なモヒカン達を攻略するぞ。モヒカンに囲まれる、モヒカンハーレムエンドすらありだと思う。
「安心していい。彼らはこの国の良心であり、そして未来だ」
「殿下がそこまでおっしゃられるのなら、そうなのですね」
安心した様子で、マリアは微笑んでくれた。その姿はまるで天使のようである。ややこしい裏事情さえなければ、普通に好きになっていたかもしれない。まぁ、もう、全てはいまさらだけど。
ぼくはもう王子ではない。ただのレオンだ。ここからは己の力だけで、生きていかなくてはならない。
思えば、ぼくは甘えていたのだろう。後先考えずに、婚約破棄の後、ブック破りを行ってしまった。ロージアが、あのような形でフォローしてくれたから、こうしてなんとかなったが……単純に興業を潰したという形になっていたら、両親からどんな仕打ちを受けていたのか、想像するだけで肝が冷える。最初は、むちゃくちゃを言いやがって、と思ったものだが、ロージアはぼくを守ってくれたのだろう。
「……君たち二人には、迷惑を掛けた」
「いえいえ。結果的に元のシナリオよりもよくなりましたから、結果オーライというやつですよ」
マリアはにこりと笑ってくれる。こういう親しみやすさが彼女の魅力なのだろうな。そりゃ、多くの男たちが攻略されてしまうわけだ。
「では、これから殿下は予定通りハート伯爵の領地へと行かれるのですね」
「あぁ。それと、もう王族ではないから、殿下はやめて欲しい。といっても、今さら名前で呼ばれるのも、と思うな」
「でしたら、『殿下』というあだ名だと思ってください」
冗談めかして、マリアは言ってくれる。ありがたい申し出だ。
「そう言ってもらえると、助かる。これから、私は、ハート伯爵領で、ただのレオンとして、しばらく勉学に励むつもりだ。ここへ来て、今さら自分探しなど、とは思うがね」
冗談めかして、ぼくは言う。ただ、今のぼくは十八歳。元いた世界では、大学へ入学する年齢だ。その意味では、遅すぎるということもないだろう。
「わかりました。頑張ってくださいね」
マリアは、胸の前で、ぎゅっと両手を握りしめる仕草をする。こういうところがヒロインっぽいなあ。
「じゃあ、行ってくるよ」
ぼくは彼女に手を振り、馬車へと乗り込む。
「行ってらっしゃいませ。こちらは、ロージア様と私からのお餞別です。きっと、これから、殿下のお役に立つと思います」
馬車に乗り込んだぼくに、マリア嬢は両手で抱えられる程の包みを渡してくれた。
「ありがとう。きっと――二人のことは忘れないよ」
「私もです。いつか、また殿下にお会いできる日を楽しみにしています」
「あぁ、そのときには必ず、一角の人物にはなっていることを約束しよう」
ぼくとマリアは握手を交わす。これで、ぼくたちはさようならだ。王族だったぼくは、もういない。
見送りに手を振ってくれるマリアに向かって、手を振り返しながら、馬車はゆっくりと進んでいく。彼女の姿はどんどんと小さくなって、やがて道を曲がって見えなくなる。
さようなら、みんな――
ここからが新しいスタートだ。ぼくは心の中で、そう呟き、彼女たちが選別としてくれた包みを開け始める。大きな包みの中から現れたのは――トゲ付き肩パッド。
――きっと、これから、殿下のお役に立つと思います
忘れていた。やはり、この国は、何かがおかしい。