Next Generation 明日香の味 第二話
◇第2話:シャロンの教えと「基本」の深さ
「はあ…」
明日香は、専門学校の試作課題で思うような評価が得られず、放課後の「樹」の厨房で落ち込んでいた。
「もっと見栄えを良くしないと、評価は上がらないのかな…」
同期の恵麻のインスタを見てため息が出る。
彼女は、自分が作ったタルトをSNSにアップしていて、コメント欄には批判もあるけれど、概ね好評なのだ。
「ふぅ…困った子ね…」
そんな明日香を見ていたシャロンは、次の日ひとつの作業を命じた。
「明日香さん。今日からはしばらく、モンブランに使うマロンペーストの裏ごしと、生地の仕込みだけを担当してもらいます」
「えっ……デコレーションや組み立ての練習はしなくていいんですか?」
「ええ。まずは素材とじっくり対話しなさい」
「は、はい…(素材と対話しろっていわれても…)」
明日香は疑問に思いながらも、毎日ひたすら栗と向き合った。
「…まだ、残ってますよ?」
「あ!すみませんっ!」
シャロンに指摘され、皮を剥いた栗を慌てて見直した。
(こんな小さな皮も?)
微小な皮の残りを丁寧に取り除き、滑らかになるまで何度も裏ごしを繰り返した。
「よいしょ…んしょ…」
「そうです、丁寧に、滑らかになるまで」
「はいっ」
地味で根気のいる作業だった。
「んしょ…んしょ…ふぅ」
「明日香さん、続けて」
「は、はいっ」
(手、痛い…中腰の姿勢も、キツイ…けど)
シャロンの言いつけを守り、連日マロンペーストの裏ごしをしていた明日香は、ヘラの使い方一つ、力加減一つでも違えば、ペーストの仕上がりに大きく影響してしまう事に気付いた。
(「栗の硬さ」、「水分量」、「香りの違い」、
どれ一つでも違ったら、まったく別物になってしまう…
素材と対話しろ…シャロンさんの言っていた事はこれなんだ)
………………
「…シャロンさん、マロンペーストの裏ごし、全て終わりました……。」
「お疲れ様♪はい、これ」
「…何ですか?」
数日後、疲れ果てた明日香に、シャロンが淹れたての紅茶とひとつまみのマロンペーストを差し出した。
「食べてごらんなさい」
「はい………‼️」
口に含んだ瞬間、濃厚で豊かな栗の香りと、驚くほどなめらかな舌触りが口いっぱいに広がった。
「これが……『樹』のモンブランのベース……」
「お菓子を作る技術はもちろん大切です。
けれど、本当に人の心を動かすのは、目に見えない手間に込められた『想い』なのです。
あなたのお父様とお母様が愛したこのモンブランも、特別な魔法を使っているわけではありません。
ただ、食べる人の笑顔を想い、途方もない時間をかけて基本を重ねているだけなのですよ」
シャロンの言葉が、明日香の胸にじんわりと染み渡っていく。
自分は「上手く見せること」ばかりに気を取られ、食べる人のことや、素材への愛を忘れていたのかもしれない――明日香は深く頷いた。
「お菓子作りはシビアです。
ほんの少し、砂糖の分量を間違えても味のバランスが大きく変わってしまう…
粉の配合が違えば、生地の膨らみ方だって全く違う。
口触りや食感に影響して、違和感が出てしまう事もある…」
「はい…」
「見た目も勿論大事です…でも1番大事なのは…」
「…」
「お菓子作りは、楽しくなくちゃ、ね?」
「‼️」
(そうだ…何で忘れていたんだろう。
始めてママと一緒にクッキーを焼いた時も…
高校の文化祭で、ケーキを沢山作った時も…
あんなに…あんなに楽しかったお菓子作りが…
今は、苦しくて、辛くて…
『お菓子作りは、自分の心の乱れがそのまま味や形に出てしまう』
それなのに…
こんな気持ちで作ったタルトが、美味しい訳ないじゃない。)
「シャロンさん、ありがとうございます!
私、何か少し…つかめた気がします!」
◇
「おや!明日香さん、このクリームは素晴らしいですね!とても舌触りが良い。」
「はい、ありがとうございます!」
明日香は講師にホイップクリームの出来栄えを褒められた。
「一つ一つ、丁寧に…お菓子は、基本の積み重ね。なら私は、基本を徹底的に磨くんだ!」
明日香のケーキ作りは、時間こそかかるものの、良い方向へと動き出した。
「あら?明日香ちゃん、まだ帰らないの?」
「うん…もうちょっと…」
明日香は、今日褒められたクリームについて、身体で覚えた事を、レシピノートに書き出していた。
ただ単にできる様になるのではなく、ノートに出力して反芻する。
そうやって身体に定着させようとしていた。
「ふ~ん…それじゃお先に、巧、帰ろ!」
「あぁ…明日香さん、また明日」
「えぇ…さよなら…」
レシピノートに夢中になっている明日香を置いて、恵麻はさっさと帰り支度を整え、巧と共に、専門学校を後にした。
「…明日香さん、何か変わったね」
「そお?…時間ばっかりかかって…効率が悪いったらないわ…」
そうは言ったものの、「明日香の真摯なお菓子作り」の眩しさに、恵麻自身も気付いていた。
それだけに、ちょっと嬉しそうな巧の顔を見て、恵麻は胸のモヤモヤが膨れてしまった。
「今日作っていたホイップクリームだって、本当によく出来てたよ」
「当たり前でしょ!クリームが作れたくらい何だって言うのよ!」
「恵麻…何でそんな言い方するんだ?」
「巧こそ何でよ!何でそんなに明日香の事ばかり話すのよ!」
「え…何でって…僕は、何も」
「!もう知らないっ」
「恵麻!」
駆け出していってしまった恵麻を、巧は慌てて追いかけて行った。
Next Generation 明日香の味 第二話 完
〜〜『樹』の自家製マロンペースト〜〜
栗本来の素朴で濃厚な風味が引き立つように、余計な添加物は使わず、丁寧な「渋皮・鬼皮剥き」と「裏ごし」の基本を突き詰めたレシピです。
【材料】(作りやすい分量:出来上がり約400g〜500g)
* 生栗(国産の和栗):1kg(鬼皮付きの状態で)
* グラニュー糖:栗の裏ごし後の重量の 40%〜45%(お好みで調整)
* 無塩バター:20g (コクとなめらかさをプラス)
* 牛乳(または生クリーム):50〜100ml(硬さ調整用)
* バニラビーンズ:1/2本(またはバニラペースト少々)
* ラム酒:小さじ1(仕上げの香り付け/お好みで)
【作り方】
1. 栗の下処理(鬼皮・渋皮剥き)
* 栗を浸水させる:生栗をたっぷりの水に一晩(または50℃くらいのお湯に30分)浸けて、皮を柔らかくします。
* 鬼皮と渋皮を剥く:包丁の顎を使って、底の平らな部分から頭に向かって鬼皮を剥きます。続けて、渋皮も丁寧に削ぎ落とします。
※明日香の学びポイント1:渋皮の小さな残りが一筋でもあると、舌触りのざらつきやエグみ(渋み)に繋がってしまいます。微小な皮まで残さず取り除くのが「基本」の第一歩です。
2. 栗を茹でる・蒸す
* 綺麗にした栗の実を鍋に入れ、たっぷりの水(または蒸し器)で、竹串がスッと抵抗なく通るまで弱火〜中火でゆっくり20〜30分茹でます。
* 茹で上がったら熱いうちにざるに上げ、水気をしっかり切ります。
3. 潰す&裏ごし(ここが肝心の手仕事)
* 栗が温かいうちにマッシャーやフォークで大まかに潰します。
* 裏ごし(裏ごし器/万能こし器):木べラやスクレーパーを使って、裏ごし網に栗を強く押し当てながら、何度も丁寧にこしていきます。
※明日香の学びポイント2:力加減やヘラの角度、栗の硬さや水分量によって裏ごしの滑らかさが大きく変わります。休まず一定のペースで均一に裏ごすことで、シルクのような舌触りが生まれます。
4. 炊き上げ(味と固さの調整)
* こし終わった栗の重量を測り、その 40%分のグラニュー糖 と、縦に切り開いて種を出したバニラビーンズ、牛乳(半量)を鍋に入れます。
* 弱火にかけ、木べらで焦げ付かないように鍋底から絶えず練り上げます。
* 栗の水分量を見極めながら、残りの牛乳を少しずつ加え、とろりとなめらかでツヤが出るまで練り混ぜます。
* 仕上げに無塩バターを加えて溶かし混ぜ、火を止めた直後にラム酒を垂らして香りを閉じ込めます。
5. 冷却と熟成
* バットなどに平らに広げ、表面にラップを密着させて(空気に触れないようにして)急速に冷まします。
* 冷めることで全体がキュッと締まり、濃厚で風味豊かな『樹』特製マロンペーストの完成です。




