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紅蓮の大地  作者: 大田牛二
第二章 五胡躍動

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当塗高

 漢趙の中山王・劉曜りゅうようは石梁で河南尹・魏浚ぎしゅんを包囲した。


 晋の兗州刺史・劉演りゅうえんと河内太守・郭黙かくもくが兵を派遣して救おうとしたが、劉曜が兵を分けて河北で迎撃し、劉演らを敗った。


 魏浚は夜の間に逃走したが、捕まって殺された。


 その頃、晋の王浚おうしゅんは父の字が「処道」だったため、自分が「当塗高」の予言に応じていると考え、尊号(帝号)を称そうと謀った。


「当塗高」というのは漢代に流行った予言で「道に当たったら高くなる(帝位に即く)」という意味がある。


 前勃海太守・劉亮りゅうりょう、北海太守・王摶おうたん、司空掾・高柔こうじゅうが切諫したが、王浚は全て殺してしまった。


 燕国の人・霍原かくげんは志節が清高で、しばしば招聘を辞退してした。王浚が霍原に尊号の事を問うたが、霍原が答えなかったため、王浚は霍原が群盗と通じていると誣告し、殺して首を晒した。


 この事件が原因で士民が恐懼したが、王浚の驕慢放縦の様は日に日に甚だしくなった。また、自らは政事を行わず、任用している者は全て苛刻な小人で、特に棗嵩さくすう朱碩しゅせきの横暴が突出した。


 その結果、北州で流行り歌が歌われるようになった。


「府中で赫赫としているのは朱丘伯。十囊五囊は棗郎に入る」


「丘伯」は朱碩の字である。「郎」は男子に対する呼称で、特に夫や壻を指すこともある。棗嵩は王浚の娘壻だったので、「棗郎」と呼ばれた。「赫赫」は盛大な様子、羽振りが良い様子のこと。「囊」は袋のことである。ここでは「財貨を入れた袋」を意味する。


 当時は労役が頻繁だったため、下の者は命に堪えられなくり、多くの者が叛して鮮卑に入った。


 柳城を監護していた従事・韓咸かんいが、


「慕容廆は士民を受け入れることができる」


 と盛んに称賛して、婉曲に王浚を諭そうとした。しかし王浚は怒って韓咸を殺した。


 元々王浚は鮮卑と烏桓だけを頼りにして強盛になったが、やがて、どちらも王浚から離叛した。加えて連年の蝗害と旱害のため、兵勢がますます衰弱した。


 石勒せきろくは王浚を襲おうとしたが、その実情がまだはっきりしていないところがあったため、使者を派遣して様子を窺わせようとした。


 そこで、参佐が羊祜と陸抗の故事に則って、王浚に書を送るように請うた。胡三省はこのことを、


「参佐は敵国交鄰の礼(対等な立場にある隣国間の礼)を用いるように欲した」


 と解説している。


 この件について石勒が張賓ちょうひんに意見を求めると、張賓はこう言った。


「王浚は、名は晋の臣ですが、実は晋を廃して自ら立とうと欲しています。ただ、四海の英雄が従わないことを心配しているにすぎません。彼が将軍を得ることを欲しているのは、項羽が韓信を得ることを欲していたようなものです。将軍は威が天下を振るわせています。そのためこちらが腰を低くしても信用されない恐れがあるのに、羊祜と陸抗のように対等な態度を取れば、なおさら信用されません。人を謀ろうとするのに人に実情を覚られたら、志を得るのは困難です」


 石勒は納得すると、十二月、石勒が舍人の王子春おうししゅん董肇とうちょうを派遣した。二人に多数の珍宝を持たせ、王浚に上書してこう伝えた。


「私はもともと小胡に過ぎず、世の饑乱に遭遇して、困難の中で流浪離散したので、冀州に亡命して、互いに集まりあうことで生き延びようと心中で思っておりました。今は晋の国運が没落して中原には主がいません。殿下は州郷の貴望(郷里で声望がある名族)で、四海が宗(宗主)とするところです」


 因みに石勒は上党武郷の人、王浚は太原の人である。どちらも并州に属している。


「帝王となる者は、あなたの他に誰がいるでしょうか。私が身を捨てて兵を起こし、暴乱の者を誅討したのは、正に殿下のためにそれらを駆除したのです。伏して殿下が天に応じて人に順じ、早く帝位に登ることを願います。私は殿下を天地父母のように奉戴します。殿下が私の微心を察したら、やはり私を自分の子のように大切にするでしょう」


 石勒は更に棗嵩さくすうにも書を届けて厚く賄賂を贈った。


 王浚は段疾陸眷だんしつりくけんが叛したばかりで、士民の多くも自分を棄てて去っていたため、石勒が自分に附こうとしていると聞いて、甚だ喜んだ。


 しかし王子春にこう問うた。


「石公は一時の豪傑であり、趙・魏を拠有しているのに、私に対して藩を称したいと欲している。信じていいのだろうか?」


 すると王子春はこう答えた。


「石将軍の才力は強盛で、誠に聖旨(王浚の考え)の通りです。しかし殿下は中州の貴望であり、威が夷・夏(少数民族と漢族)に行われています。古より、胡人で輔佐の名臣となった者はおるものの、帝王になった者は未だいません。石将軍は帝王の地位を嫌ったから自ら帝王に為らずに殿下に譲ったのではなく、帝王には自ずから天命があり、それは智力によって取れるものではなく、たとえ強引に取ったとしても、必ずや天と人が支持することにはならないということを顧みたため、帝王になろうとしないのです。項羽は強盛でしたが、最後は漢に有されました。石将軍と殿下を比べると、月と太陽の関係のようなものです。だから遠くの前例を鑑みて、殿下に身を帰したのです。これは石将軍の明識が凡人を遠く越えているところです。殿下はまた何を怪しんでおられるのでしょうか?」


 王浚は大いに悦び、王子春と董肇を列侯に封じ、石勒に答礼の使者を送って、厚礼によって応えた。


 游綸ゆうりんの兄・游統ゆうとうは王浚の司馬となり、范陽を鎮守していたが、使者を送って秘かに石勒に附こうとした。


 しかし石勒は使者を斬って王浚に送った。王浚は游統を罰しなかったが、ますます石勒が忠誠を為していると信じて、疑わなくなった。


 自分にとって都合の良い解釈しかできないのが王俊である。



 








 




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