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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

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広州攻略戦

皆さん、クリスマスはどうでしたか? 私は夜勤で仕事でした。

 王敦おうとんの寵臣・呉興の人・銭鳳せんおう陶侃とうかんの功績に嫉妬していたため、しばしば誹謗していた。


 そこで陶侃は、江陵に還る時、王敦を訪ねて自ら弁明しようとした。朱伺しゅしと安定の人・皇甫方回こうほほうかいが諫めて、


「将軍が入ったら必ず出られなくなります」


 と言ったが、陶侃は従わなかった。


 果たして陶侃が王敦のもとに至ると、王敦は陶侃を留めて放さず、広州刺史に左遷した。従弟の丞相軍諮祭酒・王廙おうよくを代わりに荊州刺史にした。


 荊州の将吏・鄭攀ていはん馬雋ばしゅんらが王敦を訪ねて、陶侃を荊州に留めるように上書したが、王敦は怒って同意しようとしなかった


 鄭攀らは、陶侃が杜弢を滅ぼしたばかりなのに、かえって降格されたことから衆情が憤懣・同情しており、また、王廙が嫉妬深くて凶悪であることから、事を共にするのが難しいと考えた。


 そこで兵三千人を率いて溳口に駐屯し、西の杜曾とそうを迎え入れた。


 王廙は鄭攀らに襲撃されて江安に奔った。


 杜曾と鄭攀らは北から第五猗だいごきを迎えて王廙の攻撃に備えた。そのため王廙は諸軍を督して杜曾を討とうとしたが、敗れた。


 王敦は鄭攀が陶侃の意図を受けていると考え、甲冑を着て矛を持ち、陶侃を殺そうとした。しかし家を出てから躊躇して引き還すということが四回あった。


 その様子に対して陶侃が逆に王敦を訪ね、


「あなたは英明で決断力があるので、天下の事を裁断するべきです。なぜこのように決断しようとなされないのですか?」


 陶侃は言い終わると起ちあがって厠に入った。


 諮議参軍・梅陶ばいとうと長史・陳頒ちんふんが王敦に言った。


周訪しゅうほうと陶侃は親姻で、左右の手のようなものです」


 周訪は陶侃と交友関係を結び、娘を陶侃の子・陶瞻とうせんに嫁がせている。


「人の左手を断ったのに、断たれた者の右手が応じないということがあるでしょうか?」


 王敦は意(陶侃殺害の意思)を解き、宴席を設けて陶侃への餞別とした。


 その後、陶侃は夜の間に出発し、広州に向かった。


 王敦は陶侃の子・陶瞻とうせんを招いて参軍にした。


 以前、交州刺史・顧祕こひつが死んだ時、州人は顧祕の子・顧寿こじゅに州の政務を総領させたが、帳下督・梁碩りょうせきが兵を起こして顧寿を攻撃し、殺してしまった。その後は梁碩が勝手に交州を制していた。


 王機おうきは自ら広州を勝手に占拠していたが、王敦の討伐を恐れ、改めて交州の任を求めた。


 ちょうどこの頃、杜弢の将だった杜弘とこうが王機を訪ねて投降した。


 王敦は王機を用いて梁碩を討伐させようと欲したため、杜弘の投降を王機の功績として、交州刺史に遷した。


 王機は鬱林に至ったが、梁碩が前刺史・脩則の子・脩湛しゅうじんを迎えて交州の政務を代行させ、王機を拒んだ。


 王機は前に進めなくなったため、改めて杜弘および広州の将・温卲おんしょう、交州の秀才・劉沈りゅうしんと謀り、広州に戻って拠点にすることにした。


 陶侃が始興に至ると、州人が皆、


「形勢を観察するべきであり、軽率に進むべきではありません」


 と、言った。しかし陶侃はこれを聞かず、直接、広州に至った。


 この時、広州の諸郡県は皆、既に王機を迎え入れていた。


 杜弘が陶侃に使者を送って偽りの投降をしようとしたが、陶侃はその謀を看破し、兵を進めて杜弘を撃った。杜弘を破って小桂で劉沈を捕えた。


 更に陶侃は督護・許高きょこうを派遣して王機を討ち、走らせた。王機は道中で病死し、許高が屍を掘り起こして斬首した。


 諸将が皆、勝ちに乗じて温卲を撃つように請うたが、陶侃は笑って、


「私の威名は既に顕著になった。なぜ兵を派遣する必要があるのか。ただ一通の書があれば自ずから定まるだろう」


 と言い、書を下して温卲を諭した。


 温卲は懼れて逃走したが、陶侃が追撃して始興で捕えた。


 杜弘も王敦を訪ねて降り、こうして広州が平定された。


 陶侃が広州にいる間は大事がありませんでしたが、いつも朝になったら百の甓(煉瓦)を屋外に運び、暮には屋内に運んだ。ある人がその理由を問うと、陶侃はこう答えた。


「私はまさに中原のために尽力している。過度に安逸になってしまえば、大事に堪えられなくなる恐れがあるので、自らを労苦させているのだ」


 王敦は杜弘を自分の将にして寵任した。


 







 九月、漢趙の昭武帝・劉聡りゅうそうが大鴻臚を派遣して石勒せきろくに弓矢を下賜し、策命によって陝東伯に任命し、自由に征伐を行う権限を与え、刺史・将軍・守宰(郡県の長)の任命や列侯の封爵をした場合も、年末にまとめて報告させることにした。


 つまり石勒に任官・封爵を行う際の報告を毎回する必要がないとしたのである。


 その頃、漢趙の大司馬・劉曜りゅうようが北地を侵した。


 晋は詔によって麴允きくいんを大都督・驃騎将軍に任命し、劉曜を防がせた。


 十月、晋が索綝さくりんを尚書僕射・都督宮城諸軍事に任命した。


 劉曜が進軍して馮翊を攻略し、太守・梁粛りょうしゅくは万年に奔った。その後、劉曜は転じて上郡を侵した。


 麴允は黄白城を去って霊武に駐軍したが、兵が弱いため敢えて進むことができなかった。


 西晋の愍帝・司馬鄴しばぎょうは丞相・司馬保しばほに対してしばしば兵の動員を要求した。


 司馬保の左右の者は皆、


蝮虵マムシに手を咬まれたら、壮士と言えども毒が全身に回らないようにするため腕を断つものです。今、胡寇はまさに盛んなので、とりあえず隴道を断って変化を観察するべきです」


 と言ったが、従事中郎・裴詵はいしんがこう言った。


「今、蛇が既に頭を咬んだとしたら、頭を断つことができようか」


 司馬保は鎮軍将軍・胡崧こしゅうを行前鋒都督(前鋒都督代理)とし、諸軍が集まるのを待って出発させることにした。


 麴允は愍帝を奉じて司馬保に就こうとした。しかし索綝が、


「司馬保が天子を得たら、必ず私志をほしいままにするだろう」


 と言ったため、中止した。


 この後、長安以西(恐らく、主に秦州の司馬保を指す)は朝廷に貢物しなくなった。そのため百官が飢乏し、野生の穀物を採取して自存するようになったという。


 その頃、涼州の軍士・張冰ちょうひょうが璽を手に入れた。印文は「皇帝行璽」と刻まれていた。


 張冰が涼州刺史・張寔ちょうしょくに献上したため、僚属が皆、祝賀したが、張寔は、


「これは人臣が留められるものではない」


 と言った。

 

 十二月、張寔が使者を派遣して『皇帝行璽』一紐を長安に送った。


 胡三省は、


「晋の諸征鎮(各方面の将軍、長官)で君臣の分を知ることができたのは張氏父子(張軌と張寔)だけである」


 と、述べている。


 


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