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最低の教え子3

「おめでとう」

「このムッツリスケベ」

「すました顔して、あんなイタイケそうな令嬢を(たら)しこみやがって」

「よかった、よかった」

「本当に小説どおりみたいだな」

「愛想つかされるなよ」

「ところで、その仮面の下、例のあれか?」

 エディアルドを近くの別室に連れ込み、取り囲んで、祝いなんだかやっかみなんだかわからない言葉をてんでばらばら好きなように吐き出していた元同僚たちは、一人の指摘に全員が一度に黙り込んだ。

 エディアルドは、左の反面を覆う仮面に手を添えて、まあな、と答えた。

 本当のところは、王女に付けられた傷ではなく、執拗なくらいいくつも付いている妻の噛み跡を隠すために、見るに見かねて祖父が用意したものだったが、よけいなことは言わないでおいた。あまりこの件を吹聴すると、妻が羞恥で小さくなって、涙ぐんでしまうからだ。

「災難だったな」

 一人がしみじみと言うと、違う一人が、場を明るくしようと茶化した。

「でも、男じゃなくて、女に傷を付けられるってのが、エディアルドらしいな」

 それに元同僚たちは、またもや黙った。かと思うと、誰もが一様に、ふっとたそがれた微笑をこぼした。

「一つくらい男から傷を負わせてやってもいいと思うんだ」

「そうだな。やっぱり、こいつ、シメとこうぜ」

 エディアルドは彼らから、手荒い祝福を受けることになったのだった。


 手荒い祝福には、同じく手荒く返して、一人にしてしまった妻のところへ急いで戻ろうとしたエディアルドは、客間に戻って入ったところで、驚愕に足を止めた。

 なぜ妻がマルセラ嬢と談笑している?

 こちらの視線に気付いたらしい己の従騎士と一瞬目が合ったが、すうっとそらされた。一応、会わせるべき相手ではないと承知の上で、阻止できなかったらしい。理由如何によっては、後で締め上げる、とエディアルドは眉を顰めた。

 ただし、妻の方はとても楽しそうだった。姿勢がすっかり前のめりで、夢中なのがわかる。マルセラ嬢は古今東西の書物に造詣が深い。それは妻も同じで、書物について、恐らく常人ではついていけない深い会話を交わしているのだと思われた。

 それはわかるのだが、しかし、そもそもどうしてこんな所にマルセラ嬢がいるのかが、彼にはわからなかった。彼女がエディアルドたちを祝福する、そんな仲であった覚えは、一秒たりともなかったのだ。むしろ、嫌味を言われる覚えなら、盛大にあるのが問題だった。

 どうしたものかと逡巡していたら、主催者の団長がやってきて、ぽんとエディアルドの肩を叩いた。

「エディアルド、なんだ、もう開放されたのか。あいつらも、だらしのない。おまえ一人にやられるなんて、騎士団の名が泣く。……おお、そうだ。あいつらに、もう一回稽古をつけてやってくれないか。奥方はマルセラ嬢がお相手しているから、まだ当分大丈夫だろう。ほら、美女同士、楽しそうではないか。まるで一幅の絵だ。いやあ、眼福、眼福。おまえもそう思うだろう?」

 にこにこと無害そうな顔で、逃がさんとばかりに彼の肩をぎちぎちと掴みながら、無茶苦茶なことを言う。それでエディアルドは、ピンときた。

 団長は女性に甘い。甘すぎて、声を掛けてくる女性には、もれなく好意で返す。来るもの拒まずなのだ。この団長には、常に恋人が五、六人はいて、しかも、過去の女性とも円満な関係を築いているという、どうなっているのかわからない色男なのだった。

 マルセラ嬢はその中でも付き合いの長い一人だった。たぶん彼女に、ライエルバッハ公に紹介してくれと、ねだられたのだろう。

 彼女は娼婦とは言え、国賓の相手を任されるような女性で、へたな貴族より伝手も権力も持っている。彼女との繋がりはライエルバッハ側としても歓迎するものだったが、ただ一点、彼には懸念があった。

 いや、焦慮とか、恐怖とかいう言葉に置き換えてもいい。

 彼女は彼にとって、団長の命令で閨事の技術を身につけるために紹介された師だった。もちろん、団長に惚れぬいている相手だ、たとえ娼婦だろうと最後まで抱くということはなかったが、義務感があからさますぎたらしく、彼女の不興を買ってしまったのだ。

 手ほどきの後、仕事やら使いやらでたまに顔を合わせるたびに、男の沽券にかかわるようなぎりぎりな嫌味を、うんざりするほど耳元で囁かれ続けてきた。

 それが、妻にも向けられたら。

 エディアルドは心配からくる苛立たしさに、おもむろに手を伸ばし、団長のダンディーな髭を摘んだ。

「ゴミがついています」

 と言って、二、三本、引っこ抜いてやる。

「ぃだっ。おまえはっ」

 団長は口元を痛そうに擦ったが、怒る気配はなかった。これで許せということなのだろう。

「ライエルバッハ公なら、大丈夫だろう。マルセラ嬢は鏡だ。好意には好意を返す。悪意には悪意をな。……あれは、おまえが苦手そうにするから、面白がってからかわれたのだ。まあ、多少意趣返しもあったのだろうが。それにしたって、かわいい仕返しだったじゃないかね」

 仕返しに、かわいいもかわいくないもあるものか、とエディアルドは心の中で悪態をついた。それにだいたい、当時だって冷や汗しか出なかった。五年経った今となっても、かわいいとは、とても思えない。

 エディアルドは、妻に害が及ぶ前に、なんとしてもマルセラ嬢から妻を取り戻したかった。だが、最も危険なのは、たぶん彼が二人に近付いた時だろう。その時に、どんな一撃が振り下ろされるか。

 別に、マルセラ嬢は浮気相手でもないし、元恋人でもない。彼と彼女の関係は仕事上の師弟であったというだけである。……が、肌を重ねたのも事実で、しかも、まさに手取り足取りだったのである。

 やましいことは何一つないはずなのに、妻と彼女が並んでいるのを見ると、剣を持った相手に対峙するより尻込みしてしまうのだった。

 エディアルドは団長の腕をつかんだ。ほとんど据わった目で、元上司の彼に迫る。

「一緒に行ってくださいますね」

「はははは。おまえ、必死だなあ」

 エディアルドは、無言で再び団長の口元へ手を伸ばした。もう数十本、髭を引っこ抜いてやろうと思ったのだ。

「わかったわかった、わかったって、……わかったから、その手をしまえ! おまえは、冗談が通じなくていけない」

 叩き落すのにしつこく髭を狙ってくる手に辟易したのか、団長は先にたって歩き始めた。


「ライエルバッハ公、楽しんでいただけていますかな」

 団長とエディアルドの気配に気付いて、会話をやめて顔を上げた妻に、団長が話しかけた。

「ええ、とても。私のために、マルセラ殿をお呼びくださったとか」

「はい。むさ苦しい男ばかりでは、退屈させてしまうかと思いまして」

「お心遣いありがとうございます。おかげさまで、彼女にとても有意義なお話を聞けましたの」

「そうでしたか。それはよろしゅうございました。ところで、少し、食べるものをつまみませんか? あちらに軽食を用意させました。当家の料理人自慢の、生クリームを使った甘いお菓子も何種類もございます。いかがですか?」

「サリーナ様、とても美味しいんですのよ。ぜひいただきましょうよ」

「そうなんですの? では、そういたしましょう」

 エディアルドは妻に手を差し出そうとしたが、その前に、マルセラが気を遣い、妻を助けて立ち上がった。そのまま彼女たちは、どんなお菓子がお好き? などと優雅に話しながら連れ立って、団長の案内についてどんどん歩いていってしまう。

 その後も、妻は団長やマルセラにお菓子の説明を熱心に聞き、エディアルドは所在無く、その近くで見守る破目に陥った。

 彼自身は、それほど甘い物にこだわりはない。それよりは少し腹にたまりそうなものを物色するべく、一つ溜息をついて、三人から離れた。

 取り皿に、いくつかハムやチーズを取っていたら、するりと空気から抜け出てきたように、傍らに人が立った。誰かと思えばマルセラで、エディアルドはにわかに緊張した。

 マルセラは、トングでひょいっと生ハムとサラダの挟まったパンを取り上げると、勝手に彼の皿に載せた。

「可愛い方ね」

 パンは、先程、これだけは絶対に取るまいと思っていたものだった。なぜなら、彼の苦手な生セロリが入っていたからだ。いったいどこから、彼の唯一苦手な食べ物を聞きだしてきたのか。彼は、彼女の底知れなさに、沈黙せざるをえなかった。

「それに、賢くて、まっすぐな方。……私のことを、一度も蔑んだ目で見なかったわ。おもねることもね」

 彼女はエディアルドの顔を覗き込んできて、くすりと笑った。

「大事になさいませ」

 それだけ言うと、自分もセロリの入ったパンを一つ取って、団長と妻のいる方へと帰っていく。

 ……もしかして、嫌がらせではなく、ただ単に、彼女の好きなものを勧めてくれただけなのだろうか。

 エディアルドは皿に視線を落とし、

「エディアルド、選び終わった?」

 妻に無邪気に呼ばれるまで、しばらく悩みに悩んだのだった。

完結お祝い拍手、たくさんいただけて嬉しかったです。

少しでもお礼になっているといいのですが。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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