ロミオとジュリエット
11月 27日 (月) 文化祭当日 一日目
『レオ君、朝やよー』
んぅ……なんか聞こえる……。
シアの声じゃない……あぁ、きっと夢だ。
俺を起こしていいのはシアだけだ。
『おいシスコン、起きんと噛むで』
カブっと耳のあたり何か……フサフサした感触。
なんじゃ……なんか……耳がくすぐったい、そしてなんだ、この生々しい息使いは。
『おーきーろー! レオ君おきーな! はっ、そうか、キスやな?! キスすれば起きるな?』
鼻をくすぐる何か。
なんだろう、目の前に何かモフモフの物体が……
「ふぁ……ブエックショァー!」
『ひぎゃぁぁぁ!』
思いっきりクシャミしながら目を覚ます俺。
ん? なんかマルチーズ藤崎が倒れてる。電池切れか?
「どうした、マルチーズ藤崎……って、お前なんか濡れてんな」
『キサ……貴様! あんたのクシャミや! キスして起こしたろうと思ったんに!』
あぁ、鼻がくすぐったいと思ったら……マルチーズ藤崎の毛だったのか。
「まあそう怒るな、マルチーズ藤崎。責任もって俺が洗おう」
『いいわ、シアちゃんに頼むから。レオ君大雑把そうや』
う、否定できん。
『そんなことより朝ごはんやで。もうオッサンも起きてるでな』
「なにぃ! お父様が! 何故にそれを早く言わん!」
急いで着替え……といっても昨日の制服しか……って、あれ?
昨日俺が着てきた制服が無い。
『おばさんが洗っとったで。まあそのままトランクス一丁でいいやん』
「言い訳あるか! お父様の前で……!」
『じゃあちょっと……おばさんに聞いてきたるわ。制服乾いてるかーってな』
お、おおぅ、頼む……。
マルチーズ藤崎は勢いよく部屋を飛び出しキャンキャン言いながら……
『おばさーん、レオ君今パンツ一丁やでー、制服乾いてるー?』
おい、犬! お前何言ってんだ!
「きゃーっ! ほんとに? 今行くよー! リオくーん!」
キャー!
紗弥さんが来る! やばい! 布団に隠れるしか……
『何してん、男の癖に……あぁ、そういう事かーっ』
何故か布団に潜りこんで来る犬! おい、やめろ! マルチーズ藤崎!
『よいではないかー、よいではないかー!』
ええかげんにせえ! とマルチーズ藤崎の首根っこを掴んで布団から出ると、目の前に麻耶の母親、紗弥さんが……!
「あらあら……いい体してるわねぇ、リオ君……うふふのふ、目の保養にちょうどいいわー」
「ひ、ひぃ! ご、ご勘弁を! おはようございます!」
マルチーズ藤崎を抱きしめながら縮こまる。
すると紗弥さんは綺麗に畳まれた制服を机の上に置いて行く。
「おはようーっ。ぁ、朝シャワー浴びる? 今シアちゃんが入ってるから……ぁ、兄と妹で仲良く入る?」
「お、俺に死ねっていうんですか! あ、あとで頂きます!」
「はーい、朝ごはんいつでも食べれるようにしてるからねー」
そのまま出ていく紗弥さん。
うぅ、びっくらこいた……。
『ほらほら、今日本番やねんで。シアちゃんもうそろそろ出るとちゃう?』
「あぁ、そうか……じゃあシャワー借りるか……悪いがマルチーズ藤崎、俺の盾になってくれ」
そのままマルチーズ藤崎を抱きしめながら、制服類を持って脱衣所の前に。
シアは入ってるだろうか。コンコン、とノック。
「返事は無いな……どうだ、マルチーズ藤崎、中に人は居るか?」
『居ないんとちゃう? ノックしても返事ないんやから』
そうか、そうだよな。
いや待て、作者の性格からして何かトラップが仕掛けられていると見るべきだ。
ノックなど当てにならん。
『そんな事いってたら……リオ君、ずっとそこで立ち尽くす事になるで。大丈夫やって、中には誰も居らんから』
そうか……なら……
と、ドアを開けた瞬間……俺は絶句した。
「ぁ、兄様。シャワーですか?」
「ぎゃー! シア! なんでノックしたのに返事しないんだ! しかも制服ちゃんと着てるし……! 残念でならん!」
「いえ、兄様が来ると分かってたので。ちょっとからかってみようかと……っていうか残念でならんって……」
『リオ君の変態』
五月蝿い犬。
「では兄様、まだ時間はあるのでしっかり綺麗にしてくださいねー」
シアと入れ替わり脱衣所に入る。
なんか朝から疲れた。
『それはそうとレオ君。いつまで私抱っこされとるん?』
「あぁ、いや、シアもう制服着てただろ。まずマルチーズ藤崎を洗おうと思って……」
『なら一緒に入ろかー、さっさとパンツ脱ぎや』
だが断る。まずはお前を水洗いする。
それからゆっくり入らせてもらおう。
※
マルチーズ藤崎を水洗いした後、ブラッシグとドライヤーまでやらされた。
その後俺自身もシャワーを借りて制服に着替える。ちなみに先程まで履いていたパンツはお父様のだ。
俺のパンツは既に紗弥さんが洗ってくれたので、変えてないという事は無いのでご安心を。
『そうやな、貴重なレオ君着替えシーン見せてもらったわ』
って、マルチーズ藤崎! 何故まだ脱衣所に!
『だってレオ君、扉開けてくれへんから……大型犬ならともかく、小型犬があの位置のドアノブ回すんは無理や』
言えよ!
まあ仕方ない。ちょっと抱っこさせよ。なんかモフモフ感が気に入った。
『麻耶が嫉妬せん程度に頼むで』
マルチーズ藤崎を抱っこしつつ、脱衣所から出てリビングへ。
そこには既に朝食が用意されており、俺以外の面々が揃っていた。
「ぁ、リオ君……おはよう」
麻耶が挨拶しつつ近づいてくる。
そして俺からマルチーズ藤崎を取り上げると、もふもふ感を楽しむように抱きしめた。
「おはよう麻耶、お父さん、おはようございます」
「あぁ、おはよう、リオ君」
そのまま紗弥さんが用意してくれた朝食を頂く。
おお、焼き魚に味噌汁、それに白米。むむっ、このオカズは……もしかして肉じゃが!
「いただきます……」
「どうぞー、お口にあえばいいけど」
合うに決まっている!
さっそく肉じゃがのジャガイモを一個頂く俺。
うむぅ、ものすごく硬くてゴリゴリ感がハンパない。
なんだろう、この凄まじい歯ごたえ……。
って、あれ……なんか予想してた肉じゃがと違う……
「どう? リオ君、美味しい?」
「…………あ、はい」
チラっとお父さんを見ると、なんか渋い顔で「スマン」と片手でジェスチャーしてきた。
成程……妙にお父さんの料理が美味いのは……こういう事か。
「そ、そういえば兄様、ロミジュリって何時からでしたっけ?」
妙にわざとらしい会話の振り方をしてくるシア。
ロミジュリの時間……本日、体育館で行われる演劇は五本。
確か「トラの惑星」「本当に無かった笑い話」「侍零式」「姫様は騎士になりたい」そして「ロミオとジュリエット」だ。観覧は勿論無料。一本三十分で、合間合間にライブとか漫才とかがある。
んで、肝心の時間は……何時だっけ。
「すまん、マルチーズ藤崎、何時からだっけ」
『なんや、忘れたんか? 一日目のラストやから午後15時からや』
ふむ。
『ちなみに一日目は生徒と身内の家族のみ、二日目からは一般公開や。おばさんとおっさんも普通に見れるで、ロミジュリ』
その時、俺は見た。
お父さんの目がギラギラと光るのを……。
あぁ、そういえば新品のビデオカメラ買ってるんだっけ、この人……。
俺と麻耶のロミジュリが永久保存版にされてしまう。
そのまま朝食を終え、学校へと向かうべく玄関に整列する俺達。
マルチーズ藤崎は俺のサブバックの中に入っている。頭だけ出して。
「じゃあ、行ってきます。ありがとうございました、俺の誕生日祝ってもらって……」
「いえいえ~ またいつでも来てね~」
明るく手を振る紗弥さん。
それに対し、お父さんは俺と目が合うなりGJサインしてくる。
あぁ、やばい、今日のロミジュリは絶対にミスれない。
「ご飯、ご馳走様でした」
シアも挨拶し、朝霧邸を後にする。
本日は三人と一匹で登校。
空は気持ちのいい快晴。
まるで気合を入れろ、と神様が言っているように、冷たい風が静かにゆっくり吹いている。
「よし、行くか」
高校最後の文化祭。
せっかくだ、とことん楽しんでやろう。
※
我が校の文化祭は四日間。
初日は生徒とその身内のみ。二日目からは一般にも公開される。
午前九時に開会式が行われ、生徒会長 花京院千尋によって開会宣言が行われると、全校生徒が咆哮し文化祭がスタート。
『リオ君リオ君、ロミジュリまで時間あるんやし、遊ぼ遊ぼ!』
ふむ。
麻耶に抱っこされたマルチーズ藤崎はハイテンションに尻尾を振っている。
遊ぼと言われてもな……俺は食べ歩くくらいしか思い浮かばないが。
『ええやんええやん、私たこ焼き食べたいわーっ』
「たこ焼きか。麻耶は?」
「ぁ、じゃあ私も……」
……?
なんか麻耶、元気ないな。
「どうした麻耶。なんか……震えて無いか?」
「……いや、ちょっと……緊張して……」
そうか、そりゃそうだよな。
麻耶の緊張を解さなければ。しかしどうすれば……
『演劇部ー、終始ずっと演劇やりっぱなしデス。興味ある方はドウゾ文化棟二階、演劇部の部室へどうゾー』
その時、俺の耳に届いてくる聞き覚えある声。
この声は……
『演劇部ー演劇部ー……っと、リオに麻耶に……犬? 校内にペット連れ込むのは校則違反ですヨ』
「おはよう、マクティ。まあこの犬は……ただのぬいぐるみだ」
『そうですか。何やら尻尾が凄まじく動いてますガ……』
止まれ! 犬!
「そ、それよりマクティ、演劇部ってずっと演劇やってるのか?」
『なにせ演劇部ですからネ。ドリンクやお菓子も売ってますヨ。ぁ、これ良かったらどうゾ。ドリンク無料引換券でス』
マクティから三枚の無料引換券を貰う。
ん? 三枚?
『義体の無届変更は立派な犯罪ですヨ、瑠衣』
そのまま立ち去るマクティ。
お、おおぅ、バレてる。まあマクティなら言いふらす事は無いだろうが。
『マ、マクティちゃん……私苦手やねん、あの子元々……大戦の最前線で戦ってた軍事AIやし……』
あぁ、そんな事言ってたな……軍事AIだから変な口調は許してくれって……。
って、大戦?! マクティってそんな人生の大先輩だったのか!
『なんでこの学校に居るのか知らんけど……』
「別にいいじゃない、瑠衣」
その時、麻耶はマルチーズ藤崎の頭を撫でつつ、その顔は既に緊張から解き放たれている。
「私はマクティちゃん好きだよ。面白いし優しいし……後輩なのにお姉さんみたい……って、実際お姉さんなのか」
「そうだな、俺もマクティの事は好きだ、勿論友人としてって意味だぞ」
二人してマルチーズ藤崎の頭を撫でまわす。
おお、いつ触ってもモフモフだな……。
『だぁぁぁ! 分かったから! そんなに撫でまわさんといてや! パーマ掛かってしまうやんか!』
頭を振るマルチーズ藤崎。
俺と麻耶は顔を見合わせ笑い合う。
「ぁ、麻耶、演劇部行くか? 勉強がてら。ドリンク無料券も貰ったし……」
「うん……私も見たい」
満面の笑みの麻耶を見てホっとする。
もしかしたら……昨夜した話を気にしてるかもしれない。
俺の今後……将来を話を。
※
文化棟二階。演劇部の部室前に来ると、既に行列が出来ていた。
なんてこった、こんな人気だったとは……。
「凄い人だな……出直すか?」
「そう……だね……」
残念そうな麻耶。
ック……これがデートだったらマイナスポイントだ!
いや、って言うかむしろ……これデートみたいなもんじゃないか?!
マルチーズ藤崎が居るから……なんかまだ救われているが。
その時、俺の制服を後ろから引っ張る誰か。
誰じゃ? と振り返ると、そこに居たのは戸城さん。
「先輩! 見に来てくれたんっすね!」
「あぁ、戸城さん。でも凄い人だし……」
「大丈夫っすよ? 三年は優先的に入れるっすから。しかもお二人ならもう誰も文句いいませんよ」
そのまま戸城さんに手を引かれ、行列を掻き分けていく。
ちょ、ホントに大丈夫?! なんか周りからブーイングされそう!
「あー、すいませんすいません、三年生の学年一位と二位のお通りっすよーっ、文句ある人は早乙女部長にいいつけるっすよー」
するとまるで海が割れたように左右に別れる行列。
え、な、なんで?
「ど、どうぞ! 先輩!」
「お通りクダサイ!」
「あ、あとでサインください……!」
「なんで犬が……」
な、なんか恥ずかしい。
麻耶も顔をマルチーズ藤崎で隠しながら着いてくる。
「と、戸城さん……な、なんでこんな……」
「当たり前じゃないッスカ。学年一位二位なんだし、それに何といっても早乙女部長の友人でありクラスメイトなんですから」
早乙女?
あいつ、そんな恐れられてるのか?
「演劇部を纏めてる人っすから。早乙女部長本人より……ほら、演劇部って変人多いですし……」
あぁ、その変人共を纏めてる早乙女は、さらに変人だと思われてるって事か。
別にそこまで変人でもないけどな。時々変だけど。
部室内の席まで案内されると、以前映画を見た時と同じようにパイプ椅子が並べられていた。
そして目の間には舞台。どんな演劇をやるんだろうか。
「ぁ、戸城さん、これマクティから貰ったんだけど……」
「あぁ、ドリンク引換券っすね。コーラにジンジャーエールにポカリにお茶にアップルジュースに……」
け、結構揃ってるな。
じゃあ俺はコーラにしようかな……。
「じゃあ私もコーラで……瑠衣は?」
『私ジンジャーエールでー』
それぞれが戸城さんに注文。
むむ、戸城さん……犬が喋ってるのにあんまり驚かないな。
「あぁ、喋るシベリアトラを知ってる俺にとっては大した驚きじゃないッス。っていうかさっきマクティから聞いたッス」
なにぃ! マクティ言いふらしてるのか?!
「親しい人だけにっすよ。クリス先生も「フーン」って言ってました」
うおおい! 教師の中で一番知られちゃアカン人に知られてる!
不味い、クリス先生には逆らえる気がしない。その犬、捨ててらっしゃい、と言われたら捨てるしか……
「ぁ、そろそろ始まるッスヨ。紅葉先輩が主演っす。じゃあ楽しんでってください」
立ち去る戸城さんへと手を振る麻耶とマルチーズ藤崎。
ふむ、紅葉先輩……確か女子寮に潜入した時に会った双子ちゃんの……姉の方か。
室内の照明が落とされ、演劇部の舞台が始まる。
ステージの上に現れたのは白いドレス姿の紅葉。
どうやら世界感は中世ファンタジーのようだ。
ただの町娘が一国の王妃に無理やり祭り上げられた。
だが一部の幹部と騎士は王妃の存在を認めず、クーデターを起こす。
王妃は元々騎士を志していたらしく、涙を流しながら憧れの騎士達を葬っていく。
『この国は……私が導きます……』
王妃は無理やりに……その地位に着かされたというのに、自分に背負わされた宿命に目を反らす事なく使命を全うしていく。幼い頃、友に過ごした幼馴染ですら殺してしまった王妃。
『後ろは振り返らない……私は後悔なんてしない』
堂々とした演技に思わず息をすることすら忘れて見入ってしまう。
あれが本当に紅葉なのか。初めて会った時は怯えるような態度だった女子生徒が、ステージの上では堂々と役になり切っている。
そして物語はクライマックス。
クーデターを企てた黒幕は、かつて王妃に剣を指南した騎士だった。
その騎士は、ただ王妃を助けたかった。一国を背負わされたただの娘を。
『騎士達よ! この男を見よ! この国を脅かす逆賊は……私の手で処刑される!』
王妃は泣いていた。
かつて、騎士になりたいと……今まさに処刑しようとしている男に教えを請うたのだ。
そんな男を、クーデターを起こし自分を助けようとしてくれた男を処刑しなければならない。
『王妃……この老いぼれを……お許しください……』
その言葉を最後に、男の首に剣は振り下ろされた。
王妃の真っ白なドレスに飛び散る男の返り血。
『私は忘れない……この血は彼と私の覚悟の血……忘れるわけにはいかない、……血の赤い、この色を』
そこで物語は終了する。
周りからは鼻をすする音が。
どうやら女子を中心に泣いているようだ。
麻耶はどうだろう……と隣を見ると、マルチーズ藤崎の体に顔を埋めていた。
あぁ、どうやら号泣のようだ。
その時、室内の照明が付けられる。
ステージの上には主演の紅葉。
『み、みみみなさま……ほ、ほんじつ……ほんじつは? ど、どうもお疲れ様……いや、えっと……お越しいただいてありがとう……ございまする……』
やばい、緊張であがりまくってる。
しかし俺が知ってる紅葉だ。
客席の生徒も、そのあまりにのギャップが可笑しかったようで、泣いている生徒も笑顔に。
麻耶も泣きながら笑っていた。
『え、ええっと……次の公演は……一時間後です、主演は……猫屋敷 空さん……です』
おおぉ、と一瞬歓声が上がる。
むむ、有名なのかしら。
「たしか……美少女コンテストでエントリーしてる一年の子だよね……凄い可愛いって……」
マジか、美少女コンテストって二日目だっけ?
むむぅ、チェックしとかなければ……と、その時麻耶から痛い視線が。
いや、全然浮気とか……そういうのじゃないから!
※
それから演劇部の公演の感想を言いつつ、食べ歩く俺達。
マルチーズ藤崎は一体どこに入ってるのか分からない程に食いまくっている。
そんな食欲剥き出しの犬を尻目に時間を確認。もうすぐ正午だ。そろそろ教室に向かわねば。
「麻耶、そろそろ行くか。早乙女にドヤされる……」
「ま、待って……リオ君……あの、昨日の話だけど……」
あぁ、昨晩した……大学の話か。
「……そんな焦って答えなくてもいいぞ。麻耶にだって色々あるだろうし……」
『ン? なんの話?』
麻耶に抱きかかえられながら、前足で器用にチョコバナナを食べている犬。
犬がチョコ食ったらダメなんだぞ。
「リオ君……私はっ……」
その時、俺の携帯が鳴り響いた。
画面を確認すると相手は千尋。げ、早く来いって事か?
「麻耶、とりあえず教室行こう。今はロミジュリに集中だ、紅葉に負けないくらい……いい公演にしよう」
「……うん」
※
教室では既にクラスメイトが準備を始めていた。
俺と麻耶は遅くなったことを早乙女に謝りつつ、最後の練習をする。
これが高校最後のイベント。
もう泣いても笑っても本当に最後だ。
俺達の高校生活はもうすぐ終わる。
そして皆それぞれの道へ歩き出していく。
俺も……麻耶を守る為に……
軽く一度動きのチェックや細部の調整を早乙女にしてもらい、時刻は午後二時。
ロミジュリ公演まであと一時間。
「よし、じゃあ皆……ちょっと注目」
千尋がクラスメイトの前に立つ。
皆緊張している。当然だ。元々は実力テストで勝ち取ったロミジュリ。
失敗すれば他のクラスに申し訳が立たない。
俺達にはロミジュリを成功させる義務がある。
「えー……いよいよ本番だ。その前に一つ……皆に言っておきたい事がある。実は昨晩、俺の元に一通の手紙が届いた。差出人は……実力テストで俺達にロミジュリの演目を譲る事になったクラスの一つ……情報技術科からだ」
情報技術科……確か進学科に次いで総合点が高かったクラスだな。
結構僅差だったと聞いたが……。
「では読み上げる。えー……進学科の可愛い子猫ちゃん共へ」
……おい。
なんだその出だしは!
「ロミジュリの公演、おめでとう。だがこれで終わりだと思うな。俺達は俺達の演劇でお前等を圧倒する。せいぜい足掻くがいい」
……情報技術科……なんかイメージと違うな。こんな好戦的な奴らだったか?
「高校生活最後の文化祭だ。せいぜい楽しめ。健闘を祈る。以上だ」
クラスメイト達は何だか肩の力が抜けたようだ。
そうか……情報技術科の連中にまで気を使わせてしまったのかもしれない。
実力テストでロミジュリの演目を勝ち取った俺達が、いざ本番で緊張しまくっている事は御見通しだったという事か。
「皆、情報技術科の奴らが言う通りだ。これが高校最後の文化祭だ。成功失敗は気にする必要はない。多少ミスはするだろう、だがそのくらいが丁度いい。フォローし合うのが楽しいんだ、こういうのは」
そのまま誰が言いだすまでも無く、クラス全員で円陣を組む。
あぁ、こういうの初めてだ。
「まあでも目標はあったほうがいいな……客席に居る人間全員泣かす。行くぞ!」
千尋監督指揮の元、全員が「おう!」と応える。
いよいよ始まる。俺達の……ロミジュリが。
※
薄暗い舞台の袖。
私は白いドレスに身を包んでいる。
瑠衣やクラスの皆が作ってくれたドレス。
緊張は勿論ある。でもさっきみたいに震えたりはしない。
「麻耶、似合ってる」
「うん、ありがとう……瑠衣……って―! あれ?! いつの間に人間に?!」
「あぁ、さっきリオ君のお父さんが持ってきてくれたんや。やっぱこっちのほうがいいなー。っていうかなんか前のより動きやすいかも……流石やな」
一日で直せる物なのか。
しかもアップグレードまでされてるって……。
「頑張りいや。リオ君のお父さんも見てるって言ってたで」
「うん……頑張る」
もう時間だ。
ゆっくりと幕の下りたステージの、指定された場所に立つ。
ジュリエットがロミオと出会う前。
自分の人生を悲観するシーンから演劇は始まる。
『では皆様、本日のラストステージ、ロミオとジュリエット! 開幕です!』
司会の案内の後、ゆっくりとステージの幕が上がって行く。
目の前には体育館に集まった人、人、人。
ライトを当てられ……全員の視線が私に集まる。
さあ、始めよう
私達の……最後の文化祭
私達の……ロミオとジュリエットを
※
『お父様! あの方とは結婚できません! 嫌いな物は嫌いなんです!』
袖から麻耶の演技を見守る。
ほんの二週間前は、俺も麻耶もひたすら棒読みだった。
それがどうだ、今ではそれぞれ役になりきっている。
それもこれもクラスの連中、演劇部の皆のおかげだ。
「おい、ロミオ……立ち位置間違えるなよ」
「あぁ……なあ、早乙女……ありがとな」
「……あ? なんだ、いきなり……気持ち悪い」
気持ち悪いとはなんだ、気持ち悪いとは……。
これでも感謝してるんだ。お前が演劇部の部長じゃなかったら……演劇部でサポートしてくれなかったら……俺と麻耶は今でも棒読みだっただろう。
「シアちゃんに礼言っとけよ。最初に言い出したのお前の妹なんだからな」
「……え?」
「え? じゃねえ。兄貴が心配だからって……演劇部の変人共に頭下げてお願いしたんだ。まあ、連中は面白そうとか言って協力的だったけどな。マクティも戸城さんもノリノリだったし……」
そうだったのか。
元々早乙女が言い出した事じゃなかったのか。
流石我が妹……感謝せねば。
「さて、そろそろ出撃だぞ。行って来い、ロミオ」
「あぁ、ちょっと行ってくる」
体が熱い。
いつになく興奮している。
嬉しい、本当に……嬉しい。
ロミオとジュリエット
最高の舞台にしよう
俺達を支えてくれた全員に、最後に笑顔を向けられるように。
※
『ロミオ……どうしてあなたはロミオなの? なぜモンタギューの名を背負って生まれてしまったの?』
バルコニーでジュリエットが嘆くシーン。
そこにロミオが会いに来てくれる。
(リオ君……リオ君……)
『あぁ、ロミオ……あなたに会いたい……その手に、頬に触れたい。貴方が幻の存在では無かったと……この目で、この手で……この唇で確かめたい』
昨日、私の家でリオ君からされた話を思い出す。
リオ君の……これからの事を。
《麻耶、俺さ……都内の大学、受けようと思う。親父から話があって……》
行ってほしくない。
素直にそう言いたかった。
でも私に何の権利があって……そんな事が言える?
これは彼の人生
私に出る幕なんて無い。そう思っていた。
《それで麻耶。俺は……麻耶にも着いて来て欲しい》
それを聞いた瞬間、心の底から嬉しかった。
即答しても良かった。でも私は……いざ言葉にしようとすると、戸惑ってしまった。
彼が受けるのは都内の大学。
現在の日本では、都内は全く別の国だ。
地方の自治体は高すぎる技術力を恐れ、完全に日本の首都周辺を隔離した。
私は子供のころにいった事があるらしい。
母が事故に遭ったのも都内。
それがあってか、私は無意識に……あの場所を恐れている。
不安しか残らない。
でも、でも……
※
『会いに来たよ、ジュリエット』
バルコニーに立つ彼女に愛を語る。
ぶっちゃけ本心だ。
彼女の事が愛しくて仕方ない。
ずっと一緒に居たい。
ずっと守りたい。
ずっと……麻耶の傍に居続けたい。
『ジュリエット! 一緒に逃げよう! 誰も私達の愛を止められやしない! さあ、手を伸ばして……』
ロミオに迫られ、ジュリエットは悲しそうな顔をする。
この後、ジュリエットは今すぐ行くことは出来ない、明日使いを出す……とセリフを言うのだが……
(麻耶……?)
麻耶の様子がおかしい。
感極まった顔で、今にも泣きそうな顔をしている。
もしかしてセリフを忘れてしまったのか?
仕方ない、麻耶のセリフを飛ばして……ロミオのセリフを……
『一緒に……私も一緒に連れてって!』
台本にないセリフを叫ぶ麻耶。
その言葉を聞いて、俺は頭の中が真っ白になった。
次のセリフなど……全く出てこない。
※
やってしまった。
感極まって台本にない事を言ってしまった。
『麻耶? セリフ違うでー。リオ君困っとるから……えーっと、「明日、使いを出します、返事はその使いへ」って言ってー』
その時、瑠衣の声が頭の中に響く。
ナノマシンで直接話しかけられているのだ。
私は一度冷静になり、瑠衣の言う通りセリフを言い放つ。
『明日、使いを出します……返事はその使いへ……』
その後、ジュリエットの名を呼ぶ婆やの声。
私はバルコニーの影、客席から見えないダンボールの影に隠れる。
同時に落とされる照明。シーンの切り替えだ。
袖に戻り、瑠衣にお礼を言いつつ、リオ君の様子を伺う。
「……? リオ君?」
「ぁ? あ、あぁ、ご、ごめん、さっきのって……」
さっきの……あぁ、あれは……本心だ。
でもまだだ。
今ここで……リオ君に返事をする訳にはいかない。
私は今ジュリエットなんだから。
※
演劇もいよいよ終盤。
途中テンパったが、問題は無い。
(落ちつけ……ロミオ……いや、俺)
一度深呼吸し、いよいよあのシーンがやってくる。
全校生徒の少年少女達が最も期待する物。
即ち、キスシーン。
これをやらねばロミジュリでは無い、と言われるほどに重要なシーン。
公開処刑では? と思う日も無かったわけでは無いが、俺と麻耶ならば問題は無い。
と、その時早乙女が慌て出した。
「不味い……」
「どうした? 早乙女……」
「いや、うっかりしてた……このテーブルクロス、短すぎる……机の脚が見えちまう……」
なんだと。
ぁ、ほんとだ。
まあ……別に問題ないだろ。そんなの客席から見えるわけ……
「あるわ……っ、見えるわっ、仕方ねえ、予定変更だ。藤崎、全員に通達してくれ、次のキスシーンは最初からレオが朝霧さん抱きかかえた状態でスタートだ」
「……なにぃ!」
そうこうしているうちに照明が落ち、いよいよキスシーン。
俺と麻耶はステージの中央、本来ならば机が置かれる位置へと赴き
「麻耶……寝て」
「うん……」
麻耶を抱きかかえながら寝かせる。
そっと目を瞑る麻耶。ストーリー的には、既に仮死薬を飲んでいる。
そして俺が解毒剤を飲み、ジュリエットを目覚めさせるというシーン。
麻耶の温度が伝わってくる
暖かい、ずっとこうしていたい
ライトで照らされ、注目を浴びた時、客席がザワつくのが聞こえた。
そうだ、君達が大好きなキスシーンだ。
『ジュリエット……待っていろ……今……目を覚まさせてやるからな』
そう言いながら解毒剤を飲む描写を入れ、そっと麻耶の顔へ……
「リオ君……」
その時、麻耶が小声で話しかけてきた
「どうした……?」
「……ごめん、でもガマンできなくなって……私……」
「うん……」
「私……リオ君と……一緒に行く……」
そっと唇を重ねる
その瞬間、客席からは歓声が。
(麻耶……麻耶……っ)
このキスは誓い
そう、麻耶と一緒に……居続けるという覚悟。
ロミオが毒を飲んだように……
俺も……その毒を飲もう
これから生涯にかけ、麻耶を守り続ける
ずっと傍に居続ける
「麻耶……」
そっと唇を離し、朝霧 麻耶をまっすぐに見つめる
「何……?」
毒が体に回る
もう俺の体は毒に犯された
お前無しでは……もう俺は生きられない
「麻耶……好きだよ……ずっと……ずっと……」
再び唇を重ねる
もう離さない
もう……この手は絶対に……
「ずっと……一緒だよ……」
「あぁ……もう離さないからな。麻耶」
俺達のロミジュリが幕を閉じる
これから俺達が進もうとする道には数々の障害が待ち受けるだろう
その度に思いだそう
この毒を
麻耶と共に居続け、守り続ける
この覚悟という名の猛毒を
※この小説は、アンリ様主催【うれしたのし秋の恋】企画参加作品です。
※この作品はフィクションです。




