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セヴェール大司教

ピネ大聖堂つき大司教

(ヴージェに出る前夜、急にエルシュペー伯から「オンドルフにしてやられた。護衛はつけられない。だがお前は安全だと言わざるを得ない。クラリッサは連れて行け」という、不思議な連絡を受けた。

 翌朝、用意された大型馬車に乗り込んでみると、中にはアレンカ・マーショヴァー女史が座っていた。なるほど。彼女が私の護衛であり、かつオンドルフ閣下から派遣された監視役というわけだ。これはエルシュペー伯も引き下がるしかないだろう。

 結果論で言うと、この人選は大変にありがたかった。車内はアレンカとクラリッサ、そして私という、実に気兼ねのない旅だ。はじめは緊張して言葉少なめだったクラリッサも、アレンカに私と伯爵のプライベートを暴露する係として、積極的に会話に口を挟むようになった)


「クラリッサ、帰りは徒歩がいい?」


 口が過ぎました、お嬢様。


(……こんなやりとりを何回も繰り返すうち、やがて馬車はヴージェ皇国第3の都市、ピネに到着した。

 ピネには最近になって再建された大聖堂があるが、そこのトップにセヴェール大司教――エルシュペー伯が口さがなく「生臭」「豚野郎」と呼ぶ老人――が就任している。

 伯の手紙がある以上、こちらの要求が通らないということはないだろうが、油断は禁物だ。大司教の人物像は、まさに、伯が語る通りなのだから。

 ともあれ、まずはピネ大聖堂近くにある巡礼者用の宿で一息ついた私たちは、今後の予定について打ち合わせをする)


「明日の朝一番で、セヴェール大司教のアポイントを取ります。

 もしかすると、その足ですぐに面会という可能性もあります」


 そうなると、お衣装が難しいですねえ……。


(クラリッサは熱心にメモをとりながら、ブツブツと呟く)


「クラリッサに任せます。アレンカさんとも相談してください。

 豪華なドレスは、護衛にとってみれば迷惑でしょうし」


 荒事になるんですか?


 そこはリュシール次第ね。

 でも面会中に荒事になるんだったら、そのまま皇国と共和国の戦争にまで拡大するでしょうから、あんまり気にしなくていいと思うわよ?


 そうですね、わかりました。

 ドレスの候補を何着か、選ぶことにします。今晩中に決めてください。


(……なんだか藪をつついて蛇を出した気分だが、それで話はまとまったようなので、次の議題に入る)


「ヴージェに入ってから、皇国側の監視はどうですか?」


(アレンカは足を組み替え、腕組みをする)


 もちろん、監視はされてるわね。

 ただそれが、私が護衛についているからなのか、それともあなたが皇国に入ったからなのか、はたまたクラリッサの女の魅力にぞっこんなのかは、判断つきかねるわ。


 待ってください! 最後のは、ない! ないです!


 あら。分からないでしょ? 皇国の殿方の間では、女中(メイド)姿の若い娘さんに性的な接待をさせるのが流行ってるそうだし。クラリッサみたいにおっぱいの大きな娘は、大いに需要があるでしょうね。先代皇帝陛下のご統治からこの方、ヴージェ貴族はみんな、おっぱい星人だから。


 お断りします! ヴージェ貴族の悪癖は、本で読んだことがあります!

 皇帝の愛人自ら新しいご奉仕の方法を宮廷に流行らせるとか、人間としての良識を疑います!


(……そういう話をする予定ではなかったのだが。

 アレンカはクスクス笑いながら、マスカットティーを優雅に一口。

 このあたりの所作は、さすが元貴族のご令嬢だ)


 とはいえ、どうしても監視を排除してほしいなら、一時的に排除することは可能よ。もちろん、血が流れない方法で。

 すぐ補充が来るだろうし、こっちのメンバー的に言って監視を撒くのは無理だから、あんまり意味はないけど。必要なときは、言って。30分もあればカタをつけるわ。


「……この打ち合わせ、ヴージェの監視に聞かれてますよね?」


 もちろん。そのつもりで言ったもの。

 この程度で怒気を露わにしちゃうような連中、30分もかからないとは思うけど。


(高度な情報戦を展開するアレンカのことはさておき、彼女が監視を排除できると言うからには、可能なことは可能なのだろう。

 実際にお願いするかどうかはともかく、その選択肢があるということは、考慮の一部に組み込んでおく必要がある。今の私には、それができる権力があるのだから。

 クラリッサも、このあたりは前もって承諾済みだ。この旅に同行するにあたり、家族への遺書も書いてきたと言う。

 もし荒事となったら、アレンカは私を守ることを再優先する。そして私は、例えばクラリッサを誘拐されて脅迫されたとしても、その脅迫を無視するだろう。

 この旅において、彼女の命は、おそろしく危うい状況にある。それでも同行すると言うのだから、クラリッサも相当に酔狂な人間だ)


「分かりました。では、まずは明日に備えましょう。

 明日の交渉をしくじったら、それ以降の準備は無駄足です」


(私の言葉を最後に、打ち合わせはお開きとなった。

 アレンカの提案で、豪華な1部屋を3人で抑えた私たちは、それぞれ思い思いの仕事に着手する。クラリッサはドレス選び。私は書きもの。アレンカが「思い上がった馬鹿をちょっとシメてくるわね」と言って外に出たのは、まあ、そういうことなのだろう。

 アレンカはすぐに帰ってきた。そしてその夜は無事平穏に過ぎていった)


(翌朝、私たちはピネ大聖堂に向かった。私のドレスは、今期ヴージェで発表されたばかりの最新型だと言う。クラリッサとアレンカが言うのだから、間違いないだろう。

 当然というか何というか、私達の到着はセヴェール大司教にも伝わっていたようだ。「朝一番でアポイントを取りに行く」という情報も、漏れていたのだろう……むしろ、それを期待して巡礼者用の宿に泊まったというのは、なきにしもあらずだ。わざわざクラリッサを何度も往復させて誘拐リスクを高めるより、相手に勝手に怯えてもらったほうが、面倒がない。

 国賓を遇するレベルで歓迎された私たちは、大聖堂直属の警備隊――コール連邦から派遣された歴戦の傭兵たち――にエスコートされながら、大司教の執務室に向かう。コール傭兵に囲まれたアレンカは明らかに緊張していたが、これはもう職業病のようなものだろう。

 執務室に通された私達3人は、ヴージェ最新流行の家具と絵画がイヤミなくらいに敷き詰められた風景に眉をひそめつつ、これまた豪華な僧服を着たセヴェール大司教と対峙する。気が進まないが、握手。

 セヴェール大司教に椅子を勧められたので、精一杯の淑やかさで着座する。クラリッサは壁際に控え、アレンカは私の背後に立つ。


 さあ、「肥え太ったデブを正面から撃ち殺す」時間だ)


 本日はエルシュペー伯のお使いのご来訪、まことに光栄です。

 改めまして、この貧しき聖堂の責任者を務めます、セヴェールでございます。

 教皇猊下からは、大司教の地位を拝命しております。


「丁寧なご挨拶、ありがとうございます。

 アルダン家のリュシールと申します。

 エルシュペー伯の使いと言いましても、愛人の気まぐれな旅に過ぎません。ここまでご厚遇頂くと、かえって緊張してしまいます」


(背後で「良く言うわね」という呟きが聞こえた気がするが、無視。

 まずは、「教会の一般的な倫理観で言えば許されない〈愛人〉という立場の人間の要求であっても、聞く気があるのか」という確認だ)


 エルシュペー伯とリュシール嬢が、清く篤い愛を育まれておられること、伯の書状からもひしひしと伝わって参りました。伯爵家ともなれば結婚の儀にも多くの準備が必要となりますから、リュシール嬢のような状況は珍しくありません。

 神に仕える身としては、あまりに行き過ぎた婚前の交わりには苦言を呈するべきでありましょうが……愛ゆえの激情は、これもまた神の与え給うたもの。そこに文句を言い過ぎるのも、神の下僕としては望ましくありますまい。


(思わず「良く言う」と言いそうになったが、我慢。

 ともあれ、どこの馬の骨とも知れぬ私の要求を受け入れても、自分のメンツを潰さないだけの根回しは終わっている、ということか。

 ああ、まったく。ヴージェの貴族は、本当に面倒くさい)


「大司教閣下のご厚情に感謝します。

 つきましては、まずはこの旅の本義を果たさせて頂ければと思います。

 クラリッサ、お願い」


(背後のクラリッサに呼びかける。

 いつものガラッパチな態度を綺麗に押し隠した彼女は、完璧なマナーで私の隣に立つと、目録を手渡した)


「私の母が生まれたのは、シャイベンアール村です。

 彼の地に教会を建立され、蒙昧かつ貧しき村人に神の慈悲をお教えくださったのは、閣下のご采配であると、エルシュペー伯から伺いました。

 伯は、是非その御礼をしたいと申しておりました。こちらが、ささやかながら、その目録となります。寄進を受けて頂けますと、ありがたく存じます」


(さて、ここが本日最大の難所だ。

 ヴージェ皇国が監視をつけるような人間からの寄付を、受け取るか否か。

 どちらでも構わないようにシミュレーションを繰り返してはきたが、受け取ってもらえたほうが、話はよりスムーズになる)


 伯から(・・・)のご寄進、ありがたく拝領いたします。

 エルシュペー伯とはご幼少のみぎりにお会いしたことがございますが、幼くして熱心な正教徒としての振る舞いに、いたく感銘を受けたものです。あの日のことは、いまだ我が心に残っておりますとも。


(予定通り。正体不明な私からではなく、ヴージェとレインラントの国教である正教会で洗礼を受けたことがはっきりしているエルシュペー伯からの寄付であれば、受け取りを拒む理由はない。

 ……ときに伯、「ご幼少のみぎり」に、セヴェール大司教に何を言ったんですか。この人、いまだにその暴言、覚えてるみたいですよ。反射的に、私に向かってイヤミを言ってしまうくらいに)


「ではありがたく、寄進させて頂きます。

 神の栄光があまねく世に伝わりますよう」


 神の栄光が、あまねく世に伝わりますよう。


(私は席を立つと、数歩を歩み寄って、目録を手渡す。

 目録を受け取った大司教の顔が、わずかに喜色に揺れたのを、私は見逃さなかった。いったい何割が彼のポケットにはいるものやら。

 ともあれ、礼儀通りに跪いて大司教の祝福を受けた私は、再び着座する。

 あとは、簡単だ。私はわざと、長めに沈黙の時間を取る)


 ――ご母堂が、シャイベンアール村のご出身だったのですね。

 いまは、ご母堂はどちらに?


(「正解」を探して、セヴェール大司教が先に口火を切った。

 見返りなしの寄進など、あり得ない。

 だがその要求をこちらから切り出すのでは、話にならない。

 大司教の言葉に、私はわざとらしく目を伏せる)


「母は、私を産んですぐに死んだと聞いています。

 私は正教会の修道院で育ちました」


 そうだったのですか! ご母堂の魂に、平安がありますよう。

 リュシール嬢が貞淑で聡明な女性に育たれたことを、ご母堂は大いにお喜びでしょう。

 では、もしかして今回のご来訪は、ご母堂の……。


「はい。叶うならば、エルシュペー伯とのことを、母に報告したく。

 娘が幸せを掴んだことを、一言なりとも、と」


 なるほど。でしたら我が司教座からも、人を出しましょう。

 いやなに、あなたの篤き信仰心と、ご母堂への愛を、願わくば未熟なる者どもにも学ばせて頂ければと思いまして。


「実はその点につきまして、お願いがあるのです。

 アグノーの司教様に、過去帳を閲覧する許可を頂けまいか、と。

 母は、貧しく無学な農奴でした。しかも新教徒だったのです。

 きちんとした墓があるとは、思えません。

 ですが新教徒であっても、塗油と告解の機会はあったはず。

 記録を辿れば、母がどこで死んだのか、大まかにでも見当がつけられるのではと思うのです」


(背後で「なるほど」という小さな呟きが聞こえた。

 私の狙いは、これだ。


 エルシュペー伯がかつて指摘したように、レインラントが内戦寸前の状況にあるのに、当代きっての戦争狂(ウォー・ジャンキー)なアーシェが共和国に戻ってこないというのは筋が通らない。アーシェはほぼ間違いなく、死んでいるのだ。


 だが彼女の戦闘力を鑑みるに、その死が戦死というのは、考えにくい。

 むしろ何らかの理由で、彼女は先帝陛下の文通相手――アグノー侯ミレーユのもとに、匿われていたのではないか?

 元伝書使(クーリエ)の同僚までもが血眼になって探して、なお見つからないとなれば、彼女は彼らの手が及ばない場所――つまり国外――にいる、ないし、いた。そう考えるべきだ。


 アーシェ死亡説は、この推測からも強化される。

 アグノー侯は5年前に病没し、侯爵家は断絶した。けれど、侯の財産分与騒動のなかで、アーシェの話題は出てきていない。もしアーシェが生きていれば、アグノー侯が持つ財産のなかでも、飛び抜けた価値を持つにも関わらず、だ。


 アーシェの信教がなんであれ、死ぬ直前の告解と塗油の儀式はあったはず。その記録を調べれば、アーシェは既に死んでいるという確証を得ることもできる。

 だが聖職者ならざる人間が教会の過去帳を調べるなど、普通なら不可能だ。それを可能とするため、私はあらゆる根回しと調査を終わらせた後、ヴージェに渡る必要があった。


 ――もちろん、母にいろいろと報告し、たとえ墓はなくとも、花束の一つなりと捧げたいという気持ちも、ある。

 だが、それはそれ、これはこれ、だ)


 なるほど。そのような事情でしたか。

 わかりました。ご母堂が新教徒ということになりますと、いろいろ厄介なこともございますが、私が折衝いたします。

 宗派は違えど、信じる神は同じ。肉親への報告も許さぬとあっては、正教会の度量を疑われましょう。それこそ、神の御心に反する行いです。


「ありがとうございます。

 セヴェール大司教の御心に、深く感謝いたします。」


 いえ、これもまた神のお導きです。

 私は、神の御光が指し示す方向に、我が指を指し示すのみ。

 神に感謝を。お母堂へのご報告が成ることを、祈っております。


「神に感謝を」


(最後の最後に、強烈に白々しい感謝を交わし、交渉は終わった。

 さあて、これからしばし、退屈な書類調査の仕事だ)


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