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6.宴

 一般庶民の少女が、大国の王と結婚をする。

 

 これだけ聞けば、何というシンデレラストーリかしらと思われるでしょうね。けれどシンデレラなんてとんでもない。

 これはそう、赤ずきんだわ。人喰い狼のいる深い森の中を抜け、おばあさんの元へ無事にたどりつかなくてはならない趣味の悪いゲーム。

 けれどリタイアなんでできない。

 こんな闇の世界を抜けて、帰らなくっちゃ。人間界に。

 でもどうやって王にプロポーズされればいいんだろう。あれほどまでに人間に不信感を抱き、傷つけることさえ厭わない冷酷な王に。

 一体どうやって……。

 

「音楽は心です! 情熱です!」

 床までついた白い髪を引きずり、魔奏楽のセイレーヌ先生は緑色の顔で熱っぽく語る。

 その声にハッと現実に引き戻された。

 放心状態でいたのがばれていないかと周りを見渡すと、生徒たちの表情はとても強張っていて、戦々恐々としていた。

 

 それもそのはず。

 このセイレーヌ先生はとっても綺麗な声なんだけど、調子がでてくると超音波かしらと思うくらいに高い声を発する。本人は気持ち良さそうだけど、そのせいでガラスにヒビが入ったり、鼻血を出しちゃう子が毎回いた。次に醜態を晒すのは自分じゃないかって、気が気じゃない。

 香水を作る授業のとき鼻にコルクをしていた子が、今度は耳にコルクを詰めているのをみかけた。気持ちは分かるわ。すごく。

 ヒュッと大きく息を吸い込む先生に“来た!”と生徒全員が身構えた。

 

「本日は、この魔楽器、ピュリオンの扱い方を学びましょう」

 それに胸をなで下ろす。まだ歌う気はないらしい。

 先生は何度も髪を踏みつけながら大きな箱を持ってくる。中に乱雑に放り込まれていたヴァイオリンのようなそれを手に取る。でも弦は切れているし、弓も少し曲がっていた。

 いかにもお古って感じがするわ。

 ピュリオンは本体を銀の魔獣の骨で、弓はユニコーンの尻尾でできていて相当高級なんだとか。だからサードクラスのためにわざわざ新しいものを新調できず、これもまたファースト、そしてセカンドクラスを経てきたお下がりが与えられるだけだった。

 これでまともに弾けるのかしら……。

 

「はい皆さん教科書の通りに構えて!」

 

 先生の言葉を合図に、みんな見よう見真似でピュリオンを肩に乗せる。羽のように軽くて肩の上に乗せているのを忘れてしまいそう。

 どきどきしながら先生の指示を待つ。

 

「せーの、弾いてー!」

 なんて雑な説明! 全然分からないじゃない! 

 適当に弾けばいいのかなと皆も思ったらしく、弓を弦に当てて下げる。

 まるで黒板を爪でひっかきまくったかのような、とんでもない不協和音が教室を駆け巡った。

 口々に「あああっ」と声を上げて弓を下ろした。皆、顔を見合わせ、眼を丸くしたまま何も喋らない。相当のショックだったらしい。

 私もまるで耳の中を電気が突き抜けたかと思ったわ。

 先生は私たちの様子にカラカラと笑う。

「大~丈夫、長年やってる人でもヘタだから。ピュリオンはものすごく演奏が難しい楽器でね、目指す人は多くてもプロの枠はいつもガラガラ。やっと上手く弾けるようになったと思ったらみんな寿命なの、アハハハハハ!」

 

 笑えない……。

 そんなに難しい楽器、そもそも私たちが弾けるようになるのかしら。こんなにオンボロだし。

「とはいえでもどこにでも天才はいますからね。この国で一番これを弾きこなせるのが――」

 そこで授業終了を知らせるベルがジリリと鳴った。

「はいではここまで! ちゃんと復習するのよ、テストに出しますからね」

 そんな先生の声を背中に聞きながら教室を出た。

 

 †

 

「そう、プロポーズねぇ」

 授業が終わった後、部屋に帰る途中でミセスグリーンと会った。彼女は私の肩の上で唸る。

 あの王との契約のことを洗いざらい報告した。彼女くらいにしか相談できないから。

「私はいったい、どうすればいいのかしら。王を愛しているわけでもないのに」

 大きく息を吸い込んで吐き出したかったけれど、肩の上の彼女が転げ落ちないようにと思ってやめた。

「いざとなったら、惚れ薬でも作って陛下に飲ませるしかないね!」

 彼女の目は冗談ではなくかなり本気だった。小さな八つの目をギラギラと燃えたぎらせている。そうね。魔草学のマーマド先生に聞いて、やってみるというのもありかもしれない。それで帰れるならお安いもの。

「でも一体どうやってソフィーを人間界に帰すのかしら? 人間がここと元の世界を行き来するのはひどく難しいって聞いたんだけど」“怪しい”と言いたげに彼女は探偵のようにあごに手をやる。

「確かに具体的なことは聞いていないわ。でもヴァンパイアの王様なんだし、何とか出来るんじゃないかしら。チャンスがあるなら私、頑張るわ」

 できないならできないで、また別の方法を探せばいい。なんといってもここは人間界じゃない不思議な国。何かしらの方法はきっとあるって信じてる。

 やる気に満ち溢れる私に、ミセスグリーンは柔らかな笑みをこぼした(と感じた)。

「よぉし、それならプロポーズ大作戦を考えなくっちゃね」

「ええ!」

「アマンダ」

 突然背中へ投げかけられる男性の声にドキリとした。これが誰のものかなんて振り返らずともわかる。

「へ、陛下」

 後ろには案の定、王の姿があった。いつもの漆黒の服に身を包み(毎回微妙に違うみたいだけれど)、私のほうへ近づいてくる。

 肩の上で「アマンダ?」とミセスグリーンの不思議そうな声が聞こえた。

 そう、忘れないようにしなきゃ。私は彼の前ではソフィアではなく“アマンダ・ブレイズ”。ミセスグリーンにもあとで説明しておかなきゃ。

 

「ごきげんよう」

 宮殿でのあいさつってこんな感じで合ってるのかな。スカートを軽くつまんで足を曲げる。無理やり吊り上げた両頬がぴくぴくとひきつった。

 彼の目が一瞬肩の上のミセスグリーンを捕えた。彼女は少しギクリとして足先を震わせる。きっと王とは初対面なんだろう。緊張が伝わった。

 彼女は「これはこれは」と引きつるように笑って八本の足を軽く曲げた。

 けれど王は別段それに反応する様子もない。

 もし彼女のことを“虫けらごとき”なんて思っているんなら、今すぐ小脇に抱えた教科書を顔に投げつけてやるんですから。

「何か」少し低い声が出る。

「今夜夕食後、ファーストクラスにあるサロンに来るといい」

 ファーストクラスに? 眉が自然と蛇腹になる。

「私と後宮の女性たちほんの数人で酒宴がある」

「私はお酒なん――」

「来るんだろう。もちろん」

 王は私の反応を楽しむかのような目をした。

「……よろこんで。陛下」

 王はわざとらしく語尾を上げていたけれど、やっぱり肯定以外に選択肢なんてないじゃない。

 そんな感情が顔に出てたんだろう。王は表面上だけで判断すればそれはそれは美しい笑みを浮かべて見せた。

 けれどもう私はその笑顔に浮かれたりなんかしないわ。

 だって分かってる。

 その笑顔は決して、私の参加を歓迎してということなんかじゃない。

 彼は遊んでる。自分に尻尾を振らない、物珍しい女を手に入れて浮かれてる。

 彼は大きな、けれどとても繊細な指先で私の顎をとらえて持ち上げた。

 親指で顎のラインを撫でられて、ゾワリとする。

「この酒宴はただの酒宴ではない。私が今夜抱く相手を選ぶ一種の儀式だ。他の女たちがどう私にアプローチしているのか参考にするがいい」

 私の手に何か握らせたかと思うと、王は踵を返した。

 掌を広げて見てみると、一枚の金貨があった。私の偽名、アマンダ・ブレイズと刻まれている。これが招待状なの?

 王の背中を見つめながら、ぐっとコインを握る。

 王の夜伽の相手を選ぶ集まりなんかに呼ぶなんて、最低。

 順番を守ってプロポーズさせてみろなんて言いながら、結局はそういうことでしか女性を見られない人なんじゃない!

「お気遣いどうも」

 すっかり遠くなった彼の背中にそうつぶやいた。

 

 †

 

 騒がしい食堂で夕飯をすませ、ファーストクラスの棟へ向かった。

 ミセスグリーンがついて行ってあげると言ってくれたけれど、契約がある以上彼は私に妙なマネはできない。だから安心してと言って一人で来た。

 彼のあの目を見る限り、きっと王は人間以上に彼女を見下してる。私のせいで何かあったら、旦那さんたちにあわせる顔がないし、私だって今度こそ部屋に閉じこもって出てこられなくなるわ。それくらい大切な存在ですもの。

 

 初めて足を踏み入れるファーストクラス。

 昨日陛下から押し付けられるようにもらったドレスがあったけれど、彼のためにおしゃれするのもバカらしくていつもの普段着のドレスを着て行った。もちろんお化粧だってお愛想程度。

 でもそれを少し後悔する。

 何だろう。同じ後宮のはずなのに、後宮最高クラスのこの建物の中はまったく空気が違う。

 どの女の子にも侍女さんがついていて、扉ひとつ自分で開けることはない。優雅にお庭を闊歩し、“おほほほほ”なんて笑い声がそこかしこから聞こえてくる。あのガヤガヤ騒がしい食堂から来た分、余計にその優美さが際立って見えた。

 私はフリルのエプロンこそしてないものの、どう見たって侍女さんでしかないわ。

 周囲もそんな風に私を見ているんだろう。クラスの違う私が廊下を歩いているというのに、誰一人気に留める様子なんてない。それどころか飲み物の用事を頼まれそうになって、慌てて廊下を早足で進んだ。

 気にされないのはいいけれど、いい気分でもないわね。

 

 地図や標識なんてもののない後宮の中を進み、少し迷子になりながらも目的地であるサロンにたどりついた。

 金色の取っ手に手をかけ、重い扉を押す。

 中は薄暗かった。ロウソクのような明かり(でも炎だけが浮いているみたい)が壁伝いに並び、その光景に暖炉の前でサンタクロース待ちながら寝過ごした夜を思い出す。

 でもそんな神聖な思い出も、ローテーブルをコの字型に囲むソファーを見て吹き飛んだ。

 もちろんソファーが悪いんじゃない。

 

 そこへ腰かけていた五、六人の女の子たちが一斉にこちらを見た。

 私と同じくらいの子から、少し年上のお姉さんまで。

 全員バッチリとメイクして、ドレスも気合が入ってる。胸や腰や肩を露出してセクシーさを強調させ、深いスリットから肉感的で艶めかしい脚がのぞいている。体に金粉を混ぜたローションでも塗っているのかしら。いい香りと共にキラキラ肌が輝いて見えた。

 

 いったんおしゃべりをやめていた彼女らは、また何事もなかったかのように談笑し始めた。息を吐き出し、一歩また一歩と足を踏み入れる。鉛の靴を履いているかのように歩きづらい。

 嫌だ嫌だと思いつつ、ソファーの端の端に腰かけた。再びおしゃべりをやめた彼女らの、少し驚いたような視線を感じる。

 侍女だと思っていた私が席についたんですから、怪訝に思うのも仕方ない。あからさまにそれをあらわにするのはやめてもらいたいけれど。

 どうしていいのかわからず、私はただひたすらに自分の膝を眺めていた。顔を上げるのが怖い。

 

「何あれ……」なんてヒソヒソ話す声が聞こえてくる。

 私だって来たくて来たわけじゃない。でもあの契約を守らなきゃ、陛下を誘う羽目になってしまう。

 あの時は最良の選択をしたつもりだけれど、果たして本当にそうだったのか今ではわからない。

 はあ、明らかに浮いているわ。そもそも私のようなクラスの女性はお呼びじゃないんですから。

 

「あなた何しに来たの」

 突然そう疑問を投げかけられる。

「陛下に……招待されました」おずおずと答えた。まるで叱られた子供のように。

「陛下に? 冗談でしょう」と頬をひくつかせる。「夢でも見たんじゃないの?」

 そう言って赤いドレスの女の子が、お酒らしきグラスの飲み物をあおった。


 私はコインをそっとテーブルの上に置いた。彼女らの前にもひとつずつ置かれているところから察するに、やっぱりあれは招待状の代わりなんだろう。

 彼女らは本格的に声を失った。

「嘘でしょ。信じらんない」

 たっぷり間をおいて、やっとそんな言葉が飛び出してくる。

「あんた最下クラスよね。どうしてここにいるの」

「何か妙な手を使ったんでしょう。それで王妃になって嬉しいのかしら」

「こんな冴えない女。陛下は何を血迷われたの?」

 居心地が悪い。悪すぎるわ! なぜ私がどこか軽蔑を帯びた目でみられなきゃいけないの?

「あの、別に何か事情があったわけ、ヒャ――」

「やだ、ごめんなさぁい」

 冷たさの元を探ろうと後ろを振り仰ぐと、タバコからピンク色の煙をくゆらせた女性が笑いながら私を見下ろしていた。背中に降ってきた液体が冷たくしみ込んでくる。どうやらグラスの飲み物をこぼされたらしい。

 そこにいた私以外の子たちがクスクスと笑った。

「別に気にしないでしょう? もともと汚いドレスなんだし」

「やめなさいよ、弱い者いじめは。彼女は大事な引立て役よ?」

「あーそれもそうよね。ごめんなさーい」

 

 ゴーストの侍女さんが持ってきてくれたタオルで拭いながら、絶対に帰るんだからと言い聞かせて耐えた。

 今いざこざを引き起こしたって何の利益もない。


「陛下……!」

 姿を見せた王に、皆一斉に立ち上がった。さっきまでの雰囲気が嘘のように、彼女らは愛らしい笑みを浮かべて彼を迎え入れる。

 私も遅れてゆっくりと立ち上がった。

 王は私の姿をみとめると、唇の端を上げた。彼がどっかりと腰かけると、みんなも座る。王はその間にテーブルの上のコインをすべて回収し、小さなガラス玉の中に入れた。

 しばらくそれを弄ぶ。

「マリー」

 彼は唐突に女性の名を口にした。彼の右手にはガラス玉。左の掌にはコインが乗っていた。

 まるでクジのように女性を一人選ぶ。そんな風に使うものだったのね。

「今夜は何を見せてくれる」

 マリーと呼ばれた赤いドレスの女性は艶っぽい笑みを浮かべて立ち上がる。

「今夜は陛下とダンスをしようと。お相手してくださいますこと?」と手を差し伸べた。

 王は「もちろん」とその手を取る。

 

 どこからともなく雰囲気のある音楽が流れてくると共に、二人は不自然なくらいに密着して深いキスを交わす。王の手がスリットの隙間からゆっくりと入っていくのを見た。ダンスというよりは、体をくっつけるのが目的なんだと私でも分かる。

「陛下……んっ……」

 人前で最低! 

――『他の女たちがどう私にアプローチしているのか参考にするがいい』

 これを参考にしろですって? 冗談じゃないわ。

 ほかの女性たちはマリーを射殺さんばかりの視線を投げつけている。さっき私をいじめていた時の結束は跡形もなかった。

 人間界へなんて贅沢なことは言わないから、どうかあの薄汚いお部屋へ帰してほしい。

 明らかに場違いだわ。

 それに“誤って”かけられたお酒が冷えて張り付き、不快感が増す。


 音楽がふいにやみ、王はソファーに腰かける。踊っていた彼女は腰が抜けたように床に座り込んでいた。とても恍惚とした表情で。とても直視できないわ……。

 王は彼女を助けようともしないまま、またガラス玉を振った。コロンと一枚飛び出てくる。

「アマンダ」

 彼の闇のように黒い瞳が私を捉える。

「君はどう私を楽しませてくれるんだ」

 王だけじゃない。他の女の子たちも私を上から下まで眺めている。

「私……は」

 特に勉強もできないし、弾ける楽器もない。歌だっていまいちだし、一発芸だなんて便利なものも持ち合わせてはいない。だからって王に体を触らせるなんて論外中の論外!

 私はただ、亡くなったお兄ちゃんに教えてもらった絵が好きなだけ。

 今すぐここにいる人たちの、好奇に満ちた瞳を満足させるなんてできない。

「どうした」

 できないといえば、部屋に帰してくれるのかしら。元々これは王がアプローチの参考にと私を呼んだだけなのでしょう。だったら――

「可哀相ですわ。あんな取り柄のなさそうな子に。ぜひ次は私を」

 それを機に次々と立候補する。

 取り柄がないのは自覚しているけれど、ほかの人に言われるとムッとする。

 ふと壁に掛けられた楽器が目に入った。さっき授業で習ったピュリオンだわ。

 すごすごと逃げ帰るようでは後味は悪い。

 そう思ってソファーを立ち上がると、それをつかんで肩に乗せた。

 そこにいた人たちは驚嘆したように目を見開いていた。これはとても演奏の難しい楽器だから、たぶん誰も弾きこなすことなんてできないんだろう。

 ドキドキする胸をなだめるように息を吐いて弓をあてる。

 

 ギイイイ ギイイイ ギギギッギ キィィーー

 

 古びた扉でももう少し良い音色なんじゃないかしら、と思うくらいにひどい音が出た。

 誰もが不快そうに顔をゆがめて私を見ているのを感じる。初対面の人たちの前で醜態をさらして、私だってすごく恥ずかしい。

 

 ギギギーギギギ ギギッギギ キキキィー

 

 でもちょっと楽しくなってきたかもしれないわ。コツをつかんだかも。

「聞いてられんな」

 王は立ち上がると、私の持っていたペリュトンを奪うように取って肩に乗せた。

「あの……」

 私の軽い抗議を無視して、そっと弓を引く。


 その瞬間、枯れていた花も色を取り戻すような感覚に陥った。

 弦の触れ合う隙間から、旋律は漏れ出すようにあふれ出る。

  

 感じたことのない音の愛撫にただ身を任せる。それ以外に術を知らなかった。

 授業で先生が言いかけていた天才ってこの人のことだったのね。


 差し込む月明かりをスポットライトに、彼はその手で旋律を生み出していた。

 やっぱりどこか特別な人だと思った。何時間でも見つめていられそうなほどに整った容姿、自信にあふれた表情、気品ある立ち居振る舞い、なんでもこなしてしまう器用さ。 

 “人間を愛さない”なんて公言しているのに、それでも女性たちを惹きつけてやまない理由もわかる。たとえ彼が血をすするヴァンパイアであろうと。

 

 気が付いた時には、どうやらとっくに演奏は終わっていた。けれどソファーに座っていたほかの女性たちはまだぼんやりとしている。

「魔法でもかけたんですか」

 彼がちらりとだけこちらを見た。答える気はないみたい。

 

「君は本当に何の取り柄もないんだな」少し呆れたような口調。「楽器ができるわけでも、知識で私を楽しませることも、男を誘惑する術も知らない。その他大勢に埋もれ、特筆すべきものが何もない。多少化粧映えするようだが、そんな恰好でここへ来たところをみると、あまり着飾ろうという気もないようだしな」

 失礼なことを並べ立て、彼は大きな月を見上げた。

「いささか不安だ。あっさり勝負がついてしまいそうで。私とてそれでは面白くない。分かるだろう、アマンダ」

 やっぱりこれは退屈しのぎのゲームなんだわ。恋や愛をなんだと思ってるのかしら。ますます帰りたいという気持ちが強くなる。

 ああ、明るい日差しが恋しい。角のパン屋さんのいい香り、町を流れる川のせせらぎ、友人たちや近所のおじさんやおばさんの笑顔。

 恋しい、とても。

「本当に、人間界に帰してもらえるんですよね」

 スカートを握りしめた。

「君が条件を満たせばな。せいぜい頑張るといい」

 王は未だぼうっとしていた女性の一人の腕をつかむと、さっさと部屋を出て行った。あてつけのつもりかしら。

 言われなくったって、絶対に帰るんですから!

 

 †

 

「これかな……」

 図書館で借りてきたおんぼろな本を片手に、サードクラス脇にある雑木林の中を歩く。ミセスグリーンが言った通り、やっぱり惚れ薬を作るしかないわ。

 えっとなになに――

 

【秘密の魔界惚れ薬の作り方】

 ○材料

 ・たっぷりと月の光を浴びたナタナ草の葉っぱ……一枚

 ・クルルの実の粉末……小さじ一杯

 ・一番大きな木から垂れる滴……小瓶一杯

 ・あなたの好きなお花の花弁……五枚

 ・あの人への愛情……たくさん

 ○作り方

 1 金曜日の夜、よく晴れた日を選んで草花を摘む。

 2 誰にも見つからないように調合開始。まずはお花のエキスを抽出。専用機器を使えば簡単。

 3 小瓶に葉っぱを入れて水をとった木の周りをきっかり五回まわる。

 4 実の粉末を入れ、月にお祈りする。心を込めてね。

 5 最後に愛情と一緒に花弁のエキスを混ぜれば完成。

  これを気になるあの人の飲み物にこっそり入れればOK!

 

 ちょっと……いえかなりおまじない染みてるけれど、この際なんだっていいわ。花弁のエキスも抽出できるように香水を作る授業で使った道具を借りてきたし。

 まずはナタナ草の葉っぱをさがさなきゃ。バスケットを腕にかけ、本を片手に雑草の中を探す。

 よし……でもナタナ草ってどれかしら。

 よく分からないけれど、とりあえずそれらしきものをちぎってバスケットへ入れた。

「そこで何をしてるの?」

 透き通るような、優しい男性の声。こっそり事を進めようとしたのに、あっさり見つかってしまってヒヤリとした。

 あれ、“男性の声”?

 

 目に映ったのは、王ではない人影。相手はヴァンパイアだから分からないけれど、とても若そうな男性だった。ゆっくりと近寄ってくるその姿に、一瞬息が止まった。

 ハチミツのような美しい金色、サファイアのようなブルーの瞳。透き通るような肌に、艶やかな唇は完璧な弧を描いていた。

 何てキレイな。月から下りてきた精霊のよう。

 もしかして本当に精霊?

 微笑む彼の口元に、白い牙が二本見えた。

 

 違う、ヴァンパイアだわ!

 ど、どうして。どうしよう。逃げればいいの? 

 後宮に王以外の男性がいるなんて。

 バスケットを抱えて握りしめる。いつでも逃げられるように足に力を入れた。

 そんな私に、彼は不純物の一切混じっていない上品な笑みを見せる。

「安心して。ちゃんとここへ来るのには王の許可をもらってるから」

「許可?」

「国王とは結構仲いいんだ」

 無邪気に笑う。 

 怪しい人じゃないのかな。それよりどこかで見たことのあるような気もする。初めてのはずなのに。

「何してたの? こんなくらい雑木林の中で。毒虫なんかもいるから危ないよ」

 彼の物腰柔らかな雰囲気に、警戒心は緩んでいった。私を気遣ってくれているみたいだし、少なくとも王より数十倍はいい人そう。もちろんヴァンパイアだから油断はならないけれど。

「あの……授業で習った香水を作ろうかと」

「香水?」

 惚れ薬を作っていたとは言えない。信じてくれたかは五分五分だけれど。

 彼は何かに気付いたように、私の持っていたバスケットから一つ葉を取り出した。

「そっか。けど残念ながら、オレが君の先生なら及第点はあげられないなぁ」

 それに小首をかしげる。

「この葉の裏が赤いのはエラコラブって言って、毒性がある上にエキスはとんでもない異臭を放つ。これでは香水はできないんじゃない?」

 嘘……。

 あ、危なかった! 王に毒を飲ませるところだったわ! いえいっそのこと……ってだめだめ。

「すみません……魔界の草には詳しくなくって」

 冷や汗がじんわりとにじんだ。叱られたりするのかしら。


 彼は葉の茎を持ったままくるくると回し、どこか潤んだような熱っぽい瞳で私を見つめた。王もそうだけれど、彼もとても端整な顔立ちでまともに見られないほどにきれい。

「君、名前は?」

 少し迷って「ソフィア・クローズです」と答える。

「ソフィアか、かわいい名前だね」

 そう言う彼のほうが、キュンとくるような笑顔を浮かべた。

「ソフィア、ちょっとお願いがあるんだけどさ」とそっと腰をかがめて顔を近づけてくる。

 湖面のように美しいブルーの瞳が私を映し出した。いい香りもする。

 柔らかそうな唇で言葉を紡いだ。

「アマンダ・ブレイズって子のところまで案内してくれない? オレの将来の妻らしいんだ」

「え……」

 

 それに頭の回転が停止したように思えた。

 どうしよう、この人――


 王の弟さんだ。 


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