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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

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三つの太陽、寛容な国

 314年


 正月、黒霧が人にまとわりついて墨のようになり、昼も夜も続いて五日後に止んだ。太陽が地に墜ち、その後、三つの太陽が相継いで現れ、西方から出て東行した。


「三つ、四つ、五つ、六つの太陽が共に出現して並び争えば、天下で騒乱が起きる」


 黄色い服の男が紡ぐ。


「三つの太陽が並び出て、三十日を越えなければ、諸侯は帝になることを争う」


 彼は仮面の男に言う。


「ふふ、正に混沌としている世だ。最後の勝者は誰になるだろうか」


「誰でもいいさ」


 仮面の男の後ろ、槍を肩に乗せ、酒を飲んでいる緑色の服を着た男がそう言う。


「俺にとっては誰が勝とうが興味は無い」


「あなたにとってはそうでしょうね」


 その隣にいる白い服を着た男がそう指摘する。


「そもそも人に興味無いあなたがいつまで現の世にいるのですか?」


「さあ、いつまでだろうなあ」


 緑色の服の男はけらけらと笑う。


「女狐といい、こいつらといい愉快な連中だなあ全く」


 黄色い服の男はやれやれとばかりに肩をすくめた。そんな彼を仮面の男は静かに見ているだけであった。

 
















 空から流星が牽牛から現れて紫微に入り、光が地を照らした。流星は平陽北に堕ち、肉に変わり、長さは三十歩、広さは二十七歩あったという。


 漢趙の昭武帝・劉聡りゅうそうはこれを嫌って公卿に意見を求めると、陳元達ちんげんたつがこう主張した。


「寵妃が多すぎるために生じた亡国の兆です」


 しかし昭武帝は、


「これは陰陽の理(日月運行の道理)だ。どうして人の事と関係があるのだ」


 と言った。彼の最大の欠点は自分の欠点や間違いを絶対に認めようとしないところである。


 昭武帝の皇后・劉氏は賢明だったため、昭武帝が為すことに道義がなければ、いつも諫言し、匡正しようとしており、彼女の言葉は昭武帝の心を動かす力を持っていた。


 その劉氏が世を去った。「武宣」という諡号が贈られた。もしかすれば、あの流星は彼女の死を予見したものだったのかもしれない。


 この後、寵妃が己の寵愛のために競争するようになり、後宮に秩序がなくなった。


「全く、女も男と同じくらい愚かなのよねぇ」


 綠珠りょくじゅは静かにそう呟いた。






 昭武帝が丞相ら七公を置いた。丞相、太師、太傅、太保、大司徒、大司空、大司馬である。


 輔漢、都護、中軍、上軍、撫軍、鎮、衛、京、前‧後‧左‧右‧上‧下軍、輔国、冠軍、龍驤、虎牙の十六の代将軍を置き、それぞれに兵二千を配して、諸子を任命した。


 左・右司隸を置いてそれぞれに二十余万戸を統領させ、一万戸ごとに一内史を置いた。


 単于左・右輔を置いてそれぞれに六夷十万戸を主管させ、一万落ごとに一都尉を置いた。


「六夷」は匈奴・羯・鮮卑・氐・羌・巴蛮、あるいは巴蛮ではなく烏丸が入る。


 左・右選曹尚書を置いて共に選挙を管理させた。


 司隸以下の六官は全て位が僕射に次ぎました(皆位亜僕射)。


 昭武帝の子・劉粲りゅうさんを丞相・領大将軍・録尚書事に任命して晋王に進封した。


 江都王・劉延年りゅうえんねんを録尚書六條事に、汝陰王・劉景りゅうけいを太師に、王育おういくを太傅に、任顗じんがいを太保に、馬景ばけいを大司徒に、朱紀しゅきを大司空に、中山王・劉曜りゅうようを大司馬にした。


 



 その頃、王子春おうししゅんらおよび王浚おうしゅんの使者が襄国に至った。


「来たか。準備をしろ」


 石勒せきろくは強兵・精甲(精良な武器・甲冑)を隠して、弱兵・虚府(空の府庫)を示し、北面(臣下の礼)して使者を拝してから書を受け取った。


 王浚が石勒に麈尾を贈ると、石勒は敢えて恐れ多くて使えないふりをして、それを壁に懸けて朝夕拝礼し、


「私は王公に会うことができないので、賜った物を見たら、王公に会った時のようにしよう」


 と言った。


 因みに「麈」は鹿の一種で、「麈尾」は蠅等を払うために使った。晋代は王公・貴人の多くが麈尾を持っており、玉で柄ができていた。


 石勒は更に董肇とうちょうを派遣して王浚に上書し、三月中旬に自ら幽州を訪ねて尊号を奉上することを約束した。同時に、書を書いて棗嵩さくすうに送り、并州牧・広平公の位を求めた。


 石勒が王浚の政事について王子春に聞くと、王子春はこう言った。


「幽州は昨年、洪水に襲われ、人々は一粒の穀物も食べられなくなりました。ところが王浚は粟を百万も蓄積しながら救済することができず、刑政は苛酷で賦役が頻繁なので、内では忠賢が離れ、外では夷狄が叛しています。人は皆、彼が亡びようとしていることを知っていますが、王浚の意気は平然として今までと変わず、懼心を抱いたこともなく、最近は改めて官府を設置して百官を並べ、漢高・魏武(劉邦と曹操)でも自分には及ばないと思っています」


 石勒は几(小さい机)を叩いて笑い、


「王彭祖(王浚)は誠に虜にできる」


 と言った。


 一方、王浚の使者は薊に還ってからそろってこう言った。


「石勒の形勢は寡弱で、その忠誠には偽りがありません」


 王浚は大いに喜んでますます驕慢になり、備えを設けなくなった。


 




 楊虎ようこが漢中で大略奪して吏民を奪い、成漢の武帝・李雄りゆうの元に奔った。


 梁州の人・張咸ちょういらが兵を挙げて楊虎と前年、漢中を攻撃した楊難敵ようなんてきを駆逐した。


 楊難敵が去ると、張咸はその地を挙げて成漢に帰した。


 こうして漢嘉、涪陵、漢中の地が全て成漢に占有されることになった。


 武帝は李鳳りおうを梁州刺史に、任回じんかいを寧州刺史に、李恭りきょうを荊州刺史にした。


 武帝は虚心になって賢人を好み、才能に基いて任命した。太傅・李驤りじょうに命じて内で民を養わせ、李鳳らに命じて外で招撫・懐柔させ、刑政は寛大で、獄には滞囚(判決が下されていない囚人)がいなかったという。


 また、学校を興し、史官を置いた。


 成漢の税は、民の成人男子は一年に穀物三斛とし、女はその半分、疾病の者は更に半分とした。


 戸調(家ごとに課す税)の絹は数丈に過ぎず、綿は数両に過ぎなかった。


 大事・戦事が少なく労役が稀だったため、民の多くが裕福になり、新たに帰順した者は全て賦役を免除された。


 当時は天下が大いに乱れていたが、蜀だけは大事や戦事がなく、穀物が連年豊作になり、ついには閭門(城門や里門。または家の門)を閉じる必要がなくなり、道に落ちている物も着服しないようになった。


 漢嘉の夷王・沖帰ちゅうき、朱提の人・審炤しんしょう、建寧の人・爨畺きょうちょうが成漢に帰順した。


 巴郡がかつて急を告げて、


「晋兵がいる」


 と報告したが、武帝はこう言った。


「私は常に司馬睿しばえいが微弱なので石勒に滅ぼされるのではないかと憂いて耿耿(憂慮の様子)としていた。図らずも兵を挙げることができたとは、人を愉快にさせるものだ」


 と、気にしなかった。


 但し、武帝の朝廷には儀品がなく、爵位が濫溢(多すぎて溢れること)していた。


 官吏には禄秩がないため、民から財貨を取って満足させており、軍には部伍(部隊編成の制度)がないため、号令が厳粛ではなかった。


 武帝は寛容過ぎるところがあったと言えるだろう。


 武帝の成漢は異民族の集まりであることもあって、寛大さを重視した政策を持って人心を掌握しなければ、ならないところがあったのは仕方ない部分はある。


 しかしながらそれだけでは成り立たないのが国である。


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