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ヴァルトル・チェカル

レインラント共和国法務省勤務・法学博士

(あれから3ヶ月ほど、まともに調査を継続できなかった。

 とはいえパトロンからの援助金は滞らなかったし、最初の1ヶ月はちょっと驚くような金額になっていたので、なるほどこれが賠償金かと納得して受け取っておいた。

 先週末、ふらりと私の部屋を訪れた“ドクター”が左手の完治を宣言したので、改めて調査を再開することにする。と言っても、さすがに崖っぷちを歩きすぎたという自覚もあるので、まずは安牌として保留していた人物から再スタートだ)


 ああ、君か。遅かったじゃないか。

 左手は、もう大丈夫? 後遺症は?


 ――そうか。なら、良かった。

 とりあえずは、無事を祝して、乾杯といこう。

 奢るよ。好きなものを頼むといい。それくらいの給料はもらってる。


(私はやや恐縮しながら、ヴージェ産の赤ワインを注文する。

 妥当なお値段で、ちゃんとしたオービエールの赤が飲めるのは、私の知る限り、レインラントではここだけだ)


 では、互いの無事と健康を祝って。

 ついでに、これからの平穏と無事も祈って。


 で、折り入っての話ってのは、何だい?

 君との貸借関係は、差し引きすると、まだ若干、僕のほうに借りがある状態だと理解してる。その範囲で、協力は惜しまないよ。


(相変わらず損な性格ですねと指摘しながら、私は質問を切り出す)


 ははあ。そこに行き当たったか。

 いや、いずれ行き当たるだろうとは思っていたけどね。

 察するにアレだろう、クラマー()少将閣下が、君を「おもてなし」してる途中でポロっと口にしちゃったとか、そういう下らない経路だろ? 共和国高官のうち、元貴族だった連中の一部が、帝政復古を目標に決起する計画を練ってるんじゃないか、ってのはさ。


 いい、いい、詳しく聞くつもりはない。

 そうだねえ……どこから、何を、どこまで話したものか……。


 まず、まったく否定できない事実として、今の共和国は非常に危うい状態にある。これはもう、言い繕うことなんて無理だ。


 ヴージェ皇国にしても、ファールン王国にしても、停戦しているだけであって、いつ戦争が再燃しても不思議じゃあない。

 そもそもどっちの国も、レインラントで起きた革命が「輸出」されることを、大いに恐れている。共和国政府を叩き潰して、レインラントに帝政を復活させるというのは、彼らにとってみると大いに価値がある。


 ただ、既に革命継承戦争の痛手から立ち直った彼らが、我らが共和国に再戦をつっかけてこないのにも、理由がある。


 特に複雑なのが、ファールン王国だね。

 ファールン王国は熱心な新教徒の国だ。共和国は歴史的な経緯から新教徒にも信仰の自由を認めているとはいえ、本質的には正教会の国と言っていい。ファールン王国民が、彼らの聖地(・・)を奪還するモチベーションは、とても高い――なにしろ新教改革運動は、旧レインライト帝国で始まったわけだから。

 ここで話を難しくするのは、このようにファールン王国民の大半はレインラント共和国に――あるいは旧帝国にも――敵対的であるにも関わらず、ビューラー先帝陛下はファールン王室と遠い縁戚関係にある、という事実だねえ。ファールン王室としては、ビューラー先帝陛下を「救助」して、レインラント帝国を復興する、実に良い大義名分を持ってることになる。まさにイケイケドンドンだ。

 でも「レインラントの先帝を助けて、レインラント帝国を復興させる」ことを、ファールン国民的には許容できるの? ってことになると、領土割譲だの賠償金だのは当然として、「レインラントの野蛮人たちが新教に改宗するなら」って条件が出てくるだろう。

 そんな要求が通ったら、新生レインラント帝国は即座に血で血を洗う内戦だ。ファールン王国的には、そんな状態になったレインラントなんて、お荷物以外の何物でもない。悩ましいところだねえ。


 さらに話をややこしくするのが、深慮遠謀、二枚舌外交においては世界一のヴージェ皇国の存在だね。

 革命継承戦争における最大の勝者は、ヴージェ皇国だと言っていい。皇国は最小限の出血で、この1世紀における懸案だったエレーヌ・バルザ領を獲得したわけだから。

 逆に一番ワリを食ったのは、ファールン王国だ。宗教的に犬猿の仲であるヴージェ皇国と手を組んででも、「革命の輸出」を防ぐためにレインラントに侵攻したはいいが、ヴージェ皇国はエレーヌ・バルザを割譲されるや否や、即座に停戦に合意。ファールン王国はたった1国で、広大なレインラントへの遠征を続けるしかなくなった。

 結局、レインラント人もファールン人もバタバタ死んで、最終的にファールン王国は雀の涙みたいな賠償金と領土割譲で引き下がることになったというわけだ。ファールン王国的には、レインラント共和国より、ヴージェ皇国を許すなって気分だろうねえ。


 とまあ、こんな感じで、国際的に見ると大変に微妙なバランスの上に、かりそめの平和が成り立ってる。

 客観的に見ればヴージェ皇国が一歩リードという状況ではあるけれど、ファールン王国は少なくとも今後1世紀くらいは、ヴージェ皇国と手を組まないだろう。そうなると、皇国単体で共和国につっかけるというのは、さすがに収支が合わないはずだ。


(彼は「お分かりか?」と言わんばかりに私を見ると、グラスを傾けた。

 私も、このあたりの事情はだいたい理解している――つもりなので、頷き返してみせる)


 本当にわかってんのかねえ?

 ま、君は一度聞いたことは忘れないからな。明日にでも思い出して、メモにでも起こしておくといい。


 さて、ここから先が、今晩の本題だ。いいかい?


 先の介入戦争で出張ってきた2国がつっかけて来ない理由は、これだけじゃあない。純粋に軍事的な力という面で、今のレインライン共和国は、2国を同時に相手取ることができるから、だ。

 あー、はいはい、そこで「公式見解かよ」みたいな顔をしない。

 これはね、紛れもない、事実なんだ。600年の歴史を持つヴージェ皇国騎兵隊も、神出鬼没のファールン王国猟兵も、今の共和国軍には、絶対に勝てない。


 理由は、極めてロジカルだ。そもそも僕が、論理的でないことを言うかい?


 ヴージェ皇国も、ファールン王国も、例えば10人の騎士に招集をかけたとして、その結果として実際に何人の兵隊が集まるかは、その騎士の所領の豊かさに依存する。仮に騎士1人が50名の軍勢で馳せ参ずるとしても、本当に500人集まるかどうかは、集めてみるまで分からない。

 でもね、我が共和国においては、10の自治体に対して招集をかければ、確実に500人の兵士が集まる。一時的に経済が麻痺してもいいと割り切れば、1000人だって集められる。


 この違いの最も大きなところは、共和国のほうが最大動員兵数が大きいことじゃあ、ないんだ。

 大事なのは、我が共和国は、いざ動員をかけたときに、ほぼ定数で構成された師団が何個編成できるのか、事前に分かっているってことなんだよ。


 これはね、機密でもなんでもない。

 なぜなら、ヴージェ皇国も、ファールン王国も、もう散々、思い知ってることだから。


 つまりね、共和国軍は、「事前に計画を立案できる」軍隊だってことだ。

 1個師団を招集すれば、ピッタリ1万人とは言わないけれど、ほぼ1万人の部隊が集まる。彼らがどれくらいの働きができるのかも、事前に計算できる。

 強いか、弱いかが問題なんじゃない。計算できる(・・・・・)んだよ。

 これは、戦争において、とてつもなく大きな差だ。このことは、元貴族の高級将校も、肌で実感してる。バルマー中将とか、エルシュペー伯とか、あのあたりの頭のいい連中は、革命軍が作った「師団」って仕組みを知った途端に、顔色変えてたからね。


 その結果が具体的に出たのが、革命継承戦争だ。

 あの戦争で共和国は従来の領土をいくばくか損なったけれど、本来ならあの状況は、国が滅んでいても不思議じゃなかった。ヴージェ皇国が最初から裏切る気マンマンだったにしても、2対1だったのは事実なんだ。

 ところが蓋を開けてみれば、市民徴兵によって形成された師団という仕組みを、百戦錬磨の旧貴族たちが率いることで、レインラント共和国軍は二正面作戦を戦いぬくことができた。旧貴族軍は門閥爵位に囚われない安定した部隊を指揮下に収め、革命軍はショーシュ少将の作戦を完璧かつ大規模に実行できる指揮ネットワークを獲得した、その成果が革命継承戦争だ。


 そしてこれはあくまで、革命戦争が一時休戦となった直後の、混乱期の話なんだよ。

 あれから20年経って、共和国軍はより高度な作戦を実行できるレベルに達してる。装備も良くなったし、訓練状態も格段に改善された。

 一方でこの20年、ヴージェ皇国軍も、ファールン王国軍も、軍隊のあり方は何ら変わってない。皇国軍は多少軍馬を増やし、王国軍は地獄の特訓で新兵を鍛えあげてるけど、共和国軍の成長には及ばない。次に戦争をすれば、勝つのは共和国だ。


 ……という事実があるからこそ、我らが共和国軍は、呑気に派閥抗争なんぞにうつつを抜かしていられるってわけだ。

 決起だの蜂起だの夢のようなことを口走れるのも、自分たちが強いという確信があればこそ、だね。


 仮にも彼らは20年前、類まれな決断を成し得た軍人たちだよ?

 あのとき、革命軍は大義を棚上げすることを選び、貴族たちは誇りを捨てることを選んだ。

 彼らは、互いに絶対に譲れないものを譲りあってでも、協力して自分たちの祖国を守ることを選んだ男たちなんだ。

 決して無能でもなければ、現実が見えてないわけでもない。彼らは、あの革命戦争と革命継承戦争を生き延びるに相応しい能力を備えた連中(かいぶつ)なんだよ。


 いや、全員がそうだ、とは言わないけどさ。


(私は頷きながら、そろりと核心に踏み込むことにする)


 ――ははあ。君の本題は、そこか。


 そうだねえ……客観的に言えば、旧貴族派が優勢で、元革命軍派は押され気味ってのが、現状かな。やっぱりねえ、旧革命軍が自力で外国勢力とぶつかったら大敗を繰り返したってのは、ちょっと大きすぎる失点だった。

 革命継承戦争における最大の危機を救ったのは、「元貴族たちに率いられた革命軍兵士だった」というのは、ここでも否定しがたい事実なのさ。


 だがね、これもまた、そんなに簡単な話じゃなくてねえ。


 うーん……僕自身、そこまで完璧に把握できてるわけじゃないんだけど、少なくとも、「旧貴族派」「元革命軍派」っていう分け方は、現実に即してないと、断言できる。


 は? ミコラーシュ閣下が、軍はその2派に分かれてると言った?

 そんなのただの「極めて穏当な公式見解」だよ。大将閣下のほうが、僕より状況が見えてるはずなんだから。


 例えば、だけど。バルマー中将は、立ち位置としては旧貴族派そのものだ。でも彼は、共和国政府に対して、とても協力的な姿勢を見せてる。

 そしてもちろん、君に悪戯したクラマー元少将みたいに、旧貴族派で、かつ共和国政府にも非協力的っていうのも、いる。

 同様に元革命軍派にも、共和国政府に対して協力的な人と、そうでない人がいる。


 しかもここに加えて、旧内務省系の勢力だったり、治安警察に忠誠を誓っていたり、共和国政府には反対だけど大統領は支持する一派だったり、君がご執心の元伝書使(クーリエ)たちだったりと――とにかく今の共和国政府は、魑魅魍魎が跋扈する妖怪大戦争になってるのさ。


 だから、「旧貴族派と元革命軍派でどっちが優勢か」っていう問いに対しては、外側だけを見た時の事実として「旧貴族派が優勢だ」って答えられるけれど、本当に何が起こっているのかは、僕には分からない。


 というかね、多分、誰にも分かってないんじゃないかな?


 ともあれ今日の段階で、僕から話せるのは、この程度だよ。

 これ以上のことは、僕が能動的に動いて、情報を集めなくちゃならない。それを君が望むというなら、考えよう。もちろん、相応の対価を頂くのを前提として、ね。

 ただ、君が知りたいであろう状況を垣間見せてくれる人物を紹介する程度であれば――そうだね、オービエールのスパークリングで手を打とう。

 どうかな?


(私はバーテンを呼ぶと、ヴージェでも希少なスパークリングワインをワンボトル、注文した。発泡性のワインは抜栓したら即座に飲み切るしかないので、ボトルで注文するしかない。

 しばらくして、バーテンは私たちの前に新しいグラスを2つ並べ、抜栓したワインを置いた。私はボトルを手に取り、彼のグラスに注ぐ。彼もまた、ボトルを手に取ると、私のグラスにワインを注いだ。薄ピンクの美しい液体が、華やかな香りを漂わせる)


 では、乾杯。君の探索が、良い結果に終わることを祈って。


(私たちは小さく、グラスを重ね合わせた。

 グラスの中では薄ピンクの液体が揺れ、小さな泡がプチプチと小気味よい音を立てていた)


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