ショーシュ・ティサ
共和国市民軍少将
※なおショーシュ少将の故郷では姓+名で氏名を表記する。
このためレインラント標準表記に直すと、ティサ・ショーシュ少将となる。
はい、ショーシュは私です。はじめまして。
共和国市民軍の少将を拝命しております。
(私は彼と握手を交わした)
――どうも。
とりあえず、ええと……しまったな――ちょっと、いいですか?
(彼は「よっ」と気合を入れると、本がうず高く積み上げられた椅子の一つから、大量の書籍を一気に持ち上げた。はずみで、本の合間に挟まっていた書類がバラバラと舞い落ちる。書類には大量の数字が書かれているのが、ちらりと見えた。
私は反射的に書類を拾おうかと思ったが、軍の機密文書だとマズいと思い、伸ばした手を引っ込める)
うわ、これは……失礼――その書類は……そのままで――こら、しょ、と。
(彼は大量の本を、机の足元にある書籍群の隣に、並べて置いた。
それから、のっそりと椅子まで戻ってくると、ハンカチを取り出し、ホコリまみれになっていた――特に背もたれのあたり――椅子からホコリを払い落とす)
あー、その、こちらにどうぞ。
(彼は大真面目な顔で、ハンカチで拭いたばかりの椅子を指し示す。
どういう反応をすべきか、一瞬対処に困ったが、私は外交的な微笑を浮かべてから、勧められた椅子に着座することにした。
せっかく少将自らが席を作ってくれたのだから、座らないわけにもいかない)
どうも、すみませんね。ヴラナー中将閣下からご来訪の話は伺っていたのですが、なにぶんその、ええと……あー、その、忙しくて。
そう、忙しくて。
(「忘れていた」と告白するのが気まずかったのは理解できるが、「忙しかった」という平凡な言い訳をひねり出すためにこれほど苦労する人物には、初めて会った)
それで、今日は何の用件でしたっけ?
――あ、ああ、そういえばお茶の用意が……。
(私はお茶の件を素早く辞退しつつ、改めて本日の取材について、簡単に説明する)
ああ、そうだ、そうでした。取材。そうでした。
とすると、あなたは――察するに……記者さんですね?
(どう返事すべきか悩んだが、とりあえず微笑を維持したまま頷く。
本当に私は、共和国市民軍の少将に面会しているのだろうか?)
しかし、取材ですか――しかも革命戦争時代のこと?
困ったな。正直、あの頃のことは、あまり覚えていないんですよ。
なにしろもう、20年も前のことでしょう?
私は、歴史学は大の苦手でしてね。
ですから――あー、その、あなたを追い返したいわけではないんです。
あなたの来訪を邪魔に思っているとか、早く帰ってほしいと思っているとか、そういうことは、ありません。これは本当です。
純粋に、もうあんな昔のことは、覚えていない。覚えていないというのは、不正確ですね。証言として有効な精度を保っていない。それだけなんですよ。
いや、それだけと言っては申し訳ないですね。あなたはまさに「それ」を聞くために、はるばるここまで来られたのですから。
(実に、やりにくい。
彼の言葉は、おそらく、完全に額面通り受け取って良いのだろう。
だが私の脳は、一刻も早くこの場から退散すべし、と告げている。常識的に考えて、彼はこれ以上ないくらい強い言葉で、私に退去を命じているのだから。
ちなみに彼は「はるばるここまで来られた」と言ったが、彼の執務室は首都の共和国市民軍本部に置かれているわけで、本部正門までの距離で言うなら、私のオフィスから歩いて20分程度だ。
いや、この言葉遣いにも、深い意味はないのだろうが……)
しかし、困りました。
世間話だけというのでは、後でヴラナー中将閣下に、さんざん嫌味を言われそうです。
あー、その――どうしましょう?
(私は張り付いたような微笑を維持しながら、とりあえず自己紹介をお願いできますか、と頼んでみることにした。
20年前のことは歴史であったとしても、さすがに現在のことなら話せるはずだ)
ははあ、なるほど。それは良いアイデアですね。
私はショーシュ・ティサ。共和国市民軍で少将をやっております。
専門は――そうですね、今のところ、戦場を流体として把握した状況下における、動的な模擬実験法の構築を中心に研究しています。
……こんな感じで、どうですか?
(私は顔面に張り付いた微笑を深めながら、次の質問を必死で考えていた。
案A:「戦場を流体とした~」というのは何かを聞いてみる→明らかに、踏んではいけない地雷
案B:共和国市民軍の現状についてどう思いますかと聞いてみる→聞くべきだが、現状では様々な意味で期待できない
案C:それ以外→そう、それ以外の、何か、適切な質問。
一瞬の沈黙の後、私はなんとか質問をひねり出した)
「随分と難解そうなテーマに取り組んでいらっしゃいますが、革命軍に入られる前は何をご職業になされていたのでしょうか?」
あー、はい。確かにそこも自己紹介には必要ですね。
革命戦争が始まった頃、私はシュマイア大学で数学を勉強しておりました。身分としては、学生ということになりますね。
「――ちょっとお待ちください。少将閣下はいま、36歳と伺っております。
ということは……9歳でシュマイア大学に在学されていた、ということですか!?」
ええと――そうですね。入学したのは、革命戦争が始まる前年ですので、8歳プラスマイナス1というところだったと思います。
私はヴィナール村の出身なのですが、そこには大きな修道院がありまして。
そこのレイン修道院長に数学の能力を見出されまして、いろいろ面接や試験を受けた後、シュマイア大学への入学を許されました。
あの頃は、毎日がとても楽しかったですね。
(改めて、私は本で埋まった彼の執務室を見渡した。
見える範囲で言えば、置かれている本のタイトルは、ほぼほぼ数学関連の書物であるようだった。
なるほど。彼は間違いなく、一種の天才だ。
この会見はヴラナー中将の「配慮」によって発生した、私本来の目的とは完全に無関係な会見だ。だから私としては、形式的な聞き取りだけ行ったら、とっとと退散しようと思っていた。
が、彼からもう少し話を聞き、会話を交わすことで、彼に「私」という人物を印象づけておくことは、無駄な投資にはならないだろう。
――そんなことを考えている間も、彼の思い出話は続いていく)
でも革命戦争が始まって、シュマイア市にも革命軍が押し寄せて来ました。
シュマイア市長は街の門を閉じましたが、城門が破られるのは時間の問題で、大学は放火や略奪の対象となると噂されていました。
ですが私の目には、その予想はいずれも的外れなように思えました。
ですので私は、学長に直訴したのです。現有戦力でシュマイア市は長期間守り切ることができるし、そうであるならば革命軍と平和的な交渉もできるはずだ、と。
学長に会うのは大変でしたし、話を聞いてもらうのはもっと大変でしたが、私の理論を聞いた学長は、即座に市長と談判に向かいました。学長先生は立派な数学者でしたので、私の理論に瑕疵がないことを、すぐに見抜かれたのです。
実際の戦闘がどのように行われたかは知らないんですが、ともあれシュマイア市は2ヶ月間に渡り、革命軍の攻撃を食い止め続けました。そしてそのあたりでオンドルフ参謀本部長が和平交渉の代表としてやってきて、シュマイア市長との間で平和的な停戦条約が結ばれたと聞いています。
まあ、その条約とやらのせいで、私は身の丈にあわない苦労を背負い込むことになったんですが。
そうです。件の条約では、シュマイア市側が提供するサービスの中に、私の身柄が含まれていたんですよ。
オンドルフ閣下と最初に会ったときのことは、さすがの私でもはっきりと覚えています。オンドルフ閣下は、一瞬で激怒しましたよ。あんなに怒り狂ったオンドルフ閣下は、後にも先にも見たことがありません。
ですが、さすがは参謀本部長閣下ですね。数分もかからずに落ち着きを取り戻すと、私にいくつか質問を投げてきました。で、私はそれに答える、と。
そうするうちに、閣下はふと「軍事において、少数で多数を打ち破らんとするのは、下策中の下策と言える。これについて君はどう考えるか」と聞いてきました。
これに対する私の答えは、原則として、今も昔も変わりません。「条件次第」です。
(私は思わずクスリと笑ってしまった。
そんな曖昧な答えを返された参謀本部長は、天と地がひっくり返る勢いで怒り狂っただろうから)
あはは、ご想像の通り、オンドルフ閣下は再び大激怒されましたねえ。
でも、初対面のときほどじゃあ、ありませんでした。あの人は、とても賢い人ですから。
いいですか。「少が大を撃破することを目指すのは軍事的愚策」という概念は、そのままでは、何の意味も為しません。
小とは何か? 大とは何か? 撃破とは何なのか? 目指すという行動の範囲は? 軍事的とは? 愚策と策と良策の差は?
かのテーゼはこれらすべてに対して、なんら具体的なパラメータも、評価関数も、設定していません。
例えば私が、指を鳴らすだけで戦場にいる敵兵1万人を確実に殺せる手段を持っているとしましょう。一方で敵軍は、一般的な歩兵銃で武装した1万人と仮定します。
この場合、高確率で、私が戦闘に勝利します。私が負けるパターンもいくつか考えられますが――例えば何らかの理由で私が指を鳴らしても敵兵が死なないとか、私が指を鳴らし損なうとか――どちら側がより確からしく勝利するかと言えば、まあ、私ですよね?
ですが、数だけを見れば、私は1人で、敵軍は1万です。どちらが小で、どちらが大かは、自明です。
ここまでは、よろしいですか?
(私は神妙な顔で頷く。
なんだか、数学教師の講義を聞いている気分になってきた)
このように、軍事に限らず、現実世界において何が「大」で、何が「小」であるかは、様々な環境要因によって変動するのです。
同様に、各種パラメーターを単純に加減乗除して大小比較に持ち込めばよいという発想も、よくある誤謬です。先程の例で言えば、(人数)×(武器の威力)で、例えば「戦力」のような値を想定し、その大小を比較すれば良いというアイデアですね。
これは、抜本的に、誤りです。
戦闘行動のような複雑な活動を、1次元解析するのは不可能なのです。戦闘行動とは非常に複雑な多元方程式であり、しかも多くのパラメーターはスカラーではなくベクトルと理解すべきです。
ここまで、よろしいですか?
(まったくもって、よろしくない。
が、彼が何を言わんとしているのかは、漠然とは理解できる。
おそらく彼の目には、戦場は、巨大な方程式として見えているのだ)
――あまり、よろしくないようですね。
まあ、細かい技術論は、避けます。ともあれ、これは大変に複雑な問題ではありますが、一定レベルの妥当さを持った解答へと収束し得る範疇に留まります。もちろん、随所に確率論が絡むことは避けられませんから、100%これで正解という解は、出ません。その精度を少しでも高めるべく、今も研究を進めている――というところですかね。
自己紹介としては、こんな感じでいかがでしょう? 問題ありますか?
(問題ないとも言えるし、問題だらけとも言えるが、これ以上は藪蛇でしかないだろう。
話の接穂を求めて、私は恐る恐る、リーニェの会戦について聞いてみることにした)
リーニェの会戦……あー、その――ええと……
ああ! 思い出しました。オンドルフ閣下の補佐として、私が実際の指揮に初めて参加した戦いですね。
あのときの方程式は、確か、比較的シンプルなものでした。それで、ある程度まで各種パラメーターに幅を与えて結果を導いてみましたが、リーニェ近郊100Kmから帝国軍のパワープロジェクションを排除できる確率は、たしか――あー、その……まあ、6割から7割だったと思います。
オンドルフ閣下だけは私を信用してくれて、結果、6割のほうの成果が出ました。大変、ありがたいことです。
なにしろ4割のほうが出たら、私はまず間違いなく死んでいました。味方が総崩れになった戦場において、年端もいかぬ子供が生き残る確率は、無視できる数値に収まりますので。
(ここまで聞いたところで、思い切って、きわどい質問を投げてみることにした。
彼ならば、空気を読むとか、状況を鑑みるとか、そういうことを一切せずに――あるいは偏った個人的見解を混ぜることもなく――事実を述べてくれると思ったのだ。
その予想は、半分正しく、半分裏切られた)
――ははあ。いやまあ、ありますよ。そういう申し出は。
共和国市民軍が、旧帝国軍と、旧革命軍の2派閥に分かれているというのは、認めるも認めないも、事実としか言いようがありません。
私としては、戦局に甚大な悪影響を与えるのが自明なので、今すぐやめてほしいという思い以外にないんですが……政治というやつは戦闘よりも方程式が厄介な上に、プレイヤーの数が圧倒的に多いんですよ。試みてはみましたが、あっという間に発散してしまう。
一度そのことをミコラーシュ大将閣下に相談したら、「そりゃあ君、政治とは人が生きることそのものだからねえ。もし君がその方程式を立てられるとしたら、君は人生の方程式を立てられるということになる」と言われまして。
なるほどと思って、撤退することにしました。というのも、これはまだ仮説の範囲にあるんですが、ホーブロー大のアディエルソン助教授の論文によると、そういう試みは不可避な矛盾を発生させるとありまして――あー、その、まあ、うーん……つまり、無理なんです。多分。サン=ミエル大のヒルベルタ教授は、アディエルソン仮説に猛反発していますが、うーん……まあ――うん、どうなんですかねえ?
いや、本当は私も、そのあたりの問題には非常に興味があるんですが、なにぶん軍隊から給料をもらっている以上、私的な興味を優先するわけにもいかないので……
ああ、そうそう。
ですから、旧帝国軍派からのご提案は、いろいろ頂いています。
ですが私としては、説明しました通り、そういった派閥抗争そのものが極めて有害なので、関与したくない、という思いがあります。
……ただそれとは別に、私の「政治的選択」は、レインラント革命を肯定する側にあるんですよ。
(そう言うと、彼はしばし、口を閉ざした。私は彼が自分の言葉を見つけるまで、辛抱強く待つ。
やがて彼は、再び口を開いた)
かつてレインラント帝国は、数学界において、世界の潮流から取り残されていました。
集合論においてはファールン王国が、代数学においてはヴージェ皇国が、それぞれ圧倒的なリードをしていましたが、レインラント帝国における数学は、本質的に言えば、算数の延長線上から脱していませんでした。
というのもレインラインの数学界は、軍の支配下にあったからです。三角関数を理解し、その演算が早い者こそが、優れた数学者である――それが、レインラインにおける数学でした。
要するにレインラント帝国の数学者は、戦場の地図を正確に作り、大砲を的確に撃つための、演算装置でしかなかったのです。
ですがこの20年で、状況は大きく変わりました。
不幸中の幸いと言いますか、数学が軍のものだったおかげで、レインラントにおける数学は、貧者が成り上がる手段でもありました。ですから市井にはたくさんの数学塾があり、素人数学者たちがいたのです。
軍の軛がなくなり――もちろん共和国市民軍は技師としての数学者を熱烈歓迎いたしますが――そういった市井の数学者たちの間から、優れた研究が生まれるようになりはじめました。
また、かつては身分の差によって押さえつけられてきた研究や、発表者の身分がゆえにまかり通っていた研究が、正しい評価を受けるようにもなりました。
レインラント革命は、レインラント数学界を、大きく前進させた。これは絶対に、間違いのない事実です。
私が今も「軍隊を効率よく動かす演算装置」としての数学屋を続けているのは、これが理由です。
私は、残念ながら、天才ではありません。そしておそらくは、数学世界をわずかなりと前進させる礎にすら、なれません。
でも、レインラント革命によって保証された市民の自由と権利は、私が一生かけて研究するより多くの数学的前進を、世界にもたらしたと考えられます。何の気まぐれか、神は私に軍人という職務をお与え下さいましたが、事実、私は軍人としての本分をまっとうすることによってこそ、数学に最も貢献できるのです。
そして、それこそが、私の「政治」なのです。




