第28話 神のワザ
「……師匠」
言葉が出てこない。
私は、彼と血紅御前の会話に口を挟めなかった。
1分にも満たない静かな会話。けど、たったそれだけで彼の言葉に血が通い、信じられないくらい熱いエネルギーを感じる。
砕かれた心が叫んでいる。彼は何も諦めてはいない、と。
口から出た言葉とは裏腹に、彼の視点は遥か未来を視据えている。そんな気がした。
纏う雰囲気が変わった彼の言葉の温もりに触れて、視線が釘付けにされる。
『……フ。フフフ……!』
心地良い沈黙を破ったのは、やはり血紅御前。
彼から出た告白紛いの──絶対にそんなんじゃない──戦線布告を受け、奴は笑っている。
『嬉シイゾ! ココマデ堕チタ某ニ、斯様ナ言葉ヲクレル者ガ現レルトハ! 代陀羅団!!』
途端、妖力が爆発する。
天を衝かんばかりの、殺意の塊。それが薙刀に凝縮されていく。
あ、これは駄目。本能が危機を知らせるより早く、死という諦観が頭に浮かぶ。
微かに芽吹いた希望を摘み取る、尋常じゃない妖力。当たれば命どころか、試練の祠さえも消し飛んでしまいそうな一撃が込められていく。
『ダガ、知ッテイルノカ? 血紅御前ハ幾百年モノ間、数多ノ加護持チヲ葬ッテキタ。即チ、未ダ無敗。貴様達ガ名付ケ畏レル度、某ハ更ニ力ヲ増ス!』
「し、師匠……」
逃げて? 何処に? 助けて? 無理。
抵抗を諦め、止まってしまった口と思考。それでも、彼の姿だけが鮮明に映る。
師匠は、いつもと変わらない姿で煙草を吹かしながら、血紅御前が力を蓄えるのを眺めている。何かする様子も無ければ、剣を握ってすらいなかった。
……嘘でしょ? どうして何もしないの? 本当に殺されちゃうんだよ!?
『ソノ怨嗟ヲ貴様独リデ受ケ切レルト考エテイルナラバ……驕リガ過ギル』
「師匠!!」
私が手を伸ばすより速く、薙刀が──。
トン。
「え?」
『……エ──』
師匠の手が、血紅御前の腕に優しく添えられる。
たったそれだけで、奴の動きがピタリと止まった。
『──ガッ!?』
直後、血紅御前の身体が波打ち、私の視界からかき消える。
拳を突き出している師匠、坑道内を揺るがす衝撃と轟音が、奴が後ろの岩壁に突っ込んだ事を知らせてくれた。
目で追えなかった一連のやり取りに、口が空いたまま塞がらない。
「……なあおい。他人が勝手に積み上げた感情の上に跨って、お山の大将気取ってんじゃねえよ」
あ、師匠が眼鏡を取って……わ、わぁ……ガラリと雰囲気が変わるなぁ。
荒々しくなった口調と相まって、野生味溢れる仕草に思わず胸が熱くなる。
「立てやコラ。有象無象の搾りかすみてえな恨み言程度で、俺が殺せる? 驕りが過ぎるぞ、血紅御前」
『オオオオオオオオオオッッ!!!』
身が竦む様な恐ろしい咆哮。
壁が爆ぜ、血紅御前が地面を抉りながら凄まじい速度で詰め寄ってくる。
薙刀による無数の突きが、雨の如く降り注ぐ。
今度こそ駄目! 師匠、避け──。
トン。
師匠の優しい手付きが、無限の刃を1本の薙刀に戻していた。
腕を抑えられ、勢いが殺された血紅御前が宙に浮き、地面に叩き落とされる。
『──ッ!?』
未だ理解の及ばない私達を尻目に、彼のサッカーボールキックが血紅御前を再び彼方に追いやる。
「……今の」
『代陀羅アアアアアアアアアアア!!!』
私がようやく彼の違和感に気付き始めた時、黒い嵐が吹き荒れる。
今まで妖技を殆ど使ってこなかった血紅御前の余裕が、師匠のたった3撃で崩されていた。
『無影磑鶻!!』
血紅御前の影が起き上がる。影はボコボコと膨らんでいき、奴と同じ金属の鎧を纏い太刀を腰に佩いて隣に立つ。
嘘でしょ!? 1体相手するだけで死にかけたのに、あんな化け物が2体に増えるなんて流石に反則だよ!
『マダダ! マダ某ハ全力デハ──』
「知ってるよ」
膨らみ続ける血紅御前の妖力に呼応して、師匠から妖力が静かに立ち昇る。
血紅御前とはまた違う、小さくも力強さを感じさせる黒い光。けど、彼から放たれる妖力は何処か温かく、安心感を覚える。
「万死螺旋皇虹輪」
師匠の背中に、色鮮やかな羽の様な光輪が浮かび上がる。
その神々しい輝きは薄暗かった土精の坑道を照らし、震えて固まるばかりだった私の身体に勇気を思い出させてくれる。
『……ッ』
「俺の人生はマイナススタートで、最初から何もかも足りなかった。埃を被って錆びついていた階段を、1段ずつ磨いて叩き直して……やっとだ。やっとここまで来た」
今度は師匠から、血紅御前へ近付いていく。
ゆっくりと歩いていて隙だらけにしか見えないのに、何故か奴は動けずにいる。
『グ……!?』
「今なら、少しだけ昔の自分を肯定出来そうだ」
動いたのは同時だった。目を凝らしてやっと視認出来る速さの死闘に、息が詰まる。
師匠の脚が血紅御前の足を刈り、その隙に無影磑鶻が背後に回って刀を構える。
その実体化した影に、赤く燃える手錠がされる。手錠は鎖みたいに影をがんじがらめにして、刀を抜かせない。
『銀条幕!』
血紅御前が、蹴られた足を踏ん張って身体が崩れるのを耐える。銀色の液体がドームの様に奴を包み、散弾みたいに弾ける。
師匠が素早く距離を取った。背後の光輪が輝き、彼に向かってくる銀の液体を蒸発させる。
『チッ……』
師匠が防御を取った間に、自分の影を束縛から解放する。
それを気にした風もなく、彼は再び死の間合いへ侵入する。
「言っておくが、この妖技はお前を殺す技じゃない。万死螺旋皇虹輪は、俺が戦い易い場を用意するだけの妖技だ」
『何ッ?』
お喋りの合間にも、攻撃は続く。
薙刀を振り回し近付かせまいとする血紅御前。その影を縫って二の太刀を飛ばしてくる無影磑鶻。
逃げる場所もかわす隙も無い筈の空間で、彼だけが佇んでいた。
……やっぱり、違う。師匠のあんな動き、知らない。
「空掌!」
太刀を蹴りあげ動いている薙刀にぶつける技術も、隙とも呼べない僅かな間隙で無影磑鶻の上体が消し飛ぶ威力の妖技も。
相手の動きを先んじて潰す動きも、全然知らない。
私の知らない師匠の姿が、そこにあった。
何その動き。どうして教えてくれなかったの?
色々湧き上がる疑問。次に浮かぶのは、私の知らない側面の師匠を引き出した血紅御前に対する、激しい嫉妬。
悔しい。本来ならそれは、私が最初に受けるべき技術な筈なのに。あんな奴に先を越されるなんて……。
言葉にならない怒りで、我を忘れそうになる。
けど、それ以上に。
『クァッ……!?』
「ははっ!」
彼の動きの美しさに、目が奪われる。
どう動いたのか分からないくらい小さな動き。
気付けば拳が叩き込まれ、彼は既に次の動作に入っている。血紅御前が躍起になって動こうとすると、その動きが形になる手前で四肢を押さえる。
人って、こんな動きが出来るんだ……私が普段使う神技や、アイツの使う妖技とは次元の違う、本当の神業。
それを直に受ける血紅御前も気付き始めていた。彼の動きの異常さに。
『アハ、アハハ!! 凄イ! 某ガ動ク事サエママナラヌトハ! コンナ技法ガアルナンテ! 何ダコレは! この技法ハ何という!? 何故この素晴らしい力を広めぬのだ!?」
「ん? あー名付けね。そうだな……」
その前に、まずはそれを私に隠してた事に対して、何か言う事あるよね?
というか、何か血紅御前の黒いオーラも薄くなって、生身の肌が見え始めてるんだけど。何? それで師匠を誘ってるつもりなの? 痴女なの? 言っておくけど、師匠はその程度じゃ動揺しないから。
「俺の技は、相手や自分、それらを取り巻く全てを殺す術。敢えて名付けるなら、塵気術。人を殺す為の技術だ」
「……は?」
「え?」
最後の言葉に、耳を疑う。
今彼は何て言った?
「人を……殺す? その洗練された動きは、皆殺人術だというのか」
「しょうがねえだろ。俺のいた世界には、人間しかいなかったんだから。だから天外には教えなかった。人を守りたいと願う奴に、人を殺す技術は教えちゃ駄目だろ?」
「……え。師匠、もしかして教えなかったのは私の為?」
「ああ。後、この技術の編纂が終わったのが今さっきだから、師弟の期限も切れたしもう良いかなって」
「台無しだよ!?」
「つか、血紅御前。どんどん身体が人間に戻ってんじゃねえか。良いのか?」
「ん? ああ、良いのだ。ようやく、某の求めていた相手に出逢えたのだから」
……何で頬を染めてるのかな? 殺し合ってるんだよ? 師匠首傾げてるから。ふざけるのもいい加減にして。
「さあ続けよう! 先程は悍ましいと思ったが、人の為に人を殺す力を付けるとは! 正に愛がなくばそこまで至る事は無かったであろう! もっとだ! もっと某に貴様の事を教えてくれ!」
「はっはーん、さてはお前師範と同じタイプのコミュ障だな?」
2人がぶつかり、存在が混じり合う程の濃密な攻防が繰り広げられる。
最早2人の間に狂気は無い。唯純粋に、どちらがより強いかを証明する為の戦い。
常人では辿り着けない、神の様な領域で繰り広げられる戦い。その頂上決戦に、私だけが置いてけぼり。さっきは彼に気にかけてもらって嬉しかったのに、また奴への怒りが舞い戻る。
剣を交える度、理解を深めているアイツが許せない。師匠の少し楽しそうな笑みを向けられるアイツが許せない。
師匠の目に映っていいのは……!
【……理愛、お待たせして申し訳ありませんでした】
「! セオリツさん、大丈夫っ!?」
【ええ。神力を限界まで出し切ったので、少々眠りについていました。しかし、これは……】
起きたばかりのセオリツさんと共に、蚊帳の外でこの戦いを傍観する。
血紅御前は妖技と薙刀を巧みに操り、塵気術を正面から打ち破ろうとしている。師匠はその妖技を打ち消しながら、その身に宿した技術だけで血紅御前をあしらっている。
【代陀羅団……只人があそこまで到達するのに、一体どれほどの時と研鑽を要したのでしょうか】
「……? どういうこと?」
【……それは、彼に直接聞いた方が良いでしょう。それより、目を離してはなりませんよ。私は貴方の為にいる神霊、彼らの世界に行きたいのでしょう?】
「……そうだね」
今は疑問よりも、師匠の動きを目に焼き付ける事が先決。
彼と同じ場所、彼の隣に立って、そして……彼を守る為に。
【しかし、本当に綺麗な……まるで神々に捧げる舞のよう。惚れ惚れしてしまいますね】
「惚れ惚れ?」
【あ、言葉の綾です。ごめんなさい】




