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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

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劉乂

 漢趙の相国・劉粲りゅうさんが、党羽の王平おうへいを使って太弟・劉乂りゅうがい(劉义)にこう伝えさせた。


「ちょうど中詔(宮中が直接発した詔)を受け取りました。これから京師で変事があるので、衷甲(衣服の中に甲冑を着ること)して非常に備えるべきだ、とのことです」


 劉乂はこれを信じ、全ての宮臣に衷甲して生活するように命じた。これを確認した後、劉粲はすぐに人を駆けさせて靳準きんじゅん王沈おうしんにこれを告げた。


 靳準は昭武帝・劉聡りゅうそうに報告した。


「太弟が乱を為そうとしており、既に衷甲しています」


 昭武帝は大いに驚き、


「そのような事があるはずがない」


 と、言ったが、王沈らはそろって言った。


「我々はこれを聞いて久しくなり、しばしば進言してきましたが、陛下が信じなかったのです」


 昭武帝は劉粲に兵を率いさせて東宮を包囲させた。


 劉粲は靳準と王沈に命じて氐・羌の酋長十余人を捕えさせ、詰問した(劉乂は大単于なので、氐・羌の酋長が属しており、東宮に仕えていた)。皆、首を高い格子に掲げて熱した鉄で目を焼いた。酋長達は自らを誣告して、劉乂と造反を謀ったと述べた。


 昭武帝は王沈らに言った。


「私は今になってやっと汝らの忠心を知ることができた。これからも知っている事は全て話すという心がけを念じ続けよ。過日に進言したのに用いられなかったということは恨むな」


 どこまでもこの人の目は曇っているようである。


 昭武帝は東宮の官属と、劉乂がかねてから厚遇していて、靳準、王沈らが以前から憎怨していた大臣数十人を誅殺した。士卒一万五千余人も坑殺に処された。


 四月、劉乂を廃して北部王とし、間もなくして劉粲が靳準を使って殺害させた。


 劉乂は容貌も精神も秀美で爽朗なうえに、寛仁で度量があったため、士心の多くが帰附していた。しかしながらそんな彼らの意見を用いることができず、己の立場の危険性を理解できず、行動もできなかった。このような最期は本来であれば、回避できたにも関わらず、できなかった以上、運命であったのだろう。


 昭武帝は劉乂の死を聞くと哀哭して激しく悲傷し、


「我々兄弟は二人しか残っていなかったのに、相容れることができなかった。どうしたら天下に私の心を知らせることができるだろうか」


 と言った。


 都合の良い時だけ、悲しむ人の心など誰が知ることができようか。


 劉乂の死を知った氐・羌の多くの者が背叛し、昭武帝は靳準を行車騎大将軍に任命し討伐させた。


 








 六月、温嶠おんきょうらが建康に至った。王導おうどう周顗しゅうがい庾亮ゆりょうらが皆、温嶠の才を愛し、争って交流した。


 この時、太尉・豫州牧・荀組じゅんしょ、冀州刺史・邵続しょうぞく、青州刺史・曹嶷そうぎょく、寧州刺史・王遜おうそん、東夷校尉・崔毖さいひつらが皆、上表して勧進したが、晋王・司馬睿しばえいはやはり同意しようとしなかった。


 このうち曹嶷は漢趙の青州刺史である。司馬睿に即位を勧めることで、晋への帰順の意思を示したようである。


 以前、流民の張平ちょうへい樊雅はんががそれぞれ譙で数千の衆を集めて塢主になった。


 晋王・司馬睿が丞相になった時、行参軍・譙国の人・桓宣かんせんを派遣して張平と樊雅の説得に行かせ、二人とも投降を請うた。


 豫州刺史・祖逖そてきが出兵して蘆洲に駐屯した時には、参軍・殷乂いんがいを派遣して張平と樊雅を訪ねさせた。ところが、殷乂は心中で張平を軽視しており、その家屋を視ると、


「馬厩にすることができる」


 と言い、大鑊(大鍋。「鑊」は足がない鼎)を見ると、


「溶かして鉄器を鋳造することができる」


 と言った。


 これに張平が言った。


「これは帝王の鑊であり、天下が清平になったら用いるものだ。なぜ壊すことができるのだ」


 すると殷乂は侮るように、


「汝はその頭も保つことができないのに、鑊を惜しむのか」


 と言った。すると張平は激怒して、席上で殷乂を斬り、兵を指揮して守りを固めた。


 これを受けて祖逖は張平を攻撃したが、一年余経っても攻略できなかった。そのため祖逖は詐術を用い、張平の部将・謝浮しゃふを誘い、張平を殺させた。


 司馬睿はこの勲功を喜び、祖逖の下へ兵糧を輸送するよう命じたが、遠く離れていたので到る事はなく、祖逖軍は兵糧が底を突いて飢えに苦しんだ。


「移動するぞ」


 祖逖は兵を進めて太丘を占拠した。


 樊雅はまだ譙城を拠点にしており、祖逖に対抗した。


 祖逖は兵が疲弊していることもあり、譙城を攻めても攻略できなかった。そこで南中郎将・王含おうふんに兵を請うた。


 この時、桓宣は王含の参軍になっていた。王含は桓宣を派遣して、兵五百を率いて祖逖を助けさせることにした。


 この時、樊雅は機を見計らって夜襲を仕掛け、兵を砦に侵入させると、戟を抜き大声を発し、一直線に祖逖の陣を急襲した。


 祖逖の軍は大混乱に陥ったものの、祖逖は怯むどころか側近に撃退を命じた。彼の姿を見て、兵は立ち直り、体制を維持し始める。そんな中、督護・董昭とうしょうは指揮を執って樊雅軍を迎え撃ち、次第に形勢を逆転させた。


 遂に樊雅が敗走し始めると、祖逖は自ら兵を率いて追撃に出た。張平の残兵は樊雅を援護し、祖逖を攻撃してきた。この時、蓬陂の塢主である陳川ちんせんは寧朔将軍・陳留郡太守を自称して勢力を保っていた。


 そこで祖逖は陳川に使者を派遣して援護を求めた。陳川はこれに応じ、配下の李頭りとうに兵を与えて救援に当たらせた。祖逖は李頭軍と力を合わせ、大いに樊雅の軍を破った


 その戦いの後、やってきた桓宣に祖逖は言った。


「汝の信義は彼に対して既に明らかになっている。今、また私のために樊雅を説得してくれ」


 桓宣は二人だけを従えて、単馬で樊雅を訪ねてこう言った。


「祖豫州はまさに劉・石の討伐を欲しており、汝にたよって後援になってほしいと思っている。以前、殷乂が軽薄だったのは、豫州の意ではない」


 樊雅はすぐに祖逖を訪ねて降った。


 祖逖が譙城に入ると、石勒は石虎せきこを派遣して譙を包囲させた。


 しかし王含が再び桓宣を送って救わせたため、石虎は包囲を解いて去っていった。


 祖逖は上表して桓宣を譙国内史にした。その後、祖逖は未だ帰順していない諸々の塢壁の討伐を行い、桓宣はその援護を行った。


 六月、司馬睿は天下に檄を伝えてこう称した。


「石虎が敢えて犬羊を率い、河を渡って毒を放っているので、今、琅邪王・裒ら九軍・鋭卒三万を派遣し、水陸四道から直接、賊場(賊の所在地)に向かわせ、祖逖の指揮を受けさせる」


 しかし、間もなくして司馬睿は司馬裒しばほうを建康に呼び戻した。寵愛している息子を危険なところに行かせないというのが彼の判断であった。


 散騎侍郎・朱嵩しゅすうと尚書郎・顧球こきゅうが死んだ。司馬睿は悲痛して挙哀(哀悼の儀式)を為そうとした。


 官員が上奏して、


「旧制においては、尚書郎は挙哀の例中にありません」


 と、言ったが、司馬睿は、


「衰乱の弊(衰敗混乱の弊害がある時代)にいるので、特別に痛悼(悲痛哀悼)するのだ」


 と言って挙哀し、激しく慟哭した。


 しかしながら彼の姿勢は何ら人の心を動かすものではなかった。


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