【第02話】 始まりは終わりで、終わりは始まり・後編
「お兄ちゃん、起きて。もう朝だよ」
「んがっ……」
「もう制服のまま寝ちゃって。しょうがないなあ……」
布団で爆睡していた悠月はこよりに起こされ、重い上半身をなんとか起こす。どれくらいの時間眠っていいたか分からないが、窓から日が差しているのですでに朝なのだろう。
「朝ご飯がそろそろ出来るから、早く下に来てね」
「あいよ……」
その返事を聞いてこよりはな満足げに「よし」と頷き、そのまま部屋を出て行った。
悠月は眠気眼を手で擦りながらベッドから起き上がり、着替えを取って朝風呂に入ろうと風呂場へと向かった。
朝の熱いシャワーでようやく完全に目が覚めた悠月は着替えを済ませ、居間へと向かう。そこではすでに朝飯を食べ終えたこよりが、テレビを横目に見ながらランドセルの中身をチェックしていた。
そんな悠月も席に着いて朝飯を食べ始める。目玉焼きを箸で切り分けつつ準備をしているこよりを見るが、せっせと中身を確認しているその表情は無機質な機械のように冷えている。
……本当に学校になんか行きたくないだろうな。味方がほとんど居ない場所に毎日通うのはさぞ苦しいだろう。どうにかしてやりたいが……。
「なに? お兄ちゃん?」
自分への視線に気付いたこよりが、打って変わってニッコリと微笑みながら尋ねてきた。
この笑顔を学校でも振舞えるようになれば良いんだがな。昨日は例のストーカーを追ってほったらかしにしちゃったし。もう少し俺もこよりの為に……。
そこで悠月はハッと『昨日の出来事』を走馬灯のように思い出した。
そして箸を持っていない手を学ランのポケットへと滑り込ませると、その奥で指の先に冷たくて硬い物が当たった感触がする。
どう考えても昨日の騒動で拾ったナイフなのだと理解した悠月は静かに溜息をつく。昨起こった事の証は確かにポケットの中にあり、けっしてあの現実離れした騒動が夢ではなかったと物語っている。
夢オチって事にはならないんだな……。
「……本当にどうしたの? こよりの顔に何か付いてる?」
「あ、いや……。なんでもない。それよりなんかこの付近で大きな事件が発生したりしてないか?」
「事件? ニュースは見てたけどここら辺で事件が起きたってやってなかったよ」
「そうか……」
「昨日、何かあったの?」
「いや、特には……。ほら、昨今は変質者とか多いからさ。こよりも気をつけろよ」
「うん、わかった。じゃあ、いってきます」
自分を見ながら妙な表情になってる悠月を不思議に思ったようだが、こよりは特に追求するでもなくランドセルを背負って居間を出て行った。
本当に変質者だったらどんだけ楽だったかと思い溜息をつき、悠月もさっさと朝飯を済まして学生鞄を持って家を後にする。
「……昨日は忘れようとか思ってたが、あそこまでガッツリ絡んでおいて無関係でいられるのか?」
独りそう愚痴りながら、朝なのにすでに疲れたような表情で悠月は学校へと歩いていく。
人並みにも平穏に暮らしたいと思う悠月にとって、昨日の出来事の当事者として絡んでしまった事実に不安を隠しきれず、考えれば考えるほど嫌な予感がしてならなかった。だが、当然この事を誰かに話したところで信じてもらえる話ではない。
いくら悠月にとって実体験で起こった出来事だと主張しても誰も信じてはくれないだろう。正直悠月だっていまだに半信半疑なのだから。だが事実として自分は件のナイフをしっかりと持っている。
ナイフをポケットの中で手で転がしているが、まったく違和感が無いどころかコレを持っていると少し気持ちが落ち着いてくる。まるで幼い頃から持っている物のようなそんな安心感を悠月は感じていた。その表現が正しいかどうかは分からないが、例えるならその表現が一番マッチしている。
……そもそも昨日の力は何なんだ? あんな超人的な力を出せた覚えはないぞ。まさかと思うがこのナイフを手にした事が関係しているのか?
「おはよう、悠月くん!」
「うおっ!? な、なんだ……麻美か」
「? 朝からどうかしたの?」
考え事をしていたので急に声を掛けられて驚いた悠月の態度に、麻美は疑問を思ったらしく頭の上に『?』マークを浮かべている。
「おはよう、水瀬。朝から辛気臭い顔してんなよ」
更には、朝から意味もなく爽やかスマイルを浮かべている井上までやってきた。悠月にとって登校中にこの二人とセットで会うのは初めてに近い。
「何があったか分からないけど、朝から暗い顔は良くないよ? スマイルスマイル!」
「麻美は朝から元気だな……。悪いが、お前ほど元気にはなれねえよ」
「なんで~? じゃあ、私が悠月くんが暗い理由を当ててあげる!」
「いいよ、別に……」
麻美の提案を若干ウザそうに悠月が断ると、そこに井上がニヤニヤしながら肩に手を回してきた。そしてそのまま小声で耳打ちをしてくる。
「もしかして、お前が昨日追っていた女の子の事で悩んでるのか? ナンパに失敗でもしたのか? それとも警察に通報されちゃったとか?」
「どっちも違うわ。なんでもないって」
「ふふん、愛の伝道師でもある僕に嘘はつかない方が身の為だぞっと!」
「いててっ!? 離せって!」
井上はその態勢のまま腕で悠月の首を絞めてきて、少し苦しく感じた悠月は暴れながらその束縛を解く。あいかわらずニヤニヤしている井上に悠月は先ほどとは違う溜息をつく。
「まったく……あいかわらず余計なお世話が好きなんだから」
「おやおや、そんな事を言っていいのかな~? この事を周りに言った日には……」
「この野郎……そんな面倒くさい事したらどうなるか分かってるだろうな?」
「お~怖い怖い」
「ピンポーン!」
すると唐突に横に居た麻美がまるでクイズ番組のボタンのような仕草をしながら、自身満々の表情でそんな事を言い始めた。
それを見た悠月と井上は固まっていたが、クイズ番組のピンポン音だろうと判断した悠月は恐る恐る声を掛ける。
「……はい、麻美さん」
「財布を落とした?」
「違います。不正解」
「夕食に嫌いな食べ物が出た?」
「小学生か、俺は」
「ゲームのセーブデータが消えた?」
「最近、ゲームやってないし……」
「体重が増えた?」
「……お前、まさか太ったの?」
そこで麻美の連続解答がピタッと止まり、自分の腹を見てから俯いた。それから顔を真っ赤にさせてキっと悠月を睨みつける。
「……悠月くんのバカッー!!」
麻美はそう叫びながら走り去ってしまった。
その場に取り残された悠月は呆然となり、隣の井上は「水瀬、そういうところだよ」と言って肩をすくめた。
*
「……今日はここまで。来週には小テストがあるから、予習をしておくように」
教室に流れる授業終了のチャイムと共に、国語教師はそれだけを言ってさっさと教室を出て行ってしまった。生徒たちはようやく昼休みになった解放感に浸りつつ、友達と喋ったりお弁当を机に広げたりし始めた。
そんな騒がしくなる教室内を眺めつつ、悠月はボケッとしながら机に肘をついて座っていた。まるで起きたてかのような表情でボンヤリとしている。
「おいおい、水瀬。何寝ぼけたような顔してるんだ? もう昼休みだぞ?」
「ん……? おぉ、そうか」
井上にそう言われてようやく今が昼休みだという事に気付き、悠月はのそのそと机に広がってる教科書とノートを鞄に片付ける。
「……大丈夫か? まるで『心ここに有らず』って感じだけど」
「大丈夫だ。寝不足なだけさ」
「そんなに昨日の女が気になってたのか?」
「だから違うって言ってんだろ」
「まあまあ、悠月も思春期真っ盛りだもんな。男としては仕方がない生理現象だ」
「ったく……しつこい奴だな」
「だがな水瀬。恋愛っていうのは非常に奥が深く難しいのだ」
出たよ、プレイボーイモード。こうなると話長いんだよな……。
基本的に恋愛の話をする時の井上の話は止まらない。人というのは自分が好きなモノの話になると気持ちが上がってしまい、ついつい語りすぎてしまうものである。井上にとってはそれが『恋愛』なのだ。
スイッチが入った井上は自分の恋愛方程式やナンパ方法まで、ありとあらゆる恋愛ネタを話してくる。あまりにもヒートアップして話してくる為に言葉のキャッチボールすら出来ず、悠月はいつも右から左に聞き流しながら終わるまで黙っている。
正直言って悠月にとっては心底どうでも良い事だが、この恋愛談義を止められるのを井上は嫌い、非常に面倒くさい事になるのだ。
「男は女々しくてはいけないんだ。女の方から告白されるようにならなければ! その為には青空のような寛大な心と……」
そこまで言った時点で、井上の言葉が唐突に止まった。
アホみたいに長い話を覚悟していた悠月は、不思議に思いながら井上の顔を見た。すると先ほどの自信ありげな表情はどこへやら、呆然としながら窓の方を見ていた。
「……水瀬」
「なんだよ……言っとくがお前の恋愛論に俺は意見しないぞ」
「噂をすれば何とやらだ」
「……はっ?」
「校門の前に昨日の女性が居るぞ……」
「昨日の女?」
ふとそんな井上の言葉に疑問をもった悠月が同じく窓の外に視線を向けた。するとそこには見飽きた街の風景と学校の校庭が広がっているだけではなく、悠月がギョッとする光景が広がっていた。
そのまま悠月は目を見開いて席を立って窓にへばり付いて見るが、何度見てもこの学校に居るはずのない『人物』がそこに居た。
「なな、なんで昨日の女が居るんだよっ!?」
そう……なんと校門の前には倉庫にて変な化け物に襲われ、名前も名乗らずに去ってしまったあの女性が普通に校門付近に立っているのだ。
遠距離だからよくは見えないが昨日とは違う黒いコートを羽織り、あの長い髪をポニーテールにしている。似ているという訳ではなく、全く同じ女だという確信を悠月は得ていた。
「まさか彼女の方から会いに来るとは……」
その後の悠月の行動は早かった。
井上の話には聞く耳持たず、一目散に教室を出て急いで昇降口へと向かった。走っている事を先生に注意されようが、悠月にとってそんな事は眼中にない。自分でもよくは分からないが、とにかく昨日の女性と話をしたかったのだ。
「おいっ!!」
靴に履き替えて昇降口から飛び出した悠月は、声を上げながら校門へと走っていった。
当然その女性に声を掛けている訳であって、女性の方もそれが聞こえたのか聞こえていないのか悠月の方を見据えてじっと立っている。
「……また会ったわね」
「ハア……ハア……。いやお前が会いに来たんだろが……」
「大雑把な場所しか特定できなかったから、探す手間が省けて助かったわ」
冷静に女性が言うのに対し、悠月はまさに息切れ切れになりながら目の前に立ち止まった。
女性はコートの下には白いワイシャツと黒ネクタイ、それに赤無地のスカートを履いている。偉そうに腕を組みながら、女性は少し冷めた視線で自身の顔を見ている。愛の告白という訳ではないだろうという事だけは悠月にも理解できた。
「探す手間って……もしかして俺を探してこの学校まで来たのよ」
「そうよ。さあ、あんたが昨日持っていったアレを返してくれる?」
「アレって何だ……?」
「とぼけないで。あんたが勝手に持って帰った銀色のナイフの事よ」
「ああ、コレの事か……」
悠月はそう言いつつ、学ランのポケットから銀色のナイフを取り出した。例の倉庫で初めて見た時同様、ナイフは日の光を受けてギラギラと輝いている。
「変態の上に盗人だなんて……。つくづく最低な男ね、あんたは」
「酷い言われ様だな……。昨日の化け物を倒すのに使ったから、返すのを忘れてただけだってのに」
「……なんですって? そのナイフで化け物を倒した?」
「ああ、そうだけど?」
「嘘を言っているんじゃないでしょうね?」
「本当だって。自分でもよく分からないが、このナイフのおかげで俺もお前も助かったんだよ」
「……昨日の敵は撤退した訳ではないというの? 確かに無事だったのには疑問に思っていたけど……」
答える悠月を置いて、女性は鋭い表情で思案している。どうやら昨日の騒動後にたまたま出くわした悠月がこの少女を悪戯目的にお持ち帰りしたと思われていたようだ。
「……嘘ではないでしょうね?」
「本当だって。こっちだって命懸けだったんだぜ」
「……どうナイフを使って倒したの?」
「どう倒したって言われてもな……。なんかナイフを持ったらそれが剣に変わってさ。なんかよく分からない超人的な力が出てきてそれで倒せたって感じかな?」
「剣に……変わったですって?」
「そうだ。どんな仕掛けかは知らんがな」
なんだか分からない悠月がそう言うと、何に驚いたのか女は目を見開いて驚愕しているような表情となった。悠月には何に驚いているのかさっぱり理解できない。
「……よく化け物から逃げずに戦ったわね」
「そりゃあ驚いたり戸惑ったりもしたさ。だがあの状況でお前を置いて逃げるって訳にも行かないだろ」
「………」
「危ない目にもあってるんだ。いったい何が起きているのか教えてくれ。ナイフを返すのはその後だ」
「真実を……知りたいの?」
「おう、知りたいな。もしかしたら特大のドッキリかもしれねえがな」
そんな事を口にしているが、悠月自身も自分の発言に驚いていた。
世の中には知らない方が幸せな事など腐る程ある。昨日の化け物もその一つではないかという事も、悠月にだって分かっている。
しかし朝も思った事だが、自分はすでに手遅れなのかもしれない……とも思っている。
もし自分が事件に巻き込まれているのだとしたら、やはり見てみぬ振りをするよりも状況をしっかりと認識しておいた方が良いと判断したからだ。
イジメを受けても逃げる事なく学校へと行くこよりのように、自分も現実から目を背けず立ち向かうべきなのだろうと腹をくくる。
「知ったら後戻り出来なくなるかもしれないわよ……?」
「覚悟の上……なんてカッコイイ事は言わない。しかし知っちまった以上は何かしらの形で巻き込まれる可能性がある。なら震えて過ごすよりよっぽど良い」
悠月の言葉を聞いた女性は、何かを言おうとしたが口を紡ぎそのまま街の方へと背を向けた。
「……いいわよ、全てを教えてあげる。場所を変えましょう。それと遅くなるけど昨日は助けてくれてありがとう」
「気にすんな。俺の自己満足で助けたようなもんだ」
「あんた……名前は?」
「水瀬悠月だ」
「わかったわ、悠月。行きましょう」
どうやら長い話になるらしく、悠月はナイフをポケットに戻しながら女の後に続いて歩いていく。
もしも昨日の化け物が本物だとしたら、悠月は自分で自分の首を絞めている事に他ならない。それを承知の上で悠月は謎の女性に無防備にも着いて行くのだ。女性自体が悠月の味方であるという保障はどこにもない。何かの組織の一員で、証拠隠滅の為に悠月をどこかへ連れて行くというのも十分に考えられる。
味方ではない可能性はいくらでも出てくるのだが、それでも悠月は少しも疑わなかった。
確かに油断しないに越した事はないが、悠月の直感が「大丈夫だ」と言っていた。悠月はその直感を頼りについていく事とした。
学校を後にして十数分後、二人は住宅街を抜けた先にある河原へと辿り着いた。そのまま川の土手を下りて、小さな広場のような所にあるベンチに女は座った。悠月も少し距離を置いて同じベンチに座る。
ちなみに「先生には体調悪くて保健室で寝てると伝えといてくれ」と井上にはメールをしてある。
「唐突だけど、この世界とは違う『別の世界』があると言ったら信じる?」
「……どういう意味だ?」
「そのまんまの意味よ。全く別の次元にある世界。つまりは『異世界』よ」
「こりゃまたファンタジーな話が出てきたな……」
悠月は気の抜けたような声でそう言い、ベンチへと寄りかかった。
ここまで来るまでに悠月が想像していたのは『世界政府が極秘で開発している生体兵器の化け物とそのエージェントの女』という路線だった。それか百歩譲って『未知の宇宙人の侵略』の線だ。
いくら何でも別次元の世界というのは想像していなかった。
「じゃあ、あたしが魔法使いだって言ったら信じる?」
「はあ?」
「あんたも魔法使いよ」
「いやいや……ちょっと待てって。俺は魔法学校とかに通ってないし、そんなモノ使える訳ねえだろ。大体よ、お前が魔法使いって話ですら信じられねえって」
まるで呆れたような言い方で悠月がそう言うと、なぜか逆に女性の方が馬鹿を見るような目で悠月の事を見た。やがて、女性は小さく溜息をつく。
「まあ……この世界の人間は元々魔力を持っていないから、感知できないのは知っているけどさ。あんたが感知できないとは思わなかったわ。鈍い奴なのね」
「いったい何の話だ? 訳が分かんねえよ」
「まだ自分の中にある『力』を理解できないの?」
「そりゃあんな化け物を倒すほどなんだから、なんかしらの『力』があるんだろうが。それが俺が魔法使いだって事なのか?」
「そうよ。おそらくそのナイフを持った瞬間になったと思うわ。嘘をついている感じはしないから、やおっぱりあんたはこの事件の関係者って訳ではなさそうね」
どうやら悠月は最初から何かしらの関係者であり、この少女に嘘をついていると疑われていたようだ。疑っていたのは自分だけではないようだなと悠月も改めて感じる。
「なら……この世界が崩壊の危機になっているのも知らないのよね?」
「ほ、崩壊? そ、それって……」
「人類滅亡の危機って事よ」
「……マジっすか?」
「マジよ」
まだ五月も中盤の肌寒い青空の下。
悠月は知らない少女から世界が崩壊しようとしている事を知った。




