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イグナーツ・オンドルフ

レインラント共和国警察大臣・レインラント共和国市民軍参謀本部長

(アサイチで正午のアポイントをねじ込んだ私は、11時40分に警察本部ロビーで待機しはじめた。20分前行動は軍の基本だ。

 11時55分に署員の案内でオンドルフ閣下の執務室に向かった私は、12時きっかりに室内に呼び出される。

 いつもどおり、深呼吸をひとつ。

 しかるに執務室内に入った私を出迎えたのは、思い切りトゲのあるオンドルフ閣下の声だった。最初から丁寧語オフのモードだ)


 さて、まずは現状に対する釈明から聞こうか。


(椅子に座ったままのオンドルフ閣下が、窓の外を指差す。

 窓下では、エルシュペー伯が率いる黒騎兵隊の精鋭が、見事な横隊を組んでいた。完璧な規律と訓練に基づく隊列転換に、集まった野次馬の間から拍手と歓声が沸き起こる)


「保護者が暴走しました」


(これ以上、何をどう説明しろというのか。

 これ以上に正確な説明が不可能だというのが、実に、つらい。

 オンドルフ閣下は深々と溜息をついた)


 適当なことを言うのはやめたまえ。

 エルシュペー伯と君が、世間で言われているような愛人関係にはないということは、把握している。

 諸君らのセクトは内戦をお望みか?


「ご指摘の通り、伯との間に肉体関係はありません。

 ですから、〈保護者〉と申し上げました」


(頭痛がすると言わんばかりに、オンドルフ閣下は額に指をあて、しばし黙りこんだ)


 ……失礼、いささか冷静さを欠いた。

 確かに、あの示威行動は、君にとって限りなくメリットがない。

 私の態度を硬化させる必然性は、君にはないからな。

 ならば今すぐ、あれを止めさせたまえ。


「失礼ながら、エルシュペー伯が『止めて下さい』と言われて、行動を改める人物だとお考えですか?

 伯は、私の合図がある、ないし私が所定時間までに外に出てこない場合、警察署に突入するとまで言っています。

 そんなことをしたら戦争になると、お諌めしたのですが……」


 君の発言が真実なら――いや、真実でなかったとしても、伯を国家反逆罪で逮捕するには必要十分な証言だな。


「ですがそれもまた、内戦の引き金です。

 私から申し上げられるのは、ここは我々が勇気と理性をもって可能な限りの協力をすることで、内戦リスクを最小限に抑えこむ場面ではないか――そういうご提案だけです」


 ……君ほど厚顔無恥で、尊大な人間は、初めて見る。

 ここまでの恥知らずには、呆れるほかない。


(よし。先手を取った。

 ならばここから先は、私のターンだ。

 オンドルフ閣下に、手番は渡さない)


「これは私の、偽りなき本心です。

 そして私は、それほど大きなお願いをしたくて、ここに伺ったわけでもありません」


 ミコラーシュ大将と懇意にする君が、エルシュペー伯を動かした。

 元革命軍の総帥と、元貴族の英雄が、軍事的に君をバックアップしている。

 そのことの意味を、君は理解しているのか?

 共和国は今、過去最大の危機に瀕しているのだぞ!

 この危機を、「さほど大きくないお願い」のために、引き起こしたと言うのか!?


(戦争は、速度だ。速度が、勝負を決める。

 私は心のなかで、昨晩の伯の講義を繰り返す)


「はい。私に、ヴージェ皇国行きの旅券発行を許可して頂きたく。

 私の望みは、それだけです。

 もちろんこれは、オンドルフ閣下に対し、大きなメリットを提示できる取引です」


 馬鹿なことを……君にヴージェ行きの旅券など、発行できるはずがあるか!

 共和国の要人はみな、君をヴージェのスパイであると認識している。

 それが事実かどうかは、どうでもいい。問題は、大統領以下、それが共和国政界におけるコンセンサスだということだ。

 そんな君を、ヴージェに出国させる?

 そんなことをすれば、私はその日のうちに罷免されるだろう。

 私だって、誰かがそんな愚行をしたなら、その愚か者を地の果てまで追い詰めてでも、吊るす。


(オンドルフ閣下が情報を処理するより早く、こちらが動く。

 動き続ける。

 閣下の持つ情報を、常に時代遅れの情報とする)


「私は、伝書使(クーリエ)アーシュの行方と現状を、歴史学の視点から証明できる一歩手前まで来ています。

 ヴージェ皇国での調査が完了すれば、アーシュにまつわる騒擾や謀略は、すべて鎮火できます。そのためには、皇国に渡航し、調査する必要があります。

 どうか、渡航の許可を」


 アーシュに関係する情報は、私も有益に活用している。

 どうせ調べているのだろうが、私自身、アーシュという存在を利用した工作を、多方面で行っている。

 君は、その投資を、自らの手でご破産にせよと言いたいのか?

 それのどこが、私のメリットになる?


「私を逮捕して拷問し、ヴージェでどんな調査をすべきかを聞き出すというのは、2つの観点からお勧めできません。

 1つは、ヴージェでの調査には、私独自のコネクションが必要だという点。

 もう1つは、いま私を逮捕するのは、内戦の引き金となるという点。

 もしエルシュペー伯がさらに暴走し、それをミコラーシュ大将が擁護するようなことがあれば、お忘れかもしれませんが、オチェナーシェク老もこの状況を最大限に活用するでしょう。

 それこそ、私などでは想像もつかない、悪辣かつ婉曲的な方法で」


 質問に答えろ。

 アーシュを伝説の霧の向こうから引きずり出す、そのメリットは何だ?

 くだらん脅迫をする暇があったら、私の質問に答えろ!


(“可能であれば敵の全縦深に対し、一撃でこれを麻痺させるような打撃を加える。

 最前線から最高司令部まで、同時に打撃を与えるのだ”

 私の脳裏で、エルシュペー伯が訓示を下す)


「むしろ伺いますが、なぜ閣下にメリットがないとお考えなのですか?

 現状、共和国には無数の内戦リスクがあります。

 なかでも最大のリスクは、旧革命軍と、旧貴族の、派閥抗争。

 そういう理解は、なるほど、一般論としてはアリかもしれません。

 ですが閣下もご存知なのでしょう? 現在発生している派閥抗争は、旧革命軍・旧貴族などという、シンプルな対立構造ではあり得ません。

 共和国の現状には、あまりにも多くの利害関係を抱えたプレイヤーが、あまりにも無数に関わりすぎている。その混沌を読み解くことなど、誰にもできません。おそらくは、オチェナーシェク老にも。そして、失礼ながら、閣下さえ。

 だからこそ、今一番恐れることは、明確です。

 このどうしようもない混沌そのものを否定し、『なんとかしなくてはならない』と考え、かつそれを実行できる暴力装置を有する、そんなプレイヤーが、暴走することです」


 ……貴様は、どこまで知っている。

 なぜ、それを知っている!?


「元伝書使(クーリエ)たちによって結成されている、秘密結社・黒狼。リーダーの名前は、ヴォイグ。

 彼らは様々な〈上司〉を持ちつつも、その最大の忠誠は先帝陛下に置いています。いえ、それ以外に、彼らは忠誠を抱きえません。それこそが、彼らを人たらしめている。それを教えてくださったのは、閣下ではありませんか。

 この状況において、彼らが現状の混沌を否定した先にあるのは、先帝陛下をあるべき地位に戻すという選択以外、残りません。

 けれど先帝陛下は、現状の政争から、可能な限り距離を置いている。

 先帝陛下を元の地位に戻すという運動は、ひとえに、テロそのものです」


(相手を侮ってはいけない。

 イグナーツ・オンドルフ。

 帝国時代には帝室直属の秘密警察における若きエリートとして活躍し、革命戦争においては革命軍に参謀総長として着任。

 革命継承戦争においても参謀本部長の椅子を引き継ぎ、そして帝国が共和国になった今なお、幾多の政争を乗り越え、警察本部長の座を占める男。

 謀略と、陰謀の、怪物。

 真正面から戦えば、絶対に勝てない相手だ。

 だからこそ、一気呵成に、叩く。冷静な思考を取り戻すチャンスを与えてはならない。相手が衝撃と恐怖と混乱に飲まれているうちに、圧倒的優位を勝ち取るのだ)


「アーシュの情報が確定することは、誰よりも黒狼に対して、最大の打撃になります。

 黒狼としては、アーシュが生きていようが、生きていまいが、関係ない。

 むしろそれが不明であることが、最も望ましい。

 元伝書使(クーリエ)・オールスターである黒狼であればこそ、『黒狼はアーシュも抱えているかもしれない』という可能性は、誰もが想像する。そしてその想像は、彼らに対する畏怖ともなれば、彼らと取引したいと思うプレイヤーに対する誘蛾灯にもなる。

 私は、その可能性そのものを、潰すことができます。

 そしてこれが、閣下に私が提示する、最大の利益です。

 私は、アーシュに関する研究を、書籍として発表する予定です。その本の内容を検閲し、発行のために必要な修正を要求し、最終的に発行許可を下すのも、閣下なのです」


 ――つくづく、傲慢な人間だな、君は。

 君の狙いを知れば、黒狼は君を消すだろう。

 共和国軍の最高司令部にいようが、あるいは共和国警察本部の司令部――つまりここにいようが、黒狼が本気を出せば、翌朝には君は死体だ。

 確実に暗殺される人間に対して、投資をしろと言うつもりか?


「その点については、アテがあります。

 執筆は、黒狼の手が絶対に届かない場所で行う予定です。

 それがどこかは、言えません。

 ただ、黒狼が〈何人であれ暗殺する短剣〉であるならば、同様に〈何人たりとも侵入できない聖域〉だってある、と申し上げておきます」


 そんな場所があるはずが――

 いや……まさか――まさか、貴様は……!?


 答えろ。貴様は、何者だ!?

 貴様は、いったい、何者なんだ!?


「私は伝書使(クーリエ)リュシール。

 それ以上でも、それ以下でもありません」


(オンドルフ閣下が、射殺さんばかりの目で私を睨みつける。

 私はその威嚇を、正面から受け止めた。

 ここはもう、意地の勝負だ。

 先に目を逸らしたほうが負けという、実に原始的な勝負。


 けれど、オンドルフ閣下は私の予想よりずっとあっさりと、視線を逸らした。

 それからウンザリしたような声で、私に別角度の問いを投げかける)


 ……ひとつだけ、言え。

 なぜ貴様は、旅券の発行をオチェナーシェク老に依頼しなかった?

 なぜ貴様のスポンサーであるオチェナーシェク老ではなく、その最大の政敵である私に、利益を供与しようとする?


(――落ちた。私は勝利を確信する。

 オンドルフ閣下は、私の提案を受け入れるメリットを量るのではなく、私の提案そのものが政治的な罠である可能性を考慮することに軸足を移した。

 私が命がけで溜め込んできた情報の洪水は、オンドルフ閣下の処理能力を上回ったのだ)


「オチェナーシェク老に依頼しても、こんな馬鹿げた旅券の発行など、いつ達成されるかわかりません。かのご老人も、万能ではありませんから。

 本当は、それでも良かったのです。ですが現状、事態は風雲急を告げています。

 そしてまた、アーシュの情報を確定させることは、オチェナーシェク老にとっても大いにプラスになります。言うまでもありませんが、閣下に旅券の発行をお願いすること――つまり閣下がオチェナーシェク老に対して貸しを作ることについては、老からご許可を頂いています」


(オンドルフ閣下は沈黙すると、黒い革張りの椅子に座ったまま、テーブルの上を人差し指でトントンと叩き続けた。

 もう閣下に手番を譲っても、問題ない。勝負は、ついている。

 この状態に持っていければ、「兵の数は問題ではない」のだ。


 静かな室内に、広場で繰り広げられる黒騎兵たちの掛け声と、馬のいななき、ガチャガチャと武具が鳴る音――そしてエルシュペー伯の大声が響く。市民たちの歓声が、潮騒のように、その後を追う。

 たっぷり5分は沈黙した後、オンドルフ閣下は口を開いた)


 リュシール・アルダンの、ヴージェ-レインラント往復旅券を発行する。


 ただし、条件がある。

 必ず、アーシュの情報を確定させろ。必ずだ。

 確定させて、帰ってこい。

 裏切れば、君はこの国のすべてのプレイヤーから、追われるだろう。

 その先にあるのは、死を望んでなお死が与えられぬ、最悪の未来だ。


 裏切らなくても、成果がでなければ、結果は同じだ。

 その覚悟を持って、ヴージェに行くのだな?


「私は伝書使(クーリエ)です。

 いかなる命令であろうとも、必ず果たし、帰還します」


(窓の外で、エルシュペー伯が「総員突撃体勢、待機!」と叫ぶ声が聞こえる。

 壁の時計を見ると、あと3分ほどで外に出ないと、「待機」が解除される時間になっていた。

 オンドルフ閣下が、疲れたと言わんばかりに、軽くため息をつく。

 私も、長い吐息が漏れた。

 思わず互いに目配せし、互いに渋い顔になる)


 旅券の発行は1週間後だ。

 1週間は、正規の待ち時間だ。これに文句は言わせん。

 1週間後、外事3課の窓口に出頭しろ。受付は朝10時に開く。


「了解しました。

 ところで閣下、失礼ながら、もう1つだけ小さなお願いをしたいのです。

 あと1分ほどで、騎兵隊が突入してきます。

 いまから玄関に走ったのでは、間に合いません」


 ……好きにしろ。


(私は一礼すると、執務室の窓に向かった。

 ちょっと焦りながら窓を開くと、眼下には突撃体勢をとった黒騎兵隊の勇壮な隊列が並んでいる。

 その先頭に立ったエルシュペー伯と、目があった。

 私は少しだけ微笑むと、握りこぶしを作り、親指を立てる。

 「勝利」を告げる、騎兵隊のジェスチャー。


 窓の下は、歓呼の声に包まれた)


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