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降神辻で愛された鬼 後編

山間の寒村に隠された奇妙な祭りの謎、荒吐氏がたどり着く歴史の闇の真相。


九十九令和奇譚 第十夜 降神辻で愛された鬼 後編。


九十九令和奇譚 真説・耳嚢 第十夜 降神辻で愛された鬼 後編




そんな夢想に浸り、ニヤケながらノーパソを叩いていると声をかけられた。


見ると、シャツを着たさわやかスマイルの好青年然とした男性が隣に座ってきた。


聞けば村の小さな市役所に務める公務員だそうだ、隣村にある市役所に何か用事があり、今から向かうのだと言っていた。


狭い村だし、一目でよそ者と分かる著者に興味を持ち話しかけてみたのだろう。


さわやか青年と軽い世間話や村の伝承についての取材をしに来たこと、祭りについての話などを聞かせてもらったが、その際ふと思いついた疑問をぶつけてみた。


「この停留所に書かれているフルガミ、もしくはコウガミ辻前とあるが、かつてこのあたりにコウガミさんという家でもあったのか?もしくはなにかこれも伝承に纏わる地名なのか?」

と。


すると好青年は一瞬困惑した表情を浮かべたが、すぐにまたさわやかな笑顔に戻りこう答えた。


「あぁ、そうですよね、外から来た人にはちょっと読めないかもしれませんね、コレのことでしょう?」


とサビだらけの停留所の表示の『降神』の部分を人差し指で指す。


「これはコウガミやフルガミではなくウラガミ、と読むんです。」



「かつてこの辻に降神(うらがみ)家というお宅がありまして、なんでもずいぶん昔にその一家の者がこの村にたいそう貢献してくれたそうで、その功績を讃えるために降神辻との名前を残したと、聞いています。」

と。



コウガミでもフルガミでもなくウラガミ...



言われてみれば確かに、そういう読み方もできる字ではある。



現代ではあまり使われない表記ではあるが、古い文献などではしばしばこの読み方がされる場合があったのを不覚にもその時になってようやく思い出したのだ。


例えば「降人」である、これはコウビトでもフルヒトでもなく「ウラビト」と読む。


かつて山の民として暮らしていた人々が、時代の変化とともに人里に降りて市井に溶け込んでいった場合などに、その人々を指す言葉として使われたりする場合がある。



慌ててポケットから取り出したスマホのメール作成画面で「うらがみ」と打ち込んでみた。



確かに変換候補の中に「降神」の字が表示されている。




……パチッ!



著者の脳内データベースがフルガミからウラガミへと正しい読み方に更新上書きされるのに従い、著者の脳内の片隅でなにかが弾けて火花を散らしたような気がした。



それが何なのかはその時には分からなかったが、なにか著者の内側から焦りのような感覚が沸き上がってきたのを、はっきりと覚えている。



日本中を駆けずり回ってさまざまな伝承伝説を蒐集してきた著者のオカルトライターとしての本能が何かを告げている、

「この村にはまだ秘密が眠っている、まだ離れるべきではない。」

と。


著者はあちこちが割れた停留所のベンチから弾かれるように立ち上がると、びっくりしている市役所の好青年に礼をのべ、再び名士の家を目指した。


すでに別れを告げた都会の若者が慌てた様子で再び戻ってきたことで家人を驚かせてしまったのだが、事情を説明してもう少し取材させて欲しいと頼み込むと、再び快く承知してくださり、客室へと通された。



改めてご主人に対面し、度重なる不躾な訪問を謝罪したのだが、都会の若者が自分たちの伝承に興味を持ってくれたのが嬉しかったのか、上機嫌で対応してくれた。


挨拶もそこそこに、気になっていたことを聞いてみた。



「昨晩お話しいただいた裏山のウラガミさんとは、裏山の神様ではなくかつてこの地の辻の辺りに住んでいた降神(ウラガミ)家の名前に由来する信仰なのか?」と。



すると御主人は笑いながら

あぁ、あの停留所の名前から気づいたんかの?その通りじゃ、あれは裏山の神さんというより、その降神家の者由来の名前であり、祭りなんじゃ。」


御主人は席を立ち、またいくつかの古文書を抱えて戻ってきて、それを見せながら説明してくれた。


それは昨晩聞かされた、かつてこの村に流れ着いた自称鬼の子孫の一族に関する話しであった。


自称鬼の一族の彼らは温かくこの村に迎え入れられた後、約束通り村に貢献したという。


彼らには角も牙もなかったが人並外れた体躯と腕力に恵まれており、村の行事や水路の工事などの時には積極的に名乗り出て、率先してそれらの過酷な工事に従事してくれたらしい。



そんな彼らはやがて村人たちからも頼りにされ、完全に村の一員として溶け込み慕われていったそうだ。



しかしそんな平穏な日常を送っていたある時、村が粗暴な野伏(のぶせり)に襲われる事件が起きた、野伏とは戦などで仕えるべき主君を失い、野盗と化した元武士などを指す、ようするに職にあぶれた無法者の集団だ。



温厚なことで知られるこの村には武芸の心得がある者などおらず、やりたい放題の野伏に良いように蹂躙されてしまったらしい。



このままでは村が滅ぶ...



そう思われた時、鬼の子孫の末裔の男が一人立ち上がってくれたらしい。



この時代にはすでに鬼の子孫の家は飢饉や疫病などで数が減っており、その若者は最後の一族の男児であり、あとは年老いた母親だけの二人だけの家だったらしいのだが、青年は

「自分が野伏どもを何とかする、次に奴らが襲ってきたらすぐに自分に知らせて村人は家の戸締りをして引きこもっていて欲しい。

自分たちの祖先がこの地に流れ着いた時この村はそれを温かく受け入れてくれた、だからいつか何かが起きた時は我が家の者はなんとしてでもその恩を返さねばならないのだと、子供のころから言い聞かされている、今こそ、その大恩をお返しする時である。」

と語ったそうだ。



村人は一人では無茶だと、何人かは自分も一緒に戦うと申し出たらしいが、青年は無駄な犠牲を出したくない、自分一人で行くと言って同行を断固として断ったらしい。



果たして間もなく、また野伏どもが襲撃してきた夜。


連絡を受けた青年は先祖たちが持ってきたらしい古い甲冑に身を固め、野伏どもとの戦いに山中へと向かった。



かつては先祖伝来の武器などもあったらしいのだが、この地に流れ着く前にかさばる道具類は捨ててきてしまったらしく、素手で野伏どもに立ち向かったのだという。



山中から聞こえる壮絶な肉を打ち骨を砕く音、断末魔の声に硬く門戸を閉じて布団の中で震えていた村人たちだが、やがて夜が明けるころにはその声も聞こえなくなり、青年の身を案じた者たちが恐る恐る山中に足を踏み入れた。



そこで村人たちが見たものは酸鼻を極める光景だった、地面には無数の野伏の引き裂かれた死体が転がり、その中に息も絶え絶えとなった血まみれの甲冑姿の青年が大岩にもたれかかっていた。



青年は全身ズタズタで刀傷、矢傷で血まみれ、全身には無数の折れた矢が甲冑の隙間に突き刺さりハリネズミのようになっていたという。


なにより青年の全身は骨が砕けており、野伏との凄まじい戦いが想像できた。



村人は青年にしっかりしろと声をかけるも、もうその命は消えかかっているのは誰の目にも明らかだった。



青年は、最後にこう言い残した。



「この村に恩返しができて満足だ、しかし野伏どもはまだ数十人は残っているはずだ、また奴らが襲ってくるといけないから自分の遺体はこのまま高台の大岩の下に埋めてほしい、あそこなら村全体を見渡せる、そこでずっと奴らを見張っているから。」

そう述べて、青年は息を引き取った。



結局残った野伏どもは、青年の獅子奮迅の戦いに恐れをなしたのか、この地を離れたらしく二度と襲ってくることはなかったそうだ。



全身の骨を砕いてまで野伏どもと戦い、死してなおこの村を守護せんとした青年の死を村人たちは嘆き悲しみ、彼の遺体を丁重に村まで運び、彼の母親の元に届けたらしい。



母親は一人息子の変わり果てた姿を前に、それでも気丈に語った。


「この子はこの村にいつか恩返しをせよとの先祖の言葉を見事に守った、きっと満足であったはず、貴方達もぜひこの子を褒めてやって欲しい。」

そう言って、ただ静かに涙を流したという。


その姿を見た村人たちもまた、涙を流し青年の死を悼んだ。



取り残された母親は村を救った英雄の母ということで、以降は村全体で陰に日向に助け、面倒をみたそうな。



やがてその老いた母親も、天に召される時が来た。



母親は最後までこの村への感謝の言葉を述べて息を引き取り、その死に顔はとても安らかなものであったと伝わっているという。



以後この村では彼らの家があったかつての場所に降神辻と名付け、その村への貢献と犠牲を忘れないように、祭りとして青年の献身を伝え残したのだという。



ここまで御主人の話を聞かされた著者の脳内ではさらにパチパチとなにかが火花を散らすような感覚があった、なにかが繋がりそうなのだ。


顎に手をそえてウンウンとうなりながら思案する著者に御主人が嬉しそうにさらなる提案をしてくれた。



近くの神社に伝説に纏わる屏風絵が収められているらしい、明日でよければ自分が案内するからこのまま今夜も泊っていけというのだ。


さすがに気が引けたのだが、確かにここまで来て帰るのは惜しい。


なにより奥様の

「まぁまぁ、それなら今夜はスキヤキにしましょう、滅多に来ないお客様が来ると、家がにぎやかで嬉しいですねぇ。」

との言葉に、著者の空気を読めない腹の虫が鳴ってしまったのだ。


「ははっ、あんたの腹の虫もそう言っとる、遠慮は要らんから泊っていきなさい、それがこの村のしきたりでもあるのだから、ワシらを助けると思って、もてなしを受けて欲しい」


とまで言われては、断るのもかえって無作法というものだろう。


著者が、ではお言葉に甘えさせていただきますと答えると。


御主人がどこかに電話をし、件(くだん)の神社の関係者に明日取材に伺う旨、アポを取り付けてくれたようだ。



恐縮しつつ奥様が作ってくれた絶品のスキヤキをたらふく食べ、満足感とともに、またふかふかのお布団で床に就いた。


翌日、御主人とともに村はずれにある小さな神社へと向かい、神職に通されて宝物殿に収められたその屏風絵巻を調べさせていただいた。



絵巻には甲冑姿の若者が片手に野伏の首をつかみ、もう片手で別の野伏を叩きのめしている様子が描かれていた、足元には青年の片足に踏み敷かれた野伏もいる。



周りは何十人もの野伏が手に刀や槍を持って取り囲んでおり、青年の体には折れた矢が幾本も突き刺さって血まみれだ。



青年には角も牙も描かれてはいないが、まさに鬼神のような戦いぶりだ。



神職によると青年と野伏の戦いは、村人は引きこもっており誰も直接見たわけではないので、この戦いの様子は戦いの跡を見て想像で書かれた物だろうとのこと。



神職にいくつか質問をしてみた、大岩に子供の健やかな成長を祈る風習について聞いた時、神職はこう答えた。



「もともとは野伏を全滅させるまで戦った青年のように丈夫な骨になるように祈っていたらしい。そうすることで骨折したりひびが入ったりしない骨になり、骨が折れてもすぐにつながる御利益があると言われていたが、長年の間に単に丈夫な骨や体になる御利益へと変化したらしい。」



例の大岩に手を添えて子供が唱えていた祝詞も、もとは流れてきた鬼の子孫の一族がその十人力を発揮する際に唱えていた祝詞が由来なのだと。


他にも良く解らない呪文を唱えて十人力を発揮する者もいたらしいが、そちらの言葉は良く解らない言葉だったせいで御利益としては残らなかったようだ。


神職が先代から聞いた話では、おそらく仏教由来のお経かなにかだったらしい。


それらの説明を聞きながら、著者は絵巻を眺めているうちにある違和感に気づいた。



絵巻に描かれた青年の体が、赤黒く着色されているのだ。



流血の表現ではない。



血の表現は別に、赤い染料で表現されていたからだ。



赤黒く着色されているのは青年だけで、野伏などは普通の肌色だ。



神職に聞いてみると、伝わる話では鬼の子孫を名乗った一族は十人力を発揮するときには、全員ではないが肌の色が赤銅色に変わるものがいたらしい。



著者の脳内の中の暗闇で、パチパチと火花が大きくなっていく。



呪文を唱えて十人力を発揮し、赤黒く染まる体躯。


野伏との戦いで全身の骨を砕かれて絶命した青年。


しかもそれは武器すら持たぬ素手での戦いで、野伏どもを引き裂いたという。


そしてフルガミでもなくコウガミでもなくウラガミ.....



そう思い至った時、著者の脳内で



バチンッ!!



とひときわ大きな火花が飛び散った。



それは脳内のイメージを超えて、実際に目の前が一瞬白く染まるほどの衝撃だった。




『繋がった』のだ。




もうお分かりだろう、著者がたどり着いた仮説に。



そう、鬼の子孫を自称していた彼ら。


そして野伏から我が身を犠牲にして村を守り抜いたその末裔たる青年、彼らはあの朱羅神の一族の者ではなかったのか?



ここからはかなりの割合が著者の推測になるが、巴氏の証言によると霞の眼の深遠に魅せられ御子神から離反した朱羅神の一族は、権力者の道具になり果て暗殺者集団へとなり下がっていったという。



だがそのような生活に嫌気がさして、やがて朱羅神から離れていったグループもいたのではないだろうか?



そして朱羅神、暗殺者の生活から離れたそのグループは穏やかな普通の生活を求めて市井に溶け込んでいったはずだ。



そんな彼らは朱羅神の忌まわしい歴史から引き継がれた修羅の眼=高深度術式の霞の眼は封印したはずだ。



暗殺家業から身を引く以上、修羅の眼は何かの危機的な事態にでも直面しない限り使う必要がないはずだからだ。



そんなグループが安住の地を求めてこの地に流れ着いたのだとしたら?



人並外れた体躯と異能の怪力を発揮する彼らは日本全国様々な地を流れたが、ついぞ安住の地は見つからず、古くから様々な流れ者を温かく受け入れてきたこの村の噂を聞きつけて藁にもすがる思いでここにたどり着いた。


鬼の子孫だが、十人力の力で必ずこの村の役に立ってみせると懇願したのだとすれば?


著者の頭の中で様々なバラバラだったピースが、凄まじい勢いで組み上げられていった。


彼らが不審に思われるのを承知の上で、あえて

「角も牙もないが鬼の力を持っている」

と話したのは、彼らなりの誠実さと、朱羅神の歴史に対する複雑な自負が入り交じった感情がゆえの言葉だったのではないだろうか?


そして名前を変えつつも彼らが降神=ウラガミという、シュラガミから転訛したと思われる一族名を名乗ったのは、彼らなりに一族の凄惨な歴史の爪跡をかすかにでも後世に残したかったからなのではないだろうか?



かつては鬼の一族は祝詞だけでなく仏教由来の真言と思われる呪文も使っていたという神職の証言も、かつて戦巫女の集団であった御子神の一族がその前身となる土着の神道や密教、陰陽道まで入り交じった混沌とした民間の呪術体系をもつ巫女であったとする歴史的事実とも符合する。



そしてこの村のよそ者に対する温かい対応は、民俗学で言うところの報恩譚(ほうおんたん)であろう。



報恩譚とは民俗学上の言葉であり、神や動物を助けた結果、何かの恩返しや御利益が得られた、とするパターンをもつ物語だ。



例えば傘地蔵や鶴の恩返しがこのパターンに当てはまる。



かつてこの地に流れ着いた鬼の子孫を温かく迎え入れたら、のちに彼らがその恩返しとして我が身を犠牲にして村に報いてくれた。



その記憶がこの村に「旅人には親切にせよ」という風習として残ったのだろう。


それらの記憶を彼らは青年の献身に報いるために、祭りやウラガミさんの大岩への祈願としてこの時代まで大切に残し、守ってきたのだろう。



さらに神職はこの神社に伝わるいくつかの古文書を見せてくださった。


多くはすでに名士のご主人に見せて頂いたものと重複する内容だったが、一つ興味深い文章を見つけた。



「鬼(おに)の誓文(せいもん)」

と呼ばれるものだ。


青年が亡くなった後、残された母親の死をもって降神家は断絶してしまったそうだが、母親の最後は青年の献身に報いるため村全体でその老後を支えたことから、母親の葬式も立派なものが行われたらしい。



その際母親の遺品を整理する過程で見つかったものを、神職が預かり保管していたものだそうだ。


「我、これより深淵に身を沈め、人としての理を捨て修羅とならん。

息を腹の底へと導き、金剛の力もちて里を襲う災厄を打ち砕かん。

死して後はあの大岩の礎となり、護国の鬼として永劫にこの地を見守らん。

もし里に危急あらば、我が亡骸の骨、乾いた音を立てて鳴り響かせん。

これ即ち危機の知らせなれば、里の者、その音を聞かば直ちに備えよ。

努々(ゆめゆめ)忘るることなかれ。」


という内容だった。


内容からして、これは鬼となった青年が最後に母親に託した、いわば遺言状と思われる。



この文章を読んでいる時、神職が説明してくれたのだが、例の祭りは元々「鬼の高見櫓(たかみやぐら)」と呼ばれていた高台の大岩の周りで行われていたものらしい。


高台の上で行うのは危険だからという理由で、後世になってから本物の櫓を高台のふもとに組んで行われるように変質したのだそうだ。


また誓文の中にある「乾いた骨の音で里の危機を知らせる」も神職の先々代あたりまでは言われていたらしいのだが、現在ではあまり言われることはなくなり忘れ去られているようだ。


それでも一部の高齢者の中には

「ウラガミさんの大岩が骨が鳴るような音を立てたら、なにか村に悪いことが起きる前兆だから気を付けろ」

と信じている者もいるらしい。




著者は絵巻を神職の許可を得て撮影させてもらい、お二人に厚くお礼を述べてこの古い歴史を持つ村落を後にした。



帰りのJRに揺られながら考えてみた。


著者が考えていた以上に、日本各地に朱羅神の痕跡はあらゆる伝説伝承に埋もれて残されているのかもしれない。



今回は腰を振るプレスリーとおにぎりから偶然この伝説に出会い、予想だにしなかった仮説にたどり着いたわけだが、ここまで思考した時、著者は少しだけ不遜でうぬぼれた考えに思い至ってしまった。



もしかしたら自分は、朱羅神の一族に導かれているのかもしれない、と。


オカルトライターとして好奇心の赴くままに御子神と朱羅神の一族の歴史を追い続けてきた著者だが、時折調査の過程で今回のように全く無関係な事象からなにかに導かれたかのように朱羅神の痕跡へとたどり着くことが、しばしばあるのだ。



不遜な考えかもしれないが、もしそうなら著者は彼らが歴史に残したかすかな爪痕を今後ともに追い続け、発掘していく義務があるのかもしれない。



そんなことを考えながら自宅で電気代が怖くてなかなかスイッチを入れる踏ん切りがつかないクーラーを眺めつつ、汗だくになりながら本稿を書き上げた次第である。



読者諸兄においては鶏面人やら腰を振るプレスリーのごとき与太話よりも、よほど面白いレポートをお届けできたものと確信している。



ゲイツの督促は適当に流しておいた、鶏と腰振りなんぞ合わせて1ページもあれば十分であろう。



今後も荒吐のレポートは与太話もあるだろうが、決してそれだけで終わることはないと、この場を借りて読者諸兄にお約束するものである。



この後予定されている意味不明なカルト教団への潜入取材レポートなどはとっとと読み流して、今後も続行される御子神と朱羅神一族を追うルポタージュ記事をこそ刮目してお待ちいただきたい。



美味しい軍鶏鍋とすき焼きの味を、今でもふと思い出す度に思うのだ。



あの時、著者を温かくもてなしてくれた小さな山間の村で。



それを見下ろす、あの鬼の高見櫓のもとで。



角のない鬼は、村に迫る脅威を油断なく睨みつけながら。



愛し愛された村を、今も見守り続けているのだろうか?




この原稿をゲイツの面に叩きつける時を想像してほくそ笑みつつ、これにて今回のレポートは筆を置かせて頂こうと思う。



九十九令和奇譚 真説・耳嚢シリーズ 第十夜 降神辻(うらがみつじ)の愛された鬼・完


ただの設定資料集じゃ面白くないし、胡散臭いオカルト記事として楽しめる風にしてみよっと。

という発想から始まったこのシリーズ、書いてて楽しいのはいいんですが、よく考えたらこの構成だとただの資料としてではなく、読み物として楽しめる文章量とギミックやレトリックも仕込まないといけないわけで、実質的にホルゼロ本編と変わらないぐらいの労力とストーリー構築の手間がかかるんですよね...

まぁでもキャラの荒吐九十九氏も気に入っちゃったし、本編より優先するわけにはいきませんが、ネタ思い付き次第、令和奇譚シリーズも続きを書きたいと思っています。

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